東京高等裁判所 昭和36年(く)50号 決定
(一) 八田裁判官を裁判長とし、抗告人らを被告人とする東京地方裁判所刑事第十九部において審理中のいわゆるハガチー事件なるものは、平和主義を基調とする日本国憲法に違背して日米軍事同盟の締結を企図した日本政府の外交政策及びアメリカ合衆国の戦争政策に反対して立ち上つた抗告人らの政治活動を弾圧せんとする意図の下に日本政府によつて惹起されたものであつて、かかる事件の審理を担当すべき裁判官には、とりわけ司法権の独立を尊重することが要求され、一点たりともその公正が疑われるものであつてはならないのである。原決定は、事件担当裁判官の経歴や政治的信条は、事件の審理には全く関係のないことである旨判示しているが、政治事件と称せられる右ハガチー事件の審理においては、担当裁判官の政治的信条や、その裏付となる同裁判官の経歴は、公平を確保するためには、訴訟関係人にとつて重大な関心事たらざるを得ないことは、何人も疑わないところである、
ところで、八田裁判官は、満洲国司法部参事官在職中、中国人民を敵視し、その正当な運動を抑殺するため、満洲国治安維持法、特別治安庭設置に関する件、国防保安法、戦時刑事手続法特例等の諸法令を立案、適用した人であつて、これら諸法令は、日本の帝国主義に反対する愛国的中国人民ら千万人を処刑した鮮血にまみれた法令であることは、今日の日本国民の等しく認めるところである、
それ故、日本の帝国主義に反対し、正当な人民の権利を主張して立ち上つた中国人民に対し、死刑をもつて答えた八田裁判官に、果して、右ハガチー事件において公平な裁判を期待できるであろうか、しかし、抗告人らは、決して同裁判官の経歴のみで同裁判官を忌避したのではなく、同裁判官からの所信の表明を聞くことによつて、疑念を持ちながらもその公平を信じようと努力したのであるが、同裁判官は、抗告人らに対する所信の表明を拒否したため、抗告人らの期待は、裏切られるに至つたのである、
本件の特殊な政治的背景と、八田裁判官の前記特異な経歴等に鑑みると、抗告人らは、同裁判官に対し、ぬぐいがたい不信感をいだくことは何人も否定できないものというべく、まして、公平な裁判官が、かかる抗告人らの疑惑を一掃するために、誠意をもつて自己の裁判に対する公正を表明すべき職責を荷つていることは明らかであるにもかかわらず、原決定は、この点について、わが国の裁判官は、自己の持つ政治的信条の影響を受け、ことさらに偏見をもつて特定の事件につき不公平な取扱をすることなどは到底あり得ないものと断じて抗告人らの主張を排斥しているが、世上問題となつたいわゆる飯守発言によつて代表されるように、いまだある種の事件に対しては裁判官が根強い偏見をもつて事に処しているような事例が現実に存在すると考えられる以上、この点に関する原決定の判断は、あまりにも性急な物の見方であつて、抗告人らの納得するに足りる理由とはなり得ないのである、
(二) 原決定は、同裁判官が不公平な裁判をする虞がないとする実質的な理由として、同裁判官が抗告人らに対するハガチー事件の公判において、くりかえし憲法と法律とにより、良心に従つて同事件の審理を遂行する旨言明している事実を挙げ、裁判の公正は、その事件を担当する裁判官が、その主観において、自己の裁判が公正であると信じていることだけで事足りるものではなく、同裁判官の言動が、健全な良識に照らして公正であることを信ずるに足りる客観性を持つていることが必要であると説示し、八田裁判官の右のような主観的な抽象的な発言のみで、同裁判官の公正を言じ、健全な良識に照しても充分にその公正を首肯し得る客観性を持つていると断定した、原決定は、一方においては、抗告人らの客観的かつ具体的な、裁判の公正を疑うに足りる事実を前提とする真にやむを得ない疑惑を単なる主観的な憶測であるといいながら、他方では、前記のように八田裁判官が裁判官であるが故にハガチー事件の法廷においてなした憲法と法律とにより、良心に従つて同事件の審理を遂行する旨の主観的な言明をもつて、同裁判官の審理並びに裁判には、公平を欠く虞がないものと断じているのは、正しく原決定が裁判の公平又は不公平な裁判をする虞についてなした前記説示と矛盾するものであるといわなければならない、
