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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)2464号 判決 1965年6月30日

控訴人・附帯被控訴人(原告) 松井千代

被控訴人・附帯控訴人(被告) 前橋税務署長

主文

控訴人(附帯被控訴人)の本件控訴を棄却する。

原判決中被控訴人(附帯控訴人)敗訴の部分を取り消す。

被控訴人(附帯控訴人)が、昭和二九年五月一三日付で、控訴人(附帯被控訴人)の昭和二八年一月から同年一二月までの事業年度分の所得金額を三六五、四二二円と更正した処分の取消を求める控訴人(附帯被控訴人)の本訴請求のうち、三二七、一〇〇円を超える部分を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ全部控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人という)訴訟代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という)が昭和二九年五月一三日付で、控訴人の昭和二八年一月一日から同年一二月三一日にいたる事業年度(以下本件事業年度という)分の所得金額を三六五、四二二円と更正した処分のうち三二七、一〇〇円の部分(すなわち原審で認容された以外の部分)を取り消す。附帯控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は、「本件控訴を棄却する。原判決中被控訴人敗訴の部分を取り消す。控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」 との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠の関係は、左記のほかは、原判決の事実の部に書いてあるとおりである。

控訴人訴訟代理人は、「控訴人の経営する旅館は、昭和二八年当時、おもに行商人を相手とする安宿であつて、その建物も、トタン葺屋根で雨漏りがするような粗末なものであつた。これらの客は一食当り平均一合五勺という、普通の旅館の客よりも多量の米を消費し、飲酒する場合も、控訴人の旅館に酒を注文することはほとんどなく、自分で酒を持込んで飲むという具合であつた。また、控訴人の亡夫重田彦太郎が土地の親分であつた関係で、もとの子分たちの出入りが多く、そのほか、当時控訴人と親密な関係にあつた大島寅吉(日通前橋支店長)の関係筋の客も少なくなく、控訴人がこれらの者に提供した酒食の量はかなり大きかつたが、代金の支払いを受けることは期待できなかつた(大橋酒店から仕入れた形になつている酒、ビールのうちには、右のように営業用に使われなかつたものが相当量含まれている。)。このようなわけで、控訴人の旅館業はいつも赤字経営であつた。控訴人の本件事業年度分の営業用帳簿に「店主借」という見出しで記帳してある金額は、控訴人が他から借入れ、または贈与を受けて営業収入の不足を補つたものであつて、その内訳は、(一)、借入金、(イ)、新井ヱミ子から昭和二八年七月九日に三〇、〇〇〇円、同年一二月八日に一〇、〇〇〇円、同月二九日に一〇、〇〇〇円、(ロ)、松井孝治から同年八月三一日に五、〇〇〇円、同年九月三〇日に一〇、〇〇〇円、(ハ)、奈良茂から同年七月三〇日に二〇、〇〇〇円、(ニ)、大島寅吉から同年中に四一、五〇〇円、(ニ)、贈与金、大島から同年中に合計七三、五〇〇円、以上総計二〇〇、〇〇〇円である。」と述べた。

(証拠省略)

被控訴人指定代理人は、「昭和二八年当時はまだ米の配給量が少く、配給基準量が一ばん多いものでも一日約二合七勺当り、しかも一カ月のうち一五日分しか配給が受けられないという状態であつたから、控訴人が客に対して一食当り一合を超える分量の米を提供したということはとうてい考えられない。また、仮りに控訴人がその主張の金員を他から受取つて消費したことがあつたとしても、新井ヱミ子の場合は、同人が控訴人方から通学していたので下宿代の支払いに当たるもの、奈良茂の場合は、同人の宿泊料又は同人の長男が将来高校に進学し控訴人方に下宿するようになつた場合の下宿代の前払いに類するもの、大島寅吉の場合も同人の下宿代の支払いに当たるものであつて、以上いずれも実質は雑収入金である。松井孝治は控訴人に対しその主張の金員を融通するほど余裕のある暮し向きではなく、事実は、姉に当る控訴人の利益をはかつて、控訴人の営業収入の一部をかくすために貸借を偽装したものである。また、重田彦太郎の死後控訴人が大島寅吉と同棲するようになつてからは、彦太郎のもとの子分達の出入りはほとんどなかつた。仮りにその出入りがはげしかつたとしても、控訴人がこれらの人達に対して酒食を提供したことは旅館業とは関係のないことであつて、これに要した費用は控訴人の個人的な支出である。」と述べた。

