東京高等裁判所 昭和37年(行ナ)38号 判決 1971年7月31日
原告 世界長株式会社
被告 山田化学工業株式会社
主文
特許庁が昭和三五年審判第二八二号事件について昭和三七年二月一三日にした審決を取り消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二原告の陳述した請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和二七年一一月六日特許出願(昭和二七年特許願第一七五七八号)、昭和三四年八月二六日設定登録、登録番号第二五四〇一五号、名称「塩化ビニール系樹脂とゴムとの接着剤製造法」なる発明(以下「本件特許発明」という。)の権利者である。ところが、被告は、昭和三五年四月九日、特許庁に対し、本件特許発明について特許無効の審判を請求し(昭和三五年審判第二八二号事件)、特許庁は、昭和三七年二月一三日、右特許を無効とする旨の審決をし、同審決の謄本は、同月二六日、原告に送達された。
二 本件特許発明の要旨
ゴムまたは塩化ゴムあるいはこの両者を有機溶剤中に溶解し、触媒の存在下にそれと酢酸ビニール、メタアクリル酸エステル、アクリル酸エステルまたはアクリルニトリルの一種または二種以上とともに加熱反応せしめることを特徴とする、そのまま接着に使用しうる塩化ビニール系樹脂とゴムとの接着剤製造法。
三 本件審決の理由の要領
本件特許発明の要旨は、前項のとおり認められるところ、その出願前国内に頒布された社団法人日本ゴム協会発行「日本ゴム協会誌」第二三巻第一一号第三一七頁ないし第三二一頁の論文「新しいゴム誘導体による金属とゴムの接着」(以下「引用刊行物」という。)には、「クレープ状ゴムを、過酸化ベンゾイル触媒の存在下に、トルエン中で、アクリルニトリルと加熱反応させる方法」が記載されており、この方法は、本件特許発明の接着剤の製造法と、その処理方法自体において格別の差異を有しないものと認められるから、本件特許発明の製造法は、引用刊行物に容易に実施しうる程度に記載されているものであることが明らかである。
本件特許発明を、仮に、右方法によつて得られる生成物をそのままで塩化ビニール系樹脂とゴムとの接着剤として使用しうることの知見にもとづく、いわゆる用途発明と解し、検討するに、引用刊行物には、右反応生成物をさらに加工し、金属とゴムとの接着剤を得ることが記載されており、この接着剤と本件特許発明の接着剤とを比較するに、両接着剤の組成上の差異は、本件特許発明の接着剤が未反応物その他の反応残留物を含むゴムとアクリルニトリルとの反応生成物の溶液であるのに対し、引用刊行物の接着剤は、酸化防止剤を添加した比較的純粋なゴムとアクリルニトリルとの反応生成物の溶液である点に存する。しかしながら、このような反応残留物または酸化防止剤の有無が、両者の接着剤としての利用分野において格別予想し難い差異をもたらすとする根拠は、本件特許発明の明細書の記載その他によつても認めえないから、本件特許発明の接着剤の適用分野をゴムおよびこれと物理的性質の近似したビニール系樹脂に選ぶことは、引用刊行物の接着剤がすでにゴムを一方の被接着物とする場合の接着に適用しうることが知られている点を考慮する場合、当業者の容易に想到しうる程度のものということができる。
したがつて、本件特許発明の接着剤製造法は、本件に適用のある旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第四条第二号の規定に該当するばかりでなく、これを、仮に接着剤としての特定の適用分野を指示したいわゆる利用発明と解するとしても、発明を構成するものとは認めえないから、本件特許は、旧特許法第一条、第五七条第一項第一号(特許法施行法第二五条第一項)により、無効とされるべきものである。
四 本件審決を取り消すべき事由
本件特許発明の接着剤製造法と引用刊行物記載の接着剤製造法との間につぎの1から4までにのべるとおりの構成上の差異があり、この事実に後記5ないし8の諸事実の存することを参酌総合して考察するときは、本件特許発明は引用刊行物の記載から容易に想到しうるものではないというべきであるにかかわらず、これを容易に推考しうるものとした本件審決は違法として取消をまぬがれない。
1 まず、本件特許発明の接着剤製造法と引用刊行物記載の接着剤製造法とを対比検討すると、つぎのとおりである。
本件特許発明の要旨は前述のとおりであり、その製造法は、(1)(原料)(a)ゴムまたは塩化ゴムあるいはこの両者を、(b)有機溶剤(たとえば、ベンゾール、トルオール)に溶解し、(2)(方法)(a)触媒(たとえば、過酸化ベンゾイル)の存在下に、(b)酢酸ビニール、メタアクリル酸エステル、アクリル酸エステルまたはアクリルニトリルの一種または二種と共に、(c)加熱反応せしめることを特徴とする、(3)(目的物)そのまま接着に使用しうる塩化ビニール系樹脂とゴムとの接着剤を製造するものである。その方法によつて製造された接着剤は、塩化ビニール系樹脂とゴムとの接着剤に用いられ、その接着に当つては、接着剤に何らの加工処理を施すことなくそのまま使用しうるものであり、該接着剤を塩化ビニール系樹脂シート面に塗り、ゴムシートと貼り合わせ、圧着加熱する等の公知手段を用いれば十分である。換言すれば、「反応生成物を更にアルコールで沈澱せしめて反応系外に取り出し、之に硫黄やマーキヤプトベンゾチアゾールの如き加硫剤や加硫促進剤等を加え、再び有機溶剤に溶解」するがごとき加工処理を加える要はなく、反応生成物溶液がそのまま接着に使用されうるのである(甲第二号証の本件特許発明の公報左欄下から一五行ないし一一行参照)。ただ、ゴムシートが加硫ずみのものである場合には、ゴムシート面に、あらかじめゴム糊を塗布しておくが(甲第二号証「本件特許発明の公報」記載の実施例2)、これは、本件特許発明にかかる接着剤の加工ゴム面への濡れをよくするための補助に用いられるにすぎず、ゴムシートが未加硫ゴムの場合には、右のような補助剤を何ら用いる要がなく、接着剤の加硫ではなく、ゴムシート自体の加硫工程を要するだけである。
