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東京高等裁判所 昭和36年(行ナ)138号 判決 1965年11月17日

原告 山崎富士雄

被告 高等海難審判庁長官

訴訟代理人 岡本元夫 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「高等海難審判庁昭和三十五年第二審第二八号昭和三十六年九月五日言渡機附帆船第五商栄丸、機船柏丸等衝突事件の裁決を取消す」との判決を求め、請求の原因として、

機附帆船第五商栄丸(以下商栄丸と略称する)は、原告操舵の上「コークス」六〇キロトンを載せ、船首一、五二メートル、船尾二、一二メートルの喫水をもつて昭和三十四年一月十七日午前六時十五分東京都大田区大森町東京瓦斯株式会社大森工場岸壁を発し、横浜市鶴見区大黒町日東化学工業株式会社横浜工場に向け航行し、多摩川沖燈浮標を右舷に見て通過後同日午前七時四十九分少し前鶴見防波堤東端より北東微東四分の一東(磁針方位以下同じ)三百メートル附近に達したとき、原告は、正船首より少し左舷前方約二百メートルに<記号省略>一〇六号を曳いて自船とほぼ平行の進路をもつて来航する機船柏丸(以下柏丸と略称する)を初認し、また右舷船首にも艀二隻を曳いて東行する曳船列を認めていた。当時商栄丸の時速約五海里、針路前記防波堤との間隔約四十メートル隔ててこれに平行するほぼ西南西、柏丸の時速約五海里、喫水船首〇、八メートル、船尾一、八〇メートル、針路前記防波堤との間隔約三〇メートル隔ててこれに沿う東北東、天候は快晴で西軟風、潮高は上げ潮中央期であつた。商栄丸は、原針路のまま進行して前記右舷側曳船列を約十メートル間隔で航過したが、このとき柏丸の曳く<記号省略>一〇六号が船首を左に約二十度振つたまま、自船に向つて接近して来るのを認めたので、衝突の危険を感じ面舵一杯に取つたが、その効なく、同時五十分頃前記防波堤東端から北東百メートルばかりのところにおいて、<記号省略>一〇六号船首が商栄丸左舷後部に激突し、その結果商栄丸は燃油「パイプ」から燃油が噴出して焼玉にかかり機関室内は一瞬のうちに火災となり、機関室、船橋、船員室などを焼損して鎮火、水船となり他方<記号省略>一〇六号も浸水のため水船となつた。

右海難の事実に対し、高等海難審判庁は、海上衝突予防法第二十五条第一項を適用し、昭和三十六年九月五日原告の小型船舶操縦士の業務を一箇月間停止する旨の裁決の言渡をしたものである。

ところで、右法条は「狭い水道をこれに沿つて進行する動力船は、それが安全であり、且つ実行に適する場合は、当該船舶の進行方向に対する航路筋の右側を進行しなければならない」と規定しており、本件衝突地附近が右にいわゆる狭い水道に当ること及び商栄丸及び柏丸が右にいわゆる動力船であることは争わないが、当時の本件衝突地点附近の航路筋は、鶴見防波堤寄り約五十メートル幅であつた。すなわち、本件事故発生当時千鳥町沖防波堤と同町沖岩壁間の第四区水道を航行する動力船は、免許区第一号ならびに第七五号「のりひび」建によつて、まず陸岸沿いの航行を制約され、さらに千鳥町東側大師航路の浚渫工事ならびに千鳥町沖埋立工事が盛んに行われ、浚渫船が各所に位置し、また埋立工事用浚渫パイプが敷かれ、第四区海域中千鳥町沖防波堤東端附近の水深は、陸岸寄りにおいて、きわめて浅い状態であり、しかも埋立工事と浚渫が同時に行われていた右水域附近は、海上保安庁において航行を禁止するほど水深の変化の激しかつた個所であつて、当時の航路筋は、たかだか五十メートル幅前後に過ぎなかつたものである。そして、中流は防波堤寄りに偏寄していたから、防波堤より約四十メートル離れて航行した商栄丸は、右側通行を厳守したと認めるべきにかかわらず、高等海難審判庁は、右裁決において可航幅を認定することなく、何らの証拠に基づかずして、「航路筋の右側につくことなく」とのみ判示し、かつ前記のとおり、本件水道附近では、当時浚渫と埋立工事が同時に行われ、浚渫パイプが立竝ぶ等陸岸側の障害が目立ち、無難な右側航法が可能であつたかも疑しいにかかわらず、右側を進行することが安全であり、かつ実行に適するとして原告の職務上の過失を認定したものであつて違法である。

