東京高等裁判所 昭和35年(ネ)1571号 判決 1962年9月28日
控訴人(原告) 佐々木正泰 外二名
被控訴人(被告) 国・東京都知事・東京都目黒区議会・東京都目黒区長・東京都北区議会・東京都北区長
主文
本件控訴を棄却する。
当審における請求拡張に基く控訴人らの請求は、いずれもこれを却下する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一、当事者の申立
控訴人佐々木正泰及びその余の控訴人両名代理人は、左記一ないし六のとおりの判決を求めた。
一、原判決中、(イ)控訴人佐々木正泰と被控訴人東京都知事、同東京都目黒区議会、同東京都目黒区長との間で、昭和三〇年六月三〇日東京都目黒区議会において広瀬俊吉を同区長に選任した選任行為の無効確認を求める請求(原判決事実摘示の請求の趣旨(二)の(2))、(ロ)控訴人植田八郎と右各被控訴人らとの間で、昭和三三年六月二日東京都目黒区議会において君塚幸吉を同区長に選任した選任行為の無効確認を求める請求(前同(三)の(2))、(ハ)控訴人藤田久三と被控訴人東京都知事、同東京都北区議会、同東京都北区議長との間で、昭和三三年六月二五日東京都北区議会において小林正千代を同区長に選任した選任行為の無効確認を求める請求(前同(四)の(2))、をそれぞれ却下した部分を除き、その余を取り消す。
二、控訴人ら三名と被控訴人国及び同東京都知事との関係において、
「地方自治法第二八一条の二のうち、特別区の区長選任の方法に関する規定すなわち『特別区の区長は特別区の議会が都知事の同意を得てこれを選任する』とある部分は、日本国憲法の定めに適合しないものであること」
を確認する。
三、控訴人佐々木正泰と被控訴人東京都知事、同東京都目黒区議会、同東京都目黒区長との関係において、
「昭和三〇年四月二二日任期満了した東京都目黒特別区長の後任区長選任権は、控訴人佐々木正泰に存すること」
を確認する。
四(1) 控訴人植田八郎と前項の被控訴人三名との関係において、
「昭和三三年四月二八日退職した東京都目黒区長広瀬俊吉の後任区長の選任権は、控訴人植田八郎に存すること」
を確認する。
(2) 控訴人佐々木正泰、同植田八郎と右被控訴人三名との関係において、
「昭和三七年六月一日任期満了した東京都目黒区長君塚幸吉の後任区長選任権は、控訴人佐々木正泰、同植田八郎に存すること」
を確認する。
(3) 右控訴人両名と右被控訴人三名との関係において、
「東京都知事東竜太郎同意のもとに昭和三七年六月六日東京都目黒区議会において君塚幸吉を同区長に選任した選任行為は無効であること」
を確認する。
五(1) 控訴人藤田久三と被控訴人東京都知事、同東京都北区議会、同東京都北区議長との関係において、
「昭和三三年六月一九日退職した東京都北区長高木惣市の後任区長選任権は、控訴人藤田久三に存すること」
を確認する。
(2) 同控訴人と右被控訴人三名との関係において、
「昭和三七年六月二四日任期満了した東京都北区長小林正千代の後任区長選任権は、控訴人藤田久三に存すること」
を確認する。
(3) 同控訴人と右被控訴人三名との関係において、
「東京都知事東竜太郎同意のもとに、昭和三七年六月二五日の東京都北区議会において小林正千代を同区長に選任した選任行為は無効であること」
を確認する。
六、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
(ただし、以上のうち、一の(イ)は本件控訴における不服申立の範囲となつておらず、同じく(ロ)及び(ハ)については当審においてそれぞれ訴の一部取下があつたものであり、また、四の(2)(3)及び五の(2)(3)は、いずれも当審において拡張された請求である。)
被控訴代理人らは、控訴棄却の判決を求め、なお当審において拡張された前示四の(2)(3)及び五の(2)(3)の請求については、各関係被控訴代理人においてそれぞれ請求棄却の判決を求めた。
第二、当事者の主張
各当事者の事実上並びに法律上の主張は、後記一、二の如き附加陳述があつたほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一、控訴人佐々木正泰及びその余の控訴人両名代理人において、本判決末尾の別紙記載のとおり陳述し、なお、当審における請求拡張部分についての事実関係として、「昭和三三年六月二日選任の東京都目黒区長君塚幸吉は、同三七年六月一日任期満了し、被控訴人東京都知事東竜太郎の同意のもとに、同年同月六日被控訴人東京都目黒区議会により再び同区長に選任された。また、昭和三三年六月二五日選任の東京都北区長小林正千代は、同三七年六月二四日任期満了し、被控訴人東京都知事東竜太郎の同意のもとに、同年同月二五日被控訴人東京都北区議会により再び同区長に選任された」と述べ、
二、被控訴人東京都目黒区長代理人において、本判決末尾の別紙記載のとおり陳述し、被控訴人国を除くその余の被控訴人ら代理人において、控訴人らの前記請求拡張部分に関する事実関係の主張は争わないと述べた。
第三、証拠<省略>
理由
一、控訴人らの当審における請求拡張前の本件各請求(ただし、原判決事実摘示記載の請求の趣旨(二)(三)(四)の各(2)の請求を除く)は、当裁判所もまたこれを不適法として却下すべきものと判断するのであつて、その理由は原判決理由説示のとおりであるから、ここにこれを引用する。
二、控訴人らの当審における請求拡張に基く新請求が右同様却下を免れないことは以上の説示によりおのずから明白である。
三、控訴人らの別紙記載の主張のうち、以上の説示と相容れない部分は、当裁判所の到底左袒し得ないところである。
四、以上の次第であるから、本件控訴は理由なきものとして棄却し、当審で拡張された新請求はいずれも不適法としてこれを却下すべく、訴訟費用の負担につき民訴第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木禎次郎 川添利起 花渕精一)
控訴人兼控訴代理人佐々木正泰の主張
一、原審裁判所は原告らは憲法第八一条は最高裁判所及び下級裁判所に一般的抽象的に法令又は処分が違憲かどうかを審査し得る権限を与える趣旨であると主張する。しかし憲法第七六条第一項が最高裁判所及び下級裁判所に賦与する司法権は三権分立の原則を採用するわが憲法の建前からして、当事者間の具体的権利義務の紛争に関する民事、刑事及び行政事件の各訴訟すなわち裁判所法第三条にいう「法律上の争訟」において紛争の事実を確定し、さらにその確定した事実に法令を適用して権利関係を確定することによつて、当該具体的事件を解決する国家作用を意味するものと解すべく、最高裁判所及び下級裁判所のいわゆる違憲立法審査権もかような意味における司法権を行使するにあたつて、これに附随して認められるものであると解すべきである。原告らは憲法上最高裁判所及び下級裁判所が右のような趣旨の司法権の範囲においてのみいわゆる違憲審査権を行使し得るという制限規定がないから、抽象的一般的にも法令及び処分の違憲性を審査し得るものと解すべきであると主張するが、三権分立の原則からすれば、むしろ憲法上裁判所が司法権の範囲を超える権限を有することについて明文の規定が存しない限り憲法はかような権限を認めていないものと解するのが相当である。と判示された。しかしながら右判決は憲法第七十六条の定めによつて、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置せられた下級裁判所に付与された適用法令の司法審査権と憲法第八十一条の定めによつて、最高裁判所に付与された繋争法令および処分の違憲審査権とを混同したことの甚しいものであつて、わが憲法第八十一条の解釈として到底採用せらるべきものでないからである。
さて、わが憲法第八十一条(以下単に法第何条という)で定められた「繋争法令および処分」の違憲審査権の本質を理解するには、まずわが日本国憲法の下における国政の原理と国政の機構と機能および司法制度の大綱を究め、然るのち、法第八十一条の制定の経過と、その結果表明された「文理」と「立法の精神」を正しくとらえなければならないのである。なぜならば法第八十一条の条規は、わが日本国憲法の前文および百三ケ条の条規のうちの一ケ条であつて、これが解釈は単に本条の文理を解明するばかりでなく、前文および全条規のうち本条規の占める「意義」を「有機的」に把握すべきものであるからである。