(証拠省略)

理由

控訴人が昭和二九年三月一五日被控訴人に対し、控訴人の本件事業年度分の所得税の確定申告として純損失二六、八一六円と申告したところ、被控訴人は昭和二九年五月一三日に控訴人の所得金額を五〇〇、〇〇〇円と更正する処分をして、その旨を控訴人に通知したこと、控訴人が被控訴人に対し再調査の請求をしたが棄却されたのでさらに関東信越国税局長に対し審査の請求をしたところ、同局長も、同年六月二四日付決定でこれを棄却し、翌二五日控訴人に対しその旨を通知したこと、および被控訴人は同月三〇日前記更正処分に誤謬があるとして、前記所得金額を三六五、四二二円と更正し(本件更正処分という)、その旨を控訴人に通知したことは、いずれも当事者間に争いがない。ところで、控訴人は、本件事業年度には五六、七四九円の純損失があつたから、本件更正処分は、所得金額の認定を誤つた違法があり、取り消されるべきである、と主張する。

そこで、被控訴人がした、控訴人の本件事業年度における所得金額の認定の当否を、つぎに判断する。

原審における控訴人松井千代本人の第一回の供述によると、本件事業年度における控訴人の収入としては旅館業によるもの以外にはないことが認められる。その収支に関する直接の証拠としては、まず、真正にできたことに争いのない甲第一ないし第三号証の各帳簿が存在する。けれども、原審における証人高倉進治、控訴人松井千代本人の各第一回の供述によると、控訴人は、本件事業年度においてはじめて事業の収支を帳簿に記入整理するようになつたもので、このようなことには極めて不馴れであつたため、知人である高倉に記帳方を依頼したところ、高倉は、控訴人の方で取引の都度作成した売上メモや支払伝票をもととして、後日になつて幾日分かをまとめて整理記帳していたことが認められるのであり、このことからも、前記各帳簿の記載は必ずしも正確なものではないと推察されるばかりではなく、店主借と記帳されている合計一九〇、〇〇〇円の金員については、当審における証人奈良茂、同新井英三、同大島寅吉の各証言と、原審(第二回)および当審における控訴人松井千代本人の供述を考え合せてみても、右奈良、新井、大島と控訴人との間に右記載にそうような貸借または贈与が行なわれたことを認めることはできないし、さらに、本件事業年度中に控訴人が納付した公租公課のうち三一、三四四円、国民金融公庫に支払つた弁済金のうち一九、〇七八円および大橋酒店に支払つた仕入代金のうち八七、二一七円が、右帳簿に記載されていないことは当事者間に争いがないから、この帳簿の記載をもつて、そのまま、収支算定の証拠とすることができないことはいうまでもない。それにもかかわらず、弁論の全趣旨によると、控訴人は本件において右帳簿の不備を補正するための協力を怠つていることが明らかであるから、控訴人の収人や支出を算定するには、いきおい、右帳簿以外の資料をしんしやくせざるをえないこととなるわけである。

それでは、本件において、右の収支を推計するにはどのような方法によるのが合理的であろうか。控訴人の作成した諸帳簿の記載に重点をおいて、記載洩れであることの明らかな支出に見合う金額および売上金をかくす目的で計上されたものと見られる金額を出して売上金額を補充するという、原審が採用した方法も一つの推計方法であろう。けれども、この方法で計算しようとする場合、右帳簿に計上された売上高の金額よりも、記載洩れの売上高の金額の方が大きいということになり、帳簿の記載に重点をおくこと自体に疑問をはさまざるをえなくなるし、また、売上高の記載洩れは、はたして原判決でとり上げられた程度にとどまるものであるかどうかも大いに問題になる。このように考えてくると、右の推計方法は十分合理的なものということができないようである。

