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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)1583号 判決 1963年7月15日

控訴人 金沢みつ子こと坂上みつ子

被控訴人 国

訴訟代理人 家弓吉己 外一名

主文

一、本件控訴を棄却する。

二、控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。控訴人が日本国籍を有することを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。当事者双方の事実及び法律上、ならびに証拠関係の陳述は、

控訴代理人が

一、末尾添付の別紙控訴代理人提出の昭和三六年三月二七日付及び同三八年二月一四日付の各準備書面記載の通り陳述し、

二、証拠として、当審において新らたに甲第五号証、同六号証一二、同第七号証を提出し、乙第一号証の成立を認める。

と述べ

被控訴代理人が

一、末尾添付の別紙被控訴代理人提出の昭和三六年五月一九日付及び同三八年四月一九日付各準備書面記載の通り陳述し、

二、証拠として、当審において新たに乙第一号証を提出し、控訴人が当審で提出した前記甲号各証はすべて成立を認める。

と述べた外、原判決の事実摘示記載の通りであるから、これを引用する。

理由

当裁判所も原審と同じく控訴人の本訴請求は失当であると判断する。その理由は左記事項を附加補正する外原判決の理由説示と同一であるから、その記載を引用する。

一、控訴人は、控訴人の父は日本人である訴外坂上慶麿であつて、右訴外人は控訴人の出生後昭和三三年七月頃東京都武蔵野市役所戸籍係に対し控訴人の出生届を提出したのであるから右出生届によつて控訴人を認知した効力を生じたものであつて、控訴人はその出生の時にさかのぼつて右訴外人の子というべく、従つて国籍法第二条第一号により控訴人は日本の国籍を取得したと主張するので判断する。

成立に争のない乙第七号証によると、坂上慶麿は昭和三三年七月以前に控訴人主張のような出生届をしたが受理されなかつたことが窺れる。ところで国籍法第二条第一項によると「出生の時に父が日本国民であるとき」子は日本の国籍を取得すると定められているけれども、こゝにいう父とは法律上の父であつて事実上の父を含まないのは勿論のことであり、しかもこの父子関係は子の出生のときに存在しなければならないものであつて、嫡出子でない子の出生後の認知による父子関係発生の場合は含まないもの解するのが相当である。そして現行国籍法は旧国籍法(明治三二年法律第六六号)第五条第三号所定の認知による国籍の取得を規定していないのであるから、坂上慶麿がなした前記出生届に認知の効力を認めるべきものとしても、これにより控訴人は日本国籍を取得したものということができない。以上と異なる見解に立脚する控訴人の主張はすべて採用することができない従つて国籍法第二条第一項の適用ありという控訴人の主張は排斥を免れない。

二、控訴人の母である坂上よし子(旧姓金沢)は昭和一八年朝鮮に本籍を有する金沢英一と婚姻し、同一の朝鮮戸籍に登載されて内地戸籍から除籍されたことは当事者間に争がないのであるから、右よし子は日本の国内法上朝鮮人としての法的地位を取得したものであるところ、日本は平和条約により朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄したものであるから、平和条約の発効によつて同人は日本国籍を喪失したものというべきである。(最高裁判所昭和三〇年(オ)第八九〇号同三六年四月五日大法廷判決参照)

そして右よし子は平和条約発効後の昭和三〇年三月二九日前記金沢英一との離婚の判決をうけ同判決が確定したことは争がないところであるけれども、これにより右よし子の国籍に影響がないことは勿論である。

以上説示に反する控訴人の主張はすべて採用の限りでない。

そうすると控訴人の母よし子は控訴人出生当時日本の国籍を有していなかつたものであるから控訴人の国籍法第二条第三項の適用を前提とする控訴人の主張も亦理由がない。

三、控訴人は控訴人母よし子が日本の国内法上日本の国籍を喪失したからといつて必ずしも朝鮮国籍を取得したとはいえないものであるから、同人は無国籍者になつたというべく、従つて控訴人は国籍法第二条第四号により日本国籍を取得したものと主張する。

ところで前記平和条約第二条(a)項で朝鮮の独立を承認して朝鮮に属すべき領土に対する主権を放棄することを規定している。同条項は朝鮮併合条約によつて発生した状態を除去し、終戦により独立した朝鮮国家に旧韓国が有していた領土主権及び人的主権を回復させる趣旨であつて、我が国が朝鮮の独立を承認するということは朝鮮を独立の国家として承認することで、朝鮮がそれに属する人、領土、及び政府をもつことに外ならないのである。

