東京高等裁判所 昭和35年(ネ)1089号 判決 1964年2月29日
控訴人 安来広一破産管財人 吉永多賀誠
被控訴人 被相続人榊原義郎相続財産管理人 榊原八千代 外九名
主文
一、原判決主文第二項中、控訴人の被控訴人榊原八千代に対する予備的請求のうち、被相続人榊原義郎の相続財産の限度で金三百三十三万一千円の支払を求める請求を棄却した部分並びに原判決主文第三項中控訴人と被控訴人榊原八千代との間の訴訟費用の負担を定めた部分を取り消す。
二、被控訴人榊原八千代は控訴人に対し金四百十一万六千円を右相続財産の限度において支払え。
三、控訴人の被控訴人榊原八千代に対する当審で拡張されたその余の部分の請求を棄却する。
四、控訴人の被控訴人榊原八千代に対するその余の控訴並びに被控訴人榊原八千代を除くその余の被控訴人等に対する各控訴をいずれも棄却する。
五、訴訟費用中控訴人と被控訴人榊原八千代との間に生じた分は第一、二審を通じてこれを二分し、各その一をそれぞれ控訴人と被控訴人榊原八千代の負担とし、控訴人と被控訴人榊原八千代を除くその余の被控訴人等との間に生じた控訴費用は控訴人の負担とする。
六、この判決は第二項に限り控訴人において金三十万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。
事実
控訴人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。控訴人に対し被控訴人榊原は原判決添付目録記載の建物についてなされた同目録第一記載の登記、被控訴人竹林及び安川は同建物についてなされた同目録第二記載の登記の各抹消登記手録をなせ。被控訴人森下製薬株式会社、岩谷、中西、菊本、武井、佐藤、若林はそれぞれ控訴人に対し同建物を明け渡せ。被控訴人森下製薬株式会社は控訴人に対し昭和三十年十二月一日から右建物明渡済に至るまで一ケ月金三万円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決並びに右建物明渡と金銭の支払を求める部分について仮執行の宣言を求め、予備的請求として、被控訴人榊原に対する右請求が容れられないときは、「被控訴人榊原は控訴人に対し金一千五十二万三千八百円を被相続人榊原義郎の相続財産の限度で支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人榊原の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人等各代理人は「本件控訴を棄却する」との判決を求め、なお被控訴人榊原の代理人は、「控訴人の予備的請求のうち、当審で拡張した部分の請求を棄却する。」との判決を求めた。
当事者双方の陳述した事実上の主張は、左記のほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する(但し、原判決五枚目-記録第四八一丁-一行目に「一五七、〇〇〇円」とあるのは、「一六七五、〇〇〇円」の誤記と認められるから、右のとおり訂正する。
控訴人は次のとおり述べた。
一、原判決添付目録記載の第二の登記(以下第二の登記という)は、被控訴人森下製薬株式会社(以下たんに被控訴会社という)が訴外田代誠助、被控訴人竹林、安川両名の先代竹林為助(第一審被告-以下竹林と略称する)と通謀し、同目録記載の建物(以下本件建物という)の破産管財人への復帰を妨げるためになした虚偽表示で無効であるから、竹林は控訴人に対してこれを抹消する義務がある。すなわち、竹林の一人娘である被控訴人安川啓子は、被控訴会社の社員である訴外安川富之助の妻であり、同人は昭和三十年二月被控訴会社の東京営業所長に就任し東京に移住する際、竹林もともに移住して右営業所に勤務し、昭和三十二年三月まで大体は板橋区内の安川方に同居していた。その間安川は被控訴会社と破産者安来広一が代表取締役である訴外三省薬品株式会社との取引を担当し、右訴外会社が破綻に頻した後、昭和三十年一月十五日被控訴会社は安来から本件建物の権利証を預り、抵当権設定登記に必要な印鑑証明を後日受取ることになつていた。