次に、被控訴人主張の推計方法を検討してみる。この方法は、一口にいうと、仕入高から売上高を推算する方法であつて、推計に用いる資料としては、控訴人作成の諸帳簿以外により信頼できる客観的な資料があればそれによることとし、そのような資料がない場合には右帳簿の記載によるが、その場合でも、できるだけ基礎的な事項に関する部分だけをとり上げるに止めることとし、あとは、右のような方針で集めた資料を適当に合理的に組み合せ、順次推算を行なつて売上高をつかもうとするものである。この方法においても、控訴人作成の諸帳簿から推計の基礎となるいくつかの資料を得るのであるから、さきに説明した右帳簿の記載が必ずしも信用できるものでないということとぶつかることになり、したがつて、この方法も適当なものとはいえない、という批判があるかもしれない。けれども、さきに説明したところは、この帳簿には記載洩れと見られる点がはなはだ多いので、そこに記載されたかぎりのことは大部分正しいとの前提に立つてその全体を収支算定上の最も重要な資料とすることは妥当ではない、ということであつて、けつして、帳簿上の個々の記載までもすべて不正確または虚偽なものとして扱うべしとするわけではない。本件において、この帳簿は、控訴人が取引の都度作成した売上メモや支払伝票をもととして作られたものであることさきに説明したとおりであるが、このような場合、具体的な個々の記載中には適当に取捨選択すれば、控訴人の所得の実体をつかむための資料として使用するにたえるものが少なくないのは当然である。また、一般に、旅館というような、不特定多数の客との取引を内容とする事業について、納税義務者が作成する諸帳簿を度外視して、他の客観的な資料だけで正確に所得金額を認定することは至難のわざということができよう。本件において、被控訴人が主張する一連の推計方法は、それ自体なつとくできないものではなく、とかく所得を過少に申告して納税額を少なくしようとする風潮の中で、不完全な資料を取捨して、課税対象の実体をできるだけ正確にとらえ、もつて適正、公平な課税を実現しようとするかぎり、社会通念上当然許されるべきものであり、正当かつ合理的であるということができる。

そこで、当裁判所も正当であると認める被控訴人主張の推計方法に従い、なお具体的な推計の段階についてはそのつど検討を加えながら、本訴に現われた証拠によつて、控訴人の本件事業年度の所得金額を認定することにする。

純仕入高について

前記甲第一号証によると、控訴人の元帳には本件事業年度の仕入高合計が三一三、二五八円となつていることがわかる。

ところで、原審における証人泉恭二の証言によつて泉恭二が控訴人作成の原始帳簿から集計したものであることが認められる乙第七号証の三(真正にできたことに争いがない)によると、本件事業年度の酒、ビールの仕入高は五〇、〇八〇円ということになつているのに、一方、原審における証人宮崎正三郎の証言によつて真正にできたものと認められる乙第一号証(右証人の証言によると、これは大橋酒店の控訴人に対する酒類等の売上げを記載した帳簿であつて、被控訴人が、控訴人の所得を認定するうえの資料として、とくに大橋酒店に提出させたものであると認められる。)をもととし、被控訴人主張の推計方法による修正を加えて、本件事業年度の酒、ビールの仕入高を計算すると次のようになる。

1、乙第一号証によると、昭和二八年一月一日から同年一二月一五日までの酒、ビールの売上高(控訴人の仕入高)は合計一四三、〇〇〇円となる。

2、昭和二八年一二月一六日から同月三一日までの、控訴人の仕入高を直接認定するに足りる資料はない。けれども、まず、乙第一号証には、その前年の一二月二三日から同月三一日までの控訴人に対する酒、ビールの売上高が記載されているから、本件事業年度の右と同期間の仕入高もこれと同額であつたと推定する。その金額は八、三一〇円である。つぎに、昭和二八年一二月一六日から同月二二日までの分については、乙第一号証によつて同月一日から一五日までの酒、ビールの仕入高の一日平均を算出し(三五七円)、この割合で仕入があつたと推定する。その金額は二、四九九円である。

右のようにして得た本件事業年度の酒、ビールの仕入高は一五三、八〇九円となり、控訴人の原始帳簿から集計して得たという前記金額をはるかに上まわつていることがわかる。

また、サイダー、しようちゆう、ぶどう酒の仕入高については、控訴人が提出した諸帳簿にも、前記乙第七号証の三にも全く記載がないが、乙第一号証には、各売上げの記載があつて、これによると、昭和二八年一月一日から同年一二月一六日までのサイダーの仕入高は一二六本で代金二、八〇八円、しようちゆうの仕入高は四升四合で代金一、四六五円、ぶどう酒の仕入高は一斗二升五合で代金四、八三五円、以上合計九、一〇八円である。これらの飲料についても、同年一二月一六日から三一日までは資料がないが、乙第一号証をみると、酒、ビールの場合とちがつて、仕入の数量も比較的少なく、仕入時期も不規則であることが認められるから、記載のない期間については、とくに推計による補充は行なわない。