そして旧韓国の法制によると、旧韓国人に嫁した外国人女子は旧韓国の国籍を取得することが明らかであるから、もし韓国併合がなかつたならば、前記のように朝鮮人である夫に嫁した右よし子は旧韓国の国籍を取得したものというべく、従つて、前記平和条約の条項の合理的解釈により我が国が右条約により朝鮮の独立を承認したことによつて日本の国内法上朝鮮人であつた人は日本の国籍を喪失すると同時に当然独立国たる朝鮮の国籍を取得したものと解するのが相当である。そして朝鮮国家は現在南北両政府があつて、夫々独自の法律制度を布いて朝鮮全土の統一政府であることを主張していることは公知の事実であるけれども、本件に顕れた全資料によるも右両国の法律制度において平和条約の前記条項に対する前認定の解釈と牴触するものは毫もなく、又訴外金沢英一の本籍地は現在北鮮即ち朝鮮民主々義人民共和国政府の統治下にあることは公知の事実であつて、成立に争のない甲第六号証の一、二によると、右よし子は金沢英一の本籍地において朝鮮民主々義人民共和国の公民として登録されていないことが認められるけれども、同号証によると同国の公民登録法によつて同国北半部の地域に居住している公民だけが登録するものであること及び金沢英一及びよし子は終戦当時京城地方に移住していたが消息が不明であつたことが認められるから、右事実があつたからといつてよし子の国籍に対する前敍認定を左右するものではない。

そうすると控訴人の母よし子は控訴人出生当時我が国籍法第二条第四号にいう「母が国籍を有しないとき」に該当するものということができない。

控訴人は右よし子は無国籍であると主張するが敍上説示に反対する独自の見解に立脚するものであつて、その所論はすべて採用することができない。

従つて国籍法第二条第四号の適用があるという控訴人の主張も亦失当というの外はない。

以上の通りであつて本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条によりこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき同法第九五条第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 菊池庚子三 川添利起 花淵精一)

控訴人提出の昭和三六年三月二七日付の準備書面

一、原告の父は日本国民である坂上慶麿の子であるから国籍法第二条第一号により日本国籍を取得すべきである。

(一) 原告が母坂上よし子の先夫金沢英一の子でないことは甲第四号証により明かである。従つて、原告が金沢英一の子であるという推定は全く覆えきれたのである。

(二) 原告の実父である坂上慶麿は昭和三十三年七月以前において東京都武蔵野市役所戸籍係に対し原告が坂上慶麿の子として出生した旨の出生届を提出した。然しながら、原告がその母坂上よし子の日本国籍取得以前の子であるとの理由で坂上慶麿の戸籍に入籍出来なかつたのである。

(三) 然しながら、父坂上慶麿の出生届は当然認知届としての効力を有するものであり、認知の効力が生じたものと言わねばならない。仍つて、原告は出生のときから坂上慶麿の子であつたことになる。

(四) よつて原告の出生の時父である坂上慶麿は日本人であるから原告も当然日本人であると云わねばならない。

二、原告の母坂上よし子が日本国籍を失つたとすれば、同人は無国籍者になつたものであり、国籍法第二条第四号により原告は日本国籍を取得すべきである。

(一) 原告が日本で生れたことは明かである。

(二) 原告の母が朝鮮国籍を取得したか否かは、朝鮮の法律によるべきことは国籍法人の大原則であり、例外を認めることは出来ない。而して、如何なる者が日本国籍を失つて朝鮮国籍を取得するかについて何等の条約も取りきめるないことは原判決も認めるところである。被控訴人及び原審は平和条約第二条(a)項の合理的解釈に基いて朝鮮国籍を取得すべき者の範囲を決定するのだとしているが、これは前記国際法上の大原則を破るものである。即ち何人が朝鮮国籍を取得するかは朝鮮国において決定すべき事項であり、朝鮮国の法律に基かねばならない。然るに平和条約は朝鮮国を当事国とする条約ではなく、朝鮮国を拘束すべき理由はない。従つて、朝鮮独立に伴つて朝鮮国籍を取得すべき者の範囲は朝鮮国が独自の立場において法律により決定されねばならない。原判決が引用する檀紀四二八一年法律第一六号は朝鮮独立に伴い朝鮮国籍を取得すべき者の範囲を定めた法律ではなく、これをもつて原告の母が朝鮮国籍を取得した根拠とすることは出来ない。