(一) 我が日本国憲法の採用した国政の原理、
(い) 民主政治の原理
わが憲法はその前文において「日本国民は正当に選挙せられた国会における代表者を通じて(とくに行動しの文言をはぶく)われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為により再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであつてその権威は国民に由来しその権力は国民の代表者がこれを行使しその福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であつてこの憲法はかかる原理に基くものである。われらはこれに反する一切の憲法法令及び詔勅を排除する。」ものとし、明治憲法がその第一条において「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とうたつて、天皇の大権とせられた統治の権力を、国民に属するものと改め、法第一条において「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権を有する日本国民の総意に基く。」ものとして、天皇の象徴としての地位の存廃までも国民の総意によつて定められること、ならびに法第九十六条において「この憲法改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を為すものとして、直ちにこれを公布する。」と定め、国政の上では、国民の主権を至高のものとして、これに最高の権威を認め、国政は、つねに主権を有する国民の総意に基き、国民の福利の為に、国民の監視の下に行わるべきものであり、また国民の総意になるこの憲法の保持および改正はつねに主権を有する国民の総意によつて行われる大原則が明かにされているのである。
つぎに法第十三条において「すべて国民は個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に関する国民の権利については公共の福祉に反しない限り立法その他国政の上で最大の尊重を必要とする」ものと定め後に述べる司法権によつて保障さるべき国民の自由と権利と幸福は、まずもつて個人として尊重される国民の国政に関する権力、すなわち、生命自由及び幸福追求の基本的権利の行使によつて、国民みずからの手で創造確保さるべき民主政治の根本原理が具体的条規を以て確立され、ここに国政はつねに国民の総意に基いて行わるべきものであり、国民はつねに国政について最終の決定権を保有するの原理が宣明せられているのである。さらに法第十六条において「何人も損害の救済、公務員の罷免、法律命令又は規則の制定又は廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人もかかる請願をしたために、いかなる差別待遇も受けない。」ことを規定して、国民の手に国政の全面にわたる大幅の権利の行使が留保されているのである。なおそれのみでなく、法第十五条において「公務員を選定し及びこれを罷免することは国民固有の権利である。すべて公務員は全体の奉仕者であつて一部の奉仕者ではない。公務員の選挙については成年者による普通選挙を保障する。すべての選挙における投票の秘密はこれを侵してはならない。選挙者は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われない。」という周到な条規を設け、代表機関の構成員となる公務員の選定及び罷免の権利は国民の手に保有するものと定め国民は、この権利を行使することによつて憲法又は国民の自由と権利と幸福を侵す公務員の存在を排除し、よつてもつて国政監視の実を挙げ得るものとされているのである。
かくの如く国民は単に代表機関による国政の福利を享受し得るという受動的消極的地位を保有するだけでなく、みずから進んで法第十三条所定の国政権を行使して、より多くの自由と権利と幸福を追求創造し、かつ、代表機関による国政が憲法又は国民の自由と権利と幸福を侵す場合においては直ちに最高裁判所に対し法第八十一条の違憲審査権の発動を求め、最高裁判所をしてこれを是正せしめ得る能動的、積極的地位を保有するに至つたのである。
かような政治原理は、国民の自由と権利と幸福は、他から与えられるものでなく、自らの手によつて創造確保するに及ばない。
すなわち、天は自ら助くるものを助くる普遍の哲理と、国政上の権利が、君主、王族、貴族、官僚、軍閥等の一部階級の手に収められた古代および近世国家の国民が、これら支配者から与えられた自由と権利と幸福の枠の中で、永きに亘つて奴隷的生活にあえいで来た史実に対する反省から生れた貴重な国政上の遺産であつて国民の自由と権利と幸福を唯一の目的とする近代国家においては、その度合いの向上に比例して、国民の手に国政に関する権力が多量に留保されているのである。かような政治上の原理は、今日においては、もはや東西を通ずる普遍のものであつて、敗戦を契機として最も新らしい民主々義国家として誕生した日本国の新憲法は、かかる普遍の原理に基いて制定せられたものであることを把握しなければならないのである。
この点、同じく三権分立の立憲政治を採用し、議会政治の名において行われた政治であつても国民に対して国政による福利の創造が認められず、また、国政に対する是政権を与えられなかつた明治憲法下における議会政治が、今日の日本国憲法下における民主政治と程遠いものであつた史実と充分対比されなければならないのである、すなわち、民主々義の国家とは、国民の総意になる憲法の護持および幸福追求に関する国民の国政上の権利の行使が常に国政の上で保障されている国家を指すのであつてこれらの主権の行使に関する保障の規定を欠き、国民の手によつて憲法の護持または幸福追求が許されないとか、又憲法違反又は国民の福利に反する国会の議決又は行政機関の行う行政行為の是正が許されないとするならば、それは議会専制政治又は官僚独裁政治の国家であつて、民主政治の国家といい得ないのである。これを要するに、国民の主権の行為が国政の上で保障されてはじめて民主々義国家といい得るのであつて、国民の主権の行使が国政の上で保障されない民主々義国家は存在し得ないことを充分に理解しなければならないのである。
(ろ) 憲法政治の原理
わが憲法は、昭和二十一年六月二十日の帝国憲法改正案の勅書に「朕は、国民の至高の総意に基いて、基本的人権を尊重し、国民の自由の福祉を永久に確保し、民主々義的傾向の強化に対する一切の障害を除去し、進んで戦争を放棄して、世界永遠の平和を希求しこれにより国家再建の礎を固めるために、国民の自由に表明した意思による憲法の全面的改正を意図し、ここに帝国憲法第七十三条によつて、帝国憲法の改正案を、帝国議会の議に付する。」と明記され、また、同年十一月三日の日本国憲法公布の勅書に「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が定まるに至つたことを深くよろこび枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布する。」と宣せられているとおり、明治憲法第七十三条の「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ、勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スベシ、此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総議員ノ三分ノ二以上出席スルニ非ザレバ議事ヲ開クコトヲ得ズ、出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非ザレバ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ズ」とせられた最も厳格な手続によつて制定された、国民の総意になる最高の法規であつて国政の原理および国民生活の原理はじつにこの大典によつて定められているのである。