以上、第三者である取引先が作成した帳簿の記載から推計して得た酒、ビール、サイダー、しようちゆうおよびぶどう酒の仕入高は合計一六二、九一七円となるが、これは、資料として不完全な控訴人作成の帳簿に記載されている仕入高の数字よりも、より信頼できると考えられるので、控訴人の帳簿による酒、ビールの仕入高と大橋酒店の帳簿を基礎とする飲料物の仕入高との差額一一二、八三七円は控訴人の帳簿の計上洩れとみるのが相当である。これを前記三一三、二五八円に加えると、四二六、〇九五円となる。これをもつて、本件事業年度における純仕入高(飲料物とその他のものの)とすることができる。もつとも、控訴人は、「大橋酒店から仕入れた形になつている酒、ビールのうち八七、二一七円に相当するものは、たんに来客の注文を取り次いだにすぎず営業用に消費したものではない。」と主張し、原審における証人高倉進次の第一回証言、原審(第一回)と当審とにおける控訴人松井千代本人の供述、当審における証人足立志ん江の証言の中には、右主張にそうかのような部分があるけれども、これはにわかに信用することができない。他にさきの認定をくつがえして、控訴人の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

総売上高について

さきに説明したとおり、本件事業年度における控訴人の収入としては旅館業によるもの以外にはなく、その内容は、料理飲食等の売上げによる収入と宿泊料収入とであることは当事者間に争いがないので、この区分に従い、総売上高を算定することにする。

前記乙第七号証の三と、真正にできたことに争いのない同号証の二の記載とによると、控訴人の帳簿の上では、酒、ビールの仕入高が五〇、〇八〇円である場合の料理飲食の売上高は一四一、七三九円であることになつている。後者の前者に対する比率は二八三%であることは、計数上で明らかである。そして、原審における証人泉恭二の証言によると、右各書面は、当時関東信越国税局協議団前橋支部に勤務していた泉恭二が、控訴人の本件事業年度分の所得税賦課処分に関する審査請求事案を調査した際に、控訴人の方から提出された帳簿から摘記したものであることが認められるから、その記載はとくに控訴人にとつて不当に不利なものになつているとは考えられない。また前記のようにして算出した比率が、不相当である(例えば同業者の場合にくらべて不当に高くなつている)ことを認めるべき特段の事情も発見できないから、料理飲食の売上高の酒、ビールの仕入高に対する右の比率をもつて推計の一資料とすることに不都合ありとは思われない。そこで、さきに認定した酒、ビールの仕入高一五三、八〇九円に右比率をかけて出る四三五、二七九円は料理飲食の売上高ということになる。

次に、さきに認定したとおり本件事業年度における控訴人の仕入数量はサイダーは一二六本、しようちゆうは四升四合、ぶどう酒は一斗二升五合である。そして、原審における証人泉恭二の証言と真正にできたことに争いのない乙第八号証の二、同第九号証とを合せ考えると、同業者は、普通、サイダーは一本三〇円、しようちゆうおよびぶどう酒は一合五〇円以上で販売していたことが認められ、控訴人がこれらよりも安く販売したことを認めるに足りる証拠はないから、控訴人も少なくとも前記価格で販売したものと認めるのが相当である。そこで、この販売単価に前記仕入数量をかけると、各売上高は、サイダー三、七八〇円、しようちゆう二、二〇〇円、ぶどう酒六、二五〇円、この合計一二、二三〇円となる。

次に宿泊料収入による売上高を算定する。

被控訴人主張の推計方法は、まず、控訴人作成の帳簿の記載から控訴人が営業用の自由米の買入れに支出した金額をつかみ、これを自由米消費者価格で割つて、消費した米の総量を出す。次に、客一人一食当りの米の消費料を一合、料理等飲食客一人一回当りの代金を五〇〇円と前提して、さきに推定した料理等飲食物売上高を右単価五〇〇円で割つて、料理飲食のための客数、次いでその米の消費量を出し、これを前記米の総量から控除して、宿泊客が消費した米の量を出す。そして、べつに、控訴人作成の帳簿に記載されたところから丸泊(二食付)、半泊(一食付)および素泊(食事なし)の区分によつて宿泊客数の百分率を求め、かつ、一人一食一合とした場合の食事付の宿泊客(丸泊と半泊)一人一日平均の米の消費量を出し、この後者で前記の宿泊客が消費した米の総量を割つて、食事付の宿泊客の総数を出し、これに、前記百分率を適用して、丸泊、半泊および素泊の別に客数を出す。さらに、前記帳簿によつて右区分に従い一人一日平均の宿泊料を出し、これに前記各客数をかけて年間の宿泊料収入による売上高を算出する。以上が被控訴人主張の宿泊料収入算出の推計方法である。

