大判例

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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)2840号 判決

一、新法(宗教法人法)にいわゆる包括関係は、これが法令及び関係当事者の規則等によつて規整される限りでは法律関係というべきであるが、この関係は永い歴史の所産であつて、法令及び関係当事者の規則等はその関係を法律関係として構成するために後から制定されたものである(このことは公知の事実である)。すなわちこの包括関係にあつては、事実関係が法律関係に先行しているのであるが、元来、事実関係は法令の改廃によつて当然に停止ないし消滅するものではないから、若し新法の施行によつてこの事実関係の他の一面である法律関係が当然に停止又は消滅するものであるとすれば、同法はその旨を明記すべきものである。けだし、一旦法律関係として構成された関係が、その実体は存続しているのに拘らず立法の手段を待たずに当然に停止又は消滅するとすることは法律に定める手続によらないで関係当事者の自由を奪うものとして許されないところだからである。新法は従来の包括関係の停止又は消滅について何らの規定もしていない(いな実は新法は従来の包括関係がその施行後も継続することを前提としてこれが廃止に関する手続を規定しているのである)が、そうすると、従来の包括関係が新法の施行と同時に当然に停止又は消滅すべきいわれはない。

二、被控訴人は憲法第二十条を根拠として寺院住職の罷免は許されないと主張する。憲法第二十条は「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない(第一項)。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない(第二項)。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない(第三項)。」と規定し、この規定は一般に信教の自由は公権力によつて制限されえないものであることを定めたものと解されている。従つて、いま包括宗教団体例えば仏教の宗派とこれに包括される宗教団体たる寺院が存在する場合に、この両者が合意によつてその間の関係を調整する規律を設け、寺院の住職は宗派若しくはその管長において任免すべきものとしても、それは右憲法の規定とは何んのかかわりもないのであつて、この点については当事者に自治権が認められているといつても過言ではないのである(この自治権を宗門自律権といい、宗内自治権というのは便宜と嗜好の問題である)。新法第十二条は、宗教法人が一定の事項について他の宗教団体を制約し、又はこれによつて制約される事項を定めた場合には、その事項を当該宗教法人の規則に記載することを要する(この関係は講学上相互規定性といわれている)旨を規定しており、同法はその限りではいかにも公権力によつて当事者の自治に干渉するもののようにみえるが、同規定は、宗教法人が信教自由の原則上互に自主独立し、紊りに他の宗教法人を制約し、又はこれによつて制約されるべき筋合のものでないことに鑑み、このような関係を生ぜしめるためには双方の宗教法人各自にその基本法たる規則中にその旨を定めしめるのが相当であるという配慮によつて設けられたものであるからこの規定をもつて前記自治権を否定すべきではない。憲法第二十条の規定をもつて控訴人主張のように住職の任免に関する事については当事者の自治を認めず、これを旧慣に復することまでも強制する趣旨を含むものとすれば、それこそかえつて公権力をもつて信教の自由に干渉するものというべきであろう。被控訴人のこの点に関する主張は信教の自由に関するその独自の見解を前提とするものであつて、進んで他の判断を加えるまでもなく、これを採用することができない。

三、被控訴人は、住職の罷免は仏教においては必然的に寺院代表役員の地位の喪失をもたらし、住職個人にとつて死活の問題であるから、実質上憲法にいわゆる「刑罰」に等しく故にその罷免は憲法第三十一条、第三十二条に従つて行われることを要すべきであるが、本件住職任免規程第十一条は極めて不備のものであつて右憲法の規定に従つたものとはいえないから無効であり、また、罷免が住職個人の死活問題であるという点では憲法第二十五条によつても無効とされるべきものであると主張する。思うに、罷免が住職個人にとつて極めて重大な結果をもたらすものであつて、その個人的重大性の点で決して刑罰に劣るものでないことはみやすい道理であるが、右規程第十一条が刑罰(刑罰には憲法にいう刑罰と刑法にいう刑罰の二種類があるのではなく、憲法にいう刑罰は刑法にいう刑罰のことである)の対象である犯罪としての評価を受くべき事実を原因として罷免という不利益を科することを定めるものではなくて、宗教団体内部における住職不適格性の評価を原因としてこれを科することを定めるに過ぎないこともまたその規定自体に徴して明らかであるとともに、元来、曹洞宗のように多数の被包括寺院を有し(この点は公知の事実である)、これを統轄する立場にある宗教法人はこのような不利益処分を行うことによつて始めてその法人としての実を全うしうるものといつても過言ではないから、曹洞宗がこれについての定めをなしうることは論を待たないところというべきであつて、控訴人の右主張の前半はその前提を欠き、また、その後半は同情論の範囲を出ないものであるから、到底これを採用することができない。

(牛山 田中 岡松)

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