東京高等裁判所 昭和36年(ネ)2475号 判決
一、喜三郎の死亡により本件店舖部分についての同人の賃借権を誰が承継したかについて争いがあるのでこの点を判断する。
証拠によれば、本件賃借権は喜三郎の妻とし、長男辰男(控訴人)、三男克己、長女朝子、二女千恵子、四男敏夫、五男昭雄、六男和雄、三女喜代子が共同して相続したことが推認できる。しかし、証拠を総合すると、(イ)喜三郎は戦前から豊島区駒込六丁目において「八百喜」なる商号で青果物商を営んでいたものであり、同区駒込三丁目にある本件店舖部分を前叙の如く賃借した以降はこゝでも青果物商を営んでいたが、控訴人は喜三郎生存中から本件店舖部分における喜三郎の営業の手伝いをし、喜三郎死亡後は妻政子とともに本件店舖部分における青果物商の業務に従事し、賃料は控訴人が直次郎ないし被控訴人に支払つてきたこと、(ロ)喜三郎の妻とし、三男克己は喜三郎生存中から駒込六丁目の「八百喜」本店における喜三郎の営業を手伝い、喜三郎死亡後も右本店における青果物商の業務に従事しており、控訴人の弟妹のうち克己以外の者(そのうち一名はすでに他に稼している)はいまだ学業半ばの者であつて、控訴人によつて扶養されていること竝に控訴人は世帯主として亡喜三郎の遺族の中枢として活動していることがそれぞれ認められ、証拠によれば、喜三郎死亡後間もなく前記共同相続人のうち控訴人だけが被控訴人方を訪れ直次郎に対し「こんど私が相続をして店をやることになつたから喜三郎の借りていた時と同じ条件で引き続き貸していたゞきたい。」と挨拶したのみならず、本件店舖部分の明渡等に関する被控訴人側との交渉は常に控訴人に於て之に当つて来たことが認められる。また(ハ)本件全資料に徴しても控訴人と同人以外の喜三郎の相続人との間に本件店舖部分の賃借人が何人であるかに付ては何等争なく、控訴人以外の者が賃借権者として権利を主張し又は控訴人のみが賃借人として行動することに不服を唱へる如き形跡は何等之を認め得ない。以上(イ)乃至(ハ)の事実及び本件弁論の全趣旨を綜合すれば、先代喜三郎死亡後間もなく控訴人を除く共同相続人全員(勿論二女千恵子以下の者は当時未成年であつたから親権者たるとしにおいて同人等を代理していた)は長男であり家族の中心であつた控訴人のみを暗黙の裡に賃借人として喜三郎の地位を継がせ自分等はいづれも控訴人のために本件店舖部分に対する賃借権を放棄したものであり、控訴人も之に従つて喜三郎死亡後は唯一の賃借人として被控訴人側と折衝し被控訴人側も亦以上の事情を了解の上控訴人のみを賃借人として認めて来たものと認定するを相当とする。
二、そこで右解約申入に正当の事由があるか否かを判断する。
証拠を総合すると、つぎのことが認められる。
(一) 本件賃貸借の成立した事情は、控訴人の先代亡喜三郎が昭和二二年ころ駒込六丁目および三丁目の野菜の配給の業務に従事していたが、本件建物の所在地である三丁目においては屋外においてこれを行つていたので、被控訴人の先代亡直次郎に対し本件建物の一部(約三坪)を配給を実施のため借り受けたい旨を申込み、直次郎も当時は店も空いていることではあつたし、屋内において配給をうけることは附近の人の便利になることゝ考えてこれを承諾し、本件建物を自ら使用する必要が生じたときまたは区画整理の関係で本件建物に変動を生ずることになつたときは直ちに明渡す約束で喜三郎に対してこれを賃貸したものである。
(二) 本件建物は国電駒込駅前の道路に面して建てられているが、それは、直次郎が昭和二二年春東京都から払下げを受けた組立式簡易建物であつて、店舖部分と住居部分とからなるが、両部分の屋根はその接合部が谷間になるような形に継ぎ合わされていて右接合部を中心として両部分とも(たゞし控訴人使用の本件店舖部分を除く)雨漏りが多く土台、柱、根太等にも腐つたところがあり、建物全体として相当に破損している。
