東京高等裁判所 昭和37年(う)956号 判決 1963年6月13日
控訴人 原審検察官 内田達夫
被告人 武藤昌三
弁護人 平沼高明
検察官 内田達夫
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役二年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は水戸地方検察庁検察官内田達夫作成名義の控訴趣意書記載のとおりでありこれに対する答弁は弁護人平沼高明提出の答弁書のとおりであるからいずれもここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
検察官の控訴趣意第一点及び第二点について、
所論は原判決が本件被告人の行為を単なる暴行と認め、強姦未遂と認定しなかつたのは、事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つた違法があると主張する。
よつて、本件記録を調査し、並びに当審における事実の取調の結果を総合すると、本件犯行の現場は茨城県東茨城郡小川町大字中延字杉平地内の松林内であつて、右個所は小川町より堅倉方面に通ずる堅倉街道から左に分岐し、小川町宮田部落に通ずる幅約二、三メートルの町道(農道)を北西に約五百メートル進んだ個所において、右町道と丁字型をなして北東方に通じている幅約二メートルの山道を約五メートル進入した地点であつて、現場附近は五、六年ないし二十年生の松樹等に囲まれ、右町道は電灯設備はなく人の往来もまれであり、右山道は殆ど全く人通りのない昼尚薄暗い淋しい揚所である。しかして被告人は判示の日午後五時頃右町道を小川町方面に向い自転車に乗つて通行中反対方向から帰宅途上の小川小学校五年生上野明子(当時十年)を認め、同女とすれちがつた後直ちに引き返して前示丁字路角附近で同女を「自転車で送つてやる」と云つて自已の自転車に乗せ、間もなく右丁字路を右折して山道に入つたので、山道を約五メートル進んだとき、同女が不安を感じ自転車より飛び降りて逃げようとしたところ、被告人は「遊んべ」(遊ぼうとの意)と云いながら背後から同女の胴を抱き左手で同女の口を塞ぐ等の暴行を加えたことが認められるのであつて右現場附近の状況並びに被告人の行動と、被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述を総合すると、被告人は同女を姦淫する意思を以て、同女を山道の奥の方に連れ込もうとしたが同女が不安を感じて逃げ出そうとしたので前示の暴行を加えたものと認められるのである。従つて、被告人の暴行は直接姦淫行為の一部に属するものではないとしても、前示のように被告人が同女を姦淫する意思の下に同女を山道の奥深く連れ込もうとしたところ、不安を感じた同女が逃げ出そうとしたのを妨げるためになされたものであるから右行為は、被告人の姦淫の実行の着手に外ならないものと云うべくこれを以て未だ姦淫の着手と認められないとした原判決は事実を誤認し、法令の適用を誤つた違法があると云わなければならない。故にこの点の論旨はいずれも理由がある。
(その余の判決理由は省略する)
(裁判長判事 藤嶋利郎 判事 山本長次 判事 荒川省三)
原審検察官の控訴趣意
原判決は「被告人は、昭和三十六年十一月九日午後五時十分頃、東茨城郡小川町大字中延地内路上において、通行中の小川小学校五年生上野明子(当時十年)を認めるや劣情を催し、同女を強いて姦淫しようと決意し、同女を呼び止めて附近の山道に連れ込み同女に抱きついて性交を要求し、左手で同女の口を塞ぐ等の暴行を加えたが、同女が泣き出し逃げ出したため、その目的を遂げなかつたものである。」との公訴事実に対し、被告人の右現場における姦淫の意図を蔵する暴行の事実を認めながら、未だ強姦の着手行為なしとして単なる暴行罪と認定し、刑法第二百八条を適用「被告人を懲役六月に処する。但し本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は全部被告人の負担とする」旨の言い渡しをしたが、原判決には事実の誤認及び法令の解釈適用に誤りがあつて、その誤りがいずれも判決に影響を及ぼすことは明らかであり、且つ刑の量定においても甚だしく軽きに失し不当であるから破棄せらるべきであると思料する。以下にその理由を開陳する。