他方、引用刊行物記載の接着剤の製造法は、(1)(原料)(a)ゴムを、アクリルニトリルその他種々のビニール単量体と、過酸化ベンゾイル(触媒)の存在下に、トルエン(有機溶剤)に溶解したものを加熱反応させて得たゴム誘導体、(b)加硫剤、(c)加硫促進剤、(d)老化防止剤、(e)加硫助剤、(f)有機溶剤(ベンゼン)、(g)酸化防止剤を用い、(2)(方法)(a)のゴム誘導体のトルエン溶液より、ゴム誘導体を取得し、これに(b)(c)(d)(e)を捏和し、ベンゼン(f)にゴム誘導体一〇%濃度に溶解するか、あるいは、(a)のゴム誘導体ゲルを、粉砕、乾燥、圧延(この間(g)を加える。)の工程を経、ついで(b)(c)(d)(e)を捏和し、ベンゼン(f)にゴム誘導体一〇%濃度に溶解するかして、(3)(目的物)金属とゴムとの接着剤を製造するものである。そして、この接着剤による接着は、被接着体たる金属片をみがいてその上に、(1)塩化ゴムフイルム、(2)塩化ゴムとゴム誘導体配合組成の混合フイルム、(3)ゴム誘導体配合組成のフイルム、(4)軟質配合ゴム溶液のフイルムを順次塗布し(この四種のものの溶液は、すべてベンゼンを用いて作る。)、被接着体たるゴムシートを重ね、ついで、これらを加熱加硫して行うものである。被接着体である金属とゴムシートの面には、それぞれ直接に、塩化ゴムフイルムまたは軟質配合ゴム溶液フイルムが塗布され、その中間に、ゴム誘導体と加硫剤との混合物を主体とする溶液を介在せしめることを必須要件とするものであり、右ゴム誘導体の溶液は、被接着体である金属とゴムのいずれにも直接塗布されるものではないから、接着剤というよりは、むしろ金属とゴムとの接着における接着補助剤というのが妥当である。
2 ところで、審決は、引用刊行物には、クレープ状ゴムを過酸化ベンゾイル触媒の存在下に、トルエン中でアクリルニトリルと加熱反応させる方法が記載されており、この方法は、本件特許発明の接着剤の製造法と、その処理方法自体において格別の差異がないとする。
しかしながら、引用刊行物全体を通続するときは、審決のいうように、同刊行物に叙上の反応方法が記載されているとみられないわけではない。しかし、引用刊行物記載の接着剤であるその反応生成物は、そのまま接着剤として使用されるものではなく、これに、硫黄等の加硫用薬剤を加えて接着剤として用いるものであり、前にも指摘したとおり、接着剤としてではなく、接着のための中間補助層として用いられ、さらに、接着後加硫の工程を必須とする。これに対し、本件特許発明は、反応生成物溶液自体を、そのまま何らの加工処理を行うことなく、直接、被接着体の表面に塗布して接着の目的に使用される接着剤を製造するものであり、その製造法は、引用刊行物記載の接着剤の製造方法のうち、その原料の一成分たるゴム誘導体の製造方法において前叙1の(1)の(a)に記載した限りで共通するものがあるにとどまる。のみならず、本件特許発明の接着剤は、接着後、接着剤自体の加硫を必要としないものである(もつとも、本件特許発明において、圧着後加熱することがあるのは、ゴムシートが未加硫ゴムであるときは、これを加硫し、また、ゴムシートが加硫ゴムであるときは、その表面に塗布された未加硫ゴム糊を加硫するための加熱であつて、接着剤の加熱ではない。)。
以上によつて明らかなように、本件特許発明の製造法と引用刊行物記載の製造法との間には、ゴムとアクリルニトリルとの反応自体において差異がないようにみえるとはいえ、接着剤の製造方法としてみるときは、原料および方法において全く異なつている。
3 つぎに、審決は、引用刊行物には反応生成物をさらに加工して金属とゴムとの接着剤をうることが記載されており、本件特許発明の接着剤を上記接着剤と比較した場合、両接着剤の組成上の差異は、前者が未反応物その他の反応残留物を含むゴムとアクリルニトリルとの反応生成物の溶液であるのに対し、後者は酸化防止剤を添加した比較的純粋なゴムとアクリルニトリルとの反応生成物の溶液である点において差異があるが、このような反応残留物または酸化防止剤の有無が両者の接着剤としての利用分野において格別予想しがたいような差異をもたらすとする根拠は認めることができないとして、本件特許発明の進歩性を否定する。
