東京高等裁判所 昭和35年(ナ)7号 判決 1960年12月15日
原告 肥後享
被告 千葉県選挙管理委員会 代表者委員長 平山滋春
訴訟代理人 高橋幾喜 外一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は、「被告が昭和三五年六月一五日原告の訴願についてした裁決を取り消す。昭和三五年二月二八日執行の千葉県市川市長選挙を無効と確定する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告代理人は請求棄却の判決を求めた。
原告は、請求の原因として次のとおり述べた。
一、原告は、昭和三五年二月二八日執行の千葉県市川市長選挙の候補者であつた。
二、原告は、右選挙に立候補するにあたり、同選挙を管理する同市選挙管理委員会(以下市選管と略称する。)に対し、自己の属する政党の名称を「民主社会党」として届け出ておいたところ、市選管は、公職選挙法第一七三条第一項の規定による党派別掲示をするにあたり、原告の所属政党を「民主社会党(肥後)」と表示した。
三、しかしながら、市選管の右の処置は、次の理由により、右公職選挙法第一七三条の規定の趣旨に反するものである。
原告を代表者とする民主社会党と西尾末広を代表者とする民主社会党とが、同一名称ではあるが、別異の政党であることは事実である。けれども、選挙管理委員会が候補者の氏名および党派別の掲示をするにあたり、勝手に所属政党等の名称につき付加削除等修正を加えることは許されないものと解すべきであり、このことは、かつて公職の選挙にあたり、きわめて字数の多い政党名を届け出た者があつたため、公職選挙法施行令第八八条を改正し、その第三項として、届出書に記載する政党その他の政治団体の名称が字数二〇をこえる場合においては字数二〇以内の略称をあわせて記載しなければならない旨の規定を追加したことからみても明らかである。けだし、選挙管理委員会が届出のあつた政党等の名称につき自由に付加削除等の修正をなし得るとすれば、前記のような法令の改正をする必要はないはずだからである。しかも、本件市川市長選挙に際しては、原告以外に前記両民主社会党に属する候補者は存しなかつたのである。昭和三五年二月二六日執行の神奈川県藤沢市長選挙の場合も、本件と同様の事情であつたが、同市選管は本件市川市選管の掲示にみられるような区別はしなかつた。なおまた、かつて自治庁は日本社会党および自由民主党が二つ届けられ選挙が行われた当時、部内の取扱上日本社会党(左派)日本社会党(右派)と区別して取り扱うのは差支ないが、対外的の掲示その他においては区別して取り扱つてはならない旨各選挙管理委員会に通達し、その趣旨に従つて選挙が実施されたこともある。
要するに、市選管の前記政党名の表示方法は違法というべきであり、このような違法の処置をとられたため原告は当選に必要な得票数が得られずして落選したものである。
もし単に「民主社会党」として掲示されていたならば、原告の当選は確実であつたのであるから、選挙の結果に異動を及ぼすべきことは明白である。
四、そこで、原告は、当時市選管に対し選挙の効力に関する異議の申立をしたところ、市選管は同年三月二九日付で異議申立を棄却する旨の決定をしたので、原告はさらに同年四月七日被告に対し訴願を提起したが(当初の訴願提起には方式の不備があつたので、同月一三日追完した。)、被告もまた同年六月七日付で訴願棄却の裁決をし、その裁決書の謄本は同月一五日原告に送達された。
五、よつて、原告は請求の趣旨のような判決を求めるため本訴請求に及んだ。
被告代理人は次のように答弁した。
一、原告主張の第一、第二および第四項の事実は認める。
同第三項については、公職選挙法施行令第八八条中改正追加の経緯に関する事実は認めるが、このことは党派別掲示の方法に関する原告の見解を正当づけるものではない。本件市川市長選挙に際し、民主社会党所属として立候補した者が原告のみであつたことは争わないが、右市長選挙と同時選挙として同日同市において執行された市川市議会議員補欠選挙には民主社会党から藤川義和が立候補していた。
藤沢市長選挙における掲示方法、自治庁通達に関する原告の主張事実は知らない。
二、本件市川市長選挙に際し、市選管のとつた候補者の党派別掲示の方法は、次の理由によつて適法であり妥当のものである。
公職選挙法第一七三条が候補者の氏名のほか、党派別の掲示をしなければならないと規定したのは、候補者の所属する政党政派を区別して選挙人に知らせ、その投票の判断に資せしめようとする趣旨と解せられ、法文上も、例えば同法施行令第八八条第一項のように「政党その他の政治団体の名称」という表現によらず、特に「党派別」としたのは、同一の名称を冠した政党その他の政治団体の実在する場合には、そのいずれであるかを区別して表示すべきものとする趣旨と解される。原告は、同一選挙に同一政党からの立候補者が一人のみである場合には本件のような掲示方法による必要がないように主張するけれども、現に本件のように同一名称でしかも実体の異なる他の政党が実在する場合に、もし掲示上その区別を明らかにしないとすれば、侯補者の所属政党に関する選挙人の誤解を利用して自己の得票にプラスし選挙の結果に異動を及ぼさしめんとする候補者が出ないとも限らぬのであるから、右のような場合でも、投票の混同を防ぎ選挙の公正を保つため、前記のように掲示上の区別をする必要が存するわけである。原告を代表者とする民主社会党が、西尾末広を代表者とする民主社会党と名称は同一であるが、全然別異の政党であることは明らかであるから、市選管が、候補者の党派別掲示にあたり、右後者の民主社会党との区別を明確ならしめるため、原告の所属政党を「民主社会党(肥後)」と表示したのは、すこしも前記法令の規定に反するものではなく、むしろ妥当な処置であつたというべきである。
