大判例

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東京高等裁判所 昭和38年(う)48号 判決

被告人 藤井庄次

〔抄 録〕

よつて記録を調査して按ずるに、本件強盗は昭和二三年一〇月二七日午前一時頃の犯行であるところ、当時は屋内に侵入した犯人は年の頃二三、四歳から一九歳位の三人の青年で、言葉使い及びその内容から地元附近の者であると推定されたに止まり、犯人の手がかりは全く掴めないままになつていたのであるが、約二年後の昭和二五年一〇月二〇日大庭清が別件窃盗容疑で地元警察署に検挙され余罪を追及されて巡査部長松村俊に本件強盗に加担して見張を担当したことを自供し、翌二三日警部補杉山仲一に対し共犯者の氏名・犯行の顛末等を詳細自白したのを発端とし、再び捜査が展開され、当時既に死亡していた大庭啓作を除き、芹沢五一・藤井義一・本件被告人庄次及び大庭光義が逐次逮捕取調を受け、芹沢五一及び大庭光義の警察官に対する自白もあつて、遂に大庭清・芹沢五一・大庭光義・藤井義一及び本件被告人庄次は昭和二五年一一月一四日本件住居侵入強盗につき起訴され、原審公判において、いずれも自己等の犯行でないとして極力争つたが容れられず、公判審理中逃亡した本件被告人庄次を除く四名は昭和二八年三月三日有罪判決を受け、同判決は上訴なくして確定した、と言う関係にあつて、その決定的証拠は右共犯者とされる者の供述に頼る外ない案件である。ところで記録によれば、本件被告人に対する関係において、同被告人が本件強盗の犯人であることを証する形式的に適法とされる証拠は、被害者前田かめ、同前田とみの検察官に対する供述及び原審証人としての供述の外、大庭清の検察官に対する供述・裁判官藤本久に対する証言及び原審第一七回公判における証言並びに本件の捜査に当つた警察官の杉山仲一・松村俊・小宮山利男の原審での証言がその殆んどであり、しかも被害者前田かめ・同前田とみの前記供述及び証言は、屋内に侵入した三人の犯人の人相風体に関するもので、それ自体だけでは犯人を確認できるものでなく、前記警察官の証言も結局大庭清の本件強盗を自白した前記供述及び証言の信憑性を裏付ける関係のものに過ぎず、本件被告人が本件強盗の犯人と認められるべきか否かは、大庭清の前記供述及び証言の信憑性にかかつていること、まことに原判決の言うとおりである。そこで大庭清の右供述の信憑性につき記録を検討して按ずるに、大庭清は原審第七回公判における証人として、同人の警察官に対する本件犯行の自白は取調に当つた警察官の強制誘導によつたものであることを強調して詳細に証言し、同人の裁判官藤本久に対する証言も警察官に対する場合と同様の心理状態の下になされたことを述べて居り、相被告人等が原審公判において証人として立つた前記警察官等に対し強制誘導を非難する尋問を行つている事実と思い合せるときは、大庭清の右証言は必ずしも全面的に虚構であるとは認め難い。また同人の検察官大西秀夫に対する供述は裁判官藤本久に対する供述より半月余も後になされたもので、同検察官は供述の任意性等に相当の配慮を用いた消息の窺われること所論のとおりであるが、しかもなお大庭清は自分は単なる見張で有罪としても刑の執行が猶予されるとの警察官の示唆に促われて、遂に従前の自白を飜すに至らなかつた消息が看取されるのであつて、右証言といえども必ずしも措信に値するとは認められない。更にまた同人の原審一七回公判における証言も、当審証人としての同人の供述によれば、従前の自白を飜すことにより再び煩わしい警察の取調を受けるに至るべきことを虞れてなしたものであることを窺うに足り、これまた措信に値するものでないと認められる。他面大庭清の裁判官藤本久に対する証言及検察官に対する供述の内容を見るも、稍枝葉に亘る点についてはあるが前後矛盾する点も少くなく、その供述の根底の不慥かさを窺わしめるものがあり、なお大庭光義が町震クラブに遅れて来た旨の供述も所論のように客観的事実を反映する意味を有するものとは必ずしも解し難い。そこで当審は大庭清の前記供述及び証言の信憑性を確かめるため、共犯とされている芹沢五一・大庭光義及び大庭清を証人として尋問したのであるが、同人等は既に、同人等の利害関係のなくなつた本件強盗につき口を揃えて無実を訴え、その主張は一概に虚偽とはなし難いとの心証を受けたのである。これを要するに、本件被告人を含む六名が本件強盗の犯人であるとする大庭清の前記供述及び証言はたやすく措信し難く、他にこれを認むべき証拠が存しないのであるから、本件被告人に関しては犯罪の証明ないとして無罪を言渡すを相当とし、これと同旨に出でた原判決は正当であり、論旨は採るを得ない。

(兼平 斎藤 関谷)

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