田代は破産者安来広一の支払不能に際し、安来の印鑑を無断で使用し、同月二十一日本件建物について原判決添付目録記載の第一の登記(以下第一の登記という)を経由し、訴外尾崎与三は同月二十四日抵当権設定及び代物弁済の予約による所有権移転請求権保全の仮登記を経由し、被控訴会社は同月二十六日仮差押の登記を経由し、右三者の間に紛争を生ずるに至つたが、結局において本件建物は被控訴会社の所有に帰せしめることに協定が成立した。しかし、安来から直接被控訴会社名義に本件建物の所有権移転登記を経由するときは、破産手続によりこれを抹消されるおそれがあつたので、被控訴会社、竹林及び田代は通謀して第二の登記のように、竹林名義に虚偽の登記手続をなしたものである。
二、かりに、第一の登記が有効であり且つ右登記の基本たる債権及び抵当権が竹林に譲渡されたものであるとしても、右譲渡については民法第四六七条所定の対抗の手続がなされていないから、右譲渡をもつて第三者である控訴人に対抗することはできない。
三、第一審被告竹林は昭和三十八年七月二十三日死亡し、同人の妻である被控訴人竹林ウメ及び長女である被控訴人安川啓子の両名がその相続をなした。
四、被控訴人等の後記追認に関する主張は、民事訴訟法第二五五条によつて却下さるべきである。もし、被控訴人等が本件準備手続中にこのような主張をしたならば、控訴人は破産法の規定に基き否認権を行使したはずであるが、現在においては否認権はもはや時効により消滅しているため、控訴人はこれを行使することができないのである。
五、被控訴人等の追認に関する右主張が許されるものとするならば、安来の右追認行為は破産法第七二条第一号に該当する行為であり且つ右否認権の消滅時効は、同法第八五条後段の規定により追認のなされた昭和三十年一月下旬頃から二十年の期間を経過していないので未完成であるから、控訴人は本訴においてこれを否認する。
六、被控訴人榊原の主張する相続の限定承認の事実は認める。
七、控訴人は、本訴において、破産者安来と榊原義郎との間になされた抵当権及び賃借権の各設定契約並びに代物弁済の予約を否認した結果、榊原は本件建物についてなされた第一の登記を抹消して、これを破産財団に返還すべき義務あるところ、榊原は本件建物を竹林に譲渡したとすれば、現物として本件建物を返還することができないわけであるから、これがため破産財団に通常生ずべき損害を賠償する義務がある。そしてこの場合の通常生ずべき損害は、本件建物の現時(口頭弁論終結時)の価額と解すべきであるところ、本件建物の現時の価額は金一千百十九万二千八百円であるから、控訴人は当審において榊原の相続財産管理人である被控訴人榊原に対する予備的請求を拡張して、右金一千百十九万二千八百円から原判決により認容された金六十六万九千円を控除した残額一千五十二万三千八百円の支払を求めるものである。
被控訴人等各代理人は次のとおり述べた。
一、控訴人の上記一、二の主張事実は否認する。
二、第一の登記及びその原因とされた各契約が、安来の意思に基かないでなされたものであるとしても、安来は昭和三十年一月下旬頃榊原及びその代理人である田代誠助に対しこれを追認する旨の意思表示をなした。もしそうでないとしても、安来は同年三月二十五日第二の登記手続をなした際、榊原の代理人である田代及び訴外中村英一の両名に対して、第一の登記に関しなんら異議を述べなかつたから、上記の各行為を黙示的に追認したものである。
なお、被控訴人榊原の代理人は、控訴人の予備的請求に関する上記七の主張事実は否認すると述べ、被控訴人竹林及び安川両名代理人は控訴人の上記三の主張事実は認めると述べた。
当事者双方の証拠の提出、援用及び認否は、左記<省略>のほかは、原判決の摘示と同一であるから、これを引用する。
理由
一、安来が東京地方裁判所昭和三十一年(フ)第三六九号破産申立事件において昭和三十一年五月二十二日破産宣告の決定を受け、控訴人がその破産管財人に選任されたこと、本件建物がもと安来の所有であつたところ、本件建物について第一、第二の各登記が経由されたことは、いずれも当事者間に争がない。