よつて、原告の業務を停止する旨の本件裁決の取消を求める。なお右裁決書における認定事実及び本件衝突事故発生当日の横浜における潮高が被告主張のとおりであることはいずれもこれを認めると述べた。

被告の指定代理人は原告の訴却下の判決を求め、その理由として、およそ、行政処分取消の訴は、取消の対象となる処分の効果が現に継続、存在し、該処分の取消によつて侵害された権利が回復されうる余地がある場合に許されるものというべきところ、本件においては昭和三十六年九月五日原告に対し業務一箇月間停止の裁決がなされるや、同月九日原告は、その執行を受けるべく、海技免状を処分執行者である海難審判長理事官に提出してその執行に服し、その後執行停止の申立をなすことなく、同年十月八日その執行を了しているのであつて、しかも本件業務停止の処分がなされても海技免状には何らの記載もされないから、将来就職等に影響を与えるおそれもなく、その他被処分者たる原告に何らかの不利益を与える直接の法規も存しないから、すでに業務停止期間を経過した現在においては、原告は右処分を受ける以前と全く同一の法的地位にあり、従つて原告は、本件裁決の取消を求める利益を有しないものであると述べ、

本案につき原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告主張の事実中鶴見防波堤東端附近の水深が陸岸寄りにおいてきわめて浅く、可航幅が約五十メートルに過ぎなかつたこと及び海上保安庁において右水域附近の航行を禁止していたことを否認し、その余の事実は全部認める。原告主張の埋立工事及浚渫が当時行われていたことは事実であるが、これと本件水域附近の可航幅とはなんらの関係もない。本件衝突時における衝突地点附近の水路の状況は、昭和三十一年十二月一日刊行の海図第六七号(乙第一号証)によつて明らかであるが、衝突時における実際の水深は、海図所載の水深に当時の潮高を加えたものである。潮汐表によれば、当日の横浜における低潮は午前三時十分潮高〇、七メートル、高潮は午前十時二十分潮高一、六メートル、衝突時刻午前七時五十分における潮高は一、三六メートルである。そして、商栄丸の船尾喫水は、二、一二メートルであるから、衝突地点附近の海底が砂又は泥であることを考慮すれば、商栄丸にとつては海図上の水深〇、七六メートルを超えるところが航行可能であつて、鶴見防波堤東端附近においては可航幅約二百メートル、その東方の本件衝突地点寄りにおいては、それより可航幅が増している。しからば、本件衝突地点の南側防波堤寄りにおいては、せいぜい二十メートルの可航幅が存するに過ぎず、従つて柏丸としては、それ以上右側に寄れない状態であつたのに反し、商栄丸の右側には広汎な可航水域が存在したのであるから、原告は航路筋の著しく左方に偏して航行したものというべきである。本件裁決書に可航幅の記載がないのは、海図によつて水路の状況が明らかな場合には、これを記載しない海難審判の慣例に従つたに過ぎないと述べた。

(証拠省略)

