東京高等裁判所 昭和37年(う)2127号 判決
被告人 藤田光弘
〔抄 録〕
本件事故は原判決の判示するとおりの態様のものであつて、ひとえに被告人がその運転する自動車進路前方に対する注意を怠つたことに起因することが明らかであるが、事故現場は市街地で相当の交通量もあり、殊に大型貨物自動車を運転していた被告人としては安全運転のため充分な注意を払うべきであつたに拘らず、手前端に防壁を備えた目につき易い市電停留場の安全地帯の存在にも気附かずに同地帯に真正面を向け時速四〇粁位で進行したと言うのであつて、その前方注視義務違反は甚だ高度な過失と云わなければならない。所論は、本件事故は外形的には被告人が前方注視義務を怠つたために惹起したものと見られるにしても、被告人が前方注視義務を怠つたのは、その注意能力を有しながらこれを怠つたものではなく、夜を徹してなした二〇時間にも亘る長時間運転の疲労のため注意能力が低下していて、所要の注意義務を充分に果し得なかつたためであり、右過労運転も貧困な被告人が堪え忍ばなければならない過重な労働条件に因るもので、避け得ないものであつたとして、この点を重要な酌量事由とすべきである、と主張するけれども、自動車運転に際しては重大な事故を起こす危険性があり、その運転者は極力安全運転に意を用うるを要し、若し過労等によりその運転に必要な注意能力を欠くに至つた場合には、休養によつてその能力を回復したうえで運転を継続する用意を要求されているのであつて、被告人の服する労働条件の過重の故を以つて右要求される用意を閑却することは許さるべき筋合のものでなく、これを怠ることは他に被害を及ぼす危険あるのみでなく、自らも不測の損害を招く危険を敢えてするものであることは、本件事故自体の示すところであつて斯る事情は酌量事由として過当に評価し得べきものではないのである。所論はまた本件傷害は被告人がその運転する貨物自動車を直接被害者に接触或は衝突させて負わせたものでなく被害者が被告人の自動車により衝突されることを恐れて電車の軌道敷上に飛び降り、その際軌条と敷石との間に足を取られて顛倒したために生じたもので、被告人にとつては不幸な偶然であつたから、この点も大いに酌量せらるべきである、と主張するけれども、被害者が自分の立つている安全地帯に真正面を向け至近距離に迫つて来た大型貨物自動車に気附き、同自動車から衝突される急迫した危険を感じて驚愕し、その衝突を免かれるようとしてあわてて電車の軌道敷上に飛び降りたのは、本能的な必然的行為とも言うべく、その結果軌条と敷石との間に足を取られ顛倒して本件傷害を蒙つたと云うのであつて、このような事情による傷害は、直接被告人の自動車による接触或は衝突のために生じた傷害と何等選ぶところがなく、その間の犯情に著しい差異あるとはなし難いのであつて、この点の所論も多く首肯すべきものあるとは言い得ない。しかも被告人は、昭和三六年一月に犯した業務上過失傷害により同年一〇月二六日禁錮六月に処され目下その刑の執行猶予中であるに拘らず、相当高度な業務上過失により重ねて本件事故を惹起したのであつて、本件事故に対する被告人の責任は決して軽視し得ないところである。されば本件傷害が著しく重大なものではないこと被告人或はその近親が再三に亘り被害者を訪ねて謝罪と見舞をなし、その後被害者に医療費の外慰藉料三二万円を支払うことを約して示談を遂げ、既にそのうち一七万円を支払つていること、被告人が本件事故後自動車運転の業務から離れ、一介の製材工として低収入に甘んじ、妻の外小学校六年生を頭とする四人の幼い子供を抱えながら貧困な生活に堪え、謹慎の日常を送つていること等所論指摘の諸事情を斟酌するも、原判決の量刑は必ずしも重きに過ぎるものとはなし難く、所論は所詮理由ありとはなし得ないのである。
(兼平 斉藤 関谷)