東京高等裁判所 昭和35年(行ナ)8号 判決 1964年10月22日
原告
淡近赳夫
右訴訟代理人弁護士
相原良市
同弁理士
染野啓子
被告
株式会社金石舎研究所
被告
北村電気工業株式会社
被告
株式会社共和製作所
被告
株式会社明電舎
被告
日本電波工業株式会社
被告
東京電波株式会社
被告
東洋通信機株式会社
以上被告訴訟代理人弁護士
清瀬三郎
同
平塚量三
同弁理士
足立卓夫
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、請求の趣旨
原告代理人は、「特許庁が昭和三一年抗告審判第一、七〇四号事件について昭和三四年一二月二四日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。
第二、請求の原因
原告代理人は、請求の原因として次のように述べた。
一、原告は、特許第一九三、四三二号「高調波発生用水晶発振子」(昭和二五年九月四日出願・昭和二七年三月四日特許)の特許権者である。被告らは昭和三〇年八月一二日原告を被請求人として特許庁に右特許の無効審判を請求し(同年審判第三六九号)、昭和三一年七月九日右特許を無効とする旨の審決がなされたので、原告は昭和三一年八月一五日抗告審判の請求をしたところ(同年抗告審判第一、七〇四号)、特許庁は昭和三四年一二月二四日右抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をし、その審決書謄本は昭和三五年一月二一日原告に送達された。
二、右審決は、本件特許発明の出願前である昭和二五年六月二六日および同年八月二三日の二回に一冊宛日本電信電話公社電気通信研究所の図書館に受け入れられ公知の状態にあつた刊行物として「ベル・ラボラトリーズ・レコード」(Bell Laboratories Record)一九五〇年六月号を引用し、本件特許発明は右刊行物に容易に実施できる程度に記載されており、本件特許は旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第四条第二号に該当し同法第一条所定の特許要件を具備しないものであるとしている。<以下省略>
理由
一、原告が昭和二五年九月四日出願・昭和二七年三月四日特許にかかる本件特許発明の特許権者であること、特許庁における手続経過および本件審決の結論および理由の要旨が原告主張のとおりであることについては、当事者間に争いがない。
二、本件特許発明の要旨について
成立に争いのない甲第二号証(本件特許発明の出願公告公報掲載の明細書)によれば、その特許請求の範囲としては「本文所載の目的に於て本文に詳記せる如く任意の基本周波数の振動を発生する水晶発振子用振動子の両表面に其の形状及び寸法に適合し且つ大概中心対称を保てる部分的の鍍金を施し該鍍金部は同一表面は同一電極となして任意の高調波振動を発生せしむべくなしたる高調波発生用水晶発振子」と記載されていることが認められ、これをその字句に即して構成要件に分析すれば、
(1) 任意の基本周波数の振動を発生する水晶発振子用振動子を用い
(2) 右振動子の両表面にその形状及び寸法に適合し且つ大概中心対称を保てる部分鍍金を施し
(3) 該鍍金部は同一表面を同一電極となし、
かくして任意の高調波振動を発生せしむるようにした高調波発生用水晶発振子ということになるわけである。
原告は、(2)の構成要件における「その形状及び寸法に適合し」との字句は「発生せんとする高調波振動の次数の自乗に逆比例した面積を有し、高調波振動姿態に適合した形状を有し」との趣旨に解すべきこと全文の趣旨からみて明らかであると主張するので、まずこの点について検討する。