なるほど、引用刊行物の接着剤がゴム誘導体溶液の製造途中において酸化防止剤を加えていることは、審決の判示するとおりである。しかし、それはさらに、加硫剤等をも加えて接着剤としているのであるから、これをもつて、審決のいうように、単純に、その組成上において反応生成物に酸化防止剤を加えた比較的純粋なものであるとする審決の認定は誤りである。しかも、本件特許発明の明細書中には、従来本件特許発明の「ようにして得た生成物を更にアルコールで沈澱せしめて反応系外に取り出し、之に硫黄やマーキヤプトベンゾチアゾールの如き加硫剤や加硫促進剤等を加え、再び有機溶剤に溶解したものを、金属とゴムとの接着に用いるは知られているが、これはゴムと塩化ビニール系樹脂の接着剤としては実用に適しないものである」旨の明確な記載がある(甲第二号証公報左欄下から一五行目ないし九行目参照)から、反応残留物または酸化防止剤の有無が両者の接着剤としての利用分野において格別予想し難いような差異をもたらすとする根拠は、本件特許明細書の記載その他によつてもこれを認めることができないとの審決の認定は、明白な誤りである。のみならず、引用刊行物の接着剤は、先にものべたとおり、本件特許発明における接着剤のようにゴム誘導体溶液をそのまま接着使用するものではなく、これに、加硫剤を添加してはじめて接着剤となるものである以上、両者は、接着剤の製造法自体としても全く異なり、かつ、接着における作用においても、接着剤層の加硫が必須であるか否かの点で全く異なる。
4 審決は、引用刊行物には、クレープ状ゴムを過酸化ベンゾイル触媒の存在の下にトルエン中でアクリルニトリルと加熱反応させる方法が記載され、該方法は本件特許発明の接着剤の製造法とその処理方法自体において格別の差異はないと認定した。
しかしながら、本件特許発明の接着剤製造法と引用刊行物のそれとでは、反応自体についても、顕著に異なる。すなわち、両者はいずれも、ゴムの有機溶剤溶液に、過酸化ベンゾイルの存在下に、アクリルニトリルのごときビニール単量体を添加して加熱反応せしめるものであるところ、このような反応にあつては、その際、ゴムにビニール単量体が接枝(グラフト)結合し、この接枝の枝の長さが適当に成長するもので、この接枝の枝の長さおよび数は、原料の使用量および濃度、反応の温度および時間ならびに触媒の使用量および濃度に左右される。そして、ゴム分子にグラフトするビニール化合物の枝の長さが長いときはグラフトしたビニール重合物の性質を併せ有するにいたることは明白であり、このグラフトの枝のビニール重合体は被接着体の一方たる塩化ビニール系樹脂に対し大きな親和力を示し、他方、骨核たるゴム分子は、被接着体の他方であるゴムに大きな親和力を示すものである。ところで、本件特許発明における生成物はいずれもグラフトの枝が長いから、右反応生成物の溶液は、ゴムと塩化ビニール系樹脂との接着に使用した場合、満足すべき接着力を示すにいたるのに対し、引用刊行物のゴム誘導体にあつては、ゴム分子にグラフトするビニール化合物の枝の長さが比較的短いため、ビニール重合物の性質を併有する度合が少なく、したがつて、引用刊行物の接着剤は、硫黄等の加硫剤等を加え、接着剤層を加硫することによつて、はじめて、ゴムと金属等との接着の目的を達成することをうるのである。
このように、両者は反応自体においても顕著な差異を有するにもかかわらず、審決がこの点を看過し、本件特許発明をもつて引用刊行物の記載から容易に想到しうるものであるとしたのは、事実の認定を誤つたものである。
5 引用刊行物の記載は、これを忠実に実施しても、その目的とする接着剤を得ることができない(甲第五号証の一、二)。このような刊行物を引用して、本件特許発明を当業者の容易に推考しうるものとすることは許されない。もつとも、本件特許発明の明細書中には、従来の接着剤に関して前記3の項に引用した記載があるが、それは引用刊行物記載の方法による接着液の製造および接着操作の煩雑なことならびにこの接着剤によつてはゴムと塩化ビニール系樹脂が十分接着されないことを認めて記載したものであつて、引用刊行物記載の方法の実施によつて接着剤をうることが可能であることを認めた趣旨の記載ではない。
6 引用刊行物における接着剤の研究は、既知のエボナイト接着、すなわち、軟質配合ゴムを金属表面に結合させるためのエボナイト補助層の使用における脆弱性を改良し、かつ、接着後の温度変化に耐えるような接着剤を得ることを目的とし(甲第四号証の二引用刊行物第三一八ページ左欄一三行目ないし一六行目および同欄三五行目ないし同ページ右欄二行目参照)、エボナイトのように多量の硫黄を用いないで接着しうるごとくゴム誘導体の改良をしたものであつて、本件特許発明におけるように、ゴム誘導体溶液に硫黄等の加硫剤等を加えないことおよびこれを直接被接着体に塗布使用することは、全く考えていなかつたことが明らかである。したがつて、本件特許発明の接着剤が、引用刊行物記載のゴム誘導体溶液に近似しているとしても、これを、そのままゴムと塩化ビニール系樹脂との接着に使用することは、多くの研究と実験とにもとづき、かつ、この分野における深い技術知識によつてはじめて、なしうることである。
7 審決は、接着剤の適用分野をゴムとビニール系樹脂とに選ぶことは、ビニール系樹脂がゴムと物理的性質の近似したものであることおよび引用刊行物においてすでにゴムを一方の被接着体としている以上、当業者の容易に想到しうることであるとする。しかし、これは、被接着体の相違にともない接着の作用効果を異にすることを看過したものである。