(三) 従つて、我が国において為し得ることは、何人が朝鮮独立に伴い日本国籍を失うかを決定出来るに過ぎないのである。原告の母についてもこれが日本国籍を失つたと解釈することは出来るが、朝鮮国籍を取得したとすることは前記国際法上の原則を破り法律の解釈を誤つたものと云わねばならぬ。

(四) 朝鮮は日本の敗戦と同時に北鮮、南鮮に分かれ、各自朝鮮の主権を主張し、それぞれ異つた憲法並びに法律が施行されていることは裁判所に顕著な事実である。原告の母の先夫金沢英一は本籍を北鮮に有していたので、北鮮の法律によらねばならないのであるが、北朝鮮においては一九四五年(昭和二十年)八月十五日以後朝鮮民主主義人民共和国が建国され、同時に日本統治時代の戸籍法は全廃され、新らたに公民登録法が施行されてそれに基き同国の国籍を取得すべき者の範囲は定められ、国民としての登録が為されたのである。同公民登録法は属人主義でなく属地主義を採つており、北朝鮮に居住している者だけが公民として登録されたのである(甲第六号証ノ二参照)。

朝鮮民主々義人民共和国国民として認められず、従つて公民としての登録が為されていない。即ち、朝鮮国籍を有していないのである。

(五) 南鮮においても一九四五年八月十五日を期して日本統治時代の戸籍は廃止され、新らたに戸籍制度が設けられたことは、ほゞ北鮮と同様である。(日本統治時代に日本名が行われたが、朝鮮独立後廃止された)原告の母よし子が南鮮の戸籍に登載されていないことは明かである。原告の母の先夫金沢英一が現在も生存しているとしても、原告の母と合意離婚しているので、南鮮の戸籍に対して原告の母を金沢英一の妻として届け出る筈がない。従つて、南朝鮮においても原告の母よし子は「外国人であつて大韓民国の国民の妻となつた者」としての取扱は為されていないのである。

(六) 原告の母が日本に引揚げた直後に右金沢英一が死亡したとすれば尚更南朝鮮の戸籍に登録されていない筈である。金沢英一は日本統治時代警察官をしていたので朝鮮人より私刑を受け死亡した公算が極めて大きい。

(七) 以上の如く原告の母よし子は北朝鮮においても南朝鮮においても朝鮮国籍を取得しないこと明かである。従つて、若し原判決の如く原告の母が日本国籍を失つた者であるとすれば、同人は無国籍者になつた者である。原告は無国籍者の子であり、日本において出生した者であるから日本国籍を取得すべきである。

三、現行国籍法によれば、自己の志望に基く場合にのみ日本国籍を失うものとする(国籍法第八条第十条)。即ち、自己の意思に基かなければ日本国籍を失わないとの意味である。従つて、外国人の妻となつてもそれだけでは日本国籍を失はないのである。此の原理は今や国際法上の原則として確立されており、憲法第二十二条第二項は此の国際法上の原理乃至条理に基いて設けられたものに外ならない。右国籍法の規定も憲法第二十二条第二項に基くこと明かである。原判決が平和条約の発効と同時に朝鮮人男の妻となつている元内地人女も日本国籍を喪失し、朝鮮の国籍を取得すると解釈したことは右国籍法及び憲法に違反する解釈である。

(一) 現行国籍法は昭和二十五年七月一日から施行されているが、訴外金沢英一が日本国籍を喪失し朝鮮国籍を取得したのは昭和二十七年である。原告の母坂上よし子が外国人の妻となつたのは昭和二十七年四月二十八日であり、国籍法上は日本国籍を失わない。にも拘らず日本国籍を失つたと解釈することは自己の志望に基かずして国籍の喪失を認めることになり、前記国際法上の原理並びに国籍法に反する。

(二) 憲法が国籍離脱の自由を認めたことは、前記の如く国際法上の原理に基くものであるから、単に日本国籍を自由に離脱出来るのみならず、反面その人の意思に反して日本国籍を奪うことは出来ないとの保障を含むものである。即ち、何人も国籍選択の自由を有するのである。然るに平和条約の発効と同時に日本国籍を失い朝鮮国籍を取得することは明かに憲法に違反する。

(三) しかも憲法第二十二条第二項に保障された権利は国家成立以前の天賦自然の権利であつて国家権力によつて制限し得ない基本的人権である。従つて、原判決のとる解釈は人間として当然保有する人権を剥奪する解釈であつて絶対にゆるされない。

