東京高等裁判所 昭和35年(ツ)160号 判決 1962年2月27日
上告人 佐藤鬼子郎 外八名
被上告人 益子金松 外九名
主文
本件上告をいずれも棄却する。
上告費用は上告人等の負担とする。
理由
上告代理人は「原判決を全部破毀する」旨の判決を求める旨申立て、その理由として、別紙上告理由書記載のとおり主張した。
上告理由第一点について
所有権に基いて請求する事件で、被告が所有権を争う場合には、原告は請求を理由あらせるために、所有権の取得原因を主張し且つ立証しなければならないことは、上告人等主張のとおりである。その場合でも、物の所有権を先祖から代々相続によつて伝来的に取得したと主張し、その個々の相続関係については特別に争がない場合には、必しも先祖代々の氏名、相続の区別及びその年月日を一々具体的に主張、立証しなければならないものではない。本件の場合でも、上告人等は、その主張の全趣旨からして、本件係争地の昔からの被上告人の先祖の所有権を争い、従つて、被上告人等の所有権を争つているが、その個々の相続関係を争つているとはとうてい認められない。従つて、原審が、被上告人等の主張する事実に基いて、本件土地は古くから被上告人佐藤義夫、同和知豊吉両名以外の各被上告人、訴外佐藤辰弥、同和知岸三郎及び上告人等の先代亡佐藤作之助以上一一名の各祖先の共有であつて、代々相続によつてその権利を承継し、被上告人佐藤義夫はその先代佐藤辰弥から、被上告人和知豊吉はその先代和知岸三郎から昭和三五年六月二一日各その共有持分権の贈与を受けその他の被上告人等は各先代から共有持分権を相続したとの事実を認定したのであつて、右事実は原判決の挙示する諸証拠によつてこれを認めることができる。従つて、原判決が上告人等主張のように、その個々の相続関係について一々認定判断しなかつたのは当然で、原判決には、審理不尽、理由不備の違法はないから、上告人等の主張は理由がない。
同第二点について
原判決が、本件土地は古くから佐藤作之助を含む前記一一名の祖先が共有し、代々相続に因て前記一一名の共有になつたもので、ただ、明治一三年地券発行当時一一名の共有名義としないで、便宜上作之助の祖父安右衛門単独の所有名義として地券の発行を受け、延いて同人若くはその相続人の所有名義に登記せられるに至つたものと認めるを相当とすると判示し、地券の性質及び価値についてなんの判断をも示していないことは所論のとおりである。
上告人等は地券制度以前は民法にいう土地所有権は存在せずその共有もなかつたもので、土地所有権は地券の作成交付によつて形成的に成立したものであると主張するが、右見解は正当ではない。明治以前においても、私人の土地に対する総括的な支配権は認められていて、当時の法令によつても保護されていたのであつて、ただ永代売買が禁止せられる等その処分が制限せられていたに過ぎない。明治五年の大政官布告第五〇号によつて、永代売買の禁令が解除せられ、土地の所有と取引の自由が認められることになつて、近代的意味での土地所有権に推移し、次で、民法の施行により、その適用をみるに至つたものと解すべきである。地券制度は地租制度を確立するための手段として定められたもので、地券を発給することによつて納税義務者である土地所有権者を確定し、地券の交付ないし裏書をもつて土地所有権移転の効力発生要件とされていたに止まり、地券の発給によつてその者に対し土地所有権を創設的に附与したものではないと解するのが相当である。従つて土地所有権の帰属はその実体によつて決すべきもので、地券に表示された者のみが唯一の所有権者であると解することはできない。本件土地は古くから共有山林と呼ばれ、少くとも明治初年頃以来前示一一名の先祖代々屋根葺きに必要な茅の採取場として使用収益してきたもので、その租税も直接にはその所有名義人である上告人等の祖先に向けられてきたが、本件土地の収益によつてこれを賄つてきたものであることは、原審の適法に確定した事実であるから、原審が地券の性質価値等に深く立入つて判断することなく実体上本件土地は上記佐藤作之助を含む合計一一名の祖先の共有地であると判断したのは、間接ながら地券が佐藤安右衛門名義で発行せられていても、それだけでは本件土地が直ちに同人のものなりとは認められない理由の判断を説明しているのであるから、原判決には所論のような法令の解釈を誤つたとか、審理不尽、理由不備とかの違法はないから、上告人等の主張は採用することができない。
よつて、本件上告は理由がないから、民事訴訟法第四〇一条によつてこれを棄却し、上告審での訴訟費用の負担については同法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 杉山孝)
上告理由書
第一点
原判決は、「本件土地は古くから佐藤作之助を含む前記十一名の祖先が共有し代々相続によつて前記十一名の共有となつたもので」(判決書十二丁表二行目以下)あると認定しているが、前記十一名の祖先が共有していたという事実認定の正否はしばらく措いても、被上告人(控訴人)等十名の祖先から控訴人等が各共有権を相続したという点については、控訴人等からは、具体的にその祖先というのは誰であり、その者からいつ何の原因でいかなる相続(家督相続か遺産相続か又は新民法による相続か)をしたかについては何の主張も立証もないままに右認定をしている。しかしこれでは控訴人等が正当な本件土地共有権の権利者であるかどうかは全くわからない筈である。たとえ祖先が共有権者であつても控訴人等はその正当な相続人でないかも知れず、又遺産相続か新民法の相続である場合は、祖先の権利の部分的な承継人であるに過ぎないかも知れないからである。