そこで、次に個別的にとり上げて各部分の当否を検討する。

まず、原審における控訴人松井千代本人の供述(第一回)の中には、控訴人は、昭和二八年中に一カ月平均八斗の自由米を購入したという部分があるが、供述自体はなはだ漠然としており、裏付けの資料もないので、そのままとり上げることはできない。他に本件事業年度に控訴人が営業用に消費した自由米の総量を直接認定するに足りる証拠はない。そこで、前記推計方法に従つてこれを推定することにする。まず、甲第三号証には、昭和二八年中における自由米購入の経過が逐次記載されており、これらの記載が事実に反するものと認めるべき特段の事情は発見されないから、そこに現われたところを推計の資料としてとり上げることに不都合ありとは思われない。右記載によると、控訴人の自由米購入高は、一月一、七三〇円、二月四、七四〇円、三月三、七五〇円、四月四、九六〇円、五月五、六四五円、六月四、四九六円、七月一四、五五〇円、九月八一八円、一〇月八、一六〇円であり、八月、一一月、一二月には購入がなかつたことが認められる。また、真正にできたことに争いのない乙第二号証の一ないし七、同号証の九、一〇によると、同年中における前橋市内の自由米消費者価格の平均値は、一合当り、一月一一・〇円、二月一一・五円、三月一二・〇円、四月一一・五円、五月一一・五円、六月一二・五円、七月一七・〇円、九月一七・五円、一〇月二〇・〇円であつたことが認められる。そこで、各月の購入金額をその月の一合当りの平均価格で割つて購入量を求めると、一月一五七合、二月四一二合、三月三一二合、四月四三一合、五月四九〇合、六月三五九合、七月八八五合、九月四六合、一〇月四〇八合、この合計三、四七〇合(一カ月平均二斗八升九合)となり、この数字は、前記控訴人本人自身の供述に現われた数字をはるかに下まわつている。これを、本件事業年度に控訴人が営業用に消費した自由米の総量とする。次に、真正にできたことに争いのない乙第一二号証と原審における証人宮崎正三郎の証言とを合せて考えると、昭和二八年当時同業者の間では料理飲食客一人一回当りの代金は平均五〇〇円くらいであつたことが認められ、この認定をくつがえすに足りる証拠はないから、控訴人も料理飲食客から一人一回平均少なくとも右の金額の代金の支払いを受けていたものと認めるのが相当である。そして、原審における証人宮崎正三郎の証言と、真正にできたことに争いのない乙第九、一〇号証、前記乙第一二号証とによると、料理飲食客、食事付宿泊客を通じ、一人一食当りの米の消費量は一合程度であると認められる。原審(第一回)および当審における控訴人松井千代本人の供述中には右認定に反する部分があるが、これは採用することができず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。すなわち、料理飲食客は、一人一回代金五〇〇円を支払い、また、米一合を消費するものとみることができるから、さきに推定した控訴人の本件事業年度における料理飲食の売上高四三五、二七九円を前記五〇〇円で割つて得た八七〇(人)が、その年度中の料理飲食客数で、その米の消費量は八七〇合であり、この八七〇合を前認定の年間購入量三、四七〇合から引いた残二、六〇〇合が食事付宿泊客の消費した米の量ということになる。

次に、原審における証人泉恭二の証言によつて泉恭二が控訴人作成の原始帳簿から摘記したものであると認められる乙第七号証の一(真正にできたことに争いがない)によると、昭和二八年七月から同年一二月までの分として記載されている控訴人の旅館の宿泊客数は丸泊客二一三人、半泊客一一〇人、素泊客一七七人となつており、その百分率はそれぞれ四二・六%、二二%、三五・四%であること、およびその一人平均の宿泊料は丸泊五六六円、半泊四〇〇円、素泊二五三円となることがわかる(甲第二、三号証には宿泊収入に関する記載はあるけれども、丸泊、半泊、素泊の区別は全く明らかでないから、推計の資料として用いることができない)。右の客数が、そのまま半年間の実数であるとみることは、すでにたびたび説明したとおりの事情から困難である。けれども、抽象的に三者の百分率や平均料金のみを資料としてとり上げ、被控訴人主張の前記方法によつて一年間の宿泊料収入を推定することは、合理的であつて、むしろことの真相をつかむゆえんであると考える。けだし、前記書面の記載は半年間という比較的長い期間にわたるものであること、その記載内容をみても、例えば或る事項をとくに少くし、またはとくに多くする等不均衡に手ごころを加えたような形跡は発見できないこと、右記載をもととして算出した丸泊、半泊、素泊の単価は、真正にできたことに争いのない乙第八号証の二、前記乙第九、一〇号証に現われた各場合の単価ときわめて近い数字であることなどから、その内容は、いわば、実数を同一の比率を保つて縮小して記載されたものとして扱かつて差しつかえないと考えられれるからである。