第一、事実誤認について
本件暴行は強姦の現場において強姦の手段として行われたものであるのに拘わらず、原判決が強姦の現場における暴行ではなく現場に赴く過程において行われた単純な暴行に過ぎないと認定した事は、事実を誤認したものであると思料する。
即ち本件現場は、茨城県東茨城郡小川町大字中延字杉平地内の松林内で、比較的交通量のある通称堅倉街道から、人車の往来稀な町道を約五百メートル進んだ地点を更に二、三メートル人跡稀な山道に入つたあたりで、文字通り極めて淋しいところであつて、周囲は五、六年乃至二十年生の松林等に囲まれ、ために附近は昼間尚薄暗い場所であることが司法警察員茅根潔作成の実況見分調書(記録第三十一丁)によつて窺われるのみならず、そもそも前記町道は堅倉街道より、同町宮田部落に通ずる幅員約二、四メートルの非舗装道路であるが、人車の往来稀なることは右実況見分調書並びに被害者の父上野和男の司法警察員に対する供述(記録第二十丁、二十一丁)及び同人の検察官に対する供述(記録第二十六丁、二十七丁)によつても認められるところであり、本件現場は右町道より北東方にのびる山道で両側に生立する樹木の枝葉が一面に覆いかぶさつている人跡ほとんど稀な個所であることが窺われるのである。(実況見分調書添付写真参照)
原判決は「検察官は結局被告人は判示暴行の現場において、判示暴行を手段として直に姦淫行為に及ぼうとしたものとし、そして被告人の検察官に対する供述調書に之に副う供述記載あるのをその証拠としてあげるのである。然し被害者証人上野明子の当公廷の供述は判示認定に副うものであつて、その供述からは被告人の判示暴行現場における姦淫実行の意思は全く窺えない。……」と判示しているので被害者証人上野明子の当公廷における供述を検討するに(記録第六十七丁裏以下)
自転車に乗つてどの位そつちへ入つたか。
二米位です。
それはどちらへ行く道か。
下田の方へ行く道です。
どつちへ入つたのか。
右です。
そこは畑か、それとも木がはえているところか。
木がはえています。
どの位入つたか。
一米か二米位入りました。
それからどうしたか。
帰ると言つたら遊ぶだけだと言つて口を押さえました。
その人はどうしたか。
飛び降りました。
それからどうしたか。
後から私の事をつかまえたのです。
どうつかまえたのか。
脇から抱いたのです。
そしてどうしたか。
遊ぶだけだからと言つていましたが、私は家で戸を締めたりする用事があるので、後から口を押さえられたが咬みついて逃げました。
口がきけなくなる程押さえられたのか。
はい。
どこを咬んだのか。
指を咬みました。
あなたは泣かなかつたか。
泣きません。
大きい声を出したか。
はい。………
また更に記録第七十四丁裏以下において
この事件の前に武藤と話をしたことがあるか。
ありません。
十一月九日の日に武藤が遊ぼうと言つたことをどう思つたか。
暗いところで遊ぶなんて嘘だと思いました。
暗いところで遊ぶなんて馬鹿でもなくては遊ばないです。
武藤はあなたをどうするつもりだと思つたか。
暗いところへ連れて行つて殺されるのではないかと思いました。
あなたが自転車から飛びおりて、武藤は口へ手をやつて体を押さえたか。
騒ぐと困ると思つてだと思います。
その時、体を押さえられてどう思つたか。
別に思いませんでした。
武藤は手を咬まれてからどうしたか。
すぐ離してしまいました。
あとを追つて来なかつたか。
来ませんでした。
武藤があなたの体に手をかけたのは胴のまわりへやつたのみで他には手をやらなかつたか。
他にはやりません。
と証言している。