たしかに、塩化ビニール系樹脂シートが堅さ、触感等において、引用刊行物の一方の被接着体である金属よりもゴムに近似していることは、争わない。しかしながら、金属は硫黄原子の存在によりエボナイト結合の方法をもつて強力に接着されるのに対し、塩化ビニール系樹脂はゴム中の硫黄と結合すべき原子を何ら有していないから、ゴムとの被接着体として、金属と塩化ビニール系樹脂とは本質的に違つている。このことは、ゴムとゴムとの接着に有効ないわゆるゴム糊(クレープ状ゴムのベンゾール溶液)がゴムと金属およびゴムと塩化ビニール系樹脂との接着に全く効果のないこと、ゴムと金属との接着に有効なエボナイト接着法がゴムと塩化ビニールとの接着に全く効果のないこと、ゴムと塩化ビニール系樹脂との接着に有効な本件特許発明の接着剤「エバーボンド」がゴムと金属との接着に全く効果のないこと等に徴しても明らかである。換言すれば、ゴムを被接着体の一方とする接着においては、他の被接着体が異なるのに応じて異なつた接着剤を用いなければならない(甲第六号証参照)。したがつて、たまたまゴムと金属との接着剤の製造法が開示されているからといつて、これをゴムと塩化ビニール系樹脂との接着の分野に及ぼし、ゴムと塩化ビニール系樹脂との接着剤を製造する方法を発明することは、当業者にとつても容易でないといわなければならない。もつとも、引用刊行物の第三二一ページ「接着法の一般的応用」の(3)には、プラスチツクに対する接着が記載されてはいるが、同所において用いられる接着剤は、ゴム誘導体の溶液に加硫剤を加えたものであり、かつ、接着後、接着剤層を加硫するものであつて、本件特許発明の接着剤のようにゴム誘導体の溶液に何ら加工処理を行なうことなく、これを、そのまま接着剤としてゴムとプラスチツクとの接着に用いることは全く考えられていない。したがつて、引用刊行物の叙上記載をもつて審決の前記認定を支持すべき資料とすることはできない。
8 本件特許発明の出願当時においては、ゴムと塩化ビニール系樹脂を接着剤をもつて接着することは知られていたが、まだ満足しうべき接着剤がなく、そのためにいわゆる「縫足し」や「挾み着け」等の物理的手段が提案されていたにとどまり(甲第七号証、第八号証参照)、特に、ゴム履物の分野では十分満足し得べき接着強度の接着剤の出現が待望されていた。したがつて、ひとたび、本件特許発明の接着剤(商品名「エバーボンド」)が知られるや、国内の有力メーカーがその実施権設定の登録を受け、さらに、米国その他諸外国からも、盛んにその注文がされるにいたつたほどである。このような事実も、本件特許発明の進歩性を肯認するに足りる事情であるといわなければならない。
第三被告の陳述した答弁
一 請求の原因一ないし三の項の事実は認める。
二 請求の原因四の項の点は争う。
1 原告は、まず、本件特許発明の接着剤の製造法と引用刊行物記載のそれとを比較して、その相違するゆえんを強調する。
しかしながら、両者は、原料、方法および目的物において全く同じであるかまたは近似しているもので、接着剤の製造方法としては、結局異ならないものというべきである。
ただ、引用刊行物記載の接着剤の製造方法において、その研究者ジヤツク・ゴツソがその反応生成物からゴム誘導体(ゴムとアクリルニトリルとのグラフトポリマー)を取り出したのは、右反応生成物の中には、右ゴム誘導体のほかに、未反応ゴム、アクリルニトリルの単独重合物等を含み、これらは、接着剤としての効力を有しないので、このゴム誘導体につき、その性状、能力等を純学問的に研究する必要にもとづきしたまでのことであり、この段階までに、接着剤の主要有効成分としてのゴム誘導体(被告は、このゴム誘導体即接着剤であるとするものではない。ジヤツク・ゴツソの試験的方法の場合は、この主要接着有効成分に、加硫剤、加硫促進剤、加硫助剤、酸化防止剤を加えたものであり、このことは、本件特許発明の場合に比し、何ら特段の工程を施したものとはならず、接着剤の利用分野において格別予想しがたいような差異をもたらすものではない。)を得ているのである。それをトルエン溶液から取り出し、トルエンと全く同質であるベンゼンの溶液にしたことには特別の意味はない。
また、原告は引用刊行物記載の接着剤による接着にあたつては四層塗布の方法によるが、本件特許発明の場合には直接塗布の方法をとるもので、両者の使用態様、したがつてその性質と効果が異なると主張する。しかしながら、引用刊行物には、その接着剤を原告主張のように四層に塗布するとは記載されていない。そこでいう被接着体であるみがいた金属板は複数になつており、一枚の鉄板に四層塗布が行なわれるものではなく、しかも、四種のフイルムの塗布についての記載は、それら各別のものについて、それぞれの接着力の比較を試験したものにすぎない。このことは、引用刊行物の記載上明らかである。
2 原告は、引用刊行物記載の方法による反応生成物においては、これに硫黄等の加硫用薬剤を加え接着剤として用いるものであり、しかも、接着後加硫工程を要するに反し、本件特許発明の製造法による反応生成物は、そのまま接着剤として被接着体に塗布し、圧着加熱するのみで足り、加硫の必要がなく、未加硫ゴムシートの接着の場合には、接着剤の加硫ではなく、ゴムシート自体の加硫工程を要するだけであると主張する。しかし、これは、接着剤の製造方法自体に関することがらではなく、両接着剤の効力または使用方法の差を論ずるものであるにすぎない。しかも、この点についての原告の主張は、誤りである。すなわち、
(一) 引用刊行物の場合、反応生成物に硫黄等の加硫剤、加硫促進剤、加硫助剤等を混じてその混合液をえ、これを接着剤として使用するとき、被接着体とともに加熱反応せしめられ、ここではじめて加硫接着されるものであり、接着後さらに加硫を要するものではなく、本件特許発明の場合と何ら異なるところはない。
(二) これに対し、本件特許発明の場合においても、全く加硫を要しないというものではない。すなわち、未加硫ゴムシートを接着する場合をみると、未加硫ゴムシートとは硫黄等の配合剤を加えてはいるが、いまだ加硫処理をしていない状態のゴムをいうものであるから、その中には、加硫剤(硫黄)が入れられてあるのであり、これを摂氏一三〇度ないし一五〇度という硫黄の溶融点以上に加熱(加硫操作)することによつて、硫黄および加硫促進剤等が、接触面相互はもちろん、接着剤層にまで浸透してこれを加硫することは、一般技術常識上知られたことである。したがつて、本件特許発明の場合においても接着のために加硫されているものである。