原告は、右のように解すべき根拠として明細書中の特定の記載を指摘していないので、甲第二号証の明細書の記載中部分鍍金に関連する部分をぬき出してみると、発明の性質及び目的の要領の項において、本件特許発明の「目的とする所は振動子の表面に部分的に鍍金を施すことにより其の有効面積を変更し電気的常数を変更し基本波発生を抑圧すると共に高調波振動の発生を容易ならしめんとするにあり。」とし、右振動子の表面の有効面積を変更することについては、発明の詳細なる説明の項において、「或る基本波に対し適当なる面積の価を有する振動子を用いて之れを高調波姿態で発振せしめるときはR0∽q2(R0は等価抵抗qは高調波次数)になるが故に次数小なるときは辛じて発振するも少しく次数の大なるものは熱損が急激に増大し発振不能となる故に振動を持続せしむべき全熱損を同一ならしめんが為には其の発生体積即ち厚さ一定なる故に面積をq2に逆比例して減少せしめなければならぬ一例をあげれば一〇倍の高調波を基本波と同等程度に発動せしめんためには其の面積を(1/10)2=1/100とせねばならぬ斯くの如き事実は振動子の製作上急速に可能の限度に達しせしむる事が明らかである。即ち振動子の面積は其の基本波に対して都合良きものは高調波発生には都合悪きものである。又此の逆も真である。本発明は振動子の実際の面積を変える事なく其の表面上に部分的に鍍金を施し之を電極となすことにより其の有効面積を変更するものにして其の実行上何等の限度無きものなり即ち面積を減少せしめんとする時は鍍金の幅を益々小ならしめ且つそれの配置を益々疏ならしむ。」「有効面積を小ならしめることは結晶体の誘電体として電気容量を小ならしめ超短波発振器に於て生じ易き格子回路のインピーダンス降下に依る発振不能を避けるに利あり」と説明しており、実施例に関しては、「第一図に示す如く計画的に部分的に鍍金Aと適当に鍍金せざる部分Bを分画区分して形成」するとしているが、しかし「第一図に示す多様の鍍金方法は特定基本波及び其の特定高調波に対して如何なるものが最も有効なるかを今後実験的に定めんとするものの例を示せるものにして鍍金の区分配置は主として振動板の形状寸法等に応じ対称を考慮して成したるものなり。」との説明をも加えていることそして他になんら鍍金面積と高調波次数との関係についての実証的説明の記載のないことが認められる。(成立に争いのない甲第一号証の二の全文訂正明細書を参酌して甲第二号証の誤植部分を訂正して摘記した。)
これらの記載によれば、厚さ一定の振動子において、高い次数の高調波振動を得るためにはその有効面積を高調波次数に逆比例して減少せしめる必要があるとの理論を前提とし、振動子の面積を減少せしめる代わりに振動子の表面に部分的鍍金を施し、その鍍金部分の形・巾・配置を振動子の形状・寸法等に応じて適宜減少疏隔せしめようとする趣旨に解される。しかしながら、高調波次数・振動子面積等に関し原告の提唱する右理論の当否はしばらくこれを措くとして、前記明細書の記載によつても振動子の鍍金面積を高調波次数の自乗に逆比例せしめるとの趣旨は未だ的確に表現されているものとは解しがたく、殊に実施例の図面について前記のような趣旨の例示として説明していること、成立に争いのない甲第一号証の一(本件特許発明の特許出願に際し提出された明細書)によれば、水晶片の鍍金については単に「計画的」・「部分的に」とあるのみで他になんらの限定も説明もなされていないことが認められること、さらには鍍金面積を高調波次数の自乗に逆比例せしめるときは抵抗が増大して発振不能となる場合を生ずるに至るとの被告の主張は首肯すべきものと考えられるが、これに対して原告においてなんらの釈明ないし反対主張をもしていないこと等を総合参酌するときは、前記鍍金面積を高調波次数の自乗に逆比例した面積とするということまで本件特許発明の要旨に包含せしめる趣旨と解することは困難であるといわざるを得ない。要するに、「その形状及び寸法に適合し」とは、発振させようとする周波数を考慮し、振動子の形状および寸法に応じて部分鍍金の区分配置を適宜按配するとの趣旨以上に出ないものと認めるのが相当であり、したがつて本件発明の要旨は前に摘示した特許請求範囲に記載どおりのものと認定すべきである。
三、審決引用刊行物の国内頒布の時期について
成立に争いのない乙第二、第四号証によれば、審決引用の「ベル・ラボラトリーズ・レコード」一九五〇年六月号は、昭和二五年六月二七日および同年八月二三日の二回に日本電信電話公社電気通信研究所図書館に受け入れられ、それぞれの当時以降同研究所員は勿論外部一般希望者に対しても閲覧せしめているものであることが認められる。また成立に争いのない乙第六号証によれば、前記刊行物は昭和二五年七月二二日東京工業大学附属図書館にも受け入れられていることが認められ、これまたその当時から、少なくとも同大学関係者で閲覧を希望する者これが閲覧し得る状態にあつたものと推認される。したがつて、前記刊行物は本件特許発明の特許出願前国内に頒布されていたものと認めるべきである。
