東京高等裁判所 昭和37年(ラ)15号 決定 1962年1月30日
決 定
佐久市大字中込三七三番地の三
抗告人
丸山朝
右代理人弁護士
浜本辰夫
同市大字野沢六四番地
相手方
並木信政
抗告人は、長野地方裁判所岩村田支部が同庁昭和三六年(モ)第二一号執行文付与に対する異議申立事件について、昭和三六年一一月一四日付でした申立却下の決定に対し適法な即時抗告の申立をしたので、当裁判所は、つぎのとおり決定する。
主文
原決定を取り消す。
抗告人と相手方との間の長野地方法務局所属公証人吉沢政雄作成昭和三三年第六五三号宅地建物賃貸借契約公正証書に対し同公証人が昭和三四年四月一七日に付与した執行文はこれを取り消す。
相手方から抗告人に対する右公正証書の執行力ある正本にもとづく強制執行はこれを許さない。
申立費用は原審および当審とも相手方の負担とする。
理由
一、本件抗告申立の趣旨および理由は、別紙記載のとおりである。
二、本件の債務名義である長野地方法務局所属公証人吉沢政雄作成昭和三三年第六五三号宅地建物賃貸借契約公正証書に対する執行文の付与から原決定がされるにいたるまでの経緯が抗告人主張のとおりであることは、一件記録に徴してこれを認めることができるところ、本件抗告申立にかかる争点は、債務名義に形成された賃料債権の範囲いかんの一点である。
ところで、本件公正証書(記録第一二丁)によれば、同公正証書には、執行債権者である相手方並木信政は、執行債務者である抗告人丸山朝に対し同公正証書記載の不動産を賃貸し、「賃貸借期間は昭和三十三年十二月十日から昭和五十三年十二月九日までとする。」(第二条)、「賃料は十ケ年金二十万円也と定め十ケ年毎に前払とする。前項の賃料は土地又は建物に対する諸税その他負担の増減若くは一般経済状態により不相当となつたときは双方合意の上これを増減することができるものとする。但し賃料を支払つた期間の賃料については適用しない。」(第三条)と定め、さらに、「賃借人は昭和三十三年十二月十日から向う十ケ年分の賃料金二十万円也を支払い賃貸人はこれを受領した。」(第一二条)としつづいて、「賃借人は賃料債務の履行をしないときは直ちに強制執行を受けても異議ないことを認諾した。」(第一三条)との記載があることおよびこの公正証書は昭和三三年一二月一六日に作成されたことが明らかである。右以外に賃料債権の範囲に関する記載はない。
もともと、公正証書において、債務名義として形成される請求権の範囲は、公正証書の記載全体から明確にされる支払をなすべき一定金額の給付議務とこれについての強制執行受諾の意思表示とによつて定まるわけであるところ、本件公正証書ことにその第二条、第三条および第一二条の記載によれば、昭和三三年一二月一〇日から昭和五三年一二月九日までの賃料債権のうち昭和三三年一二月一〇日から昭和四三年一二月九日までの二〇万円については、本件公正証書が作成された昭和三三年一二月一六日には、すでに弁済期が到来していたことでもあり、当事者間では、その決済を了し、したがつてこの限度の給付義務は弁済により消滅しているものとしてこれを確認し、その趣旨の前示第一二条の条項がおかれ、これにつづいて、前示第一三条のとおりの強制執行受諾の条項を定めたわけであるから、この執行受諾の意思表示は、本件公正証書においては、その余の昭和四三年一二日一〇日から昭和五三年一二月九日までの賃料二〇万円の債権についてだけされ、その旨記載されているものと解さざるを得ない。右第一二条にかかる昭和三三年一二月一〇日から昭和四三年一二月九日までの賃料が実際には決済されておらず、やがてこれついて本件公正証書により強制執行に及ぶことも許されるとするためには、はじめから右第一二条のような条項を除いておくか、さもなければ特に、右賃料の履行についても債務者において強制執行を受諾する旨の明確な表示をしておくべきものとするのが相当である。したがつて、昭和三三年一二月一〇日から昭和四三年一二月九日までの本件賃料債権について執行文を付与することができないことができないことは明らかである。なお、その余の昭和四三年一二月一〇日から昭和五三年一二月九日までの賃料二〇万円については、その履行期がいまだ到来していないこともまた前示認定の第三条にかかる定めから明らかである。
右のとおりである以上、本件公正証書には執行文を付与すべきでないことが明らかであり、したがつて、本件抗告は理由があるから、その執行文の付与を是認するに帰する原決定は取消を免れず、また、付与された執行文はこれを取り消すべく、相手方から抗告人に対する右執行文の付与された公正証書の執行力ある正本にもとづく強制執行はこれを許さないこととし、なお、申立費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九六条に従い、主文のとおり決定する。