二、控訴人は、「安来は訴外榊原義郎との間に第一の登記原因とされている各契約を締結したことなく、また右両名の間に右契約が成立したとしても、安来は当時榊原義郎に対し何等の債務も負担していなかつたのであるから、右各契約は無効である。」旨主張するので判断する。
いずれも成立に争のない甲第一号証、第六、第七号証、第十一号証の一、二、第十二号証、第十三、第十四号証の各二、第十五号証、第二十一号証(但し後記信用しない部分を除く)、第二十二号証、第三十二、第三十三号証の各一、二、(但し同第三十二、第三十三号証の各二の記載のうち後記信用しない部分を除く)、第三十四号証、乙第一、第二、第四号証の各二、第三号証、第五号証の一、二、原審証人安来広一の証言(第二回)によりいずれも真正に成立したと認められる甲第九、第十号証、第十三、第十四号証の各一、原審及び当審証人田代誠助、当審証人安来広一(第一回)の各証言により真正に成立したと認められる乙第一、第二、第四号証の各一(但し、いずれも表面の名宛人部分を除き、その余の部分については当事者間に成立について争がない)、原審及び当審証人安来広一(いずれも第一、二回)、田代誠助の各証言(いずれも後記信用しない部分を除く)、原審及び当審証人中村英二の証言を綜合すると、次の事実を認めることができる。
安来は薬品類の売買を業とする三省薬品株式会社の代表取締役であり、自己所有の本件建物を右会社の店舖に提供して右会社の事業を主宰してきたところ、右会社は昭和二十九年秋頃から運営資金に窮するようになり、右会社の取引先に対し安来が個人保証をすることによつて苦境を凌いできた。一方榊原義郎と田代誠助の両名は共同で八州不動産という商号を用いて金融、不動産売買等の事業を営み、その経営については各自が業務を執行し且つ対外的には各自が自己の名において営業上の諸行為をなす権限を有していたものであるが、三省薬品株式会社は昭和二十九年秋頃から安来個人と連帯し又はその個人保証のもとに、右榊原と田代の両名からしばしば金融を受けてきた。右金融は多くは田代名義でなされたが、その一部は榊原名義でなされたものもあつて、右貸付金の合計は昭和三十年一月十九日現在において金二百二十一万円に達していた(その内訳は別紙債権目録<省略>記載のとおりである)。三省薬品株式会社は昭和三十年一月に入り資金状態がますます悪化し、同月十七日にはついに同日呈示された同会社振出の約束手形はすべて不渡とした。そこで、安来は手形の不渡による取引停止処分を免れるため、不渡手形の買戻資金を入手しようとし、同月二十日頃田代に対して、本件建物を担保に供して新たに金二百万円の融資を受けたい旨を申し入れた。これに対して、八州不動産の田代と榊原は、同月十七日右会社から振出を受けた額面十五万円の小切手一通を同月十九日呈示したところ、支払を拒絶され、右会社の資産状態の容易でないことを知り、この際従前の貸付金債権の回収を確保しなければならないと考えていたので、田代は安来に対して右融資の申入に応ずる旨を述べ、その担保として本件建物に抵当権を設定するためと偽つて、安来から同人の印鑑証明書(甲第一号証)、印鑑及び本件建物の権利証の交付を受けた上、右印鑑を冒用して後記各登記手続に必要な安来名義の委任状(甲第二、第三号証)を作成し、安来を代理する権限がないのに安来の代理人であるとして、榊原との間に昭和三十年一月二十一日八州不動産に対する安来の上記債務のうち金二百万円について、債権者をすべて榊原と改め、弁済期同年二月二十日、利息年一割五分毎月末日払、期限後の損害金日歩八銭二厘と定めた準消費貸借契約を締結し、且つその担保として本件建物に抵当権を設定し、同時に右債務を期限に弁済しないときは代物弁済としてその所有権を取得できる旨の代物弁済の予約並びにその担保価値を確保するために、本件建物に存続期間三年、賃料一ケ月金二千円毎月末日払、賃借権の譲渡及び賃借物の転貸をなしうる特約の賃貸借契約を各締結し、同日右契約に符合する第一の各登記を経由した。甲第二十一号証、第三十二、第三十三号証の各二の供述記載部分中並びに原審及び当審証人安来広一(いずれも第一、二回)、田代誠助の各証言中上記認定に反する部分は前掲各証拠に照してたやすく信用できない。他に右認定を動かしうる証拠はない。