されば、この憲法の条規を厳守するため、前文における「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民が享有する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令、及び詔勅を排除する。」という政治の原理を承けて特に、法第十章最高法規の条規を設け、法第九十八条において、「この憲法は国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」ことが明かにされ、さらに、法第九十九条において「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し、擁護する義務を負う。」ものとして、国政は常にこの憲法の条規に則つて行わるべく、これに反する国政は「その全部又は一部はその効力を有しない。」ものとしてその存在を排除して、茲に国民の総意になるこの憲法の条規に基く国政の原理が確立され、国民とその代表機関の専恣は全くこれを否定されひたすらこの憲法の保持と、国民の自由と権利と幸福の追求が全面的に保障される憲法に基く政治の原理が確立されていることを銘記しなければならないのである。
(は) 平和政治の原理
わが憲法はその前文において「政府の行為によつて、再び戦争の惨禍が起ることのないように決意し………日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。………われらはいずれの国家も、自己のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものでありこの法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。」という信条のもとに法第九条において「戦争の放棄」に関する条規を設け「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため陸、海、空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は認めない。」ものとし、更に法第九十八条第二項において「日本国が締結した条約及び確立された国際法規はこれを誠実に遵守することを必要とする。」と規定して徹底した平和主義政治を行うことを中外に宣言し、ここに平和を基調とする政治の原理が確立されたことを見逃してはならないのである。
(に) 基本的人権保障政治の原理
わが憲法は、法第十一条において「国民はすべて基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」とされた基本的条規のもと、第三章において、(い)において述べたように、まず国民に国政上の権利の存することを明かにし、これを国政上の基本権とし、つづいて、法第十七条ないし第四十条において個人および団体の自由と権利とを定めて、これまた基本的人権として、これを絶対に保障するものとされた。しかもこれらの基本的人権は、法第九十七条において「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」として将来行われることあるべき憲法改正においても、これを奪うことが許されないものとし、これら国民の基本的人権は、法第十二条において「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民不断の努力によつてこれを保持しなければならない。又国民はこれを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のために利用する責任を負う。」ものとされ、さらに、法第三十二条において「何人も裁判所において、裁判を受ける権利を奪われない。」ものと定め、国民の有するこれらの基本的人権は、公共の福祉に反しない限り絶対無限に保障される。いわゆる基本的人権の政治原理が確立されているのである。
(二) 我が憲法の採用した国政機構
わが憲法は、民主政治の原理、憲法政治の原理、平和政治、基本的人権保障政治の四大原理を基礎として制定されたことは前述のとおりであつて、国政の機構もこの原理を厳格に遵守する機構に仕組まれているのである。すなわち、明治憲法においては第一条において「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」第四条「天皇ハ国ノ元首トシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」第五条「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」第六条「天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ズ」第五五条「国務大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ズ」第五七条「司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ」という各条規のもと、国政はすべて天皇の手に集中し、その独裁において行われたのに反し、新憲法の下においては、まず、法第一条、第九六条、第十三条、第十五条、第十六条、第四十三条、第七十九条第二項、第九十三条第二項、第九十五条の条規に基き、国民に最大の主権の行使を認め、つづいて中央集権による政治機構を排除して、特に法第八章において地方自治に関する条規を設け、国民の代表機関によつて行われる国政をまず中央政治機構において行うべきものと、地方公共団体において行わるべきものとに分つ、分権による政治機構が確立され法第九十五条において「一地方公共団体のみに適用する特別法は法律の定めるところによりその地方公共団体の住民の投票において、その過半数の同意を得なければ国会はこれを制定することができない。」ものとして、強力の地方住民の意思を尊重することにより、かつての中央集権による戦争への介入を防止し、且つ地方住民の手による自由と権利と幸福の追求を保障するの政治原理が確立され、さら中央政治機構についても明治憲法下における天皇の大権による専制政治を排除して、法第四条において「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い国政に関する権能を有しない。」と規定した上で、天皇に対して法第一条及び第七条の権能を認め、前記条規によつて直接国民の手によつて行わるべき国政を除き、これを、国策を決定する立法、決定された国策を執行する行政、立法行政の適否を監視する司法の三権に分ち、立法権は、法第四十一条の条規によつて国会に、行政権は、法第六十五条の定めるところによつて内閣に、司法権は法第七十六条の定めるところによつて最高裁判所及び法律の定めるところによつて設置せられる下級裁判所に、このほか特に憲法擁護と法第十三条の国民の自由と権利と幸福追求の国政権を保障するため、法第八十一条をもつて違憲立法および違憲処分の審査決定の制度を確立し、この権能を最高裁判所にそれぜれ分属せしめるものとして専制政治の宿弊を一掃しているのである。
(三) 我が憲法の採用した各国政機関の機能
わが新憲法は、すべての集権政治を排除したのであるが、各機関の行うところに行き過ぎ又は不統一を来すことをおもんばかり、明治憲法が国政の機関の独立性を重視して、他の機関の機構又は機能を侵すことを許されないものとされたのに反し国会に対しては内閣に対する関係において、内閣総理大臣の指名権(法第六条第一項、法第六十七条)と衆議院における内閣の不信任案の決議権及び信任案の否決権(法第六十九条)と、国政調査権(法第六十二条)とを、司法機関に対する関係において、弾劾裁判権(法第六十四条)と裁判を除外した国政調査権(法第六十二条)とを与え内閣に対しては国会に対する関係において、衆議院の解散助言権(法第七条一項第三号)と、司法機関に対する関係において最高裁判所の長たる裁判官の指名権(法第六条第二項)と最高裁判所のその他の裁判官および下級裁判所裁判官の任命権(法第七十九条第二項同第八十条)および大赦、特赦減刑、刑の執行免除及び復権を決定するの権(法第七十三条第一項第七号)を与え司法機関に対しては国会、内閣その他の行政機関に対する関係において法令審査権(法第七十六条)と、下級裁判所裁判官の指名権(法第八十条)および最高裁判所に対しては、特に法令又は処分の違憲審査決定権(法第八十一条)とを与え、各機関は互に他の機関の「機構又は機能」を抑制し他の機関の行う違法な国政を是正して国政の統一を保持すると同時に憲法の擁護と国民の自由と権利と幸福の追求を全からしめるように構造されているのである。