理由

まず、被告の本案前の抗弁について判断する。

海難審判法第五条に基づいて海技従事者に対する一の懲戒として行われる業務の停止処分は、右停止期間中該処分を受けた者に対し海技業務に従事することを禁止する効果を有つたことは勿論であるが、同法第六条によれば、該処分を受けたこと自体が同条にいわゆる閲歴として将来の違反行為に課せられるべき懲戒処分の内容に影響を及ぼしうべきことを推知するに足るから、業務の停止処分の効果は、この点のみから観察しても、停止期間の経過と同時に直ちに消滅することなく、その後においても、なお残存するものというべきである。従つて、若し業務の停止処分が違法だとすれば、該処分を受けた者の法律上保護せられるべき利益の違法な侵害状態が依然残存するものというべきであり、かような処分を受けた者は、違法な侵害状態の排除を求めるために、該処分の取消を求める法律上の利益を有するものと認めるのが相当である。よつて被告の抗弁は採用しない。

よつて、本案について考察する。

高等海難審判庁が同庁昭和三十五年第二八号機付帆船第五商栄丸機船柏丸被引艀<記号省略>一〇六号衝突事件につき原告を受審人として審理の結果昭和三十六年九月五日本件衝突事故は原告の運航に関する職務上の過失に因つて発生したとして原告の小型船舶操縦士の業務を一箇月停止する旨の裁決を言渡したことは当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一号証(裁決書)及び同裁決書に示された認定事実は争わない旨の原告の陳述によれば、機付帆船第五商栄丸(以下商栄丸と略称する)は、「コークス」六〇キロトンを載せ、船首一、五二メートル、船尾二、一二メートルの喫水をもつて昭和三十四年一月十七日午前六時十五分東京都大田区大森町東京瓦斯株式会社大森工場岸壁を発し、横浜市鶴見区大黒町日東化学工業株式会社横浜工場に向い航行中、同七時四十九分少し前鶴見防波堤東端から北東微東四分の一東(磁針方位以下同じ)三百メートルばかりのところに達したとき、原告は、自ら操舵にあたり同防波堤を四十メートルばかり隔ててこれに平行するほぼ西南西に針路を定め、時速五海里ばかりの全速力で続航したが、その後間もなく、同時四十九分頃正船首より少し左舷にあたり二百メートルばかりのところに、生ゴム約百トンを積載する<記号省略>一〇六号を約七十メートルの曳索で引いて自船とほぼ平行の針路で来航する機船柏丸(以下柏丸と略称する)を初めて認め、また右舷船首にも艀二隻を引いて東行する引船列を認めていたが、原針路のまま進行して右舷側の引船列を十メートルばかり隔てて航過し、その後間もなく同時五十分少し前柏丸と左舷を相対し十メートルばかり隔てて航過したところ、このとき柏丸の引く<記号省略>一〇六号が船首を左に振つたまま、自船に接近して来るのを認め、衝突の危険を感じ面舵を一杯に取る等の措置をとつたが及ばず、同時五十分頃鶴見防波堤東端から北東百メートルばかりのところにおいて、<記号省略>一〇六号の船首は、ほぼ西微北を向いた商栄丸の左舷後部に前方から約四点半の角度で衝突したこと及び衝突の結果<記号省略>一〇六号は浸水の結果水船となり、また商栄丸は、衝突の衝撃により燃油パイプから燃油が噴出して火災となり、機関室、船橋、船員室などを焼損し水船となつたことが明認しえられる。

そこで、本件衝突時における衝突地点附近の可航幅について考察する。

思うに、或る時点における海の実際の水深は、特別の事情のないかぎり、海図に表示せられる水深にその時点における潮高を加算したものと認めるべきところ、本件衝突事故発生の当日の衝突時刻における潮高は、一、三六メートルであつたことは当事者間に争いがなく、商栄丸の喫水が最大二、一二メートルであつたことは前記のとおりであるから、喫水と潮高との差は〇、七六メートルとなることが明らかである。

ところで、被告は、本件衝突地点附近の海底は砂又は泥であるとし、右数字を根拠として、成立に争いのない乙第二号証(航路告示)と弁論の全趣旨によつて当時一般に使用されていたと認められる成立に争いのない乙第一号証(海図)に基づいて海図上の水深〇、七六メートルが商栄丸にとつて可航幅の最少の限界を示すものとし、鶴見防波堤東端附近の可航幅は二百メートルであり、その東方衝突地点寄りにおいては、それより可航幅が増していると主張する。

