大判例

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東京高等裁判所 昭和37年(ウ)1039号 決定 1962年11月15日

申立人 大島豊 外三名

訴訟代理人 三文字正平 外一名

主文

本件申立を棄却する。

申立費用は申立人等の負担とする。

理由

申立人等は強制執行の停止決定を求める理由として、別紙準備書面記載のとおり主張した。

本件記録によると、次の事実を認めることができる。

原裁判所は、申立人等を債権者とし、金子妙雲を債務者とする同裁判所昭和三十二年(ヨ)第二、〇二四号職務執行停止、代行者選任仮処分申請事件について、申立人等の申請を相当と認め、昭和三十二年七月二十四日債務者金子の宗教法人羅漢寺の責任役員兼代表役員としての職務の執行を停止し、その代行者として訴外岡崎秀太郎を選任する旨の仮処分決定をなしたところ、右金子から異議の申立がなされたため、原裁判所は口頭弁論を開いて審理した結果、昭和三十七年十月九日申立人等の仮処分申請を理由ないものと認めて、原裁判所がさきになした上記仮処分決定を取り消し且つこれに仮執行の宣言を附した判決の言渡をなしたものである。

仮処分命令に対して債務者から異議を申立てられて、口頭弁論を開いて審理した結果、判決で右仮処分命令を取消す場合においては、民事訴訟法第七五六条ノ二の規定の精神から、つねに職権で仮執行の宣言を付することが必要であるが、これは誤つて発せられた仮処分命令を直ちに失効させて、誤つた仮処分命令の執行を受けている債務者をなるべく早く救済するを相当とするからである。そうだとすれば、右の場合に、債権者が右判決に対し控訴したとの一事によつて、同法第五一二条を適用して、当然に原判決の執行停止を命ずるのは適当でなく、原判決が明らかに法律に違反しまたは事実の認定を誤つているため控訴審において取消されるおそれが十分に存在し、且つ仮処分の申請が理由がある等のかくべつの事情の存在する場合でなければ、停止決定をなすべきものでないと解するのを相当とする。このように解しないと、本来同一である仮処分の申請について口頭弁論が開かれて審理され、右申請が却下された場合に、右判決に対し控訴がなされた場合と、余りにも権衡を失する結果にもなることになる。

申立人の主張と証拠とでは、原判決が明らかに法律に違反しまたは事実の誤つているとのことはとうてい認められないから申立人等の本件執行停止の申立は理由がないものとして、これを棄却することとし、申立費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 村松俊夫 裁判官 浜田潔夫 裁判官 伊藤顕信)

準備書面

第一原審判決には次の如き明白な事実の誤認がある。

原審判決は宗教法人羅漢寺に於ては既に住職となつていたものが、代表役員になること、住職の選任については、何ら規定がないこと、という事実判断と、これを前提としたこの様な場合には住職は信徒の総意即ち信徒総会の議決に依つて選任さるべきであると言う独自の理論に依つて(当事者の何れからも主張されず、判決に於て忽然と現れた理論であつて、この点については訴訟当事者が全く事実上も法律上も攻撃防禦を尽していない。)被申立人は右の信徒総会に於て選出されたと事実判断を下した。然しながら右の事実及法律判断は総て誤りであつて羅漢寺規則に於ては住職即ち代表役員であつて住職の選任は代表役員の選任に依るべきこと、住職の選任規定としては、羅漢寺住職規則(疏第四号証の原審疏第二十二号証)が規則として存在しこれが代表役員の選任と同様方法を住職の選任方法として、規定していることは明らかであるが、これらの争点は原審に於て論争された点でもあるので、ここでは触れない。然し被申立人が信徒総会に於て住職として選出されたと言う原審の判断はそれのみを以つてしても明らかな誤りである。

原審が言う昭和三二年四月二三日の会合は信徒の極く一部と羅漢寺の関係者が集つた話合の会で到底信徒の総会と言うに由なきものである。これを原審に提出されていない疏明資料に依つて疏明すれば羅漢寺の信徒は二百名を越える(疏第五号証羅漢寺信徒名簿記載の人員疏第六号証の一、二、宗教法人規則認証申請書記載の人員)にも拘らず、当日話合に出席するよう往復葉書の発送をなされた者はその発送手続をした申立人小池潔の当日の日記(疏第六号証)の記載にも明らかな通り僅か十七名に過ぎない。右の日の会合はこれらの人人に依つて開かれたのであつて(疏第七号証)他に総会がある旨の公告も通知もなされていないから総会が成立したとは到底言えないし、又この会合では、各自まちまちの意見が述べられ相談がなされたと言うだけで、議長も選ばれた訳でもなく、議決がなされた訳でもない。以上の次第で原審判決はこの点に於ても明らかな誤認をしていると言わざるを得ない。従つて原審判決が言う、住職は信徒の総意即ち、信徒総会に依つて選任さるべきだと言う理論を一応承認するとしても、その前提となるべき事実がないのであるから到底原審判決は維持さるべくもないのである。

