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東京高等裁判所 昭和38年(う)2117号 判決 1965年6月03日

主文

原判決中判示第一事実に関する部分を破棄する。

被告人を後記物価統制令違反の罪につき罰金五千円に処する。

被告人が右罰金を完納することができないときは、金五百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原判決中判示第二事実についての本件控訴を棄却する。

理由

一  控訴の趣意及びこれに対する答弁に対し判断をするに先立ち、職権を以て調査するに、原判決は、罪となるべき事実の第一として鉄道営業法第三十五条違反、第二として軽犯罪法第一条第三十二号違反の各犯罪事実を認定し、以上を刑法第四十五条前段の併合罪と認め、後者につき所定刑中科料刑を選択し、同法第五十三条第二項により被告人を右各罪につきそれぞれ科料九百円に処する旨主文において各別に刑の言渡をしているところ、本件控訴申立書によれば、原審検察官は右判決に対し特に部分を限らないで控訴を申し立てたものと認められるので、本件控訴は原判決の全部、即ち原判示第一及び第二の各事実に対して申し立てられたものとみなすべきである(刑事訴訟法第三百五十七条後段)。

然るに、本件控訴趣意書には、原判示第一事実につき控訴の理由が記載されてあるに止まり、同第二事実については控訴の理由が全然記載されておらず、且つ記録を精査しても指定された控訴趣意書差出期間内に右の不備を補充すべき書面が提出された形迹が認められないから、原判示第二事実に関する本件控訴は、同法第三百七十六条第一項、第三百八十六条第一項第一号、第二号、刑事訴訟規則第二百四十条により棄却を免がれない。

二  次に、原判示第一事実に関する本件控訴の適否につき考察するに、本件起訴状(略式命令請求書)には、公訴事実として、被告人は、第一、営利のため、昭和三十七年九月十一日国鉄上野駅構内において、同日二十一時三十分同駅発、青森駅行急行列車津軽号の座席一つを占有したうえ、右座席を、本来かかる座席の譲渡の対価は無価格であるのに、不当に高価な額である五百円で秋本俊に譲り渡した旨の物価統制令第九条ノ二、第三十四条に該当する訴因が明示されているところ、原審検察官は、原審第二回公判期日において、右公訴事実につき、被告人は、右同日午後九時三十分頃鉄道係員の許諾を受けないで、国鉄上野駅構内に停車中の右急行列車津軽号の車内において、被告人が占有した座席の権利を金五百円で売るべく、旅客である自称秋本俊に対しこれが勧誘を為した旨の鉄道営業法第三十五条に該当する訴因及び罰条を予備的に追加したい旨申し立て、原裁判所は、弁護人の意見を聴いたうえ、右訴因及び罰条の予備的追加の申立を許可する旨決定し、審理の結果叙上物価統制令違反の本位的訴因については、被告人の行為が同令第九条ノ二の規定に違反するとの証明がないことに帰するとして同訴因を排斥し、予備的に追加された鉄道営業法違反の訴因について有罪の認定をしたのに対し、原審検察官が控訴を申し立て、その理由として、被告人の本件行為は物価統制令第九条ノ二に該当することは明白であるのに拘らず、これを否定した原判決は法令の解釈、適用を誤まつたものであるから破棄を免がれないと主張していることは、一件記録、原判決及び控訴趣意書により明白である。

しかして、記録によれば、叙上訴因及び罰条の予備的追加は、原裁判所の命令(刑事訴訟法第三百十二条第二項)に基づくものではなく、一応は原審検察官が自からこれを請求し、原裁判所がこれを許可したという訴訟経過を辿つていると認められるから、たとえ予備的にもせよ、検察官が自から主張した鉄道営業法違反の訴因につき有罪の認定があつた以上、最早その認定を覆えして物価統制令違反の本位的訴因につき有罪の認定を得るための上訴を申し立て得べき利益はなく、本件控訴は不適法であるとする見解にも傾聴すべきものがないではない。

しかし翻えつて考察するに、

(一)  訴因又は罰条の追加、撤回又は変更は元来検察官の職責に属し、検察官の自発的請求を俟つて裁判所がこれを許可するのが建前であるから(刑事訴訟法第三百十二条第一項)、裁判所が審理の経過に鑑み訴因又は罰条の追加又は変更を必要と認める場合においても、直ちに同条第二項の命令を発することなく、先ずは釈明権の行使(刑事訴訟規則第二百八条第一項)によつてこれを検察官に促がし、一応は検察官が自から請求し裁判所が許可したという形式を整えることが、現行刑事訴訟法のとる当事者訴訟の原則に適合する所以である。

そこで記録に徴すると、原審第二回公判期日において、原審裁判官が検察官に対し釈明権を行使し、これに対し検察官が、本件座席の譲渡の対価が無価格であるということは、その正常な価格は零であるということである旨釈明したうえ前叙訴因及び罰条の予備的追加の申立をなし、裁判所がこれを許可する旨決定していることが認められ、この訴訟経過と原判決が「列車の座席の権利の鉄道当局以外の者の給付の如きは本来無価格であり、従つて相当価額は存在しないものである」ことを理由として物価統制令違反の本位的訴因を排斥し、鉄道営業法違反の予備的訴因を認容したこととを併せ考えると、本件の訴因及び罰条の予備的追加は必らずしも検察官の自発的請求に基づくものではなく、検察官は物価統制令違反の訴因を主張していたに拘らず、裁判所が同令違反の罪の成否に疑を抱き、釈明権の行使によつて訴因及び罰条の追加ないし変更を検察官に促がしたため、検察官がこの勧告ないし示唆に応じて申し立てた消息が窺われ、訴訟手続上の形式は兎もあれ、実質的には裁判所の命令に基づくものであると認められないこともないから、かかる場合検察官は、やはり当初から主張している物価統制令違反の本位的訴因について有罪の認定を求めるため上訴を申し立てる利益があることは明白である。