以上説明したとおり、原決定は、経験則の適用に関し、明らかに不等な差別を設け、抗告人らの主張に対してはあえて目を覆い、八田裁判官の前記主観的な言明を過重に評価した違法がある、よつて、原決定を取り消し、更に相当の裁判を求めるため、本件即時抗告に及んだというのである。
よつて、右各論旨に判断を加えれば、次のとおりである。
(一) 東京地方裁判所裁判官八田卯一郎がさきに抗告人らから提出された忌避申立書第三の三の部分に記載してあるような経歴を有すること、同裁判官を裁判長とする同裁判所刑事第十九部がいわゆるハガチー事件と称せられる抗告人らを被告人とする暴力行為等処罰に関する法律違反等被告事件(以下単にハガチー事件と略称する)を審理していること、同裁判官が同事件の第七回公判において、抗告人らから、同裁判官が、かつて満洲国治安維持法の立案に関与した点についての現在の心境とこれに関連していわゆる飯守発言の内容についての所信を表明することを求められたのに対し、具体的積極的な解答を与えなかつたこと、原決定が、裁判の公平又は不公平な裁判をする虞について、前記抗告理由冒頭記載のような説示をし、また、八田裁判官は、ハガチー事件の公判において、繰りかえし、憲法と法律とにより、良心に従つて審理並びに裁判をする旨を明らかにし、かつ、いわゆる飯守発言とハガチー事件とは無関係であり、無関係とは、ハガチー事件は、右飯守発言により、その審理並びに裁判になんらの影響を受けない趣旨である旨釈明していることその他の理由を挙げて抗告人らの主張を排斥していることは、ハガチー事件第七回公判調書の記載や抗告人らの提出した疎明資料等の各記載並びに原決定の記載に徴し明らかである。
憲法は、その第七十六条第三項において、すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束されると規定し、その第九十九条において、裁判官は、この憲法を尊重し擁護する義務を負うと規定し、もつて、裁判官に独立して公平な裁判を行うべきことを義務付けるとともに、憲法の他の規定及び裁判所法等の規定は、裁判所の公平な組織を確保し、裁判官の任命資格を厳にし、その身分地位を保障し、もつて、裁判官に独立して公平な裁判を行うことを可能ならしめているのである。ただ、特定の場合において、裁判官に不公平な裁判をする虞があるときは、これを排除しなければならず、裁判官の除斥、回避、裁判官に対する忌避申立の制度は、このために設けられたものであることは、いうまでもないところである。従つて、一般的にいえば、裁判官は公平な裁判をすることを期待され、信頼されているものであつて、裁判をするすべての場合において、公平な裁判をすることを自ら表明又は証明する必要はなく、不公平な裁判をする虞があるものと申し立てられたとき、初めて、この事由の存否を判断するか、他の裁判所にその判断を委ねれば事足るのである。
裁判官は、前記のとおり、憲法第七十六条第三項により、憲法及び法律によつて自己の良心に従い、独立してその職権を行うべきものであるから、たまたま、当該裁判官の経歴、思想、信条のごときものが、外部的に明らかにされていて、これら経歴等が当該事件の訴訟関係人から見て好ましくないものであつたとしても、同裁判官は、当該事件の審判にあたつては、自己の経歴、思想、信条等のいかんにかかわりなく、憲法及び法律により、自己の良心に従い、独立してその職権を行うことを要請されており、かかる要請が自己の経歴、思想、信条等に反するものとしてその職権を行うことを拒否することができないことはもとより、訴訟関係人も、同裁判官の経歴等が好ましくないとの思惟や感情だけでその裁判官による審判を拒否することができないことは、理の当然といわなければならない。