上野明子は、当時小学校五年生で当時十才の少女であり、男女関係殊に姦淫行為に関する知識経験は全くないものと認められる。したがつて、被告人が如何なる意図を以つて本件暴行を行なうに至つたかについて適確な判断をなし得る筈はなく、それ故、右の暴行を受けたとき、山の中へ連れて行つて殺されるのではないかと思つたと供述しているのである。被告人に姦淫の意思があつたかどうか、その意思に基づいて暴行に及んだかどうかを少女の口から窺い得ない事は、むしろ理の当然である。だからといつて被告人に姦淫を実行する意思がなかつたと断定することは出来ない。姦淫の意思のあつたかどうかは、現場における被告人の行動、現場の時間的、地理的情況等から綜合して判断せねばならないものと考える。被告人は捜査の段階において終始姦淫の意思のあつたことを自供しており、検察官に対する供述の内容も極めて自然であつて、被害者の供述とも合致し信憑するに値する供述である。
本件の動機については、被告人はかねて片山君子(当三十年)と同棲していが、被告人の母をはじめ親戚等にその結婚を強く反対され煩悶していたところ、当日本件現場附近を自転車で通行中、たまたま顔見知りの被害者を同乗させて被害者方に向う途中現場に差しかかつた際、同女を強姦して被害者の口からその事実が自己の結婚に反対する母親はじめ親戚等に伝わり、その結果、母親らが顔向けできないようにして自己を見放なさせて結婚の自由を獲取せんとの意図の下に本件犯行を敢行したものであることは、(記録第百三丁乃至第百七丁)及び(記銀第百九丁乃至第百十二丁)によつて認めることができる。
本件暴行の現場の情況は、前記の通り人の通行の極めて少ない淋しい山道であり、当時現に他に通行人もなく、夕刻の淋しい時間であつて、この山道を山林の中に少しでも入つたならば全く人目につかぬような場所であり、強姦等には最も恰好な場所であつて、その場においては強姦ができないというような場所ではないのである。しかも被告人は被害者をとらえて「遊んべ」と言つているのであるが、本件地方において「遊んべ」というのは性交しようという意味を有している言葉であり、被害者こそその意味を十分理解していなかつたが、被告人は性交しようという意味で「遊んべ」と発言しているのであり、被告人がその場において姦淫しようとする意思をこの一言からも十分認め得るのである。
以上詳細に論じた如く、本件現場の情況、被告人の行動等を綜合的に判断すれば、被告人は当時本件現場において強姦の実行行為に着手したものと認定すべき案件なりと確信するものである。
しかるに原判決は各証拠の綜合判断を誤り、特に被告人の捜査官に対する各供述と公判廷における供述の価値判断を誤つたため、本件強姦行為の着手を目して単に暴行と認定する事実誤認に陥つたのであつて、その事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明白であるから原判決は到底破棄を免れないものと信ずる。
第二、法令の解釈適用の誤りについて
前記第一、において述べた通り、被告人は本件現場において、姦淫の意思の下に上野明子の肩をつかみ、口を塞ぐ等の暴行を加えたものであつて、正に強姦の手段たる暴行の着手があつたものと解釈すべきである。
仮に百歩ゆづつて判決の言う如く他に拉致して強姦せんとしたが、被害者が不安を感じ逃げようとした際同女に対しその肩をつかむ等の暴行を加えて逃亡を防いだだけで、その場で姦淫行為そのものに着手したものでないとしても、いやしくも強姦の意図の下に被害者に対し、その手段たる暴行行為に及んだ以上、たとえ暴行行為のみで終つても強姦未遂が成立することは多言を要しないところである。
原判決も、被告人は判示暴行の際姦淫もしくは猥褻の意図を蔵していたことは判示の通りであるが、判示暴行は上野明子を山道の奥に連行する過程において同女が逃亡したり騒いだりするのを防ぐために咄嗟になされたものに過ぎず、前記のようにこれを直接の手段として姦淫しようとしたものでもなく、又右暴行に引き続き姦淫等の行為をなそうとしたものでもないから、右暴行をもつて強姦の着手行為とすることは出来ないと判示しているが、姦淫もしくは猥褻の意図を蔵していたことを認めながら、その意図に基づく暴行が姦淫の直接の手段ではないと解釈することは自家撞着である。
この点原判決は、強姦の着手についての法律の解釈適用に誤りを犯しているのであつて、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるので破棄せらるべきものと思料する。
(その余の控訴趣意は省略する)