この点は明治憲法下における三権独立して互に相侵さざるの原理を排し、アメリカの採用している「チエツク、アンドバランス」の政治方式を採用するものであつて、この点充分の理解を必要とするものである。
(四) 我が司法制度の大綱
日本国憲法における司法制度を正しく把握するには、明治憲法下における司法制度とこれを対比して、考察することをもつとも有意義とするので本稿においてはまず明治憲法下における司法制度を明らかにした後、新憲法下の司法制度に及ぶこととする。
(い) 明治憲法下の司法制度
明治憲法は、第一条において「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とされ、第四条において「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とされ、第五条において「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」とされ、第十一条において「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とされ、さらに同法第六条乃至第九条の条規によつて、国政権は一切天皇に属するものとされ同法第十九条において「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応ジ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」るものとされ、また同法第十条において「天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任命ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ゲタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル」ものとして、国政と公務員の任免はすべて直接間接に天皇の手に収められたのである。
ことに、天皇の行う国政に対して協賛又は輔弼の形において参与し得るものは、同法第五条の「帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス」との条規に基く帝国議会と、同法第五十五条で「国務大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ズ、凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関スル詔勅ハ国務大臣ノ副書ヲ要ス」とされた国務大臣と、同法第五十六条で「枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ、重要国務ヲ審議ス」とされた枢密顧問官と同法第七十二条において「国家ノ歳出歳入ノ決算ハ会計検査院之ヲ検査確定シ、政府ハ其ノ検査報告ト倶ニ之ヲ帝国議会ニ提出スヘシ、会計検査院ノ組織及職権ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」とされた会計検査院とであつて、これらの憲法上の機関と定められたのである。
さて、しからば司法権については、いかなる制度を採用したかというと、明治憲法は、その第五十七条において「司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ、裁判所ノ構成ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」と定め、同法第五十八条において「裁判官ハ法律ニ定メタル資格ヲ具フル者ヲ以テ之ニ任ズ、裁判官ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分ニ由ルノ外、其ノ職ヲ免ゼラレルコトナシ、懲戒ノ条規ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」と定めて、裁判所を憲法上の国政機関とせず帝国議会、国務大臣、枢密顧問官、会計検査院等の下位におき、ただ「刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分ニ由ルノ外職ヲ免ゼラレルコトナシ」という範囲において地位のみを憲法において保障されていた。
従つて明治憲法下において、大審院判事を含めて、すべての判事が司法大臣の選衡によつて任命され、その身分上の監督を受けたのである。そのため当時における学説と実務上の見解として、憲法第三十八条の「両議院ハ政府ノ提出スル法律案ヲ決議シ及各々法律案ヲ提出スルコトヲ得」とせられた条規に基き帝国議会において成立した法律その他の案件については、裁判所は「その提案が適式であつたか、議決が正しく行われたか、裁可が正当に行われたか、諮詢が行われたか、公布が行われたか」というような形式上の司法審査は可能であるが「その法律が憲法、詔勅に反するか、どうかまた、甲の法律と乙の法律とは矛盾するか、しないか」等の実質上の司法審査は許されないとするもの、甚だしきに至つては、帝国議会の協賛によつて成立した法律その他の案件については、形式的審査、実質的審査ともに許されないとする、極めて極端な学説や実務が行われたのである。とくに、司法権と行政権との関係においては、立法、行政、司法の三権分立を強調して憲法第六十一条において「行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ侵害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スベキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限リニ在ラズ」という条規を設け、これを金華玉条とし、官を尊きものとし、臣民を卑しきものとして、行政行為による国民の被害に対して司法権による救済の途までも制限されたのである。すなわち明治三十二年六月三十日法律第四十八号行政裁判所法第十五条は「行政裁判所ハ法律勅令ニ依リ行政裁判所ニ出訴ヲ許シタル事件ヲ審判ス」という条規のもとに同年十月十日法律第百六号行政庁ノ違法処分ニ関スル行政裁判事件と題する法律において「法律勅令ニ別段ノ規定アルモノヲ除ク外左ニ掲グル事件ニ付行政庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ毀損セラレタリトスル者ハ行政裁判所ヘ出訴スルコトヲ得。一、関税ヲ除ク外租税及手数料ノ賦課ニ関スル事件、二、租税滞納処分ニ関スル事件、三、営業ノ拒否又ハ取消ニ関スル事件、四、水利及土木ニ関スル事件、五、土地ノ官民区分ノ査定ニ関スル事件」の五項目を定めて行政裁判所において審判する事項と定め、その他の事項についてはそれぞれの行政法規において出訴事項を列挙法定するものとし法律によつて特に列挙されない行政庁の違法処分によつて権利を侵害せられた者は司法裁判所に対しては勿論のこと行政裁判所に対しても出訴の途なく、全く泣寝入るの外なくこの意味において統治権の対象とされた臣民の自由と権利と幸福はすべて主権者への犠牲となりそのみじめさは実に言語に絶するものがあつたのである。
(ろ) 新憲法下における司法制度