それ故、八田裁判官が所論のような経歴を有することは前認定のとおりであるが、同裁判官において、自己の経歴、思想、信条等がハガチー事件の訴訟関係人らから見て好ましくないものであることを知悉していたとしても、同裁判官は、憲法や法律を無視し、あるいは自己の良心に違反して同事件の審理、裁判をすることができないことはもとより、同事件の被告人である抗告人らも、八田裁判官の経歴等が好ましくないとの思惟や感情だけで同裁判官による審判を拒否することができないことは当然である。そして、右事件の記録を精査しても、八田裁判官に同事件の審判について不公平な取扱をし、あるいはこれをする虞があることを窺わしめるような状況は、到底これを発見することができないのであるから、同裁判官が所論のような経歴を有することをもつて、直ちに同裁判官に右事件について不公平な審判をする虞があるとすることはできない。なお、同裁判官は、右事件の第七回公判において、抗告人らから、同裁判官が、かつて満洲国治安維持法の立案に関与した点についての現在の心境と、これに関連していわゆる飯守発言の内容についての意見を表明することを求められたのに対し、具体的かつ積極的な解答を与えなかつたことも所論のとおりであるが、前記のとおり裁判官は、一般的にいつて、公平な裁判をすることを期待され、信頼されているものということができるし、公判廷において訴訟関係人から右のごとき心境やこれに関連する意見の表明を求められたのに対し、これに解答を与えなければならないとする規定は、憲法その他の法律等のうちにこれを発見することができないのであるから、八田裁判官が右抗告人らの要求に対し、憲法と法律とにより良心に従つて事件の審理並びに裁判をする旨を答えるに止め、その他の具体的な解答を留保したことについては、なんら非議すべき点はなく、これを目して同裁判官が不公平な裁判をすることを疑うに足りる客観的な事情の一資料とすることはできないし、記録を調査しても、他に同裁判官に不公平な裁判をするような心理状態があつたことを推測させる客観的な事情もこれを発見することができないのである。
されば、原決定が「凡そ裁判官の行状経歴思想信条というような事柄は、本来その裁判官の担当する特定の具体的な事件についての審理や裁判とは全く別個の事柄に属し、それ自体忌避の理由とならないのみでなく、又現在のわが国の裁判官が自己の持つ特異な前記諸事情の影響を受けて、ことさら偏見をもつて具体的特定事件について不当不公平な取扱をするというようなことは到底考えられないところである。本件において八田裁判官が申立人らの前記質問に対して具体的に積極的な解答を与えなかつたとしても、もとより、このような事項について当該訴訟手続において裁判所がかかる意見の表明をしなければならない職責を有するものでないから、これを捉えて八田裁判官の裁判の公平を疑うに足りる客観的な事情の一とすることはできない。」と説示し、抗告人らの忌避申立の理由を排斥したのは、もとより正当であつて、なんら不法不当の廉はない。所論は、世上問題となつたいわゆる飯守発言によつて代表されるように、いまだある種の事件に対して裁判官が根強い偏見をもつて事に処しているような事例が現実に存在すると考えられる以上、この点に関する原決定の判断は、あまりにも性急な物の見方であるというのであるが、上叙の説明に照らせば、原決定の判断は、決して性急な物の見方に基くものということはできないのである。
(二) 原決定が裁判の公平又は不公平な裁判をする虞について、前記抗告理由冒頭記載のような説示をし、また一方八田裁判官は、ハガチー事件の公判において繰りかえし憲法と法律とにより、良心に従つて審理並びに裁判をする旨を明らかにし、かつ、いわゆる飯守発言とハガチー事件とは無関係であり、無関係とは、ハガチー事件は、右飯守発言により、その審理並びに裁判になんらの影響を受けない趣旨であると釈明していることその他の理由を挙げて、八田裁判官には不公平な裁判をする虞がない旨を説示し、もつて抗告人らの主張が理由のないことを判示していることは前説明のとおりである。