つぎに、本件特許発明の接着剤は、加硫ゴムシートとは接着しない。したがつて、その接着剤を加硫ゴムシートの接着に使用する場合には、接着剤に、他の方法による化学的接着加工が行なわれているのであり、本件特許発明の特許公報記載の実施例2(加硫ゴムを被接着体とする唯一の記載例)においても、「接着剤をビニール板に塗布乾燥しておき、加硫ゴムにゴム糊を塗布したものを、その面に圧着し加熱する」と記載されており、加硫可能物質たるゴム糊を特に塗布することを示しているのである。また、右公報の実施例1および4においても、加熱加硫することが記載されている。これよつて明らかなとおり、本件特許発明の場合においても、引用刊行物のものにおけると同様、接着剤の加硫が行なわれており、加硫ゴムと塩化ビニール系樹脂との接着にあたり、ゴム糊(ネオプレンAC糊またはネオプレンAD糊等)を接着助剤として用いなければ、完全には接着効果を生じないものである。そして、これが、原告主張のように被接着体の濡れをよくするためのものであるかどうかはしばらくおき、とにかく、接着剤に何らかの加工処理を施すことなくそのまま使用して接着の目的を達するとする原告の主張にそわないものであることは明らかである。
(三) しかもなお、引用刊行物三二〇ページには、同三一九ページまでに示されたゴムとアクリルニトリルとのグラフトポリマーをアルコールで分離精製した標準試料のほかに、反応溶液(ただし、ゲルをロール操作により分散させ、再び溶解させたもの)をそのまま接着剤の有効成分としているものが示されており、これは、本件特許発明の接着剤製造法と同一または類似のものである。
3 引用刊行物の接着剤が比較的純粋なものであることは、審決の指摘するとおりであるが、それに加硫剤等が添加されていることが、何故原告主張のごとく、特段の意味をもつにいたるのか明らかでない。
4 原告は、引用刊行物の接着剤には、二重結合が相当量残存するから、それが接着剤として有効なためには加硫を必須とするのに対し、本件特許発明の接着剤には、二重結合がほとんど残されていないから、接着剤の加硫を必要としないとともに、ゴム分子に対し、ビニール化合物が接枝重合している結果、ゴムと塩化ビニール系樹脂とを接着しうるとし、そのゆえに、両者間には、反応自体に顕著な差異が存する旨主張する。しかしながら、
(一) 両者を対比し、二重結合の残存の有無につき原告主張のような差異があるとすることはできない。本件特許発明にかかる反応生成物も、加硫なくしては接着の効力を有しないものであることは、上述のとおりであり、かつ、実際においても加硫されているのであるから、二重結合が残存することは明らかである。
(二) グラフトポリマーの生成についても、これに二重結合が残存することは、学者の研究により明らかである。しかも、本件特許発明の場合は、反応溶液そのままを接着剤とするものであり、これには、未反応ゴムその他の不純物が含まれているのであるから、なおさらに硫黄と結合する能力のあることは容易にうかがえるところである。原告主張のグラフト結合において、モノマーの濃度を大とすれば、枝の長さが長く枝の数は少なくなり、触媒の濃度が大になると、枝の長さは短かく枝の数は多くなり、本件特許発明の場合は、その枝が長く少なく、引用刊行物の場合は、その枝が短かく多いことは、一応認めてよいが、両者の接着力について、いずれが優つているかは明らかでなく、枝が長いから接着力が強いというのは、原告の独断である。むしろ逆に、接着力の強弱は、枝の長さより、枝の数の多寡によるとみるべきものである(甲第一二号証の一ないし三も、原告の主張を裏付けるに足りない。)。
5 原告は、引用刊行物記載の製造方法が実施不能である旨主張する。しかしながら、本件特許発明の特許公報によれば、その発明の詳細なる説明の項に、本件特許発明の方法を詳記したうえ、「従来このようにして得た反応生成物を、さらにアルコールで沈澱せしめて反応系外に取り出し、これに硫黄やマーキヤンプトベンチアゾールのごとき加硫剤や加硫促進剤を加え、再び有機溶剤に溶解したものを、金属とゴムとの接着に用いることは知られているが、これは、ゴムと塩化ビニール系樹脂との接着剤としては、実用に適しないものである。」と記載されており、本件特許発明の出願前にすでにその製造方法が公知であつたことを示している。これは、引用刊行物記載の論文より出ていることが明らかであり、その実施の可能性を承認していたものというべく、現段階に及んで引用刊行物の方法が実施不能であるということは、首肯できない。
6 原告は、引用刊行物記載の論文は、ゴムと金属との接着において加硫、換言すれば硫黄の存在がきわめて重要であることを示したうえ、その研究においてエボナイト接着の脆弱性を改良すべく、硫黄の使用量をエボナイト接着の場合ほど多く用いずして接着剤を得ることを目的としたものであり、硫黄を使用しないで接着剤をうることについては、全く想到していなかつたものであるから、本件特許発明におけるように、反応生成物がそのまま接着剤として使用しうることは、とうてい考え及びえなかつたものであることが明らかであると主張する。しかしながら、
