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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)1741号 判決 1962年7月09日

事実

被控訴人(一審原告、勝訴)武井重雄は請求原因として、被控訴人は昭和三十年九月五日、控訴人上村一郎及び同石塚英成を連帯債務者として、吉田電機株式会社代表取締役吉田清春に対し金百五十万円を、弁済期同年十二月五日の定めで、利息の定めなく貸与した。

よつて被控訴人は、控訴人等に対し、右貸金の一部三十万円及びこれに対する支払済に至るまでの遅延損害金の連帯支払を求める、と述べた。

控訴人上村一郎、同石塚英成は、被控訴人の主張事実を否認し、控訴人石塚英成が、昭和三十年九月五日、吉田電機株式会社と共同して被控訴人に宛て、金額百五十万円、満期同年十二月五日なる約束手形一通を振り出し、控訴人上村一郎がその裏書をしたのは、控訴人両名が、被控訴人の吉田清春に対する貸金百五十万円の取立に協力する趣旨においてなしたものであつて、控訴人等が、被控訴人の吉田清春又は吉田電機株式会社に対する百五十万円の貸金につき、連帯債務、或いは保証債務を負担したものではない、と主張した。

理由

証拠を綜合すると、被控訴人は昭和二十九年十月頃孫の小学校の教員である控訴人石塚英成、その義兄控訴人上村一郎の斡旋により当時吉田電機株式会社の代表取締役であつた訴外吉田清春から、同人に対し事業資金として金三十万円の貸与方を申込まれてこれに応じ右吉田清春に対し同額の金員を期限の定めなく利息月五分の約束で貸与した。ついで被控訴人は昭和二十九年十二月十日頃吉田清春に対し、金七十万円を前同様の使途に供する目的で期間利息は前同様の約束で貸与した。さらに被控訴人は昭和三十年九月五日吉田清春に対し金五十万円を前同様の使途に供する目的で利息は前同様の約束で貸与したが、この時以上三口の貸金を合して百五十万円としその弁済期を昭和三十年十二月五日とする旨合意した。

以上のとおり認められるところ被控訴人は第一次の主張として、控訴人両名は昭和三十年九月五日に、前記吉田清春の借受金百五十万円について連帯債務を負担したと主張するけれども、これを認めるに足る証拠は何もない。

そこで、控訴人らに対し各自金十五万円宛の金員の支払を求める被控訴人の第二次の主張について判断するのに、原審並びに当審における被控訴人本人尋問の結果中には被控訴人が前記金員を吉田清春に貸付けるについて控訴人両名が連帯保証をした旨の供述があるけれども、右供述は原審並びに当審における控訴人両名の各本人尋問の結果に照らし、いまだたやすく信用できない。

また、証拠によると、被控訴人が昭和二十九年十二月頃吉田清春に金七十万円の貸増しをしたとき、控訴人両名は、「金額百万円振出人東京都中央区吉田電機株式会社代表取締役吉田清春なる小切手の支払に関し一切の責任を石塚、上村連名の上保証申上げます。石塚英成(印)、上村一郎(印)」なる書面(甲第二号証)を被控訴人に差入れたことを認めることができる。しかしながら、原審並びに当審の被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は昭和二十九年四月頃最初の金三十万円を吉田に貸与してから間もなく被控訴人の甥を吉田経営の会社の使用人として雇い入れて貰つていること、控訴人石塚は教育者で資力のない者であること、控訴人上村は石塚の義兄弟というだけでその資産状態については被控訴人は何も知らなかつたことを認めることができ、これらの事実と控訴人ら各本人尋問の結果等によると被控訴人が吉田清春に対し冒頭認定の各貸金をしたのは専ら吉田の事業に信頼して出金したものでありただ控訴人らが右融資につき斡旋したのと吉田の住所が東京で被控訴人の住所(高崎市)と離れているために吉田に対する連絡及び右貸金の回収等につき控訴人らをして被控訴人に協力せしめようと考えていたが、控訴人両名に保証債務を負担せしめる意思はなかつたこと、右甲第二号証を差入れるについて被控訴人は控訴人上村に対し、若し吉田が期日に返済を怠つたならば控訴人らにその取立について協力を求める意味でこれを作成せられたいと申向けたので、控訴人上村は右趣旨を諒し自己の署名押印をするとともに、控訴人石塚に代りその記名押印をして甲第二号証を作成し被控訴人に交付したことを認めることができる。右の次第で、甲第二号証には吉田の本件借受金百万円について控訴人らが保証するような文言があるけれども、真実控訴人らは右保証債務を負担する意思なく、被控訴人も以上の趣旨で甲第二号証に控訴人らの署名捺印をさせたことを認めることができるから、同号証をもつて被控訴人の主張を立証する資料とすることはできない。

次に、控訴人石塚が昭和三十年九月五日吉田電機株式会社と共同して振り出し、かつ控訴人上村がその裏書をしたという金額百五十万円の約束手形について考えるのに、原審並びに当審における控訴人ら各本人尋問の結果によると、右手形は、被控訴人が吉田清春に対し最後の金五十万円を貸与した後、合計百五十万円の貸金の支払確保のために同人より差入れさせたもので、当初は手形表面に控訴人石塚の署名押印もなく、裏面に控訴人上村の署名押印もなかつたものであるが、控訴人上村は右手形差入の際前記貸金取立に協力する意思で被控訴人から求められるまま手形裏面に鉛筆で署名し押印したものであり、控訴人石塚に対しては被控訴人において手形の満期である昭和三十年十二月五日過ぎ吉田の不払が明らかとなつた後昭和三十一年初頃同控訴人方に赴き、本件貸金は同控訴人の紹介で吉田に貸与するに至つたのだから取立に協力するため署名するよう求めたので、同控訴人はその趣旨で右署名押印したものであり、従つて控訴人らは何れもこれによつて本件貸金百五十万円について保証をしたものではないことを認めることができる。

以上の次第であるから、被控訴人の控訴人らに対する第一次及び第二次の主張は何れもこれを認めるに足る証拠はなく、被控訴人の本訴請求は棄却を免れないところ、これと反対に出でた原判決は失当である。

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