被告は、右刊行物の内容がいつから公知の状態に置かれていたかが不明確であると主張するけれども、旧特許法第四条第二号にいう刊行物の頒布とは刊行物が一般公衆の閲覧し得る状態に置かれるに至つたことをいうものと解するを相当とするから、すでにこの事実が推認されること前記認定のとおりである以上、さらに進んでこれら刊行物が現実に読まれ、現実に幾人かがその内容を知了したかどうかの事実の認定は同条を適用するについて必要な事項とは解せられない。
四、前記刊行物記載の技術内容およびこれに関する原告の主張について
成立に争いのない乙第一号証によれば、前記「ベル・ラボラトリーズ・レコード」一九五〇年六月号には、「水晶振動子精密周波数調整法の改良について」なる題目の報告文が掲載されており、その二五四頁には第一図として「カバーを除いたオーバートン水晶振動子の一例」との説明の付された写真が示されていること、そして本文中には、「……。これは正確に研磨しエツチ(弗化物処理)した水晶板の両面へ直接に電極として二四金の薄い膜を鍍金した水晶振動子である。」(二五四頁右欄八行ないし十二行)・「製作が容易で、且つ更に高い周波数の五ないし一〇メガサイクルの水晶振動子と同じ動作特性をもつ水晶振動子の要求が生じたので、周波数範囲が一〇〇メガサイクルまでの第一図に示すような鍍金電極式のオーバートーン水晶振動子が発達した。」(二五五頁左欄三〇ないし三七行)・「鍍金電極式オーバートーン振動子の進歩に伴つて水晶板内部の振動が水晶板の端面で反射を生ずることに基因する有害な複合振動姿態の問題は除かれた。これは水晶板の寸法に比して振動周波数が著しく大となり、水晶板の端面が振動部分から波長の何倍か以上も遠くなつたため端面まで振動が到達しないからである。すなわち水晶板の板面の中心に位置された二枚の電極に挾まれた小体積の水晶部分だけが振動しているということが重要なのである。これによつて一五メガサイクル以上の高い周波数の振動子では端面の影響が除かれ、また振動の存在しない水晶板の端部で水晶板を保持する結果保持方式に関する問題も除かれた。残る問題は、より安定でより信頼性のある基準となる周波数を得るためには振動子の汚染や経年変化をどのように処理するかにある。」(二五五頁左欄四七行目から同頁右欄一二行目まで)との趣旨の記載があることが認められ、さらにこれらの記載と前記第一図の写真の影像とを対比考察すれば、右写真に示されている水晶振動子は、その両面に部分鍍金を大概中心対称を保つように施し、その鍍金部は同一表面を同一電極とした高調波発生のための水晶発振子用振動子に該当するものと認めることができる。
原告は本件特許発明の水晶振動子は単なる水晶板ではなく、高調波振動を発生せしめることを目的として、その母体としての任意の基本周波数の振動を発生する水晶振動子であり板面が電気軸に平行な切断結晶を用いるものであるが、引例の振動子はどのような水晶板を使用したものかが明確でない旨主張しているが、前記刊行物に記載されている水晶振動子がオーバートーン水晶発振子用振動子であることは前記乙第一号証の記載から明らかであり、オーバートーン水晶発振子が電気軸に平行な切断結晶の水晶振動子を用い、ある基本周波数の、その高調波を励振させるものであることも明らかであるから、本件特許発明における水晶振動子も引例の水晶振動子も、右の点ではなんら異なるところなく、したがつて原告の前記主張は採用できず、また右引例の記載が高調波水晶発振子に関するものでないとの原告の主張も理由がない。
次に、原告は、前記刊行物記載のものにあつては、水晶板のどの部分にどのように鍍金しこれにどのような機能をもたせようとするのかが明らかでない旨主張するけれども、乙第一号証の第一図に示されている水晶振動子における鍍金電極が大概中心対称を保つ部分鍍金であり、同一表面を同一電極としているものであることは明らかでありこれと乙第一号証報告文の記載内容とを合わせ考えれば、右振動子が無計画に鍍金を施したものでなく、オーバートーン水晶発振子において、発振させようとする周波数に適応するように両面に右部分鍍金による電極を設けたものと認めるのが相当である。また、本件特許発明の(2)の構成要件中「その形状及び寸法に適合」するとの点は、前に二の項で述べた趣旨のものにすぎない以上、少なくとも乙第一号証の刊行物の記載から当業技術者が必要に応じて容易に設計実施し得ることというべきである。