新憲法は、さきに、国政の原理(い)で述べたようにその前文、法第一条、第九十六条および第十三条において、国民の手に「憲法護持と国民の自由と権利と幸福追求の国政権」を保有することとした上、これまた、国政の原理(ろ)で述べたように国政は常に国政の原理(は)において述べた平和の推進および同じく(に)において述べた個人の基本的人権保障の下に行わるべきことを定めた憲法の条規に基いて行わるべきものとされた。すなわち、新憲法の下における日本国は、明治憲法下における法治国家としての名残りはなく、まさに法の支配を基調とする文化国家として誕生し、国政は、法第三章第十条ないし第四十条において定められた個人の国政上の権利と生活上の自由と権利と幸福とを「国民の手に成る至高の自然権」として、これを立法権および行政権を監視する司法権によつて保障することとなつたのである。
この点法第七十六条第一項は「すべて司法権は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」ものとして最高裁判所及び下級裁判所の司法裁判所としての職務と権限を憲法の条規をもつて定め、当事者間の具体的な権利義務の紛争について事実を確定し、適用する法令を審査し、これを事実に適用して当該事件を解決すべきことをこれら裁判所の職務権限とされ、その第二項において「特別裁判所はこれを設置することができない。行政機関は終審として裁判を行うことができない。」と規定して旧憲法下における行政裁判所その他の一切の裁判機関を廃止し、憲法その他の法令により国民の自由と権利と福利として定められた事項に対する紛争は、それが公法上のものたると私法上のものたるとを問わず細大洩らさず、すべてこれらを挙げて、最高裁判所及び下級裁判所の審判に委ね、ここに憲法第十四条によつて定められた「法の下における平等」が実現せられたわけである。
なお、新憲法は、前述の如く明治憲法下において行政権の自主監督的の立場から行政法規の違法な運営を是正するために設置せられた行政裁判所の存在を排除して、さきに国政の原理(ハ)において述べたように、国政は、すべて最終的に国民の監視の下に行わるべき原理を確立し、特に法第十二条において「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又国民はこれを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」という条規を新設して、法第三章第十四条ないし第四十条所定の個人の国政上の権利と、生活上の自由と権利と幸福を「国民の手に成る至尊の自然権」として、司法権によつて保障することとし、私法上の争訟については、勿論公法上の争訟についても、その出訴事項の制限は一切これを撤廃し、事の大小を問わず、一切司法権による「法の支配」のもとに置かれたのである。この点行政訴訟に関する見解として、もつとも重視しなければならないところであつて、行政法規によつて認められない事項については、司法裁判所に対し、出訴を許されないというが如き見解は実に旧憲法下における行政訴訟の観念にとらわれた陳腐の見解であることを知らなければならないことを特に付言して置こう。
またかように新憲法は司法権による職域が拡大され、かつ司法権によつて保障さるべき個人の自由と権利が拡張されたため従来の訴訟手続又は将来制定さるべき訴訟手続によつて到底保障することのできない争訟事項の存することを予想し、そのための立法をまつことなく、法第七十七条第一項において「最高裁判所は訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。」第三項において「最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を下級裁判所に委任することができる。」ものと規定して、手続規定なきの故を以て憲法又は個人の実体法上の自由と権利の救済を拒否することの許されない法理を明かにし、ここに憲法と個人の自由と権利と幸福の侵害に対する救済に万全を期しているのである。
以上は司法に関する憲法直接の条規であるが、新憲法はさらに天皇の国事に関する法第六条第二項において「天皇は内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。」と定め司法に関する法第七十九条第一項において「最高裁判所はその長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。」第五項「最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。」と定め、同じく法第八十条においても「下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣で任命する。その裁判官は任期は十年とし、再任されることができる。但し法律の定める年齢に達した時には退官する。」と定めて、裁判官の任命とその在任を憲法の条規をもつて規定し、法第十五条の特例を定め、ただ最高裁判所の裁判官の任命についてのみ、法第七十九条第二項の定めるところにより任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際、その後十年を経過した後初めて行われる衆議院議員総選挙の際、その後も同様、十年毎に、任命に対する事後審査の投票が許されているのである。なお最高裁判所裁判官下級裁判所裁判官をおしなべて、すべてその罷免については、法第七十八条において「裁判官は、裁判により心身の故障のために職務を遂行することができないと決定された場合を除いては公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は行政機関がこれを行うことはできない。」と、これまた憲法自体において法第十六条の定めによる公務員罷免の請願権の行使を排除しもつて司法権の独立が保障され、なお法第七十九条第六項、法第八十条第二項において「裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は在任中、これを減額することができない。」ものとして、その生活までも保障され、裁判官はじつに国会議員、内閣総理大臣、国務大臣と同列に憲法上の国家機関とされ、この地位に基いて国会の立法、内閣の処分について形式上、実質上の司法権による審査を行い得ることの理を明かにされたのである。
殊に司法裁判所のうち、最高裁判所に対しては、さきに、わが憲法の採用した各国政機関の機能に述べたように法第八十一条において「最高裁判所は一切の法律命令、規則又は処分が、憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」とうたわれた条規のもと、国民の手に留保された「憲法護持及び法第十三条による自由と権利と幸福追求の国政権」の行使を保障する最高の使命が信託されているので、最高裁判所は憲法侵犯又は国民の自由と権利と幸福侵害の国政について国民から法第八十一条に基く違憲審査の請求を求められた場合においては、その請求に基いて当該国政(立法又は処分)が憲法に適合するかしないかを決定し、憲法又は国民の自由と権利と幸福を侵犯する国政そのものを是正しもつて憲法又は国民の自由と権利と幸福とを擁護しなければならないことは当然である。
かくして我が最高裁判所は一面において司法裁判所であり、他面において憲法裁判所としての機能を併有する最も優れた国家機関となり、茲に文字通り司法権優位の原理が確立されたことを充分に理解しなければならないのであつて、法第八十一条の定めは実に法前文、第一条、第七十六条、第十三条、第十五条、第十六条の条規と一体をなして民主政治を象徴する至尊の条規であるといわなければならない。
要するに法の支配のもとに置かれた日本国民は法第八十一条の発動を求めて憲法を護持し、自己の自由と権利と幸福を創造確保し得ると同時に法第三十二条の発動を求めて、憲法又は国民の手によつて創造確定された「自己の自由と権利と幸福」を保持し得るに至り、ここに完全に法の支配による文化国家の一員とされたことを、充分に知らなければならないのである。
(五) 法第八十一条制定の経過
新憲法草案は、昭和二十一年六月二十日、帝国憲法第七十三条によつて第九十回帝国議会衆議院本会議に「朕は、国民の至高の総意に基いて基本的人権を尊重し、国民の自由の福祉を永久に確保し民主々義的傾向の強化に対する一切の障害を除去し進んで戦争を放棄して、世界永遠の平和を希求し、これにより国家再建の礎を固めるために国民の自由に表明した意思により憲法の全面的改正を意図しここに帝国憲法第七十三条によつて、帝国憲法改正案を帝国議会の議に付する。」という勅書を付して提案された。