被控訴人は本件建物のうち控訴人使用の部分以外の店舖部分において菓子類の販売と煙草の小売を営んでいるが、右店舖部分は現在三坪余にすぎず前記住居部分を店舖に改造したとしても、その使用し得る店舖面積は五、六坪にしかならない。被控訴人の使用する右店舖部分は広さの点からいつても被控訴人が右の営業をするのに決して充分なものということはできない。なお被控訴人は、店の衛生のことで保健所からしばしば注意を受けている。このような事実からみると、被控訴人が本件店舖部分を自ら使用したいと考えるのも本件建物を改築また改造したいと考えるのも無理もないことである。
(三) 被控訴人は妻と子供二人の暮しで、前叙の如く本件建物で菓子類の販売と煙草の小売を営み、これによつて生活し、本件建物の後側に建坪一四坪の居宅を所有し、これに住んでいるのであるが、父直次郎の死亡して間もない昭和三二年六、七月ころ被控訴人は母に駒込六丁目の控訴人方に赴いてもらい本件店舖部分を明渡してもらいたい旨を頼んでもらつたところ、控訴人の方ではこれを全く受け付けなかつた。被控訴人は控訴人と隣り合わせで毎日顔を合わせることでもあるのでその後明渡を求めるのをためらつていたが、後記認定のとおり控訴人が昭和三一年暮ころ附近に道路に面した家屋を借りたことが昭和三二年一一月ころになつて判明し、いずれ控訴人が明渡してくれるものと心待ちにしていたところ、一こうにその気配がなかつたので昭和三三年九月七日控訴人に被控訴人方に来てもらい、控訴人に対し、本件建物を改築したいから本件店舖部分から右借り受け家屋に移つて本件店舖部分は明渡してもらいたいと頼んだ。
他方証拠を総合すると、つぎのことが認められる。
(一) 喜三郎の相続人たる控訴人乃至控訴人を含む喜三郎の相続人等は、豊島区駒込六丁目六三七番地に住宅と店舖を所有し、右住宅に居住している。右店舖の広さは約一二坪あり、控訴人乃至同人を含む喜三郎の相続人等は、「八百喜」の看板のもとに住込使用人二、三人を使用して右店舖と駒込三丁目の本件店舖部分において青果物商を営んでいる。尤も駒込六丁目の右店舖は、昭和二四年ころ豊島区内の個人営業の青果物商が組織した豊島青果販売株式会社の第一販売所ということになつているが、右店舖における営業の実体は控訴人又は同人を含む前記相続人等の個人経営である。
(二) 控訴人乃至同人を含む前記相続人等は駒込六丁目の前記店舖の隣りに所有している店舖を牛肉販売業を営む者に賃貸しており、また、同所の前記住宅の裏手に所有する宅地を四、五名の者に建物敷地として賃貸し、更に板橋区松野町には七軒の家作を所有し、相当の賃料収入を挙げている。
(三) 控訴人は昭和三一年暮ころ本件建物から三軒先きの道路の同じ側に面したところに一軒の二階建家屋を借り受け、しばらくこれを空き屋のまゝにしていたが、昭和三三年一二月九日親族の出資を得て「いづみ」と称する有限会社を設立し、自分がその代表取締役となり、右借り受け家屋でバーの経営を始めて現在に至つている。
以上認定した本件賃貸借成立の事情竝に当事者双方に存する諸般の事実を彼此綜合比較すると、控訴人が本件店舖部分において青果物販売を営むことは固よりその利益であることは充分に推認できるが、控訴人は本件店舖を失うも住宅、店舖に事欠くことなく又収入の激減を来すが如きことは到底あり得ないと認められる。これに比すれば前段認定の情況の下に於ける被控訴人の本件建物部分に対する使用の必要性は遥に緊急であり、大きいものと言はなければならない。本件店舖部分の使用については控訴人において被控訴人に譲るべきを相当とする。
以上の通りであるから、被控訴人のした前記解約の申入は、それをした当時はもちろんその後本件口頭弁論終結に至るまで正当の事由に基づくものと認めるべきである。
(鈴木忠 菊池 宮崎)