(一) 引用刊用物の記載によれば、その方法は、(イ)ゴム誘導体、(ロ)未反応ゴムおよび(ハ)アクリルニトリルの単独重合体を含む混合溶液である反応生成物をえたうえ、純学問的にゴム誘導体の接着力を試験するため、ゴム誘導体だけを取り出して加硫剤等を加えたにとどまる。しかるに、本件特許発明においては、同じく叙上(イ)、(ロ)および(ハ)の混合液をそのまま接着剤とするというだけのことである。したがつて、引用刊行物の読者は、この反応生成物中には、右(イ)、(ロ)および(ハ)の物質が混合し、そのうち(イ)のゴム誘導体が接着剤としての有効成分であることを知つているのであるから、当然に(イ)、(ロ)および(ハ)の物質の混合しているこの反応生成物がそのまま接着の効果を有するであろうことは、容易に知ることができるところである。
(二) 原告は、引用刊行物の方法においては、硫黄を使用せず接着剤とするがごときことは想到していなかつた旨主張する。しかし、それは、引用刊行物の反応生成物が接着の効果を奏するためには、硫黄(加硫剤)が必要であるというだけのことであり、その硫黄成分が、接着の目的で特に添加されようと、被接着体から浸透しようと(本件特許発明の特許公報実施例2)、いずれでもよいのであり、かつ、そのいずれか一つ以上が必要であるということである。本件特許発明の接着剤といえども同様であり、右の意味における加硫なくしては接着剤としての効果を奏しないものである。
7 原告は、審決は被接着体が異なることにより接着剤の接着の作用効果も異なることを看過していると主張するが、審決も指摘するとおり、一の接着剤をえた場合に、これを近似した他の接着体に利用することを考えるのは、当業者の容易にしうるところである。特に、引用刊行物の方法によつて得られた反応生成物を、金属に代えて、プラステイツクたとえばポリ塩化ビニールに適用することは、引用刊行物中「IV接着法の一般的応用」(甲第四号証の二の三二一ページ)の項に「上述の実験においての試験は、ゴム配合の一つの型と一つの金属に限つた。しかしながら、この方法が一般的に適用されることは確かである。」と明記し、「(3)プラステイツクに対する接着」について、その実験結果を示しており、その他一般に広く、いちいち接着剤の組成をかえずに利用しうることが記載されている。このような事実に徴しても、本件特許発明は、引用刊行物の記載から当業者の容易に想到しうるものであることが明らかである。
8 原告は、本件特許発明の出願当時の技術においては、ゴムと塩化ビニール樹脂との接着について、いまだ満足しうべき接着剤がなく、引用刊行物の記載もこの期待に答えうる内容のものではなかつた旨主張する。しかし、引用刊行物記載の方法と本件特許発明の方法との間には、格別の差異はなく、前述のとおり、引用刊行物において、その接着剤が金属以外に一般に適用されうること、そのプラステイツクに対する接着についての実験結果が示され、また、その接着法がすべてのゴム混練物、金属その他の各種の材料について、いちいち接着剤の組成をかえることを要せず広く適用しうること、もつとも、ポリ塩化ビニールの場合には可塑剤がしみ出し接着力を減ずる傾向があつたが、その結果は稍々良好と記載されていることからすれば、引用刊行物記載の方法による接着剤がゴムと塩化ビニール系樹脂との接着に使用しうることは、何人も容易に考えうることであるというべきである。
また、本件特許発明の出願当時の技術水準が、原告主張のように「縫足し」「挾み着け」等の物理的手段のみが提案されていた程度のものであるとするのは、事実に反している(乙第五号証の一、二参照)。当時わが国のこの分野における技術水準は、ゴム誘導体を接着剤とする域にあつたものである。
第四証拠関係<省略>
理由
一 請求原因一ないし三の項の事実は、当事者間に争いがない。
二 右争いのない事実によれば、本件特許発明の要旨は、「ゴムまたは塩化ゴムあるいはこの両者を有機溶剤中に溶解し、触媒の存在下に、それと酢酸ビニール、メタアクリル酸エステル、アクリル酸エステルまたはアクリルニトリルの一種または二種以上とともに、加熱反応せしめること特徴とする、そのまま接着に使用しうる塩化ビニール系樹脂とゴムとの接着剤製造法」にあるものというべきである。一方、成立に争いのない甲第四号証の一、二(引用刊行物)によれば、配合ゴム自体の凝集力より強大で、高温においてもその性質を保持するような接着力をもつ接着法を確立することを目的とし、(一)硬質ガラス密閉管中で、クレープ状ゴムを、アクリルニトリルその他の単量体とともに、トルエン(有機溶剤)にとかし、過酸化ベンゾイル(触媒)の存在下に加熱溶解させ、溶液状のゴム誘導体とし、これをアルコールで沈澱させ、そのゴム誘導体を取り出し、これに加硫剤、加硫促進剤、加硫助剤、老化防止剤を加え、ベンゼンに溶解して、ゴム誘導体濃度一〇パーセントの配合溶液とし、また、(二)密閉容器を用いず、クレープ状ゴムとアクリルニトリルとを少量の溶剤(トルエン)にとかし過酸化ベンゾイルの存在下に加熱反応させ、いつたんゲル化したものを、溶剤回収、粉砕、乾燥、圧延の処理を施した後、これに加硫剤、加硫促進剤、加硫助剤、酸化防止剤を加え、ベンゼンに溶解して、ゴム誘導体配合溶液を得ており、右ゴム誘導体配合溶液を用い、金属とゴムとの接着、また、その一般的応用として金属以外の物質とゴムとの接着をする接着剤の製造法が、本件特許発明の出願前である昭和二五年一二月頃わが国内に頒布された引用刊行物に記載されていることが認められる。そして、右甲第四号証の一、二に証人箕浦有二の証言を参酌すると、右接着剤の製造法は、右ゴム誘導体溶液を用いて接着を行なうに当り、被接着体の一方であるみがいた金属片等の上に、<1>塩化ゴムフイルム、<2>塩化ゴムと右ゴム誘導体配合組成のフイルム、<3>右ゴム誘導体配合組成のフイルム<4>軟質配合ゴム溶液のフイルムを順次塗布(四層塗布法)した後、被接着体の他方であるゴムシートを重ね、ついで、加硫温度に加熱して接着する接着剤の製造法にほかならないことを認定することができ、この認定に反する確証はない。叙上の認定に反する被告の主張は、当裁判所の採用しがたいところである。
