東京高等裁判所 昭和37年(ネ)598号 判決 1962年10月12日
控訴人 富美子こと若尾冨美子
被控訴人 四郎こと岩佐陽一郎
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人らは「原判決を取消す。東京地方裁判所が昭和三六年(ヨ)第三、九五九号不動産仮処分申請事件につき、昭和三六年六月二六日なした仮処分決定はこれを認可する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出、認否、援用は、原判決事実摘示のとおりであるから、こゝにこれを引用する。
理由
昭和三三年二月五日控訴人と被控訴人との間に控訴人主張の内容の契約が締結されたこと、同年四月一六日新会社即ち日本美術工芸貿易株式会社が設立され、控訴人と被控訴人が共に、その代表取締役に就任したことは当事者間に争がない。
控訴人は、右契約中の、被控訴人は新会社設立と同時に新会社が営業上必要な建物を建築するため新会社に対し本件土地(東京都港区赤坂新坂町九番の一、宅地一、六九一坪二合八勺)を賃料一ケ月金二〇万円にて賃貸する旨の条項は新会社を受益者とする第三者のためにする契約であると主張するのに対し、被控訴人は、右条項は商法所定の財産引受に該当し、第三者のためにする契約としては成立する余地のないものであると争つているので先ずこの点について判断する。成立に争のない甲第二号証、甲第八号証(乙第五号証に同じ)並びに原審における控訴人、被控訴人各本人尋問の結果によれば、昭和三三年二月五日控訴人と被控訴人との間に締結された控訴人主張の内容の契約は、新会社の設立を主たる目的とした所謂発起人組合契約に該当するものであつて、右契約の当事者であつた控訴人、被控訴人は何れもその後同年四月十一日に作成された新会社の定款に発起人として署名し、発起人となつたが、前記発起人組合契約中に存する本件土地賃貸借契約は控訴人が設立中の新会社の機関としての発起人もしくは新会社設立発起人組合の代表者という地位において被控訴人との間に締結したものではなくて、控訴人が個人として契約したものであることが認められる。しかるに、財産引受とは発起人が設立中の会社の機関として財産提供者との間において、会社の成立を条件として対価を約して一定の財産の譲受を約する契約を指すものであるところ、前記認定のとおり控訴人は設立中の新会社の機関としての地位においてではなく、個人としての地位において本件土地賃貸借契約を締結したのであるからこの点から見ても本件土地賃貸借契約は財産引受に該当せず、従つて本件土地賃貸借契約が商法所定の財産引受に該当する旨の被控訴人の主張は失当であり、控訴人主張の本件土地賃貸借契約は、控訴人を要約者、被控訴人を諾約者、将来成立すべき、新会社を受益者とする第三者のためにする契約と認めることができるものである。
次に、被控訴人は、本件土地賃貸借契約には要素の錯誤があるから無効であると抗弁するのでこの点について判断する。被控訴人は本件土地賃貸借契約は控訴人が経営上の信用、経験、才幹を提供する外、控訴人は甲州財閥であり資金はいくらでも出すというので締結したのであり、且そのことは協定書(甲第二号証)にも記載されているものであるところ、後日右は悉く真実に反することが判明したと主張するが、成立に争のない甲第二、第三号証及び原審における控訴人本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲第九、第一一、第一二号証並びに原審における、証人川添紫郎、下村真次郎の各証言及び控訴人本人尋問の結果によれば、新会社は、繊維製品、美術工芸品、貴金属品、真珠製品、漆器陶器及び写真類の輸出、観光施設及び料理飲食店の経営、ならびに以上に付帯する一切の業務を営むことを目的とするものであるところ、本件土地賃貸借契約と同時に控訴人と被控訴人間でなされた新会社設立を目的とする発起人組合契約において、控訴人が資金及び経営上の信用、経験、才幹を提供する旨の合意がなされているが、控訴人は昭和三一年頃日本の美術工芸品輸出調査のため渡米し、米国において展示会を開いたこともあり、他方、銀座でバーの経営をもしているもので、前記のような営業を目的とする新会社については、経営上の経験、才幹も或程度持ち合せていることが推認されるし、又控訴人は右発起人組合契約当時少くとも港区田村町及び渋谷区恵比寿に土地を所有した外多少の資産を有し、新会社の事業につき既に政、財界人二十数名の賛同を得ているなど資金及び経営上の信用も或程度有していると認められ、更に、控訴人が竹中工務店と話合いの結果、本件土地に建築すべき新会社の建物は竹中工務店の名で一応建築し、新会社が建築資金を年賦で返済して新会社の所有とする旨の契約を成立させていることは控訴人の経営上の信用を裏書きするものというべきである。右認定に反する原審における、証人伊月剛三の証言、被控訴人本人尋問の結果は信用し難い。しかして、原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、右協定において、控訴人が提供を約した新会社経営のための資金は二億円と予想されていたことが認められるが、弁論の全趣旨によれば、右は新会社の経営に当り必要に応じて逐次調達支弁すれば足るものであつて、一時に二億円を調達提供することを要するというものではないと認められるところ、前段認定の控訴人の資産、信用、経営の経験に照らすと、控訴人にとつて、右資金調達が相当困難ではあるとしてもこれを不可能であつたものと断定することはできない。そうだとすると、本件土地賃貸借契約には被控訴人主張の如き要素の錯誤があつたとはいい難い。被控訴人は、更に本件土地賃貸借契約は合意解除されたと主張し、原審における、被控訴人本人尋問の結果及び証人伊月剛三の証言中には右主張に沿う供述があるけれども、これらは何れも措信し難く、他に右合意解除の事実を認むべき証拠がない。