三、(一) 被控訴人等の追認についての主張について判断する。
控訴人は、被控訴人等は民事訴訟法第二五五条により新たに追認について主張することは許されない旨主張する。本件が第一審で準備手続を経たものであること、被控訴人等の追認についての主張は、当審で始めてなされたものであることは、いずれも記録上明らかなところであるけれども、本件訴訟の経過に徴すると、これがため著しく訴訟を遅滞させるものとは認められないから、右主張は却下することはできない。
(二) 控訴人は被控訴人等が準備手続中に追認の主張をしたとすれば、控訴人は破産法上の否認権を行使したはずであるが、すでに時効により否認権は消滅したので、被控訴人等の右追認の主張は許されない旨主張する。しかしながら、安来が追認をなしたのは右主張によれば昭和三十年一月下旬であるから、控訴人は被控訴人等が右追認の主張をするかどうかにかかわりなく、否認権は行使できるものであつて、否認権の消滅時効の完成は、被控訴人等の追認の主張とは直接には関係のないところである。破控訴人等の右追認の主張がなされるまでは、控訴人は追認の事実を知らなかつたとしても、それは被控訴人等のみの責に帰すべきものではないから、控訴人の右主張は採用できない。
(三) 前掲甲第十一号証の一、二、成立について争のない甲第八号証、当審証人田代誠助の証言により真正に成立したと認められる甲第五号証(但し安来の署名押印部分の成立については当事者間に争がない)、当審証人工藤精二、安来広一(第二回)の各証言により真正に成立したと認められる乙第十一号証の一ないし三、原審及び当審証人安来広一(いずれも第一、二回)、当審証人工藤精二の各証言(但し右安来の証言中後記信用しない部分を除く)並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、安来は第一の各登記手続がなされた後間もなく昭和三十年一月二十三日頃、自己の意思に反して前示各契約並びに第一の各登記が経由されたことを知つたけれども、三省薬品株式会社はすでに倒産に頻し、同会社を主宰する安来も破局に陥つていたので、榊原及び田代等を責めることもできず、不本意ながら遅くとも同年三月下旬頃までに榊原と田代の両名に対し、田代が無権代理人としてなした上記各契約並びにこれに基く第一の各登記手続を追認したことを認めることができる。原審及び当審証人安来広一の証言(いずれも第一、二回)中上記認定に反する点は前掲各証拠に照してたやすく信用できないし、他に右認定を動かしうる証拠はない。
(四) 控訴人は、破産法第七二条第一号に基いて安来のなした右追認行為を否認する旨主張するので判断する。本件建物は後記認定のように、安来から榊原及び訴外中村英二を経て竹林為助の所有に帰したものであるところ、転得者たる竹林において、転得の当事者に対する否認の原因のあることを知つていたことについては、なんの主張も立証もないので、控訴人が安来のなした右追認行為を否認したからといつて、控訴人は右否認権行使の効果を以て竹林に対抗することができないわけである。従つて右否認権行使にかかわらず、本件建物の所有権は竹林に帰属したもので、当然破産財団に復帰すべきいわれはないから、右否認権行使を理由に、本件建物が当然破産財団に復帰したことを前提として、本件建物についてなされた各登記の抹消を求める控訴人の請求は、右否認権の行使が理由があるかどうかについて判断するまでもなく、失当といわなければならない。
四、控訴人は、「本件建物の昭和三十年一月当時の価格は金四百万円を下らないのに、僅かに金百六十七万五千円の債権の代物弁済としてその所有権を移転する旨の代物弁済の予約は公序良俗に反するから無効である。」旨主張するけれども、本件建物が昭和三十年一月当時控訴人主張のように金四百万円を下らなかつたとしても、当時安来の負担していた債務額は控訴人主張のように金百六十七万五千円ではなく、代物弁済の予約に定めた金二百万円現存していたことは、上記二で判示したとおりであるから、右債権額と本件建物の右価格とを対比しただけでは、ただちに右代物弁済の予約が公序良俗に反するものとは認めがたい。また、本件においては、右代物弁済の予約を債務者である安来が追認した事情は上記三で認定したような経過であるから、まだ同人の窮迫に乗じてなされた暴利行為に当るとは認められないから、控訴人の右主張は採用できない。