さて、さきに認定したとおり食事付宿泊客の一人一食当りの米の消費量は一合であるから、丸泊、半泊を通じた宿泊客一日一人当りの米の消費量を計算すると一合六五九となる((2合×213+1合×110)/(213+110)=1,合659 この場合丸泊二一三人、半泊一一〇人として計算することは、これを実数として扱うわけではない)。そして、前記食事付宿泊客が消費した米の総量二、六〇〇合を右の一合六五九で割つた一、五六七(人)が、本件事業年度における丸泊、半泊客の合計数である。さらに、前記百分率によつて、これから逆算した宿泊客総数は二、四二五人(1567(人)÷(42.6+22.0)=2,425(人))ふたたび百分率を適用して算出した丸泊客数は一、〇三二人(2.425(人)×42.6(%)=1,032(人))半泊客数は五三五人(1,567(人)-1,032(人)=535(人))素泊客数は八五八人(2,425人-(1,032人+535人)=858人)となる。次に、さきに認定した各単価に右客数をかけると、丸泊客では五八四、一一二円(566(円)×1,032(人)=584,112(円))、半泊客では二一四、〇〇〇円(400(円)×535(人)=214,000(円))、素泊客では二一七、〇七四円(253(円)×858(人)=217,074(円))となり、その合計一、〇一五、一八六円が控訴人の本件事業年度における宿泊料収入となる。

したがつて、控訴人の本件事業年度分の総売上高は、以上認定した料理飲食の売上高四三五、二七九円、サイダー、しようちゆう、ぶどう酒の売上高一二、二三〇円および宿泊料収入の売上高一、〇一五、一八六円の合計一、四六二、六九五円である。

なお、控訴人は、本件事業年度中に控訴人方で消費した米や酒類の中には、営業用ではなく、控訴人の亡夫重田彦太郎の子分達や控訴人と親密な間柄にあつた大島寅吉など個人的な客に対する営業外の接待にあてたものが多く、それらについては代金の支払いを受けなかつた旨主張し、当審における証人足立志ん江、同玉井三雄の各証言および当審における控訴人松井千代本人の供述の中には右主張にそう部分があるけれども、これらは、当審における証人大島寅吉の証言に照らして、信用することができないし、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

以上の次第で、被控訴人が採用し、当裁判所も正当と判断した資料を基礎とし、これに被控訴人が採用し、同じく当裁判所も合理性があると判断した推計方法を適用した結果、本件事業年度における控訴人の総売上高は一、四六二、六九五円、純仕入高は四二六、〇九五円となり、さらに、期首棚卸高、期末棚卸高がともに三、五〇〇円であり、被控訴人主張の経費合計四一九、四一〇円がかかつたことは当事者間に争いがない。そして、真正にできたことに争いのない乙第三号証の一ないし三、同第四号証と弁論の全趣旨とを合わせ、甲第一ないし第三号証と対照して検討すると、控訴人の帳簿には記載洩れとなつているが、控訴人は、経費として計上すべきである昭和二七年度分事業税一四、八〇〇円、同固定資産税三、三七〇円、国民金融公庫からの借入金の利子一九一円を昭和二八年度中に支払つたことが認められる。さきに認定した総売上高から、右にあげたその他のものを差し引いた五九八、八二九円が本件事業年度における控訴人の所得ということになる。そして、本件更正決定は右の範囲内で所得金額を三六五、四二二円と裁定したものであるから、右更正決定には所得を過大に裁定したという違法はないこと明らかである。

そうであるとすると、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべく、被控訴人の附帯控訴は理由があり、原判決中被控訴人敗訴の部分は失当として取消を免がれない。

よつて、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第三八四条、第三八六条、第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義廣 中田秀慧 吉田武夫)

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