凡そ訴訟で確認を求める権利が、他人からの承継に基くことを主張するならば、その権利承継の事実を具体的に主張し且つ立証しなければならないのは当然の理である。然るに原審がこの点につき些かも考え及ぼすことなく、前記認定をしたことは、審理不尽、理由不備の違法あるもので、原判決はこの点に於て破毀をまぬかれない。
第二点
原判決は、右第一号記載の判決理由につづいて「……ただ明治十三年地券発行当時十一名の共有名義としないで便宜上作之助の祖父安右衛門単独の所有名義として地券の発行を受け、延いて同人もしくはその相続人の所有名義に登記せられるにいたつたものと認めるのが相当である」(判決書十二丁表四行目以下)と述べているが、右地券の性質、価値については何の判断をも示していない。第一審判決が、「乙第一号証の地券は「日本帝国ノ人民土地ヲ有スルモノハ必ラズ此券状ヲ有スベシ」「右検査之上授与之」等の記載文字から当時国が土地所有権を公証した公文書と認められる……」(同判決書四丁目裏十行目以降)として地券の法律的価値についての判断を示しているのと全く対照的である。
そもそも「地券」は明治政府が土地所有者を確定する手段として創設した制度であつて、土地所有権は地券によつて、表示され、これによつて土地に対する独占的排他的支配権が確認されたのである。この意味で、土地所有権は地券の作成交付によつて形成的に成立したものと云い得る。
故にこの地券制度以前は現民法典に云う土地所有権は存在せず、又その共有もなかつたのである。従つて原判決認定の如く地券発行以前に控訴人(被上告人)等の祖先と被控訴人(上告人)等の祖先が本件土地を共有していたことがあつたとしても、それは現民法典に所謂所有権の共有ではなく、封建制度下の共有(利用権の共有)にすぎない。(この共有利用権は後に現民法典の制限物件乃至債権となつた。又、この地券の交付は政府が土地利用の実体を調査した上真の所有者と確定すべきものに対してされたのであつて、このことは乙第一号証「地券」の表面に「右検査之上授与之」と記載され、且つその裏面に「日本帝国人民土地ヲ所有スルモノハ必ラス此券状ヲ有スベシ……故ニ何等ノ事由アルトモ日本政府ハ地主即チ名前人ノ所有ト認ムベシ」と記載されているところによつても明白である。-明治五年二月二十四日大蔵省達「地所売買譲渡ニ付地券渡方規則」第六参照-
参考 川島武宜著所有権法の理論(岩波書店)二三九頁には地券渡方規則第六は、地券が「地所持主タル確証」であると規定している。訴訟法と実体法との近代的分化なき訴訟的構成においては、権利の要件はしばしば証拠として構成されるのであり、ここに「確証」というのもおそらくは、現代民事訴訟法上の「証拠」という意味ではなく、所有権の要件の裁判規範的表現と解せられるべきであらう。……と記載されている。
故にこの点に於て、地券制度は、実体関係を調査することなく、手続上適法な申請であれば受理する現行登記制度とは明白に異なるものである。
然るに原審は「地券」の法律的価値について些かも吟味することなく、地券が土地所有権形成の効力を有することを知らず、地券以前には控訴人等の主張する如き現民法典上の共有権なるものは存在し得ないことを見のがし、地券制度と登記制度をその公信力に於て同一のものと誤解した為前記原判決の認定をしたものであつて、この点に於て原判決は、法令(直接には明治五年二月十五日太政官布告地所永代売買ノ儀従来禁制ノ処自今四民共売買致所持候儀被差許侯事」明治五年二月二十四日大蔵省達「地所売買譲渡ニ付地券渡方規則」等一連の地券制度に関する法令)の解釈適用を誤まり、又は審理不尽、理由不備の違法を犯したものであつて、破毀さるべきものである。
なお参考として次の判決の初めの部分を掲げる。
明治二十四年十二月松山地方裁判所宇和島支部判決(小野武夫著日本村落史考((穂高書房))百八十頁以下所掲)
「本案を断ずるには須らく先づ本邦制度上の沿革より論ぜざるべからず、抑も本邦古来の制度たる道法井田法に依り其主義とする所変天の下王土に非ざるなく……(中略)……織雨豊臣を経て徳川に至り三百の諸侯を封じ、封建の制度を完成し各其土地を処分するの実を行ひしも畢竟其事たるや王家の黙認若くは明認に出るものにして所有権を有せしことなく、唯其代理の処方たるに外ならず、而して人民に至りては一般に四公五民若くは五公五民或は六公四民の制に依り小作者に過ずして、私かに相互の売買を為せし所ありたると雖も其売買たるや右小作権に止まり、其土地に付き所有権を有せしことなかりき、降て王政維新の際に於ても如此なるが故諸侯皆な藩籍を奉還し、処分権実行の代理を解くに至り、茲に土地所有権の名実は共に王家に帰せり、次で王家は国利民福を図り明治六年第二百七十二号の布告を以て地所に地価なるものを附し地所々有権を人民に恩賜し之と同時に其地に関んる公租其他の義務を負担せしむる事と為したり、而して其の恩賜する所の標目は従来の小作者にして其小作するものを各町村の水帳其他小作に関する書類等に依り取調べしめ其地所を某小作者に下附し之に地券を附与せしものなる事は本邦の史又は今日迄の実歴に依り皆人の知る所なり、然らば即ち人民が地所所有権を得たるは実に此時に在りて、全く王家の恩賜に出るものなるにより其王家の恩賜以前に遡り所有権の有無を争ふは其誤謬の事たり、故に本訴の地所に就き原告が被告に対し之が返還を請求するは素より其権なきものとす。然り而りして所有権恩賜に関する処分の可否は司法裁判所の判定すべきに非ず、……」