昭和三七年一月三〇日
東京高等裁判所第六民事部
裁判長裁判官 関 根 小 郷
裁判官 入 山 実
裁判官 荒 木 秀 一
抗告の趣旨
主文第一ないし第三項と同旨。
抗告の理由
一、相手方は即時抗告人と相手方間の長野地方法務局所属公証人吉沢政雄作成昭和三三年第六百五拾参号宅地建物賃貸借契約公正証書において定められた昭和三十三年十二月十日から昭和四十三年十二月九日迄の賃料二十万円也の支払義務(前払)を履行しないとして昭和三四年四月十七日右公正証書につき同公証人より執行文の付与を受け、同月二十八日頃即時抗告人所有の有体動産に対し強制執行をなし右物件の競売期日は同年五月十一日と指定された。
二、そこで即時抗告人は昭和三十六年六月十九日右公正証書にはその第三条において「賃貸借期間は昭和参拾参年拾弐月拾日から昭和五拾参年拾弐月九日までとする」第参条において「賃料は拾ケ年金弐拾万円也と定め拾ケ年毎に前払する」又第拾弐条において「賃借人は昭和参拾参年拾弐月拾日から向う拾ケ年の賃料金弐拾万円也を支払い賃貸人はこれを受領した」第拾参条において「賃借人は賃料債務の履行をしないときは直ちに強制執行を受けても異議ないことを認諾した」との明瞭な各記載があり、これらの各条項の記載内容並びにその排列の順序及びその位置等を綜合して合理的に考えると、右公正証書は昭和四十三年十二月十日以降昭和五十三年十二月九日までの賃料についてのみその不履行の場合強制執行をなしうるのであつてすでに賃借人が支払い賃貸人が受領ずみの旨明記されている昭和三十三年十二月十日から昭和四十三年十二月九日迄の賃債料権二十万円也については即時抗告人たる賃借人の執行受諾の意思表示を欠きこの分については債務名義となり得たいことが明らかである。従つて前記公証人が相手方の申請に対し前記昭和三十三年十二月十日から昭和四十三年十二月九日迄の賃料二十万円の債権につき執行文を付与したことは形式的執行力さえ持たない公正証書に対し執行文を付与した違法の措置であるから右執行文の取消並びに右公正証書の執行力ある正本に基ずき強制執行不許の裁判を求めるため長野地方裁判所岩村田支部に対し同庁昭和三十六年第二一号執行文付与に対する異議申立をなしたるところ原裁判所は、申立却下の決定をなしたのである。
三、然しながら、そもそも公正証書が適法かつ有効な債務名義となりうるためには、一定額の金銭等の給付を目的とする特定の請求につき債務者がその不履行の場合直ちに強制執行を受けても異議ない旨の執行受諾の意思表示が疑いの余地のない明瞭さで証書に記載されていることが絶対必要な要件であつて右執行受諾の意思表示が公正証書に執行力が与えられる根源的要件であることはいうまでもないことである。
そして本件についてみるに前示のような本件公正証書の各条項の内容並びにその排列の順序及びその位置等を綜合し更に同証書第拾四条の「保証人は本契約成立を保証し賃借人と連帯して債務履行の責に任ずる」旨の記載における保証人の保証の保証の範囲に関する当事者の意思をも考えあわせて、合理的に解釈すれば賃借人が強制執行を受諾した範囲は賃借人が将来履行しない昭和四十三年十二月十日より昭和五十三年十二月九日迄の賃料のみであると解するのが当事者の意思にも一般的に合致し妥当な解釈というべきものであつて若しそうでないと賃借人は第十三条において、第十二条に記載されている既に履行済の賃料債務についても強制執行を受けても異議ない旨の意思表示をなしたものと解する外ない結果となつて了いかかる矛盾せる不合理な解釈が到底容認さるべきもないことからも明らかである。
四、然るに原審は、前示のような本件公正証書記載の各条項の内容並びにその排列の順序あるいは一部履行ずみの旨記載ある賃料につき債務者の執行受諾の意思表示を欠く(或るいはその余の分についてのみ執行受諾の意思表示がある)ものとみるべき特段の条項が存しないことに徴し即時抗告人(賃借人)は昭和三十三年十二月十日から昭和五十三年十二月九日までの約定賃料金額について執行受諾の意思を表示し債務名義を成立せしめ、そのうち昭和三十三年十二月十日から昭和四十三年十二月九日までの賃料については単にその履行が証書作成と同時になされた旨の支払受領関係が便宜同証書に記載されたものとみるほかないから、相手方が右公証書の記載と異なりいまだ現実にその履行がないとして前記公証人に対し右公正証書につき執行文の付与を求め同公証人がこれを容れ本件公正証書に執行文を付与したことは相当であり右措置に対し執行文付与の異議を以て同証書に基く強制執行の排除を求めようとした即時抗告人の本件申立を却下する旨の前記決定をしたのは失当である。
よつて、抗告の趣旨記載の通りの裁判を求めるため本抗告を提起する次第である。