東京高等裁判所 昭和36年(ネ)2134号 判決
被控訴人が昭和三十六年三月二十日振出地静岡県浜名郡舞坂千三十六番地、支払地浜松市、支払人浜松市田町株式会社静岡銀行浜松支店とした(イ)金額十一万三千九百五十二円及び(ロ)金額三万一千八百八十一円の持参人払式横線小切手二通を振出したこと、控訴人が「森下大三」と自称する者から小切手二通を取得し、その所持人として、同月二十七日控訴人の取引銀行たる株式会社静岡銀行高塚支店を通じて本件小切手二通を前記支払人に呈示して小切手金の支払を求めたが、これを拒絶されたので、同日右支払人をして本件各小切手の裏面に日付とともにその支払拒絶の宣言を記載させたことはいずれも当事者間に争がない。
各証言証拠を綜合すれば、次の事実が認められる。即ち、
被控訴会社は昭和三十六年三月二十日豊橋市東郷町において鉄工業を営む訴外清水四郎に対する旋盤加工賃の支払のために本件小切手二通を振出し、当日被控訴会社の事務所に出向いた右清水四郎の妻清水とし子にこれを交付したこと、本件小切手二通を受取つた清水とし子はこれを四つ折りにして財布に入れ、同日午後四時五十分頃被控訴会社の事務所を出て、浜松市馬郡の停留所から乗合バスに乗り、(その車中で前記財布の中から百円紙幣を取出して乗車券を購入した。)同市松菱百貨店前で下車し、株式会社静岡銀行浜松支店前の遠鉄乗合バス停留所附近の公衆電話で同市内に住む娘を呼出し、(その際前記財布の中から十円銅貨を出した。)同所附近で娘と落合つた(そして娘に金員を与えようとして前記財布の中から千円紙幣をとり出した。)後、同日午後六時十八分発の列車に乗つて帰ろうとして国鉄浜松駅に行き、乗車券を買求めようとして前記財布を開いた際、初めて本件小切手二通を紛失したことに気付き、直ちに心当りを探したが見付からなかつたので、同日午後六時過頃前記浜松駅前の浜松中央警察署旭町派出所にその旨の届出をしたこと、警察では直ちに被控訴会社の事務所に電話で連絡し、前記清水とし子が本件小切手二通を紛失した旨を通知するとともにその小切手番号等を調べて支払人である株式会社静岡銀行浜松支店にもその旨連絡するなどの手配をしたこと、以上の事実が認められる。又証拠を綜合して考察すれば、次の事実が認められる。即ち、
前記小切手紛失の翌日たる三月二十一日(当日は春分の日で火曜日にあたることは公知の事実である。)の午後一時半頃高利金融を業とする控訴人方へ若い男から電話がかかり「夏目という人に聞いたが、被控訴会社振出の小切手を持つているが割引いてもらえるか。」と問合せて来たので、控訴人はその小切手を持つて来るように伝えたところ、約三十分位して二十二、三歳位の若い男が本件小切手二通を持参して控訴人方へ現われたこと、控訴人はその若い男とは従前一面識もなかつたので聞いたところ、同人は「被控訴会社の下請をしている森下鉄工のものであり、小切手は被控訴会社から下請代金の支払のために貰つたものである。今日中に現金が必要だが、今日は銀行が休みなので、ぜひ割引いてもらいたい。」旨を述べて本件小切手二通を控訴人に示したこと、控訴人はさきに被控訴会社に金融をして同月十六日被控訴会社振出の小切手でその弁済を受けたことがあつて、被控訴会社代表者の記名押印に見覚えがあつたので、本件小切手二通は間違なく被控訴会社が振出したものであると思つたが、なお「割引を求めるについては父親と相談して来たのか。」とたずねたところ、その若い男は「この小切手は自分のものではないが、自分のうちのに相違ない。」「父親には内緒で来た。」旨を述べたので、控訴人は即座に割引くことを渋り、「若し父親と一緒に来れば割引いてもよい。」旨を告げたこと、その後約一時間位たつた頃先程の若い男がその父親と称する五十二、三歳位のこれまた一面識もない者を同道して控訴人方を訪れ、「こんどは父親も承諾しているから、ぜひ割引いてほしい。」といい、父親と称する男も同様控訴人に対し本件小切手二通の割引を依頼したので、控訴人はその割引に応ずることにし、その父親と称する者に対して小切手に署名押印を求めたところ、同人は本件小切手二通(甲第一、二号証)の各裏面に「浜松市旅籠町三四の三森下大三」と署名したが、印鑑を持つて来るのを忘れたというので、控訴人は両名の者に印鑑をとりにやらせたこと、約三十分位して、父親と称する男は来なかつたが、若い男の方が独りで控訴人方へ来て本件小切手二通の裏面における前記「森下大三」の署名の下に「森下」と刻した印を押した上、「月五分の割合で五日分の利息を計算してくれ。」