四、原判決は、「朝鮮独立にともなう国籍変動の問題は朝鮮独立に関する平和条約第二条(a)の合理的解釈にその解決を求めるほかはない」とし、平和条約発効以前の婚姻により朝鮮人男の妻となつている元内地人女も含まれる」としているが、そのような解釈が何故合理的なのか理解に苦しむところであるのみならず極めて不合理な解釈である。

(一) 平和条約発効後朝鮮人男と婚姻した日本人女は日本国籍を失わない。しかるに平和条約発効以前に婚姻した場合には日本国籍を失うとする。その間に区別すべき何等の理由もないのにその差異を生ぜしめるのは全く不合理と云わねばならぬ。平和条約発効後の婚姻においては外国人と婚姻する意思で或いは外国々籍を取得するかも知れないと考えていながら尚且日本国籍を失わないのに反し、平和条約発効以前においては同じ日本人と婚姻する意思で日本国籍は失わないと考えつゝ日本国籍を失つてしまうのである。むしろ、平和条約発効以前の婚姻についてこそ日本国籍を失わしめない理由があると云わねばならぬ。

(二) 朝鮮独立後国交回復以前は法律上の婚姻自体不能であつて、北鮮とはいまだ国交は行われず、法律上の婚姻は為し得ない。従つて平和条約発効以前の婚姻か以後の婚姻かにより区別を設ける理由は全くない。

(三) 日本人としては日本が敗戦し朝鮮が独立するなどということは全く予測し得ない事態であり、いわば偶発的事実の発生により当然に国籍を左右されるということは極めて不合理である。戦時中は朝鮮人も日本人だから朝鮮人との婚姻を奨励しておきながら同じ日本国家の機関である政府や裁判所が朝鮮人と婚姻した日本人は日本人ではなく朝鮮人だとすることは甚だ無責任な解釈である。

(四) 前述の如し出生の場合を除き、その人の意思に基かなければ国籍を取得したり国籍を失つたりすることはないという国際法上の条理乃至原則に反する解釈をとることに一体合理性があるのか。国籍法では、その条理乃至原則に基いて外国人と婚姻しても国籍は失わないとし、又外国人が日本人男と婚姻しても日本国籍を取得しないとしている。此の態度は極めて正しい。平和条約を合理的に解釈するためには右のような国際法上の条理や原則に基くべきであり、そうすれば原判決の解釈は不合理であつても何等合理性のないこと明かである。

五、原判決は「日本の法律解釈としては平和条約の発効にともなつて日本国籍を喪失し朝鮮国籍を取得すべき朝鮮人とは「同条約発効当時朝鮮の戸籍に登載された者及び当然登載さるべき事由の生じた者を意味し」云々としている。然しながら、朝鮮の戸籍に如何なる者が登載されるか、如何なる事由に基き登載されるかは朝鮮国内法により決定されるのであつて、日本において勝手に推測することは出来ない。

原判決は原告の母よし子は朝鮮の戸籍に登載さるべき者との判断に立つものと思われるが、何を根拠にしてそのような判断に立つか。前述の如く終戦と共に朝鮮には新しい戸籍制度が行われており、昭和二十年十一月に日本に引揚げた内地人が朝鮮人と同棲もしていないのに戸籍に登載される筈がない。しかも朝鮮と日本との交通もなく国交もないのに届出ることすら出来ない。原判決は、朝鮮でも日本と同じ法律が行われていると考えているのであろうか。しかも、北鮮においては公民登録法による国籍が否定されているのであるから、原判決の解釈の誤りであることは明白となつたのである。

控訴代理人提出の昭和三八年二月一四日付の準備書面

一、控訴人の母坂上よし子が朝鮮国籍を取得したか否かは、朝鮮国内法によるべきこと、すでに詳述した通りである。従つて、日本と朝鮮との間に何等の条約も取りきめもない現在において、我が国の為し得ることは、何人が朝鮮独立にともない日本国籍を失うかを決定することだけである。被控訴人は平和条約の解釈として朝鮮国内法によらずして控訴人の母が朝鮮国籍を取得したと主張することは誤りと云わねばならぬ。控訴人の援用する昭和三十六年四月五日の最高裁大法廷の判決も「平和条約によつて、日本国籍を喪失した」と述べているにとどまり、「朝鮮国籍を取得した」とは一言も述べていない。従つて右判決を根拠とすることはできない。