しかしながら、潮汐表の数値は、誤差が絶無と断定しうるかについては疑問があり、このことと一般に承認せられる気象及海水の変化に基づく海面の昇降、航行中の船舶は静止状態に比して喫水が増える等の諸現象の存在を考慮するときは、一般的基準として被告の右主張をそのまま採用することはできない。

そこで、本件衝突事故発生当日は、天候快晴、西軟風という当事者間に争いのない気象条件であつたこと及び他に特段の事情の認めるべきものがなかつたことを考慮に入れ、安全、確実を期して、海図上の水深〇、九メートルを採つても、前記乙第一号証によれば商栄丸にとつては鶴見防波堤東端附近には、約百二十メートルの可航幅を存したことが明らかであつて、原告の採つた同防波堤より約四十メートルを隔ててこれに平行する針路よりも、右側になお約八十メートルの広い航行可能水域の存在したことが認められる。

原告は、その主張のような事情で、本件衝突事故発生当時の衝突地点附近における可航幅は、たかだか五十メートルに過ぎなかつたと主張するが、かような事実を確認するに足る何らの証拠もなく、成立に争いのない甲第七、八号証及び原告本人訊問の結果には、原告及び訴外遠藤章は、船を運航中本件衝突地点附近水域で船を底触させた旨の供述及び供述記載が見られるが、これらによつても、多年船の運航に従事する原告等が何時かような経験をしたかの点が不明であるばかりでなく、底触したと供述する地点自体も判然としないから、いずれもこれを採らない。かえつて成立に争いのない乙第三号証(昭和三十四年一月十四日発行の乙第一号証の改版海図)には乙第一号証の海図と比べて、本件衝突地点附近海域の水深が深くなつているところはあるが、浅くなつているところがないことが認められることからすれば、本件衝突時において、衝突地点附近の水深が原告主張のような状況にあつたとは、とうてい認めることができないのである。

以上の認定事実によれば、同防波堤東端附近には、本件において原告の採つた商栄丸の針路より右方に、なお約八十メートルの商栄丸航行可能水域が存在したことが明らかであるが、これに反し、前記乙第一号証によれば、同防波堤東端には内方へ約二十メートル幅に同防波堤に沿う界線があり、同界線と同防波堤との間にはきわめて浅いところがあることが認められ、従つて柏丸としては同防波堤を三十メートルばかり隔ててこれと平行する前記認定の同船の針路より、さらに右側を航行することを許されない限度にあつたものと認めるべきであるから、本件の場合、原告は、遅くとも前記のように、前方に来航する柏丸の引船列と他の引船列を認めるや、直ちに針路を右方に転じ右各引船列と十分に余裕のある距離を存して、左舷を対して替りうるように操船すべきであつたものというべく、かような措置に出ることなく、左側境界線たる同防波堤から約四十メートルを隔てるに過ぎない原針路を採つて続航したこと、それに加えて、被引船にあつては、多少の揺首は避け難く、現に、前記甲第八号証によれば、原告は、<記号省略>一〇六号の船首が左に揺れていたので、引船柏丸との航過距離よりは近づくことを予知していたことが認められるにかかわらず、原告が前記原針路を変更することなく、両引船列の中間に突入し、柏丸より少し前に別の引船列と右舷対右舷に、次で柏丸と左舷対左舷に、それぞれ、ほぼ十メートルの間隔で近接航過する危険を敢てしたことは、正しく海上衝突予防法第二十五条第一項に違反し、かつ衝突を未然に防止するために必要な措置を怠つたものというべきであつて、原告に職務上の過失があつたものと認めざるをえない。

原告は、本件裁決書に可航幅が具体的に明示されていないことをもつて違法であると主張するかのようであるが、かように解すべき何らの根拠もない。

以上説示するところにより原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 仁分百合人 小山俊彦 渡辺惺)

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