五、控訴人は、金二百万円を被担保債権として登記した第一の抵当権設定登記は、実際の債務額である金百六十七万五千円を超えているから無効である旨主張するけれども、右抵当権設定契約当時の被担保債権は現実に金二百万円存在していたことは、上記二で判示したとおりであるから、右主張も採用できない。
六、上記認定の諸事実によると、第一の各登記並びにその登記原因とされた各契約は、安来の関知しない無権代理行為によるものであるが、前記三で判示したとおり、追認により右各契約は本人である安来のためその効力を生じ、第一の各登記もその手続上の瑕疵は治癒されたものといわなければならない。従つて、第一の各登記並びに右各契約が無効であることを前提として、被控訴人榊原に対し第一の各登記の抹消を求める控訴人の本訴請求部分は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから棄却を免れない。
七、控訴人が第二の各登記について抹消請求権を有するかどうかについて判断する。
まず、控訴人は第一の各登記は無効であるから、第二の各登記を当然に無効であると主張するけれども、前段説示のとおり第一の各登記の手続上の瑕疵は治癒され有効となつたものであるから、控訴人の右主張は採用できない。
八、次に、控訴人は第二の各登記は実体的権利の変動を欠くから無効であると主張するので判断する。
成立に争のない甲第四号証、第八号証、前掲甲第五号証、乙第十一号証の一ないし三、原審及び当審証人田代誠助の証言により真正に成立したと認められる丙第一号証、原審及び当審証人中村英二、当審証人岡島司の各証言並びに原審での第一審被告本人竹林為助の尋問の結果によりそれぞれ真正に成立したと認められる丙第二号証、第三号証の一、二、原審及び当審証人田代誠助、中村英二の各証言により真正に成立したと認められる乙第七号証、当審証人中村英二の証言により真正に成立したと認められる丁第二号証と、原審及び当審証人安来広一(いずれも第一、二回)、中村英二、田代誠助の各証言(但しいずれも後記信用しない部分を除く)並びに当審証人岡島司、工藤精二の各証言、原審での第一審被告本人竹林為助の尋問の結果を綜合すると、次の事実を認めることができる。
上記認定のとおり、榊原は本件建物についての代物弁済の予約に基く権利を取得したところ、債務者である安来は昭和三十年二月二十日の弁済期を経過しても榊原に対し債務の弁済をしなかつたので、榊原は田代と協議のうえ、本件建物を取得してこれを他に売却し債権の回収を図ろうとし、不動産周旋業者である中村英二に対し本件建物の売却の仲介を依頼した。中村はその頃たまたま第一審被告竹林から建物買入の仲介を依頼されていたが、中間利益を獲得するため、一たん自分が買い受けた上、右竹林にこれを転売することとし、この方針のもとに榊原、田代、安来、竹林等と交渉の結果、同年三月中(同月二十日より以前)榊原、安来、中村の三者の間に、(イ)榊原は安来に対し本件建物についての上記代物弁済の予約完結の意思表示をなし、安来は榊原に対し本件建物の敷地の借地権を譲渡し、(ロ)榊原は中村に対し本件建物及びその敷地の借地権を代金百五十万円で売り渡す、本件建物の明渡及び所有権移転登記手続に必要な書類の引渡は代金の完済と同時に行うこと、(ハ)中村はさらに本件建物を竹林に転売することとし、その所有権移転登記については登録税その他の諸費用を節約する趣旨で、安来から直接竹林に中間省略登記の方法により第二の各登記のような手続をなすこと、との話合が成立した。その後同月二十日中村は竹林との間に、(イ)代金を二百五十万円と定め、内金五十万円を手附金として即日支払い、(ロ)所有権移転登記の方法として第二の各登記手続をなすこと、(ハ)中村は前所有者安来を立ち退かしめたうえ、本件建物及びその敷地を竹林に引き渡すこと、(ニ)向う十五日以内に右(ロ)及び(ハ)の手続を完了することとし、竹林はこれと引換に中村に対し残代金二百万円を支払うこと、以上の約定のもとに本件建物及びその敷地の借地権を売り渡す旨の売買契約を締結し、竹林は同日右手附金の支払を了した。