裁判官が不公平な裁判をする虞があることを理由とする忌避の申立を理由なきものとして却下する場合には、裁判所は、当該裁判官につき不公平な裁判をする虞のある事由のないことを判断すれば事足り、必ずしも、積極的に、公平な裁判をすることについての証明を要しないことは、前記(一)において説明したとおりである。しかし、原決定は、八田裁判官につき不公平な裁判をする虞のある事由のないことを一応判断した上、これに付加して、八田裁判官がハガチー事件の法廷において繰りかえし憲法と法律とによつて良心に従つて審理並びに裁判する旨表明したことと飯守発言についてはハガチー事件と無関係であり、無関係とは飯守発言によつて同裁判官のハガチー事件の審理並びに判決になんらの影響を受けない趣旨であると釈明したこととを採り上げ、これらの積極的な事実によつて、同裁判官には、ハガチー事件につき不公平な裁判をする虞がないばかりか公平な裁判をすることを期待することができることを証明しようとしたものと解せられるのである。
右の八田裁判官の意見の表明及び釈明そのものは、もとより、同裁判官の主観的な言明ということができるであろうが、同裁判官にハガチー事件につき不公平な裁判をする虞がないと判断された以上、その条件の下においては、充分これに信を措くに足るものと考えられるのである。
それ故、原決定が、「むしろ、本件記録に徴せば、同裁判官は、本件法廷において繰り返し憲法と法律によつて良心に従つて本件審理並びに裁判をする旨明らかにしており、又飯守発言については本件と無関係であり、無関係とは飯守発言によつて八田裁判官の本件審理並びに判決に何等の影響を受けない趣旨であると釈明しているのであるから、これによつて同裁判官の本件審理並びに判決に対する心構え、すなわち、同裁判官が自己の良心に従つて外ならぬ現行憲法の下、その理念と法律に従つて行動すること、(従つてその裏には現行憲法に抵触するものはすべて排除する意図が窺われる。)本件審理並びに裁判に当つては、八田裁判官と飯守裁判官が如何なる間柄であろうともいわゆる飯守発言によつて何等影響されることなく、これとかかわりなく行動する趣旨を十分くみとることができるのである。」と説示したのは、八田裁判官がハガチー事件の法廷において繰りかえし憲法と法律とにより良心に従つて審理並びに裁判をする旨表明した事実と飯守発言についてはハガチー事件と無関係であり、無関係とは飯守発言によつて八田裁判官のハガチー事件の審理並びに判決になんらの影響を受けない趣旨であると釈明した事実とを採り上げ、右の意見の表明及び釈明は、同裁判官にハガチー事件につき不公平な裁判をする虞がないと判断した以上、充分これに信を措き得るものであり、右のようにその内容に充分信を措き得る意見の表明及び釈明をしたという客観的事実から、積極的に、八田裁判官には、自己の良心に従い憲法及び法律により独立して裁判をすることを期待することができる旨を説示したものと解することができる。即ち、原決定の右説示は、所論のように、右八田裁判官の表明した意見及び釈明をただ裁判官の表明した意見及び釈明なるが故に無反省に判断の資料としたのではなく、八田裁判官にハガチー事件につき不公平な裁判をする虞がないと判断したその条件の下においては、右八田裁判官の表明した意見及び釈明は、充分信を措き得るものであり、右のようにその内容に充分信を措き得る意見の表明及び釈明をしたという客観的事実から、八田裁判官のハガチー事件の審理並びに裁判をするについての心構えには独立と公正とを期待し得るものと論断したものということができるのである。従つて、右の判断をもつて、原決定が裁判の公平又は不公平な裁判をする虞についてなした前記抗告理由冒頭記載の説示と矛盾するものであるということはできず、原決定のこの点についての判断は、もとより正当であつて、なんら違法不当の廉はない。
(下村 高野 松本)