(二) 仮りに、本件の訴因及び罰条の予備的追加が全く検察官の自発的請求に基づくものであるとしても、それが「予備的」なものである以上、検察官の真意はあくまで物価統制令違反の訴因を維持し、万一右訴因が排斥された場合を慮かつて、それこそ文字どおり「予備的」に鉄道営業法違反の訴因を追加したに過ぎず、決して物価統制令違反の訴因を撤回し、これと交換的に鉄道営業法違反の訴因を提起した訳ではないから、両訴因共に依然として裁判所の審判の対象を成しているものというべく、してみれば、この場合裁判所が本位的に主張されている物価統制令違反の訴因を排斥し、予備的に主張されている鉄道営業法違反の訴因を認容した判決の理由中事実の認定又は法令の解釈、適用に適正を欠くものがあるときは、検察官は、右の瑕疵を指摘し、以て当初から主張している物価統制令違反の本位的訴因について有罪の認定を求めるため上訴を申し立てる利益があると解するを妨げない。

それ故原判示第一事実に関する本件控訴は、上訴の利益を備えた適法な控訴であるというべく、右に反する弁護人の所論は採用し得ない。

三  進んで、控訴の趣意につき審按するに、原判示第一事実に対応する原判決挙示の証拠並びに一件記録に徴すると、被告人が営利の目的を以て、昭和三十七年九月十一日東京都台東区上野山下町一番地所在国鉄上野駅構内において、同日二十一時三十分同駅発、青森駅行急行列車津軽号の座席一つを占有したうえ、右座席の権利を金五百円で旅客自称秋本俊に譲り渡し、右代金を受領した事実を認めることができる。

かように列車の座席を占有する権利のごときは、乗車券と分離して特に鉄道当局において有料の座席指定券を発行している場合を除いては、有償譲渡の目的とはなり得ないものであり、即ち営利の目的を以てする取引の対象となるべきものではなく、何らの対価をも取得することができない本来無価格なものであることはいうまでもない。

しかしながら、物価統制令が、物価の安定を確保し以て社会経済秩序を維持し国民生活の安定を図ることを目的とするものであることは、同令第一条の規定に徴して明らかであるから、本来無価格なものであるからといつて、同令の対象から除外されるべき理はなく、現にこれを有償で取引する行為について同令の適用をみるべきことはいうまでもなく、現実の取引において、営利の目的を以て、不当に高価な額でこれを譲り渡し、その代金を受領したときは、同令第九条ノ二の規定に牴触することは明白である(昭和二十六年十月三十日東京高等裁判所判決、高刑集四巻一三号一八四七頁以下参照)。

この場合、当該価格が不当に高価な額であるか否かは、取引当時若しくはその前後における同種又は類似の対象物に対する法令、告示等による統制額又は公正な普通一般の取引界における市場価格等を参酌した社会経済秩序維持の適正価格を標準として決定すべきであり(昭和二十五年十月二十六日最高裁判所第一小法廷判決、最刑集四巻一〇号二一八九頁以下参照)、本来無価格なものであるからといつて、直ちに、現実の取引における代金額が不当に高価な額であるか否かを決定する標準となるべき相当額が存在しないと論断することは当を得ない。

ところで、被告人が本件において代金五百円で旅客である自称秋本俊に譲り渡した列車の座席の権利なるものは、昭和三十七年九月十一日二十一時三十分国鉄上野駅発、青森駅行普通急行列車津軽号の二等車の座席に関するものであることは記録上明らかであるところ、当時国鉄当局において有料の座席指定券を発行する場合その料金は、乗車距離に関係なく、一人分が一等車金二百円、二等車金百円であつたことは公知の事実と認められるから、前叙説示に鑑み、特に有料の座席指定券が発行されていなかつた本件津軽号二等車の座席一つの権利を有償で取引する場合その取引価額が不当に高価な額であるか否かは、叙上有料座席指定券の料金額を標準としてこれを決定するのを妥当と思料する。

しかして、被告人が旅客の自称秋本俊に譲り渡して同人から受領した本件津軽号二等車の座席一つの権利の代金五百円は、叙上有料座席指定券の料金額である二等車一人分の五倍(一等車一人分としてもその二倍半)に該当し、かかる代金額は、社会経済秩序維持の観点から到底容認するを得ず、物価統制令第九条ノ二にいう「不当ニ高価ナル額」であるというに妨げなく、被告人の本件所為が同条の規定に違反するものであることは言を俟たない。

然らば、以上と異なる見解の下に被告人の本件所為が物価統制令第九条ノ二の規定に違反するとの証明がないとして、同令違反の本位的訴因を排斥した原判決は、同令同条の解釈、適用を誤まり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明白であるから、原判決中判示第一事実に関する部分は破棄を免がれない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三百八十六条第一項第一号、第二号に則つて原判示第二事実に関する本件控訴を棄却し、同法第三百八十条、第三百九十七条第一項により原判決中判示第一事実に関する部分を破棄し、同法第四百条但書に従い、当裁判所において次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

本件略式命令請求書記載の物価統制令違反の公訴事実と同一であるから、これを引用する。

(証拠説明省略)

(法令の適用)

昭和二十七年法律第八十八号第四条

物価統制令第九条ノ二、第三十四条、罰金等臨時措置法第二条第一項(罰金刑を選択して処断する)

刑法第十八条

刑事訴訟法第百八十一条第一項但書

よつて、主文のとおり判決する。(坂間孝司 栗田正 有路不二男)

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