同月二十五日竹林は残代金二百万円を中村に支払つて、本件建物及びその敷地の借地権を取得し、これと引換えに中村から、中村が上記話合に基き、その履行として榊原を介し安来から受領した同人の委任状(甲第五号証、但し委任事項を適当に補充させる趣旨で白紙としたもの)、印鑑証明書並びに本件建物の権利証の交付を受けたうえ、同日これらの書類を使用して、約旨に基き第二の各登記を経由し且つ安来は本件建物及び敷地から退去し、竹林は中村からその引渡を受けた。原審及び当審証人安来広一(いずれも第一、二回)、中村英二、田代誠助の各証言中上記認定に副わない部分は前掲各証拠に照してたやすく信用できない。また乙第八号証は、昭和三十年三月十八日中村が竹林の代理人として榊原から本件建物及びその敷地の賃借権を代金百六十万円で買い受けた趣旨を記載した売買契約書であることは、その記載に徴して明らかであるけれども、当審証人田代誠助、中村英二の各証言を綜合すれば、同号証は税金対策上必要であるとして作成されたもので、真実を記載したものでないことが認められるので、右書証の存在することは上記認定を妨げるものではない。さらに、いずれも成立に争のない甲第二十四ないし第二十九号証によると、前掲丙第二号証(竹林と中村との間の売買契約書)の作成日附である昭和三十年三月二十日当時、竹林は右契約書中の同人の肩書に記載されている葛飾区下小松町七四四番地の住所に居住していなかつたもので、同月二十八日に至り始めて同所への住民登録をなしたようにみえるけれども、原審での第一審被告本人竹林為助の尋問の結果によれば、同人は同年二月頃上京し、右売買契約当時右住所に居住していたことが認められるから、控訴人提出の右甲各号証によつても、丙第二号証が真正に成立したものでないと認めることはできない。他に上記認定に反する証拠はない。
上記認定の事実によれば、本件建物の所有権は榊原が代物弁済の予約完結の意思表示をなしたことにより、安来から榊原に移転し、更に同人から中村に、中村から竹林に順次売買せられた結果、竹林の所有となつたものといわなければならなない。
九、控訴人は第二の各登記は実体関係に符合しないものであるから無効である旨主張する。しかし、第二の各登記が経由された経過は、上記認定のとおりであつて、本件建物所有権の実体的権利変動の過程やその時期の点は、登記簿上の記載と一致していないけれども、本件建物は竹林の所有に帰したものであるから、第二の(ロ)及び(ハ)の各登記は現在の実体上の権利関係を表象するものとして有効であるといわなければならない。してみると、安来が破産宣告を受けた当時においては、本件建物は竹林の所有に帰していたもので、破産者安来の破産財団に属しないものであることが明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく、破産管財人である控訴人は本件建物についてなされた第二の各登記の抹消を求める権利はないものといわなければならない。
従つて本件建物が破産者安来の破産財団に属することを前提として、被控訴人竹林及び安川に対し第二の各登記の抹消を求める控訴人の本訴請求は理由がないから棄却を免れない。
一〇、被控訴会社、被控訴人岩谷、中西、菊本、武井、佐藤、若林に対する控訴人の本訴請求は、本件建物が破産者安来の破産財団に属することを前提として、それぞれその明渡と賃料相当の損害金の支払を求めるものであることは、控訴人の主張事実自体に徴し明らかであるところ、本件建物は右破産財団に属するものでないことは上記説示のとおりであるから同被控訴人等に対する控訴人の本訴請求もその余の点について判断するまでもなく、失当であつて棄却を免れない。
一一、控訴人の被控訴人榊原に対する予備的請求について判断する。