というので、控訴人は金千二、三百円になる旨を答えたところ、その若い男は「それでは七日分で三千円引いてくれ。」というので控訴人は本件小切手金から金三千円を控除した残金十四万二千八百三十三円を交付したこと、その際若い男は「七日たてば金を返しに来るから小切手を銀行に持つて行かないでほしい。」と述べ、右割引金を受取つて立去つたこと、その後同月二十七日になつても前記の者らが金を返しに来ないので、控訴人は森下大三経営の森下鉄工所を捜したが、小切手に書いた浜松市旅籠町三十四番地の三には森下鉄工所なるものはなく、森下大三なる者も居住していなかつたこと、そしてその後調べたところ、森下鉄工所も森下大三も全くその実在が確められず、控訴人方で本件小切手二通の割引を受けた者はついに何者か判らず終いになつたこと、並びに控訴人方からは被控訴会社は一里位のところにあり、浜松市旅籠町は二里足らずの距離にあるが、控訴人は本件小切手の割引に際し、別段被控訴会社に問合せもしなかつたし、森下鉄工の存否ないし森下大三の住所などについても現実にその取調べをしなかつたこと、以上の事実が認められ、他に特段の反証がない。
以上認定の事実に徴すれば、控訴人方へ来た若い男とその父親だという森下大三と名乗る男は恐らくは前記清水とし子が落した本件小切手二通を拾得して控訴人にその割引を依頼したものと推察されるのであるが、控訴人が、前記清水とし子において本件小切手二通を紛失した事実を知り、悪意をもつてこれを取得したとの証拠はない。
しかしながら、前記のとおり、森下大三親子と称する両名の者の言動には、
(イ) 当初若い男は父親に内緒で小切手を持つて来たと言いながら、一時間後には父親の承諾を得たといつて父親なる者を同道したこと、
(ロ) 正当に振出された小切手の所持人であれば通常その取引銀行を通じて支払人に呈示すれば速かに現金化されるものであること知つていると考えられ従つて三月二十一日が休日であれば、翌二十二日に支払人に呈示すれば足りるのに、特に本件小切手を現金化する緊急の必要がある事情をも告げることなく、(控訴本人は当審における本人尋問に際して割引金の使途を尋ねなかつた旨を述べており、他に森下大三親子なる者が急に金が要る事情を告げたと認むべき証拠はない。)高利金融を業とする控訴人に対して本件小切手の割引を依頼したこと、
(ハ) 小切手による取引をする者であれば、通常小切手の割引を依頼するにあたり印鑑を必要とすることを知つていると考えられるのに、森下大三親子なる者は控訴人に対して本件小切手二通の割引を依頼した際印鑑を持参するのを忘れたといつてこれを持参しなかつたこと、
(ニ) 正当に取得した小切手であれば、何も「七日たてば金を持つてくるから銀行に持つて行かないでほしい。」と依頼する筈もないこと、
(ホ) 月五分の割合による割引利息は七日分で金一千七百円位であるのに特に金三千円の控除を承諾したこと、
等の疑わしい点が多々あり、従つてその言動からしても果して本件小切手は同人らが言うように被控訴会社が「森下鉄工」のために振出交付したものであるかどうかも疑わしいものがあつたのであるから、その割引依頼に応じようとする控訴人としては、被控訴会社の事務所に電話で問合せをするなり、又は控訴人方からさほど遠くない森下鉄工の所在ないしは森下大三の住所を調べるなどすれば、直ちに森下大三親子なる者の言うところがすべて虚偽であることが判明するし、又支払人銀行に問合わせをしても直ちに本件小切手紛失の届出がなされていることが判明したであろうと思われるのに、控訴人がこのことに思いを致さず、又僅かの手数を惜んで何らの調査もせず、単に本件小切手の振出人の記名押印が間違ないと信じたのみで、漫然割引によつて本件小切手二通を取得したのは、本件小切手が紛失したものであり、森下大三親子なる者がこれを拾得した無権利者であることを知らなかつたことについて重大な過失があるものといわなければならない。
以上説示のとおりであつて、控訴人は小切手法第二十一条但書にいわゆる重過失による取得者というべく、従つて控訴人は本件小切手上の権利を取得し得ないものであるから、振出人たる被控訴人に対しその小切手金の支払を求める控訴人の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきである。
(谷本 堀田 野本)