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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)82号 判決 1962年5月15日

理由

先ず被控訴人と控訴人竹代との夫婦としての生活関係をみるに、証拠及び本件弁論の全趣旨を綜合すると、大要次のような事実が認められる。

すなわち、被控訴人は、昭和二十一年六月頃、福生町の某飲屋に勤めていた控訴人竹代と知り合い、間もなく同女と夫婦約束をして馴染を重ね、昭和二十二年二月頃結婚の式を挙げ、同月二十四日婚姻届をすませ、暫く被控訴人の両親の家に同居し、その間同年六月三十日控訴人竹代は女児を産み、これを真美と命名し被控訴人夫婦の長女として出生届をしたが、同年の末頃被控訴人夫婦は両親の家を出て本件家屋に移り住むこととなつた。被控訴人は駐留軍の要員(通訳)として勤務していたのであるが、結婚後一、二年経つてから被控訴人が他の婦人と交渉をもつようなこともあつて、夫婦の間がとかく円滑を欠くような有様であつたけれども、昭和二十六、七年頃からは右のような好ましくない事態も一応解消したため比較的平和な夫婦生活を続けていた。然るに昭和三十年頃になつて、被控訴人はまた他の婦人と交際するようになり、同年十一月頃妻子を本件家屋に残し、着のみ着のままで家出し、他の婦人と同棲するに至つた。その後控訴人竹代は昭和三十一年九月二十九日男児を産み、これを久二郎と名付け、被控訴人と控訴人竹代との間の長男として出生の届出をしたが、被控訴人家出後の昭和三十一年二月頃からは被控訴人から生活費の仕送りもないため、本件家屋の一部間貸しによる賃料や生活扶助料などによつて生活してきた。なお被控訴人は控訴人竹代を相手取り横浜地方裁判所に離婚の訴を提起したほか、更に前記長女もしくは長男として届出てある真美及び久二郎が何れも被控訴人の子でないことを理由として前者に対し東京地方裁判所に親子関係不存在確認の訴を、後者に対し同地方裁判所に嫡出子否認の訴を提起し、現に係争中である。

以上の事実が認められる。

ところで、本件家屋につき被控訴人から控訴人竹代に贈与を原因とする所有権移転登記が被控訴人の家出別居後の昭和三十一年四月四日に行われたことは当事者間に争いのない事実であるが、控訴人竹代本人尋問の結果によると、右所有権移転の登記手続は、被控訴人の不在中控訴人竹代において被控訴人が本件家屋内に残したままにしていた同人の印鑑や登記済権利証を使つて、被控訴人名義の贈与証書その他の関係書類を作り、被控訴人に何ら相談することなくしてこれを取り運んだものであることが認められる。

してみると、本件家屋は依然として被控訴人の所有に属するものと認めるほかなく、被控訴人と控訴人竹代との間の贈与を原因としてなされた前記所有権移転登記は、その手続上の瑕疵のみならず、その登記原因を欠き、法律上その効力がないものといわざるを得ない。

次に、証拠によると、控訴人竹代は昭和三十一年八月十五日、控訴人城南信用金庫から金十万円を利息日歩三銭、昭和三十二年八月までに割賦弁済する約定で借受け、この債務担保のため、当時登記簿上同控訴人の所有名義とされていた本件家屋につき自ら当事者として控訴金庫との間に抵当権設定契約を結び、よつて同年八月二十一日抵当権設定登記を経るに至つたことが認められる。(控訴人竹代は被控訴人の代理人として前記金員を借りたものではなく、また被控訴人として本件家屋に抵当権を設定することを約したものでもない。)控訴金庫は前記金員の借主と担保物件の所有者名義とが一致していることを信用して貸付をしたのであるから、被控訴人は善意の第三者たる控訴金庫に対し抵当権の無効を対抗し得ないと主張するけれども、実質上控訴人のした竹代の所有に属しない本件家屋について同控訴人のした抵当権の設定は相手方たる控訴金庫の側で当時本件家屋が控訴人竹代の所有であると信じていたとしても少くとも抵当権設定に関する限り法律上無効であることに変りはないものといわざるを得ない。

以上の次第であるから、本件家屋の所有者たる被控訴人において、控訴人竹代に対し前記贈与による所有権移転登記の控訴金庫に対し前記抵当権設定登記の各抹消登記手続を求める本訴請求は正当でありこれを認容した原判決は相当である。

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