(一)、前掲甲第九、第十号証、第十一号証の一、二、第十三、第十四号証の各一、二、第十五号証、乙第三号証、第五号証の一、二、いずれも成立に争のない甲第十六ないし第十九号証と、原審及び当審(いずれも第一、二回)証人安来広一の証言を綜合すると、次の事実を認めることができる。三省薬品株式会社は昭和二十九年秋頃から資金難に陥り、取引先は同会社との取引を警戒するようになつたので、仕入商品の入荷も次第に減少し、安来が同会社の負担する債務について個人保証をすることにより苦境を凌いできたが、同会社は昭和三十年一月十七日不渡手形を出し、同月二十日頃支払を停止するに至つた。同会社は当時資本金百五十万円、負債金五千四十六万円、資産金千二百八十六万四千円で巨額の債務超過の状態であつた。安来は上記のような関係で、同会社のため多額の債務を負担し、榊原及び田代(八州不動産)に対する金二百二十一万円の上記債務をはじめてとして、被控訴会社に対し合計金四百八十八万円余の約束手形金債務、訴外株式会社船越竜商店に対し金百三十六万円余の約束手形金債務、訴外有限会社ミヨシ薬品商会に対し合計金七十三万円余の約束手形債務を各負担していた。一方安来は本件建物のほかには、不動産はもとより何等見るべき財産を有しなかつたので、安来の全財産を以てしても、右債務の弁済をなすことができず、その主宰する三省薬品株式会社が経済的に破綻すれば、安来もこれと運命をともにする状態であつたところ、右会社は上記のとおり昭和三十年一月十七日不渡手形を出し、同月二十日支払を停止したので、安来もその頃支払を停止するに至つた。他に右認定を動かしうる証拠はない。
(二)、安来と榊原との間の上記認定の代物弁済の予約、抵当権及び賃借権の各設定契約(第一の登記原因たる各契約)は、前段認定のような状況のもとに行われたわけであるから、右一連の行為は他の債権者をさしおいて、一部の債権者である榊原だけが、債務者である安来の唯一の不動産である本件建物を独占して債権の回収を図ろうとするものであり、他の債権者等のための一般共同担保を減少させる結果を生ずものであつて、債権者を害する行為に当るものといわなければならない。
(三)、被控訴人榊原は、代物弁済の予約は破産法第七二条第一号の破産債権者を害する行為には当らない旨主張するけれども、代物弁済の予約は債務の本旨に従う履行ではなく、債務者はこれをなすかどうかを自由に決定することができるものであるところ、右予約がなされると、債権者の一方的な予約完結の意思表示によつて債務者はその目的物件の所有権を失い、他の債権者等の一般共同担保を減少させる結果を生ずるものであるから、代物弁済の予約であるからといつて破産法第七二条第一号にいわゆる破産債権者を害する行為には当らないということはできない。もしこのように解さないと、予約完結の意思表示は債務者の行為ではないので、代物弁済そのものが破産法上の否認の対象とはならないという不合理を生ずるに至るから、代物弁済の予約は代物弁済自体と同じく右否認の対象となりうるものと解さなければならない。
(四)、本件建物についてなされた右代物弁済の予約、抵当権及び賃借権設定の各行為は、田代がなした無権代理行為で、本人である安来が遅くとも昭和三十年三月下旬頃までにこれを追認したことは、上記三で認定したとおりであるが、債務者は最もよく自己の資産状況を知つているはずであるから、安来は右追認をなした当時、上記認定のような自己の資産状況を十分知つており、従つて、他の破産債権者等を害することを諒知してこれをなしたものと認めるのを相当とする。原審及び当審(いずれも第一、二回)証人安来広一の証言中右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定を左右することのできる反証はない。
(五)、被控訴人榊原は、榊原義郎は当時破産債権者を害することを知らなかつた旨主張し、原審及び当審証人田代誠助の証言中にはこれを裏付ける趣旨の部分があるけれども、たやすく信用できないし、他にこれを認めるにたる証拠はない。反つて、上記各契約のなされた経過事実に徴すれば、榊原は当時安来の他の債権者等を害することを知つていたことが窺われるから、右主張は採用できない。
(六)、してみると、安来と榊原との間の上記代物弁済の予約、抵当権及び賃借権の各設定契約は、破産法第七二条第一号所定の行為に当ることが明らかであるところ、榊原は本訴が原審に係属中、死亡し、その相続人である訴外榊原義恵、達郎、剛及び被控訴人榊原八千代の四名が相続の限定承認をなし、被控訴人榊原が相続財産管理人に選任されたことは当事者間に争がないので、被控訴人榊原に対しては控訴人の本件否認権の行使は理由がある。