第二原審判決をそのままにする時は次の如き回復すべからざる損害の生ずる虞がある。

(1)  原審判決は昭和三二年七月二四日に原審判決がなした被申立人の職務執行を停止し、その職務代行者の選任をなした決定を取消してこれに仮執行の宣言を附したのであるが、この判決は次の如き結果を招来することは自明の理である。

即ち被申立人は本案裁判の推移とは無関係に宗教法人羅漢寺の代表役員として、思うままの行為処分をなすことが出来ることとなり、羅漢寺の財産そのものを失わしめるに至ることである。これは被申立人の行為が、同人のみの判断に依つてではなく、その情夫である荒木五郎等の意思に依つて動くものであるところからも、大いにその虞が存在するのである。被申立人等は第一審訴訟中、裁判所より代表役員の職務代行として、弁護士岡崎秀太郎が選任されていたにも拘らず、これとは全然無関係に羅漢寺の金銭収支をなし(例えば賃料の取立使用)その報告を一切なさないばかりか、昭和三十二年十一月十四日頃から、従来東京都建築局より建築停止の勧告を受けて、一時中止をしていた庫裡跡の茶室兼貸席風の建物五十二坪の建築を右の勧告を無視し、勿論職務代行者にも何の相談もなく、工事を始め、これを知つた職務代行者が、その中止を勧告したところ、却つて徹夜でその工事を続け、止むなく職務代行者が、有刺鉄線を以つて、右建物に張り廻らしたるところ、これも撤去して、何処かえ持去り、相変らず工事を続けているので、万止むを得ず、職務代行者は、被申立人を相手方として、東京地方裁判所に対し、工事停止、処分禁止、立入禁止の仮処分を申請し、同処分は工事が既に完成していたので、処分禁止、占有移転禁止が認められるに至つたのである(疏第八号証の一乃至三)。及被申立人は昭和三十三年一月に前記職務代行者に無断で、昭和三十三年一月に宗教法人羅漢寺所蔵の羅漢像二躰を寺院外に持ち出し、展覧会に出品し、職務代行者より注意されたが、これを顧なかつた事実がある(疏第九号証)。以上の如く、被申立人は裁判所の命令に依り、同所より選任された職務代行者が存在し、自己の代表役員としての職務を停止されている時に於いてさえ、他の役員を無視した横暴極る行為をしているのであつて、右の如き場合土地に借地権が設定され、或は動産を他に即時取得される様なことがあれば、右財産については、到底回復することが出来ないことになるのであつて、今後かかる場合の生ずることは充分考えられるのである。かかることになれば申立人等責任役員が、後に本案判決に依つて、羅漢寺に於て有効に存在することになつたとしても、最早その意味が無くなつてしまうのである。

(2)  宗教法人羅漢寺に於ては、申立人等責任役員の選任は代表役員に選任及解任権があるのであり(疏第三号証羅漢寺規則第七条第二項)本事件の本案は、申立人等責任役員の解任の無効を争うと共に被申立人の代表役員選任の無効を争うものである(申立人等責任役員は被申立人の情夫荒木五郎が代表役員の代務者になつたと称して解任されたものである。原審判決に於ては申立人等は代表役員の選任無効については、破れたものの責任役員の解任無効については全員勝訴しているのである。然るに原審判決の如く、被申立人の代表役員としての職務執行停止を取消し、これに仮執行の宣言を附したままにする時は、早晩荒木五郎の傀儡に過ぎない被申立人が、申立人等を新に解任し、自己の身代り乃至は配下を責任役員として選任することは明らかであつて、この様に外形上も正当な代表役員責任役員を揃える時は、被申立人等は如何なる横暴をもなし得ることとなり、前項に述べた回復し得べからざる損害発生の恐畏は正にその極に達すると言わねばならない。

又申立人等は現在に於ては原審の事実記載の如く、過去の一時点に於ける選任の無効を争つているのであるが、被申立人が仮執行の宣言を附された代表役員の権限に基づいて、右の如き行為を続けざまにする時は選任に限らず登記に至る迄総ゆる行為を逐次その無効なることを追加して争つていかねばならず、その紛糾煩雑は到底訴訟の関係者をして、堪え得ざる状態に陥らしめることはこれ又、自明の理と言わねばならないのである。

以上種々述べた理由に依り、原審判決の仮執行の宣言はこれを停止して戴くのが、最も妥当なる処置と確信するので、申立に及んだ次第である。

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