五、本件特許発明の特許出願当時におけるわが国の技術水準について
原告は、本件特許発明の特許出願日(昭和二五年九月四日)当時、わが国の技術水準は審決引用の刊行物を理解し得べき程度に発達していなかつた旨主張する。しかしながら、その成立に争いのない乙第五号証の一ないし四によれば、昭和一二年五月一五日株式会社オーム社発行にかかる新興基礎電気工学講座第一〇巻「圧電気と高周波」(古賀逸策著)なる書物には既に水晶振動子の高調波振動について原理的記述のみならず、電気軸(×軸)に平行に截つた水晶振動子によりしばしば高調波振動を実現することができたし、或る場合には第一三高調波までも発生することができたとの著者の経験についても記述されていることが認められ、水晶振動子に鍍金を施すことについては、成立に争いのない甲第五号証の一・二によれば、誠文堂新光社発行昭和二二年一〇月号「無線と実験」誌には銀で鍍金を施した水晶発振子を図示した広告が掲載されていることが認められるし、これらと証人高原靖の証言(但し、同証言中同証人が前記乙第五号証の一ないし四の著書を昭和一二年四月二九日に読んだとの趣旨の部分は、右著書の発刊日時との関係からみて、錯誤に基くものと認める。)を総合すれば、昭和二五年九月以前既にわが国において基本波用だけでなく高調波用水晶発振子についても研究が進められていて、当業技術者において乙第一号証の報告文の記載内容を理解し、これに基く設計実施をなし得る程度の技術水準にあつたものと認めることができる。証人新川浩の証言中右認定に抵触する部分は、前記乙第五号証の一ないし四および高原証人の証言と対比して措信採用しがたく、また成立に争いのない甲第四号証の三には、高原靖外三名の「四〇―五〇MCオーバートーン水晶発振子」と題する報告文中に、一九五二年(昭和二七年)以来オーバートーン水晶発振子の実用化についての問題を検討してきた旨の記載のあることが認められるけれども、高原証人の証言によれば、同人らが勤務先(電々公社電気通信研究所)から右の問題についての研究をなすべき旨の命令を受けたのは昭和二七年であるが、自発的には昭和二四年中より既に研究を進めていたことが認められるので、前記書証は前記認定を動かすに足る適切な資料とみることはできないし、成立に争いのない甲第一〇号証の一ないし三も、その記載内容からみて同様のものと認められる。なお、原告主張のように、本件特許発明の出願公告に対し何人からも異議申立がなされた事実がなく、また本件特許無効審判の請求のなされたのが本件特許発明の特許後三年数箇月後であることは弁論の全趣旨によつて明らかであるが、或る特許出願にかかる発明の新規性を否定するに足る文献が右特許出願前国内に頒布されていた事実があつても、当時それが看過されたり、または、過失の有無はともかくとして、当該発明について出願公告がなされたことはもとより、特許登録の事実すら気が付かないままに、適時に異議申立がなされず、特許後数年を経て初めてこれを知り、特許無効審判を請求して右の事実が初めて主張されるというような事例は少なからず存在するのであつて、またそもそも特許や実用新案登録等の無効審判の制度は右のような場合のために設けられているのであるから、前記の原告主張事実も本件特許発明の特許出願当時の技術水準に関する前記認定を左右するに足るものとは認められず、他に前記認定をくつがえすに足る適切な資料はない。
六、以上要するに、本件特許発明は乙第一号証の刊行物に容易に実施し得べき程度に記載されていたものと認めるべきである。それゆえ、右刊行物を引用して本件特許発明を無効とすべきものとした本件審決にはこれを取り消すべき違法は存せず、同審決の取消を求める原告の本訴請求はその理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法第七条民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官原増司 裁判官多田貞治(裁判官吉井参也は病気につき署名押印することができない。))