大判例

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東京高等裁判所 昭和37年(う)2103号 判決

被告人 小久保芳尾

〔抄 録〕

検察官の所論は、原判決の事実誤認を主張するので、記録を検討すれば、原審までの取調べで明らかになつた事実関係と問題点を要約すると次のとおりである。すなわち、神田弘子が府中市美好町二丁目四番地にある甲州街道を横断歩道に従つて横断中、立川方面より右街道を進行してきた自動車を避けてセンターライン附近で立止つたとき、右自動車に対向してきた二人乗りのオートバイが、横断中の右歩行者に対する注視を怠り車を同女に接触転倒させて、通院加療一ケ月を要する左下腿挫創の傷害を与えそのまま走り去つたので、偶々第二種原動機付自転車ベンリー号一二五CCを運転して同街道を立川方面よりきた田島武が目前に右事故を現認し、直ちにユーターンして被害者の状況を気づかつたところ、被害者神田弘子より一足先に右横断歩道を渡り終えた野口孝がそこに居合わせた外一名の者と一緒に、被害者を道端に運んで介抱していたので、その傍らに行き「追いかけませうか」と声をかけたところ、「お願いします」といわれたので直ちに轢き逃げをしたオートバイの後を追跡し、右現場から二、七〇〇メートル距つた北多摩郡国立町谷保七、一八二番地のあたりで、被告人が杉山元を同乗させて運転した軽自動二輪車コレダ二五〇CCに追付き、これを轢き逃げをしたオートバイであると判断し、その車輛番号を確認して警察に届け出でたので、被告人に対し本件公訴が提起されたのであるが、原審は被告人が右轢き逃げをした犯人とは認め難いとして無罪を言渡したものである。

よつて、原判決の当否を審案するに、先づ原判決は、田島武が事故後追跡のためスタートするまでの時間が四〇秒以上であつたと判断し、また、加害車は時速六〇キロメートル以上で逃走したという前提に立つて、仮に田島武が同人のいう時速六〇ないし七〇キロメートルでこれを追跡しても、既に四〇秒以上遅れてスタートしていては二、七〇〇メートルのところでこれに追い付くことは不可能である、と見ているのである。そして本件事故現場は甲州街道の新道バイパス路上であるが、その南側にはほぼこれに並行して旧甲州街道の本道が通つていて、京王線東府中駅附近で分れた右新旧両道は、本件事故現場より五〇〇メートル西方(立川寄り)のところで再び合流しているのであるが、原判決の認定は、田島武が追跡のためスタートしたとき、加害車は、とつくに右五〇〇メートル先の合流点を越えていた筈であり、その後から被告人が旧道より出てきたのを知らず同人は、これを加害車であると誤認したものと判断しているのである。

事故後田島武がスタートするまでの時間の測定について、原審は、前記野口孝の被害者救護の行動と、田島武自身のスタートまでの行動を再演してこれを測定したのであるが、前者によれば三九ないし四八秒を要し、後者によれば一七ないし二二秒となつているのである。原判決は、本来一致すべきものが、くいちがうのも、このような場合にありがちのことといえようといいながら、前者の測定方法によつたものを採用して、その時間を四〇秒以上であつた蓋然性が相当強いと判断しているのであるが、右のような行動を再演することによつて、秒単位で計算する程の正確な測定をすること自体が困難なことであつてこれを事実認定の根拠とすることは相当でない。

次に、原判決は、加害車が時速六〇キロメートル以上で逃走したと判断しているのであるが、その根拠も薄弱である。なる程野口孝は実況見分の際立会人として、逃げた単車は七、八〇キロメートルのスピードで立川方面に行つたと説明しているところもあるけれども、同証人は当審においては右の速度を五〇ないし六〇キロメートルと訂正しているのである。同証人は前記の如く被害者の救護に没頭したものであつて、加害車が走り去るのをじつと見守つていた訳ではなく、ほんの瞬間的にこれを見たときの感じをいつているに過ぎないと見なければならない。このように、田島武のスタートまでの時間と、加害車の速度が原判決の判断しているようなものでなければ、田島武が二七〇〇メートルのところで真実の加害車に追いつくことが不可能であるといい切ることはできないのである。

田島武は、事故を現認してから前記のような行動をとつた後加害車を追跡するためスタートしているのであるから、同人がスタートしたとき、これと加害車との距離が相当に開いていたことは否定できない。しかしながら、原審で取調べた証拠と当審における事実取調べの結果とを綜合してみると、田島武が追跡をはじめたときは時刻からいつてあたりは薄暗く加害車の姿を確認はできなかつたけれどもその逃走してゆく黒いかげは見えており、殊に前記五〇〇メートル先の合流地点にはガソリンスタンドなどがありその附近一帯は電燈の光で特に明かるくなつているのであるが加害車が同所を通過するところを確認し得たのである。新道は右合流地点よりやや右方に曲つているので加害車は右合流地点を右にカーブして右曲り角に隠れたが、その後右合流地点に旧道より進出してきたオートバイはなく、見失つた加害車と自分との間に加害車に紛ぎらわしいオートバイが介入する余地がないので、田島武はそのまま追跡を続け前記地点において二人乗りの単車すなわち被告人に近付いてこれを加害車と判断したものであることが認められるのである。

原判決は、前記田島武のスタートまでの時間と、加害車の逃走速度を根拠にして、田島武がスタートした時は加害車はとつくに五〇〇メートル先の合流点を越えており、被告人の単車も旧道からでてきて既に合流点を過ぎていたかも知れないから、田島武が旧道からきた被告人の車を見なかつたとしても、加害車と田島武との間に被告人の車が介入してこれを加害車と誤認することはあり得る、としているのであるが、事故現場より合流地点は見透しのきくところで、しかも同所は明かるいので、新道を行つてそこの曲り角に隠れた加害車の後、旧道から同所を直通(旧道からきたものは曲らない)したオートバイのないことを確認した田島武の判断は正確なものといわなければならない。

被告人は、搜査官に本件現場に連れて行かれて、あたりをよく見た上、本件当日新道の現場を通過したことを認めたのである。原判決は、被告人は右新道がバイパスであることも知らないで、甲州街道を通つたなら、ここを通るはづだと思つて現場を通つたと述べたかも知れないから、被告人が一度現場を通つたことを認めたとしても、その自認には疑問がある、と説明しているのであるが、被告人はこの地方の地理にうとく道を尋ね尋ね行つたというのであるから、若し前記新旧両道の分れ道のところで人に尋ねたのなら、勿論新道を教えられたに相違ない。また、誰にも尋ねないで自分の判断で選ぶとすれば、新道の方は道幅も広いし、車輛などの交通量なども旧道に比較して遥かに多いので新道を選ぶ蓋然性が強いといえるのである。前掲証拠から判断しても、被告人が搜査官に対し新道を通つたことを認めたのは矢張り真実をいつたものとみなければならない。

すなわち、被告人は新道を通つて本件事故をおこし、約五十キロメートルの速力で逃走したものと認められる。田島武はこれを六〇ないし七〇キロメートルの速力で追跡して二七〇〇メートルの前記場所でこれに追い付いたものと認めることができる。

以上、原判決は事実を誤認して被告人に対し無罪を言渡したもので破棄を免れないので、検察官の本件控訴を理由ありと認め、刑事訴訟法第三九七条第一項第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により自判する。

(兼平 斎藤 関谷)

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