そのうち法第八十一条に関する提案の理由説明、これに対する質疑応答は、おおむね次の通りである。
一、先ず帝国憲法改正草案第七十七条は、第一項において「最高裁判所は終審裁判所である。」と定められ、第二項において「最高裁判所は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する。」と定め最高裁判所は、司法裁判所としての終審裁判所であるとともに、一切の法律、命令、規則又は処分の違憲審査権を有する特別権限を有する、憲法裁判所であることが明かにされていた。(衆議院議事速記録(以下単に速記録という)第二号六六頁)
二、昭和二十一年六月二十五日の衆議院本会議における吉田内閣総理大臣の「司法ニツイテハ総テ司法権ハ最高裁判所及ビ法律ノ定ムル所ニ依リ設置スル下級裁判所ニ属スルモノトシ、行政裁判ハ之ヲ司法権ノ作用ニ包括セシムルコトト致シマシタ、特別裁判所ノ設置ハ之ヲ認メテ居リマセヌ。又最高裁判所ヲシテ憲法的機能ヲ併有セシメ一切ノ法令処分ノ憲法ニ適スルヤ否ヤノ裁判ヲ為シ得ルモノト致シテ居リマス。」という同条提案理由の説明をしていること。(速記録同号六八頁)
三、同年同月二十七日の同本会議で金森国務大臣が吉田安氏の質問に対し「国会ハ明ラカニ最高ノ機関デアルト致シマシテモ、而モソノ国会ノ働キデアリマシテモ若シモ憲法違反ノ法律ヲ定メマスナラバ、他ニ厳トシテ之ヲ批判スルモノガアリ得ルノダ、ソレハ何カトイエバ最高裁判所ガ之ヲ批判スルノダトイウノガ改正草案ノ趣旨デアリマス。………ソコデ今回ノ憲法草案ニオキマシテハ仮令国会が誤ツタル憲法違反ノ法律ヲ設クルト致シマシテモ、之ハ最高裁判所ニオイテ批判シソノ無効ナルコトヲ結論シ得ルトイフ制度ニ致シマシテ人権擁護ヲ的確ニシタノデアリマス。」と答弁していること。(速記録第七号九八頁九九頁)
四、同年七月一日の衆議院における帝国憲法改正委員会において、金森国務大臣が「併シナガラ今回ノ改正案ニオキマシテハ若シモ憲法違反ノ法律ガアルナラバ、最高裁判所ハコレヲ明カニ判断シテ裁判ノ通用上斯ノ如キ法律ガ起レバソレヲ無効ナモノトシテ処置シ得ルトイフ機能ヲ有スルコトニシテオリマス。附言シテオキマスガコレハ法律ソノモノヲ凡ユル意味ニオイテ無効トスル訳デハアリマセヌ、裁判ニ必要ナル範囲内ニオイテ無効トスル趣旨デアリマス。」と本条の提案の理由を説明していること。(速記録第二回五頁)
五、同年同月二十二日の同委員会で小島委員が「最初ノ国務大臣ノ御答ヘデ法律ニ就イテハ最高裁判所ガスルガ下級裁判所デハ出来ナイ、斯様ニ仰シヤツタノデアリマスガナゼ下級裁判所ハ法律ニ付イテハ出来ナイデアリマシヨウカ。」と質問したのに対し、金森国務大臣が「最高機関ガ正シイト思ツテ決メタモノハ詰リ憲法違反デナイト云フコトヲ国会ノ刻印付デ出シタモノデアルト致シマスレバ、裁判所ト雖モ之ヲ批判スルコトガ出来ナイト云フコトハ解釈上恐ラクハ当然出テ来ルモノト思ツテオリマス、併シソレデハ困ルト云フノデ例外的ニ最高裁判所ガ左様ナ法律ヲ批判シテ憲法ニ適フヤ否ヤト云フコトガ云ヘルノダ、斯フ云フ風ニ七十七条第二項デ規定ヲ致シマシタ、ソウスルト最高裁判所以外ノ裁判所ハソウイフ特権ヲ授与サレテハオリマセヌ。………固ヨリ一審、二審ト云フ下級裁判所ニ対シテ其ノ当該ノ憲法問題ヲ含メタ訴訟事件ヲ起スコトガ出来マス、併シ下級裁判所ガソノ法律ハ憲法ニ適ツテオルト云フ前提ヲ取ル時ハ自分デ裁判ガ出来マス。但シソノ法律ハ憲法ニ違反スルヤ否ヤト云フ問題ヲ処理シヨウト云フ時ハ自分デハ出来ナイノデ最高裁判所ヘソノ事件ヲ送付スルト云フヨウナ形デ事件ヲ解決シタイト考ヘテオリマス」と答弁していること。(速記第一九回三六九頁)
六、なお草案第七十七条に対する金森国務大臣の説明に対する不備から、同月二十二日の委員会において、原委員が「金森国務大臣ノ懇切ナル御答弁デ我々ハ各条項ノ意味ハ大略判ツタノデアリマス、併シナガラ裁判所ガ是ハ違憲デアルトカ違法デアルトカ判決スル場合ニ、果シテ金森国務大臣及ビ政府ノ答弁ガ参酌サレルノデアルカ、ドウカ、私共ハ疑フモノデアリマス………金森国務大臣ノ答弁ナリ、其ノ他同政府ノ答弁ト云フモノハ将来此ノ憲法解釈ノ上ニ最高裁判所ナリ、其ノ他ノ場合ニ於テ相当斟酌サレルモノデアルカサレナイモノデアルトスルナラバ、斟酌サレルヨウニスル積リデアルカドウカ、ソノ点ヲ御聞キシタイノデアリマス」という問に対し、金森国務大臣が「裁判所ハ法律ヲ或ハ憲法ヲ客観的ニ見テ判断スルモノト思ツテ居リマスカラ、私共ガ此処ニ申上ゲテ居リマスルコトハ、裁判所ヘ行キマスレバ裁判所ヲ制限スル意味ヲ持タナイコトニナルモノト思ヒマス」と答弁した一幕のあつたこと。(速記録一九回三六九頁)
七、草案第七十七条は衆議院において現行憲法第八十一条の条規の如く「最高裁判所は一切の法律、命令、規則及び処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と修正されたのであるが、その修正について、同年八月二十一日の委員会において芦田委員長が「第七十七条ノ最高裁判所ノ権限ニ関スル規定ノ修正ハ単ナル字句ノ修正デアリマシテ、其ノ内容ニ於テハ変更ハナイノデアリマス。」と小委員会の共同修正案に付ての報告をなし、第八十一条の法意は草案第七十七条の「最高裁判所は終審裁判所である。最高裁判所は、一切の法律、命令、規則及び処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する。」と最高裁判所の二重性格を明かにされていること。(速記録二一回三九二頁)
八、衆議院において議決された、草案第七十七条改正案第八十一条を含む帝国憲法改正案は、同年八月二十四日衆議院より貴族院に送付されたが、吉田内閣総理大臣は、同月二十六日の貴族院本会議においても衆議院の本会議におけると同様「司法権ハ最高裁判所及ビ法律ノ定ムル所ニ依リ設置スル下級裁判所ニ属スルモノトシ、行政裁判ハ之ヲ司法権ノ作用ニ包括セシムルコトニ致シマシタ。特別裁判所ノ設置ハ之ヲ認メテ居リマセヌ。又最高裁判所ヲシテ憲法裁判所的機能ヲ併有セシメ、一切ノ法令又ハ処分ノ憲法ニ適合スルヤ否ヤノ裁判ヲ為シ得ルモノト致シテ居ルノデアリマス。」とその提案の理由を説明していること。(貴族院速記録二三号二二七頁)
九、政府の右提案に対して同日高柳賢三氏が「第七十七条ハ法律ソノ他ノ憲法適合性ヲ審査決定スル権限ヲ最高裁判所ノミニ与ヘル趣旨デアリマスカ。」と質したのに対し、同日木村国務大臣が「御承知ノ通リ現在ワガ国ノ司法制度ノ建前ト致シマシテハ、命令規則ガ法律ニ適合セザルヤ否ヤト云フコトノ問題ニ関シテハ裁判官ハ之ヲ審査決定スル機能ハ持ツテイルノデアリマス、処ガ果シテ憲法ニ違反スルカ否ヤト云フ此ノ審査ニ付テハ左様ナ権限ハ持ツテイナカツタノデアリマス。改正草案第七十七条ニ於テ初メテ最高裁判所ハ此ノ所謂違憲審査権ヲ持ツコトニ相成ツタノデアリマス。而シテ高柳君ノ御質問ニ依リマスト下級裁判所ハ左様ナ権限ヲ持ツモノデアルカ、ドウカト云フコトデアリマスガ現実ノ問題ト致シマシテハ下級裁判所ニ左様ナ事件ガ必ズ起ツテ来ルカト思ハレマス、ソノ場合下級裁判所ニ於キマシテ法律ヲ適用スル場合ニ憲法ニ違反スベキヤノ疑ガ生ジタ場合ニハソノ裁判所ハソノ問題ヲ切離シテ最高裁判所ニソノ審査決定ヲ求メルト云フコトニ相成ルカト存ズルノデアリマス、要スルニ最高裁判所ガ法律ノ違憲審査決定権ヲ持ツコトニナルト存ズル次第デアリマス」と答えたこと。(速記録同号二二八頁と三三二頁)
一〇、同年九月二日の貴族院の委員会において、金森国務大臣が本条の趣旨を「司法権ニツキマシテハ、司法権ハ最高裁判所及ビ下級裁判所ニ属スルモノト定メマシテ、在来ノ行政裁判所ノ所管シテ居リマシタヨウナ行政裁判所ハ、コノ改正案ニ於キマシテハ司法権ノ作用ニ包括セシメルコトニ致シマシタ。尚特別裁判所ノ設置ハ認メナイコトトシ綜合シテ国民ノ権利ノ保障ニ遺憾ナキヲ期シテ居ル次第デアリマス。特ニ最高裁判所ニ於キマシテハ憲法ニ違反スル法令ヲ具体的案件ニ伴ツテ審査シ得ル規定ヲ設ケマシテ憲法裁判所的ナ機能ノ一端ヲ併セテ之ニ担任セシメテ居ルト云フ風ニ規定シテアル訳デアリマス」と説明していること。(速記録第二号二頁)