三 そこで、引用刊行物記載の接着剤の製造法と本件特許発明の接着剤の製造法とを対比検討し、かつ、本件特許発明の進歩性を否定した本件審決の認定の当否につき審究する。
1 まず、引用刊行物記載の製造法についてみるのに、
(一) 審決は、既述のように、引用刊行物には、「クレープ状ゴムを過酸化ベンゾイル触媒の存在の下にトルエン中でアクリルニトリルと加熱反応させる方法が記載され、該方法は本件特許発明の接着剤の製造法とその処理方法自体において格別の差異を有しないものと認められるから、本件特許発明の製造方法は上記刊行物に容易に実施し得る程度において記載されたものであることは明らかである。」と判示している。たしかに、前記二の認定から自明なように、引用刊行物に「クレープ状ゴムを過酸化ベンゾイル触媒の存在の下にトルエン中でアクリルニトリルと加熱反応させる方法が記載され」ていることは、審決の指摘するとおりである。しかし、審決の叙上判示を前記二で認定したところを参酌して考えると、審決は、引用刊行物記載の接着剤製造法と本件特許発明の接着剤製造法とを対比検討するに当つて、引用刊行物記載の接着剤製造法を、単に、「クレープ状ゴムを過酸化ベンゾイル触媒の存在の下にトルエン中でアクリルニトリルと加熱反応させる方法」としてのみとらえ、もつぱら、少なくともほとんどもつぱら、ゴム誘導体自体にのみ着目していることが明らかであるといえよう。
(二) しかしながら、引用刊行物記載の接着剤製造法は、すでに前掲二において認定したとおり、同所で認定したゴム誘導体に、加硫剤、加硫促進剤、加硫助剤、老化防止剤(酸化防止剤)を加え、ベンゼンに溶解したゴム誘導体溶液を接着に用いる接着剤の製造法であり、かつ、その使用に当つては、被接着体の一方の金属片等の上に、<1>塩化ゴムフイルム、<2>塩化ゴムと右ゴム誘導体配合組成のフイルム、<3>右ゴム誘導体配合組成のフイルム、<4>軟質配合ゴム溶液の四層を順次塗布し、他方の被接着体であるゴムシートを重ね、加硫温度に加熱圧着して接着を行なうものである。換言すれば、前記の加熱反応によつてえられたゴム誘導体をそのままそれのみで接着剤として用いるのではなく、加硫剤等を加え、かつ、叙上の四層構成として接着剤として用いるものなのである。
(三) もつとも、右ゴム誘導体に加硫剤等を加えることがその接着剤としての作用効果上格別考慮を払うまでもないことであり、右ゴム誘導体のみで、かつ、そのままでも十分接着の効果を奏するものであるとするならば、比較検討に当り、加硫剤等の添加や前述の四層塗布の構成を考慮外におくことは、一応是認されないではなかろう。しかしながら、もし叙上のとおりであるとするならば、そのゴム誘導体のみについて接着実験を行ない、その結果を明らかにし、むしろ必要に応じ付加的に、これに加硫剤等を加える工程を経たものについて、かつ、四層塗布の方法を用いて、実験をするのが常識であると考えられる。ところが、前記甲第四号証の一、二によると、引用刊行物には、ゴム誘導体のみについての実験結果の記載の認めるべきものはなく、これに加硫剤等を加える工程を経たものについてのみ、しかも四層塗布の方法によつて行なつた実験結果のみを記載しているものであることが推認される。この事実からみると、引用刊行物記載の接着剤製造法は、加硫剤等の添加および四層塗布の構成を不可欠とする接着剤の製造法であると推認するのが相当である。
2 これに対して、本件特許発明の接着剤の製造法についてみると、
(一) すでに認定したように、ゴムまたは塩化ゴムあるいはこの両者を、触媒の存在下に、有機溶剤中で、アクリルニトリルその他のビニール単量体の一種または二種以上とともに加熱反応させて反応生成物を作り、この反応生成物をそのまま接着剤として、塩化ビニール系樹脂とゴムとの接着に使用する接着剤の製造法である。
(二) そして、成立に争いのない甲第二号証(本件特許発明の特許公報)によると、本件特許発明の出願明細書は、本件特許発明の接着剤の製造法に関し、「酢酸ビニール、メタアクリル酸エステル、アクリル酸エステルまたはアクリルニトリルの単量体を一種または二種以上使用して、ゴムまたは塩化ゴムあるいはこの両者と反応させるから、これによつて得られた反応生成物は、反応にあずかる両者の性質を兼ね備えるので、ゴムと塩化ビニール系樹脂をきわめて強く接着せしめるのである。」と接着の機構につき説明し、さらに、「酢酸ビニール、メタアクリル酸エステル、アクリル酸エステルまたはアクリルニトリルは、使用量が多いとゲル化を起すから、溶剤一〇〇部(重量。以下同じ。)に対し、これらは四〇部を越さないことが望ましい、その成分ならびに使用割合を適当に選択して反応せしめることにより、ゴムと塩化ビニール系樹脂をきわめて強く接着せしめる接着剤が得られる。従来、このようにして得た反応生成物を、さらにアルコールで沈澱せしめて反応系外に取り出し、これに硫黄やマーキヤプトベンゾチアゾールのごとき加硫剤や加硫促進剤等を加え、再び有機溶剤に溶解したものを、金属とゴムとの接着に用いることは知られているが、これはゴムと塩化ビニール系樹脂との接着剤としては実用に適しないものである。しかるに、本発明の製品は、何らの加工処理をすることなく、そのままゴムと塩化ビニール系樹脂とを完全に接着することができる。」とのべ、引用刊行物記載の方法と目される先行技術と本件特許発明の方法との差異、とくに本件特許発明の接着剤の製造法における特定の被接着体たる塩化ビニール系樹脂とゴムとに対する適用の意図とその場合における加硫剤等の添加や四層塗布構成の不要なゆえんを明らかにしていることをうかがうことができる。