三、以上の次第で、原告の本訴請求は失当として棄却せらるべきである。
立証として、原告は甲第一、二号証を提出し、乙第一号証の成立を認め、被告代理人は、乙第一号証を提出し、甲号各証の成立を認めた。
理由
原告の主張する第一、第二および第四項の事実については当事者間に争いがない。
そこで、本件市川市長選挙に際し、市選管が公職選挙法第一七三条による候補者の氏名および党派別の掲示をするのに、原告の属する政党の名称を「民主社会党(肥後)」と表示したことが違法かどうかを判断する。
公職選挙法第一七三条において、市町村の選挙管理委員会が各選挙につき、候補者の氏名のほか党派別の掲示をしなければならないと規定しているのは、当該候補者がなんらかの政党、その他の政治団体(以下単に政党という。)に属しているかどうか、属しているとすればどういう政党に属しているのかを明確にして、選挙人に周知せしめ、もつて投票すべき候補者を選択するための判断の資料に供せしめようとするにあるものと解せられる。けだし、選挙人は、候補者の人格、識見等のほか、政党関係によりその政治上の主義をも考慮して投票すべき候補者を選択するのを通常とするからである。したがつて、候補者がその所属政党として届け出た政党の名称と同一の名称をもつ政党が二以上存在し、彼れと此れとが誤認されるおそれがあるときは、候補者の党派別の掲示をするにあたり、選挙の公正を害しない限度において、これを区別するための方法を講ずることは、特段の規定のないかぎり、必ずしもこれを禁止する趣旨と解すべきではない。
そしてこのことは前記のような同一名称で実体を異にする各政党の所属者が、それぞれ同一選挙に同時に立候補した場合にのみ限定する必要はない。けだし同様のおそれはこの場合にも決して存在しないとはなし得ないからである。
原告は、公職選挙法施行令第八八条第三項改正の経緯からみても右のような解釈を容れる余地がないと主張するが、候補者が二〇字をこえるような長い政党名を届け出た場合には、略称を用いなければ選挙の管理執行上多大の不便不都合をきたすことは明らかであり、さればといつて政党の名称のようなものは、それが多くの字数をもつ長い名称であつても、これを構成する各個の字句がいずれも当該政党あるいはこれに属する候補者にとつて重要なものとされているわけであるから、選挙管理委員会の側で、当該候補者の意向にかかわりなく、適当に略称を定めて用いるべきものとするのはかえつて疑義紛糾を生じやすく、明らかに妥当でないので、候補者の側よりその略称を定めて届け出るべきものとしたのが前記改正の趣旨と解せられる。してみれば右改正がなされたことは、必ずしも前記同名異党の存する場合にこれを区別して表示する方法を講ずることを絶対に禁ずる趣旨と解すべき根拠となすに足りない。また、自治庁がかつて日本社会党の左派と右派との取扱につき原告主張のような通達を発したことがあつたとしても、それは同一政党に属する者どうしの問題に関する場合であつて、前記のような同名異党の場合と同列に論じ得ないことはいうまでもないし、他の選挙において原告主張のような取扱をした事例があるとしても、これまた当裁判所のとる前記解釈を妨げることにならないのは勿論である。
よつて本件の場合をみるに、原告が、本件市川市長選挙に際し、所属政党として市選管に届け出た民主社会党は原告を代表者とする政党であり、これと名称は同一であるが実体を異にする政党として、西尾末広を代表者とする民主社会党が存在することは原告自から主張するところであり、右後者の民主社会党が、自由民主党、日本社会党とならび当時わが国における三大政党の一つであつたことは公知の事実である。
したがつて、本件市川市長選挙の候補者の党派別掲示をするにあたり、原告の所属政党を単に「民主社会党」と表示するときは、選挙人をして西尾末広を代表者とする民主社会党と誤認せしめるおそれが多分にあつたものとみなければならないのであり、市選管はかかる誤認を防止するための処置として原告主張のような表示方法をとつたものと解せられるから、市選管のこの処置を違法不当であるという原告の主張は当たらないものといわねばならない。
以上の理由により、原告の異議申立を棄却した市選管の決定を維持すべきものとし、原告の提起した訴願を棄却した本件裁決は相当である。よつて、これが取消と本件市長選挙を無効とすべきことを求める原告の本訴請求はその理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 原増司 裁判官 山下朝一 裁判官 多田貞治)