一一、同日の委員会で沢田牛麿氏が「本条は三権分立の思想を破壊する最も酷しいものである」と非難したのに対し、金森国務大臣が「若シモ従前ノ日本ノ裁判所ノ解釈ニ従ツテ現行制度ヲ理解致シマスナラバ憲法違反シタル法律ガ出来マシテモ、ソレハ国民ニ対シテ規範力ヲ持ツテ来ルコトニナリマス、ソレハ本当カラ云ツテ憲法ノ精神ニハ合ハナイノデアリマス、従ツテ今回ノ草案ニ於キマシテハ、法律ト憲法ト二ツガ相背馳スルナラバ憲法ニ拠ルトイフ原則ヲ最高裁判所ヲ通ジテハツキリサセルヨウニシナケレバナラヌト云フコトデアリマシテ是ハ憲法尊重ノ結果已ムニ已マレヌ必然ノ道行キデアロウト思イマス」と答えていること。(速記録二〇号一五頁)
一二、同年九月二日の委員会で佐々木惣一氏が違憲審査の時期と方法について政府の説明を不満として「私チヨツト此処デ申上ゲテ置キタイノデスガ、甚ダ失礼デアリマスガ此ノ憲法ノ規定ガ今申シマシタ此ノ法令ガ憲法違反デアルカドウカハ其ノコトヲ独自ニ裁判スルコトハ出来ナイノダ、何等カ具体的ノ係争事件、ソレニ関係シテソレガ憲法違反デナケレバ取扱ハナイト云フヨウナ御解釈トシテハ、ドウシテモ政策論デハナシニ、此ノ規定ノ通リダト、ドウシテモソウ取レヌト存ジマス、是ハ解釈上ノ意見ノ相違デアリマスカラ何度云ツテモ仕様ガナイト思イマスガ、金森国務大臣ナリ、先日来ノ司法大臣ノ御解釈ニハ私ハ従フコトハ出来ナイト云フコトヲ留保シテ置キマス。」と述べて居る点。(速記録二〇号二〇頁)
以上のような帝国議会における審議の結果、結局貴族院においても草案第七十七条に対する衆議院における修正の趣旨を是認し、法第八十一条の「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」という条規となつたのである。しかしながら草案第七十七条の構成その提案理由の説明これに対する質疑応答、衆議院における草案第七十七条修正のいきさつ等からこれを見るときは、わが最高裁判所は単に司法裁判所として民事、刑事、行政等の争訟について、裁判を行う権限を与えられているばかりでなく、憲法裁判所的機能を併有せしめられ「法令又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限」を付記されていることは、もはや一点の疑の余地はない。ただ帝国議会における本条の審議に際して審査権行使の時期、方法、審査の効力等について政府の答弁はややもすると提案の理由の説明、審査の本質と矛盾する極めて遺憾な点があつたのであるが、しかしその点は今後の法理の研究と実務上でこれを補足されなければならないものと信ずるものである。
違憲審査の本質
日本国民は、国民の総意になる日本国憲法を保持し、その条規によつて保障された法第十三条の条規に基く「自由と権利と幸福追求の国政権」を行使して、自らの手によつて「自らの自由と権利と幸福を創造確立」することによつて、初めてわが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢の成果を確保されるのであつて、それがためには、国民の信託に基いて、国政上の権力を行使する国務諸機関の職権の行使を司法権の監視の下に置くいわゆる法の支配が要請せられる。第八十一条の定めは実にこの要請に基いて、すべての国家機関の職権行使を法の支配の下におき、最高裁判所に対し、国会、内閣、地方公共団体機関の機能について、憲法に適合するかしないかを決定する権限を信託し、国民は、最高裁判所に対して、その権利を行使せしめることによつてこれら諸機関の機能を是正せしめ憲法を護持し国民の自由と権利と幸福を創造確保するの実を挙げることとしたのである。従つて特定人の自由と人権と幸福についての争訟を解決する法第三十二条の制度とは全く異質のものであつて法第三十二条の定める訴訟制度は、憲法又は前述の国政権の行使によつて創造確保された「自由と権利と幸福」が何人かに侵された場合の救済制度であり両者間には劃然とした性質上の開きがあることを知らなければならないのである。従つて最高裁判所の有する違憲審査権は、国政の上では法の支配を宣言するものであり、国民に対する関係においては、国民の主権(国政権)の行使を保障するものであり、他の国家機関に対する関係においては、抑制権の行使であり、その目的は国政の非違を是正するものであり、その作用は立法行政の違憲行為の無効を来さしめるものであり、その争訟の対象はつねに立法行政機関の国政そのものについて行わるものである。帰するところは国民の憲法を擁護し、よりよき国民の自由と権利と幸福の創造確定を保障するものであるといわなければならないのである。
結論
一、本訴はかかる原理に基いて地方自治法第二百八十一条の二のうち、特別区の区長選任の方法に関する規定、すなわち「特別区の議会が都知事の同意を得てこれを選任する。」という規定が、憲法第九十三条第二項の「地方公共団体の長その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接にこれを選挙する。」条規に適合しないことの決定を求めるものであつて、かかる訴は、法第十三条、同第八十一条の条規に基き当然許されなければならないと信ずるものである。
二、原審判決では「さらに原告らは被告目黒区議会及び被告北区議会が、憲法に違反して無効な地方自治法第二八一条の二にもとずいて被告東京都知事の同意のもとに特定の日時に、特定の目黒区ないし北区の後任区長を選任し、その結果憲法によつて保障されている原告らの当該区長の選挙権が侵害されたのは、具体的な紛争に外ならず、裁判所の判断の対象となり得るものであると主張する。「たしかに抽象的にいえば、特定の日時における特定の区長の区議会による選任が、無効であるかどうかは、それ自体一つの具体的な法律上の紛争ともいうことができるし、また特定の日時における、特定の区長の選任によつて、原告らの直接選挙権が侵害せられたかどうかは原告らの具体的な権利に関する紛争であるようにも見える。」しかしながら、原告らの主張する区長の直接選挙権は、区民に対して一般的に与えられる権利であり、原告らは本訴において原告らが当該区民であることによつて与えられる右のような一般的な権利としての直接選挙権が、目黒区議会ないし北区議会の後任区長選任により、侵害されたことを主張するから、原告らのいう権利の侵害があつたかどうかは要するに国民又は区民として一般に賦与されている権利に関する法律的紛争にすぎず、原告ら自身の具体的な権利義務に直接関係する法律的紛争とはいえない。」と判示せられている。
しかしながら右の原審判断は、まず控訴人が、昭和三一年九月一〇日付で提出した準備書面四枚目一行目ないし六枚目裏三行目、つぎに同三二年一〇月一〇日付で提出した準備書面一乃至七、八乃至一〇およびさらに同三三年一二月 日付で提出した準備書面八枚目表三行目乃至一四枚目裏三行目で詳述した日本国憲法下における、公法上私法上の権利の観念を曲解しているものである。すなわち、日本国憲法下における国民の自由と権利と幸福は、法第十三条は「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」とせられた条規のもと、法の下における自由と権利と幸福は、すべて個人尊重の理念に基き個人に属すべきものとして賦与されているのである。この理念は、公法上の権利たると私法上の権利たるとに何らのかかわりはない。私法上における身分上の権利は勿論、財産権においても異例はないのであつて、共有財産関係、相続財産関係に分割請求の権利、権利放棄の自由が保障されている点等から見ても、権利はすべて個人的のものであることが一見明瞭である。まして公法上の権利中公職選挙法における選挙権が全く個人的のものであつて、行使の自由、棄権の自由が個人的に与えられ、全国民、全住民が一致するのでなければ行使し得ないというが如き一般的共同的の権利というが如き観念は日本国憲法の上では、何一つ認められていないのである。
まして特別区における住民の特定の時における、特別区長の選任、という特定事項に関する、憲法第九十三条第二項所定の住民の国政権が一般的に与えられたというが如きは、まつたく救い難い無知の表明であると評せざるを得ない。