(三) もつとも、前掲甲第二号証によると、本件特許発明の明細書中の「実施例2」には、本件特許発明にかかる接着剤にあつても、これをビニール板と加硫ゴムとの接着に用いる場合においては、ビニール板に右接着剤を塗布するほか、加硫ゴムにはゴム糊を塗布し、両者を圧着加熱することによつて強力に接着しうべき旨の記載があることが明らかである。しかし、証人箕浦有二の証言をも参酌して考えると、それは、加硫ゴムは変形しにくい表面を有し、未加硫ゴムの場合に比し、本件特許発明の接着剤が所望どおりのよい密着効果をおさめにくいところから、加硫ゴムになじみ易い適当なゴム糊を塗布し、密着性および親和性を良好にすることによつて接着力を向上させる実施例を示したものであることを理解するにかたくない。また、証人美保実明の証言により真正に成立したものと認める甲第一五号証および成立に争いのない甲第一七号証の一ないし四によると、叙上の実施例の場合、ゴム糊として、硫黄または硫黄を遊離し易い安定剤を含まない糊を使用して常温接着しても、これを換言すれば、接着に当り加硫を行なわないでも、接着効果に差異のないことが認められる。
さらに、また、証人箕浦有二の証言によると、本件特許発明の接着剤により接着を行なう場合において、被接着体の一方が未加硫ゴムであるときは、接着剤塗布後被接着体相互を公知の方法により圧着加熱する際その未加硫ゴムが加硫されるのであり、その際、未加硫ゴム中に含まれている硫黄成分が接着剤側へ浸出することがないとはいえないことがうかがわれるのであるが、同じく同証人の証言によると、それは本件特許発明の前記特質を変えるものではなく、常にその接着剤が加硫されているとなしえないことも、また明らかである。
そうすると、叙上の諸事実は、本件特許発明にかかる接着剤が加硫剤等の添加を要せず、そのままで、かつ、そのもののみの塗布によつて接着の目的を達成しうるものであるという前叙認定をさまたげるものとはいえない。
3 以上に認定した諸事実を総合考察すると、結局、本件特許発明にかかる接着剤の製造法は、審決の指摘するとおり、ゴムを有機溶剤中に溶解し触媒の存在下でアクリルニトリルと加熱反応させてゴム誘導体を作り、これを接着剤に利用する点では、引用刊行物記載の方法と共通するところはあるが、それは、引用刊行物記載の接着剤の製造法において不可欠と考えられるゴム誘導体への加硫剤、加硫促進剤、加硫助剤、酸化防止剤の添加および接着の際における四層構成を不要とし、とくに塩化ビニール系樹脂とゴムとの接着に有効な接着剤を製造するものである点において差異があるものというべきである。そして、この事実に、証人美保実明の証言により真正に成立したものと認める甲第五号証の一、二、同第六号証、同第一〇号証、同第二三号証、前掲甲第一五号証ならびに証人美保実明および箕浦有二の証言を参酌して考えると、先行技術である引用刊行物記載の接着剤の製造法において不可欠な工程および構成の一部を除き、かつ、先行技術の主として意図したものと異なつた被接着体の接着に奏功する本件特許発明の接着剤の製造法は、他に格別の事情の認めるべきものがない限り、当該技術の分野において通常の知識を有する者が引用刊行物の記載に基づいて容易に推考しうるものとはいえないものと認めるのを相当とする。
4 なるほど、前掲甲第四号証の一、二によると、引用刊行物中には、その接着剤の「接着法の一般的応用」として、ゴムと塩化ビニール系樹脂との接着について触れているところがあることを認めることができる。しかしながら、右甲号証に証人箕浦有二の証言をも参酌して考察すると、引用刊行物に記載されているゴムとポリ塩化ビニールとの接着実験は、先に認定したゴム誘導体に加硫剤等を加えてえたものを用い、かつ、前述した四層塗布の構成によつて行なつたものと推認されるし、かつ、その結果も「相当程度抗力を示す」という程度であつて必ずしも有効な接着効果をあげたとはいえないことが認められる。そうすると、引用刊行物中の叙上の言及事実をもつて、上記にいう格別の事情とまでいうことはできないであろう。その他に、このような格別の事情を認めるに足りる証拠はない。
5 叙上判示したとおりであるから、本件審決が引用刊行物の記載と本件特許発明とを対比し、単に、引用刊行物には「クレープ状ゴムを過酸化ベンゾイル触媒の存在の下にトルエン中でアクリルニトリルと加熱反応させる方法が記載され、該方法は本件特許発明の接着剤の製造法とその処理方法自体において格別の差異を有しないものと認められる」との理由のもとに、卒然として本件特許発明を無効としたことは、引用刊行物記載の接着剤の製造法と本件特許発明との対比検討、ひいて本件特許発明の進歩性の有無の認定を誤つたものというべく、違法として、取消をまぬがれない。
四 よつて、原告の本訴請求は理由があるので、これを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 服部高顕 荒木秀一 石沢健)