東京高等裁判所 昭和38年(ネ)1857号 判決
そこで控訴人主張の消滅時効の抗弁について考えるに、被控訴人の本訴請求は売買契約解除による原状回復請求権の行使として買主より売主に対し支払ずみ代金の返還を請求するものであるところ、当事者間に争いのない事実より本件売買契約が当事者双方其の営業のためにするものであると認むべく、従つて、商行為に属するものであるから、右契約解除に基づく原状回復義務もまた商行為上の債務として商法第五二二条により五年の時効により消滅すべきものと解すべきである。控訴人は、本件売買契約に基づく売主たる控訴人より買主たる被控訴人に対する商品代金債権が民法第一七三条第一号により二年の短期消滅時効にかかる以上右契約解除に基づく原状回復請求権も同条により二年の消滅時効にかゝるべきものであると主張する。しかしながら、民法第一七三条第一号は売主たる生産者、卸売商人及び小売商人がその売却した産物及び商品の代価を買主に対して請求する場合に関するものであつて、本件の如く右売買が解除された場合の買主から売主に対して原状回復請求権の行使として既に支払つた代金の返還を請求する場合はこれに含まれないものと解すべきである。即ち同条は、「産物及び商品の代価」と代金債権であることを明示し、これを代金に関するその他の債権関係に及ぶものと解すべき余地はない。蓋し、いうまでもなく解除による原状回復義務は本質上不当利得返還義務であつて本来の債務の履行を求める法律関係より発生する債権債務関係とはその性質を異にし必ずしもすべての点において原契約の性質に従うべきものと解することはできない。そうだとすると代金債権につき買主保護のため特に短期消滅時効を定めた民法第一七三条第一号の規定が買主の代金返還請求権に対してまで適用されると解すべき根拠はない。実質的にみても同条がその所定の取引に基づく代金債権に短期消滅時効を定めたゆえんは、生産者、卸売商人及び小売商人から産物及び商品を買受けた場合は、通常その代金額が少額であるか、または取引が頻繁に行われるので買主は代金支払の証拠方法を長期間保存しておくことが少い場合が多いことから代金債権につき特に短期間の消滅時効を定めたものであると解されるが、売主たる生産者、卸売商人及び小売商人は買主に比して通常、帳簿等の証拠方法を備えている場合が多いので買主の代金返還請求権に対しては特に短期間の消滅時効を定める必要性はないと考えられる。殊に本件のように、売買が売主により履行せられず、買主が契約を解除してすでに支払つた代金の返還を請求したような場合は、関係者特に売主は、かような事故を生じた契約の始末については、以後関心を持ち証拠書類の保全にも留意する等、売買が支障なく履行された場合とはおのずから事情を異にするものと考えられるので、この場合の代金返還請求権についてまで民法第一七三条第一号の規定を類推するということは、ただに法文の字句に添わないばかりでなく、実質的にもその十分な理由を備えないものといわなければならない。また代金債権につき民法第一七三条第一号の消滅時効の適用を受ける買主には単に消費者のみならず帳簿等の証拠方法を具備した小売商も含まれると解すべきことから、売主において帳簿等の証拠方法を具備していることを理由に買主の代金返還請求権が短期消滅時効にかゝらない、ということはできず売主の代金債権が短期消滅時効にかゝる以上買主の代金返還請求権も同じ短期消滅時効にかゝるべきものであるとの論も存するが、右は同法条が明文上買主を消費者と限定したものでない以上、右買主が単に消費者のみならず小売商をも包含すると解する余地が存するというにとゞまり、このことから直ちに、証拠方法保存の確実性の差異が同法条により短期消滅時効期間が定められた理由であるとはいえない、とまでいうことはできないし、消費者を含まない売主と消費者を含んだ買主との間に証拠方法保存の確実性に比較的差異が存しないということもできない。以上の次第であるから、控訴人の抗弁は理由がないものといわなければならない。
(小沢 仁分 宇野)