ひるがえつて、新会社が、本件第三者のためにする契約につき受益の意思表示をなしたが否かについて考えると、原審における、証人下村真次郎の証言並びに控訴人、被控訴人各本人尋問の結果によれば、新会社設立直後頃、本件土地内の新会社の建物を建築すべき場所を新会社代表取締役である控訴人と被控訴人とで決定したことが認められるから、新会社は右契約につき受益のための默示の意思表示をしたと認めることができる。しかし乍ら、右の如き受益の意思表示によつて新会社はその代表取締役である被控訴人と賃貸借関係に立つことになるのであるから、かような場合には新たに新会社が取締役と賃貸借契約を結ぶ場合に準じ商法第二六五条に定める取締役会の承認を必要とするものと解する。しかるに右受益の意思表示については新会社取締役会の承認を得たことにつき何らの主張も立証もないから、新会社において未だ有効な受益の意思表示をなしていないと認める外はない。被控訴人は、新会社が代表取締役である被控訴人から本件土地を賃借することを承認するための取締役会は今日迄招集されたことはなく、今後もかゝる目的の取締役会を招集することは絶対にありえないから本件第三者のためにする契約は履行不能であると主張し、原審における、証人伊月剛三の証言及び被控訴人本人尋問の結果によれば、新会社の取締役会が未だ一度も開かれていないことが認められる。そこで、今後右受益の意思表示につき新会社取締役会の承認が得られる見込があるかどうかについて判断する。成立に争のない甲第三、第八号証、原審における控訴人本人尋問の結果によつて成立を認めることのできる甲第四号証の一乃至一八、同第九号証並びに原審証人伊月剛三の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果、同じく控訴人本人尋問の結果の一部を綜合すると、本件土地は、被控訴人の別邸で立派な庭園もあり、前記甲第二号証の協定当時で四億円の時価を有するものであり、新会社としては、本件土地に約三〇〇坪の建物(鉄筋コンクリート二階建本館、その床面積二六五坪余、和室離れ床面積三五坪余)を建て、外に野外食堂、ゴルフ練習場をも設け、こゝを実業界の有力者をメンバーとする貿易クラブとし、宿泊飲食の設備、貿易振興のためのギヤラリー、日本芸術紹介のための舞台等を設けて右クラブ員その他の者の利用に供するという計画で、その費用としては本館建築費だけでも六、〇〇〇万円を要するものと見られていた。そして、これらの経費は、新会社の資本金五〇〇万円の外はすべて控訴人が調達支弁することゝしたものである。しかるに、控訴人は新会社の株式払込金二〇〇万円ですら被控訴人側の督促でようやく所謂見せ金として銀行に預けたものゝ、設立手続を終るとすぐ払戻してしまい、その他新会社の所要経費の支出もせず、被控訴人側の伊月剛三がこれを支出するというような状況であつたところから、被控訴人としては控訴人の資力、信用に深い疑問を抱き、新会社の前途を危んだ結果、当初控訴人に約した本件土地上の被控訴人所有建物の本件土地外への移築及び新会社への本件土地の貸与を躊躇するに至り、なお、先に被控訴人が払込んだ株式払込金三〇〇万円も新会社設立の一ケ月後に払戻しているような状態で、そのため新会社は本件土地上に前記建物を建築できなくなり、会社は設立したものゝ何ら事業を行わず、最初から休業状態を続けていたが、そのうち被控訴人より控訴人に対し事業の中止を申入れるような事態に立至り、株主総会も、取締役会も一度も開かれていない有様である。しかも、新会社の事業は、もともと本件土地を基本として計画され推進されてきたものであり、本件土地の所有者である被控訴人の協力なくしては実際上実行することが不可能な事情にあり、(即ち、新会社の取締役は被控訴人及び被控訴人側の伊月剛三並びに控訴人及び控訴人側の嗚海重松の四名で、控訴人と被控訴人は共に代表取締役であつて定款上は共同代表とされているが、右定款第二四条によれば各取締役の任期は既に満了しており、他方、新会社の発行する株式総数は四万株(五〇〇円株)で、発行済株式の総数は一万株であり、その内六、〇〇〇株については被控訴人及び被控訴人側の者が株主となり、残りの四、〇〇〇株については控訴人及び控訴人側の者が株主となつているところ、右定款第二三条によれば取締役の選任は発行済株式総数の三分の二を超える株式を有する株主が出席し、その議決権の過半数をもつてこれを行い、累積投票によらないものとする旨定められている。)現在では被控訴人は控訴人との共同事業を中止して新会社を解散したい意思を有している、という事実が認められる。以上の事実によれば新会社が今後その目的とする事業を遂行することは実際上不可能に近く、前記受益の意思表示につき将来新会社取締役会の承認を得る見込は殆んどないといつてよい。
しかして、右の事実は、第三者のためにする契約が未だ履行不能になつたわけではないから、本件仮処分における控訴人の被保全権利の存在を否定するものではないとしても、係争物に関する仮処分の目的は被保全権利の執行を保全することであり、本件における被保全権利は本件土地を控訴人にではなくて、新会社に引渡すべきことを求める権利であるから、その新会社が前記認定のように本件土地の引渡を受けるための要件である有効な受益の意思表示をする見込の殆んどない場合においては、結局右被保全権利の執行を保全する必要性は極めて乏しいものといわねばならない。
以上の次第で、本件仮処分申請は、保全の必要性を欠くから、右申請はその余の点について判断するまでもなく失当であつて排斥を免れない。
よつて、右仮処分申請を認容し、控訴人に対し金二五〇万円の保証を立てさせた上、被控訴人に対し、本件土地につき譲渡質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分を禁止した原審の仮処分決定は不当であり、この決定を取消し控訴人の本件仮処分申請を却下した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木禎次郎 川添利起 山田忠治)