要するに、原告らの本訴は、原審裁判所が本項前段において「たしかに抽象的にいえば、特定の日時における特定の区長の区議会による選任が無効であるかどうかは、それ自体一つの具体的な法律上の争訟ともいうことができるし、また特定日時における、特定区長の選任によつて、原告らの直接選挙権が侵害せられたかどうかは、原告らの具体的な権利に関する争訟であるようにも見える。」と、認めているように、特定の時期における、特定の地域における、特別区長の選任という特定事項に関する紛争につき、原告らと、被告らの間の権利関係の確認を求めるものであつて原審が「たしかに抽象的にいえば」と考えたことそれ自体が全く不可解であるといわざるを得ない。したがつて、この点に関する原審の認定は、当審において、直ちに是正されなければならないものと信ずるものである。
(この点について特に前記準備書面の御一覧を望むものである)
三、原審判決では「また被告目黒区議会ないし被告北区議会による区長選任行為の無効確認を求める請求の趣旨(二)の(2)、(三)の(2)、(四)の(2)の各請求は、実質的には、原告らが一般国民あるいは区民として公共的行政監督的の立場から、行政法規の違法な運営の是正を目的として提起するいわゆる民衆訴訟としての性質を有するものと解せられるが、出訴者の具体的権利利益の侵害を出訴条件とはしていない。いわゆる民衆訴訟は、具体的な権利義務に関する紛争の解決を目的とする司法権の作用には属しないので、例外的に法律に特別の規定がある場合に限つて認められるに過ぎない。しかして、区長選任行為の効力について一般的に区民が民衆訴訟を提起することを許した法律の特別規定は存在しない。」と判示せられている。しかし、この点に関する原審の判示は、国政の原理(い)において述べた「国政に関する国民の主権」についての理解を欠き国政は常に国民の監視の下に行われ、最終的に国の手によつて是正せらるべき、民主政治の根本原理と、わが国の司法制度および法第八十一条の条規の本質を知らないところから生じた甚だしき誤りであるばかりでなく、法第十二条において「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」とされた憲法自体の直接条規による民衆訴訟認容の法理を見逃したものであつて、この法理は公職選挙法において「選挙訴訟、当選訴訟」が認められている一事によつても直ちに考慮されるところであろう。従つてこの点もまた、当審においてこれを是正されなければならないものと信ずるものである。
なお、この点についてはさきに新憲法下における司法制度の行政権の自主監督を目的として設置された旧憲法時代における行政裁判所の排除の項を御参照されんことを望むものである。
四、原審裁判所は「原告らは憲法第十五条によつて賦与された公務員の選挙権を侵害された場合には、たとえ個々の国民に直接の具体的な権利義務の関係が生じない場合であつても直ちに司法権による救済を求め得ることは、基本的人権とせられた右選挙の性質上当然であると主張する。憲法第十五条第一項が国民に保障する公務員の選挙権は、国民の代表者である公務員の地位の根拠を究極的に国民の意思にかからしめることによつて、国民主権の政治の実を達成せんとする国民の基本的な権利の一つであることはいうまでもない。しかしながら三権分立の建前のもとに裁判所が行使し得る司法権の内容は、すでに述べたとおりであるから憲法に違反する法律の規定が制定され、その規定にもとずき区民の直接選挙以外の方法によつて区長が選任されることにより、区民が直接選挙権を行使し得なくなるという一般的な結果が生じても、法律に特別の規定がない限り、事柄が出訴者である原告らの基本的人権に属するものであるにしても、原告らが右のような一般的な結果を取り上げて裁判所に出訴することはできないものといわなければならない。ある法律が憲法に違反するかどうかはもちろん法律上の問題であるが、それが裁判所によつて判断されるについては、それにふさわしい争訟性をそなえなければならない。それをそなえた限りは裁判所は原則として事案解決のため、もしくはその前提としてこれを判断し得るであろう。故にもし本件のように地方自治法第二百八十一条の二によつて選任された区長によつて特定の行為がなされた場合に当該行為によつて具体的な権利利益を侵害された者があるならば、その者が訴訟上区長選任の違憲ないし違法を主張して、その適格を否認することによつて当該行為の効力を争うことは事案によつては、今日においてもなお可能であろう。そしていやしくも区長選任のよつてもとずく法律が違憲の故に区長が適法の存在でないとすれば、当該区長によつてなされる個々の行為の効力を争わしめるよりも、その根元にさかのぼつてその選任の無効を争わしめ、よつて公法関係の画一性を期する方がより利益であるとする考え方もあり得る。しかしそうすれば、これも結局においてその性質は、前述の民衆訴訟たるべきものであるから、一つの立法論に帰着するのである。」と判示されている。しかし、法第九十三条第二項による「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙する」ものとされた住民の権利が、法第十五条に基く基本的人権に属すると認めながら、その基本的人権が憲法第三十二条による保障の対象の外に於かれる、すなわち、法の支配の他に置かれると考えることはそれ自体が新憲法下における国民の権利の本質および新憲法下の司法権によつて保障される利益の何ものであるかを知らざるの甚しいものであつて一顧の価値なきものであるといわなければならない。
また法第九十三条第二項の住民の直接選挙権は、さきに政治の機構のところで詳論したように、国政を立法、行政、司法の三権に分属せしめたように、地方自治による行政を議決機関としての議会と、その執行機関である長とに分属せしめ、これを各々住民の直接選挙による対等の地位に置き、互に他の機関の機能を抑制せしめ、非違なき自治行政の運営を企図したものであつて、この政治目的の実現自体が、住民の最大の利益である。その最大利益を見逃して、選任された長の行為によつて特定人の具体的権利が侵害されなければ、法律上の争訟とならないというが如きは、住民の公法上の権利の本質とその利益の何物かを知らないことの甚しいものであつて、もはや批判に値しないものである。
要するに法第九十三条第二項は、特定人の個々の具体的権利と利益設定のために制定せられたものでなく、議会と長との機能の抑制によつて自治行政の誤りなきを期することを唯一の目的とし、これを住民の最大利益として制定せられたものであつて、この法の目的により生ずる利益の外に、他に争訟の利益(選任された区長の行政行為によつて個人の具体的な権利が侵害せられたことを要すとする)を求めんとするが如きは正に悪質の利益の置きかえであつて、本訴請求に対する審理判断を拒否せんための狡猾なごまかしである。かような法律上の解釈は到底許されないことをはつきりと把握しなければならないのである。
この点においても、原審判決は当然是正されなければならないものと信ずるものである。
被控訴人東京都目黒区長訴訟代理人の主張
一、控訴人は昭和三十六年六月二十六日付準備書面に於て、地方自治法第二百八十一条の二が憲法第九十三条第二項及び同法第九十五条の趣旨に違背するものとして、所謂違憲論議を縷々述べておられるが被控訴人目黒区長君塚幸吉に関する限りにおいては違憲論議は暫らく措き(昭和三十二年十二月十日付原審被告準備書面参照)左の主張をせざるを得ない。
即ち昭和三十三年六月二日行われた目黒区長の選任については何等違法の件はない。何となればこの選任行為は地方自治法第二百八十一条の二の規定に基いて適法に成立せる目黒区議会が東京都知事の適正なる同意を得て行つたものであるから、この法律の厳に存する限りにおいては手続上の違反があれば兎も角その他にその有効無効を詮議すべき限りではない。
二、控訴人は地方自治法第二百八十一条の二規定が憲法の趣旨に違背するものとして、その改廃をうべく法令の審査を訴求しているのであつてその当否は別としてその訴求から直ちに現行地方自治法に基いて行われた目黒区長の選任行為をも無効であると結論づけることは、如何にも論理の飛躍であり、法秩序を無視した主張であると謂わざるを得ない。
三、要之被控訴人目黒区長君塚幸吉としては、現行地方自治法下において適法に区長に選任せられ就任したものであるから、その点に関する控訴人の主張は棄却されるべきものとするのである。