二、被控訴人があくまでも控訴人の母が朝鮮国籍を取得したと主張するためには、朝鮮のいかなる法律により朝鮮国籍を取得したのかを主張立証するべきである。しかるに、斯る主張立証はない。乙第一号証は一九四八年十二月二十日公布の大韓月国国籍法であるが、一九四三年に金沢英一と婚姻した控訴人の母坂上よし子には適用がない。

三、従つて、控訴人の母坂上よし子は平和条約により日本の解釈上(朝鮮においてはこれと異つた公権的解釈が為されているかも知れない)日本国籍を喪失したとしても、朝鮮国籍を取得しなかつたものと断ぜるを得ない。そうすれば、右よし子は無国籍者となつたものと云うべく、その子である控訴人は国籍法第二条第四号により日本国籍を取得したというべきである。

四、更に右よし子が朝鮮国籍を取得しなかつたであろうと認められる理由は昭和三十六年三月二十七日附準備書面第二項(四)(五)(六)において述べた如くである。

五、被控訴人は国籍法第二条第一号の適用上父が胎児認知したときか子の出生と同時にこれを認知したときに限られると主張するが、そのように限定する理由はない。認知すれば出生のときに遡つて親子関係が発生することは民法上明白である。さすれば、出生のときの父は日本人であるから当然同法第二条第一号の適用があると云わねばならぬ。これを控訴人の如く解さねばならぬ条文上の根拠は勿論、他に合理的根拠は見あたらない。

被控訴代理人提出の昭和三六年五月一九日付準備書面

控訴人の昭和三十六年三月二十七日付準備書面に対し被控訴人は次のとおり陳述する。

一、控訴人は、その母坂上よし子が平和条約発効前に朝鮮人金沢英一と婚姻し、朝鮮の戸籍に入つたとしても、同女は平和条約発効と同時に、日本の国籍を失うものではないと主張されるが、日本人の女が平和条約発効前に朝鮮人と婚姻し、朝鮮戸籍に入籍し、内地戸籍から除籍された場合は、平和条約発効と同時に日本の国籍を喪失し、朝鮮の国籍を取得したものと見るべきであることについては、既に昭和三十六年四月五日の最高裁判所大法廷の判決により明示されたところであるから、この点について改めて論ずる必要はないものと考える。

二、次に、控訴人は、朝鮮人金沢英一の子ではなく、日本人坂上慶麿の子てあつて、昭和三十三年七月以前に同人により認知されたものであるから、国籍法第二条第一号の「出生の時に父が日本国民であるとき」に該当し、したがつて、控訴人は日本人であると主張されるが、同法第二条第一号の「父」というのは、法律上の父をいうのであつて、事実上の父は含まれないことはもちろんのことであり、しかもこの父子関係は子の出生のときに存在していなければならないのであるから、控訴人のように嫡出でない子が出生により父にしたがつて日本国籍を取得するためには、日本国民たる父が胎児認知をしたとき(民法第七八三条第一項)が、または子の出生と同時にこれを認知したときに限られるのである。

したがつて、仮りに坂上慶麿が控訴人の事実上の父であつて、出生後昭和三十三年七月までの間に控訴人を認知したことがあるとしても、控訴人の出生当時においては未だ同人との間には法律上の父子関係が存在していなかつたのであるから、控訴人が同法第二条第一号により、生来の日本国籍を取得するいわれがなく、また現行法は旧法のように認知をもつて国籍取得原因としないのであるから、伝来の日本国籍をも当然には取得することはない。もし控訴人が日本国籍を取得しようとすれば帰化の方法による外はないのである。

被控訴代理人提出の昭和三八年四月一九日準備書面

控訴人は、控訴人の母坂上よし子が朝鮮国籍を取得したか否かは、朝鮮の国内法によるべきであつて、控訴人の母が平和条約により日本の国内法上日本国籍を喪失したとしても、必ずしも朝鮮国籍を取得したとはいえないのであるから、右よし子は無国籍者となつたものというべく、そうだとすれば、控訴人は国籍法第二条第四号により日本国籍を取得したものであると主張されるが、次に述べるとおりの理由により控訴人の右主張は失当である。

すなわち、憲法第一〇条は、日本国民の要件を法律で定めることを規定しているが、これを定めよた国籍法には国家の独立、領土の割譲、併合、復帰など、つまり領土帰属の終局的変更すなわち国際法にいわゆる「領土変更」にともなう国籍の変更については、何ら規定されていない。しかし通常領土の変更にともなつて国籍の変更を生ずることは疑いをいれないところであつて、この変更についての基準に関しては、国際法上で確定した原則がなく、各場合条約によつて明示的または黙示的に定められるのが通例であり、我憲法も、領土の変更にともなう国籍の変更については条約で定めることを否定しない趣旨と解せられるのである(昭和三六年四月五日最高裁判所大法廷判決御参照)。