(七)、本件建物は昭和三十年三月中安来から順次榊原及び中村を経て竹林に譲渡せられて竹林の所有に帰したことは、上記認定のとおりであるところ、控訴人がその後である昭和三十二年五月二十二日の原審口頭弁論期日において受益者である榊原に対し本件否認権行使の意思表示をなしたものであることは、本件記録上明らかであり、且つ控訴人が転得者に対する関係において否認権を行使したことの主張も立証もない。従つて、控訴人は榊原に対する本件否認権行使の効果として、本件建物自体の返還を求めることができないので、その価額の償還を求めうるにすぎないものといわなければならない。
よつて、その償還額について判断する。控訴人は本件建物の現在(口頭弁論終結時)の時価を基準としてその償還を求めているが、破産法による否認権の制度は、破産財団の原状回復すなわち破産財団に対する関係で否認の対象たる行為が当初からなされなかつたと同様の状態に引き戻そうとするものであるから、本件のように否認権行使時までにすでに目的物件が相手方から第三者に譲渡せられ、目的物件を現物により破産財団に返還することができない場合には、相手方は現物の返還に代え、否認権行使時を基準として算定した目的物件の価額を償還する義務あるものと解するを相当とするので、控訴人の右主張は採用できい。
当審での鑑定人椎橋信治の鑑定の結果によると、本件建物の昭和三十二年五月二十二日(上記否認権行使時)当時の時価は金四百七十八万五千円であることが認められ、これと異る当審での鑑定人長沼吉治の鑑定の結果は当裁判所は採用しない。他に右認定に反する証拠はない。
してみると、被相続人榊原義郎の相続財産管理人である被控訴人榊原は、控訴人に対し右時価に相当する金四百七十八万五千円を、上記相続人四名が相続した財産の存する限度で支払うべき義務あることが明らかであるから、控訴人の被控訴人榊原に対する予備的請求は右限度において理由あるものとして認容すべく、その余は失当であるから棄却を免れない。
一二、控訴人の被控訴人榊原に対する請求について、その予備的請求の一部(控訴人の原審での請求額四百万円のうち、主文第一項において認容された金六十六万九千円を控除した残額三百三十三万一千円の請求部分)を棄却した原判決の部分は、当裁判所の判断と異り失当であるから、民事訴訟法第三八六条を適用してこれを取消して、右残額請求を全部認容すべきところ、控訴人は当審において右予備的請求額を金一千五十二万三千八百円に拡張したので、結局右拡張された請求のうち、被控訴人榊原が支払うべき上記の金四百七十八万五千円から原判決の認容した金六十六万九千円を控除した残額四百十一万六千円の請求を、上記相続財産の存する限度で認容し、その余の当審で拡張された部分の請求は棄却することとする。控訴人の被控訴人榊原に対する第一次的請求を棄却した原判決の部分及び被控訴人榊原を除くその余の各被控訴人等に対する控訴人の請求を棄却した原判決は相当であつて、この点についての控訴人の本件控訴は理由がないから、同法第三八四条第一項を適用してこれを棄却することとし(但し、被控訴人榊原に対する予備的請求について、控訴人は原審で昭和三十年三月二十五日以降完済に至るまで年五分の割合の損害金を附加して請求したが、当審においてはその支払を求めないし、また控訴人は原審ではなんの制限を附しないで請求したが、当審においては上記相続財産の存する限度においてのみ支払を求めることに請求の趣旨を訂正減縮したので、原判決主文第一、二項中この点に関する部分は、いずれも当然に失効したものと認める。)、控訴人と被控訴人榊原との間の訴訟費用の負担について同法第九六条、第九二条、控訴人と被控訴人榊原を除くその余の被控訴人等との間の控訴審での訴訟費用の負担について同法第九五条、第八九条、仮執行の宣言(相続の限定承認がなされている点を考慮して担保の額は金三十万円を相当と認める)について同法第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 杉山孝)