東京高等裁判所 昭和36年(う)1595号 判決
被告人 由木勉
〔抄 録〕
所論は被告人には何らの過失がないとして原判決の事実誤認を主張するので、この点について検討するに、本件公訴事実は後記のとおりであつて、要するに被告人はいわゆるUターンをなすに際して自車の前方を先行する大型トラツクのため前方の確認が十分できないまま転回を開始した過失により、前方より直進して来た並木健二の運転する軽自動車に自車を衝突せしめたというのであるが、並木健二の司法警察員に対する供述調書中には、トラツクとすれ違つたとき急に自動車がUターンをしようとして出て来たのでハンドルを左に切つたが間にあわなかつた旨の供述記載があり、また被告人の司法警察員に対する供述調書中には転回するときトラツクの陰で左前方はよく見えず、トラツクの陰から車が来るとは考えていなかつたが自分はトラツクがもう少し先の方へ行くまで待つて安全を確めればよかつたと思う旨、また同じく検察官に対する供述調書中にはこの事故は前方に大型トラツクがいて前方より直進して来る車が見えにくかつたので、その方を十分確認してから転回にかかればよかつた旨の各供述記載があるのであつて、右各供述調書によると一見被告人は先行するトラツクの直後より突然道路中央に出たものであつて被告人には公訴事実の如き過失が存する如くである。しかし被告人は原審公判廷においては、自分がUターンを開始する前五十米以上前方に相手の車が見えたが、従来の経験によつて十分転回可能と判断して転回を開始したところ、相手が二十五米乃至三十米に接近したとき相手が時速六十粁くらいの速度で出て来たため急停車した旨述べているのであり、また被告人がUターンを開始する前トラツクの後方において一旦停車したことは被告人が前記各供述調書中においても供述するところであるのみならず、公訴事実もこれを認めているのであつて極めて明白な事実であるから、右トラツクの速度の点は不明ではあるけれども、被告人がUターンを開始したときにはトラツクとの距離は相当に離れていたものと認められ、殊に被害者並木健二も原審並に当審における証言を通じ、トラツクとすれ違うときUターンを開始した被告人の車を認めた旨供述し、その際の自己と被告人の車との距離について原審においては百米前後と、また当審においては約八十米と証言しているのであるから、その際の被告人と前方のトラツク並びに並木健二の車との距離は少くとも五十米以上と認められるのである。してみれば並木健二及び被告人の前記各供述調書中被告人がトラツクの直後から突然道路中央に出てUターンを開始したと解せられる如き部分は少くとも採用し難いのであり、また右各供述調書には、被告人がUターンを開始したとき、並木が被告人の自動車を発見したとき等における被告人の自動車、その前方のトラツク及び並木の車の位置関係につきその距離に関する具体的な何らの供述記載もない点からいつて、右並木及び被告人の各供述調書は同人等の公判廷における供述より信憑力があるとは認め難いものといわなければならない。そして被告人は公判廷において前記の如くUターン開始前に並木の車を認めた旨述べているのであるが、仮りにその点の供述を措信しないとしても、前記認定の如く被告人がUターンを開始した当時においては前方のトラツクとも並木の車とも十分の距離が存したのであるから、被告人が前方の見とおしが困難な状態で転回を開始したとは到底め認難く、被告人がその後の措置を誤らずまた並木の運転に過失のない限りは、並木の車と接触する何らの危険もなかつたと認められるのであり、そして被告人はUターンの途中で右並木健二が前記の如き高速で二十五米乃至三十米の距離に接近して来たため道路中央で停車したことは被告人の原審公判廷における供述及び司法警察員並に検察官に対する供述調書によつて明かであり、しかも右道路の車道の幅員が約十二米あり、停車した被告人の自動車の前部から歩道までの間隔が三米以上存したことは司法警察員の実況見分調書並に被告人の原審公判廷における供述によつて明白であるから、並木健二においては本来被告人の自動車と歩道との間を通過することが十分できた筈であつて、被告人の措置は全く適切妥当であつたと認められるのであり、本件事故は専ら並木健二において高速を維持し又は他の理由で運転を誤つた過失に基くものと認められる。なお並木が被告人運転の自動車の右前部に接触した点も、前記実況見分調書及び被告人の司法警察員に対する供述によつて明かな如く被告人の自動車が末だ完全に道路に直角とならず幾分斜めとなつていた点からすれば、被告人が道路中央で停車したことの反証とはならないし、その他記録を精査しても被告人に何らかの過失の存した事実を認めるに足りる資料は全く存しない。しからば被告人に過失を認めて本件公訴事実と全く同一の事実を認定した原判決は事実を誤認したものであつて、右事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明かである。論旨は理由がある。
よつて量刑不当を主張する控訴趣意第二点については判断の要なく、原判決は刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条により破棄すべきものと認め、同法第四百条但書により当裁判所において直ちに次のとおり判決する。
本件公訴事実は、被告人は自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三十五年九月十日午後一時十五分頃小型乗用自動車を運転し通称番所橋通りを南方より北方に向つて進行中、東京都江東区南砂町八の七八番地先にさしかかり転回しようとしたが、折柄自車の直前を大型貨物自動車が先行中であつたので前方の見とおしが悪く、同方面より直進して来る自動車の動静を確認し難い状況にあつたから、自動車運転者としては一旦停車するか又は徐行して前車との間に十分間隔をとり前方を見とおし得るのを待つて転回すべきは勿論、絶えず前方及び後方の安全を確認して進行し、以て事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、被告人は前記先行車の直後において一旦停車したが先行車のため前方より直進して来る車馬を見とおし得ない儘、単に後方の安全に確認したのみで転回した過失により、折柄前方より軽自動車を運転して直進中であつた並木健二(当二十三年)を至近距離に認め、急停車の措置をとつたが間に合わず、これに自車の前部を衝突させて路上に転倒せしめ、よつて同人に対し全治六ケ月を要する右下腿骨折の傷害を負わせたものであるというのであるが、被告人に過失の存したことを認めるに足りる証拠がなく、右公訴事実に関しては犯罪の証明がないことに帰着するから、刑事訴訟法第四百四条第三百三十六条により被告人に対し無罪の言渡をする。
(坂井 荒川 今村)