ところである個人が自国国民であるかどうかを決定することは当該国家の権限に属しそれは通常該国家の国内立法により定められるわけであるが、領土変更に伴う国籍の変更については領土変更に関する条約において右述の如く明示的又は黙示的に定められるのが一般であるから、かかる異常な場合の国籍の特喪については通例国内立法によつては規定されておらない。したがつてかかる場合の国籍の得喪については当該国の国籍法に特別の規定がないからといつてその国籍の得喪を否定し去るべきものではなく、領土変更に関する条約の合理的解釈により決定さるべきである。そしてこのことは国家の独立に伴う国籍の得喪についても何ら異るところはなく、特にこの場合には自国国民を有しない独立の国家はあり得ないのであるから、必然的に一定範囲の個人についての国籍の喪失及び取得が生ずるわけである。そして朝鮮の独立に関しては日本国との間に確定的に決定されたのは日本国との平和条約であり、しかも朝鮮の独立にともなう国籍の得喪については他にこれを決する条約は締結されていないから、これが決定は専ら日本国との平和条約の解釈による外はないわけである。 ところで、日本国との平和条約は、その第二条(a)項で、朝鮮の独立を承認して朝鮮に属すべき領土に対する主権を放棄することを規定している。同条項は、韓国併合条約により発生した状態を除去し、終戦後独立した朝鮮国家に併合なかりせば旧韓国が持つていたはずのものと認められる法的状態を実現すること(原状回復)を主眼としたものであつて、日本が朝鮮の独立を承認するということは、朝鮮を独立の国家として承認することで、朝鮮がそれに属する人、領土及び政府をもつことを承認することにほかならないのである。

そうだとするならば、平和条約第二条(a)項の合理的解釈としては、日本が本条約により朝鮮の独立を承認したことにより、日本の国内法上朝鮮人であつた人は日本の国籍を失うと同時に当然独立国たる朝鮮の国籍を取得したものと解すべきであつて、それは単にこれまでひとしく日本国籍を保有してきた生来的朝鮮人についがばかりではなく、朝鮮人の妻または養子となつた日本人についても何ら異なるところはないのである。

現在、朝鮮国家は南北に分れ、各政府はおのおの自らをもつて朝鮮国全部の統一政府たることを主張しており、そのためこれに関する諸種の問題を生じていることは周知のとおりであるが、しかしこのことは朝鮮の独立により従来朝鮮人とされていた人々が朝鮮国籍を取得したものと解するのに何ら妨げとなるものではない。また現実においても南北いずれの政府も従来朝鮮人とされている人々が日本国籍を喪失すると同時に朝鮮国籍を取得したことを否定する見解は一度たりとも表明されていないことは顕著な事実である。そして従来朝鮮人とされていた人のうちに朝鮮の独立により日本国籍を喪失しながら無国籍者となつた者があるとの見解は関係政府間においてとられたことのないことはこれまた疑いないところであり、またかような学説のあることも今日まで聞知し得ないところである。このことは右の見解が如何に不合理なものであるかを有力に示しているわけであつて、この見解が無国籍を防止せんとするヘーグ条約(国籍法の抵触に付ての或種の問題に関する条約、一九三〇年)の趣旨に相反する一事からも自ら明らかなことであろう。かようなわけで本件の如き国籍の得喪については南北鮮における国内国籍法の規定を審究するまでもなく朝鮮人はすべて講和条約に基きその発効と同時に日本の国籍を喪失するとともに、朝鮮の国籍を取得したものと解してわが国籍法の規定を適用するのに毫も差支えないわけである。なるほど、最高裁判所の前記判決は文言上「平和条約によつて日本国籍を喪失した」と述べているにとどまり、「朝鮮国籍を取得した」とは述べていないのであるが、同判決も当然右と同一趣旨に解しているものというべきである(なお、同種判決として昭和三七年一二月五日最高裁判所大法廷判決及び昭和三八年四月五日最高裁判所第二小法廷判決御参随)

したがつて、控訴人の母が、講和発効と同時に、日本国籍を失い、無国籍者となつたものとはいえないのであるから、控訴人が国籍法第二条第四号により日本国籍を取得することはあり得ないのである。

以上

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