大判例

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東京高等裁判所 昭和38年(ネ)214号・昭38年(ネ)2540号 判決

ところで、いわゆる無記名定期預金においては、預金者は、預金契約の締結に際し、住所、氏名の届出をする必要がなく、従つて、預金証書にも預金者の氏名が何等表示されていないけれども、右預金債権も、その性質上無記名債権ではなく、一種の指名債権に属するものであつて、預金者は客観的に特定されているものといわねばならない。そして、通常の場合のように、預金者が誰であるかにつき何等の意思表示もなされていない限り、現に自己の出捐により銀行に対し、本人自ら又は使者、代理人、機関等を通じて、右預金契約を締結した者をもつて預金者であるとみるべきであろう。しかしながら、特に預入に際して、銀行に対し、預金者が何びとであるかについての意思表示がなされ、銀行においてその者を預金者とすることについて承諾をした場合のように、特別事情が加わる限り、その者を預金者とする定期預金契約が成立したものとみるを相当とする。

ところで、控訴銀行は右無記名定期預金契約の締結に際し、訴外上野松寿および塚本つぎにおいて、上野が預金者である旨の意思表示がなされ控訴銀行がこれに承諾したものであるから、被控訴人が出捐者であるにしても、その預金者は被控訴人ではなく、上野であると争うので、以下この点につき判断する。

成立に争いのない甲第一七号証の一、乙第二号証の一、同第三号証、原審証人上野松寿、同小林美生の各証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証、同第五号証、原審証人小林美生の証言により真正に成立したものと認められる乙第一一号証、同第二四号証の一、二、右各証人の証言(但し、証人上野松寿の証言中、後記措信しない部分は除く)および原審証人西谷誠一の証言によれば、訴外上野と板橋支店との関係は、かつて上野が同支店と取引関係のあつた訴外株式会社不二紙器工業所において勤務し経理を担当していた頃からの知合であつたところ、上野が昭和三一年一〇月頃、貸金業とその仲介を目的とする株式会社中小企業金融相談所(以下、単に中小金融という)の設立とともに、その取締役となるに及び、同月二七日自ら板橋支店に定期預金をなし、右定期預金を担保とする旨の約定書を差入れ、これを担保として、手形割引が開始されるに至つたこと、そして、上野は、その後同年一一月頃、板橋支店次長である訴外小林美生に対し、近いうちに一〇、〇〇〇、〇〇〇円位の預金をする旨の話をなし、控訴銀行としても右預金がなされることにつき期待をかけていたこと、上野は昭和三一年一二月一三日午前一〇時頃、小林に対し、かねて話をしておいた預金として、今日、金額一〇、〇〇〇、〇〇〇円、期限三ケ月の定期預金をすることにしたので、事務所にいる女の者をその使いとして行かせる旨の電話をなし、自己の名前を書いた名刺に一〇、〇〇〇、〇〇〇円を事務員に持参させるから、よろしくと記入して被控訴人の妻塚本つぎに手渡し、同人を自己の事務所に勤務する事務員に仕立てて板橋支店に赴かせたこと、他方、塚本つぎも板橋支店を訪れ、窓口において小林と面会した際に、自己が被控訴人の妻であることは何も告げなかつたのみならず、小林が「上野さんの使いの方ですね」と念を押したところ、小さな声で「はい」と答えて、一〇、〇〇〇、〇〇〇円の前記銀行小切手一通を小林に交付し、所定の印鑑票に持参した「上野之印」と刻した印鑑を自ら押捺し、預金に必要な手続をしていること、小林としては上野からの電話連絡があつたため、終始、塚本つぎを上野の使者として遇し、右小切手を上野からの申入があつた趣旨の預金として受入れるとともに、「三ケ月の無記名ですね」と一応念を押したうえ、同日を預入日とする金額一〇、〇〇〇、〇〇〇円、期日昭和三二年三月一三日、宛名無記名殿なる期間三ケ月の定期預金証書を作成して同人に交付し、その際にも「上野さんによろしく」と挨拶しているにも拘らず、同人は何等異議も述べないまま右定期預金証書を受取つて帰宅したこと、次いで、同日夕刻、上野は右定期預金証書および印鑑を持参のうえ、小林のもとに来て、無記名定期預金をしたからよろしくと挨拶し、右定期預金を担保とする手形割引方を依頼したので、控訴銀行としては右定期預金を上野の預入によるものとして処理したこと、そして、その翌日、小林は、上野から右無記名定期預金を上野が控訴銀行に対し負担する債務の担保として差入れる旨の担保差入証書を徴し、ここに、控訴銀行と上野との間において、右無記名定期預金を担保とする手形割引取引が開始されるに至つたことがそれぞれ認められ、右認定に反する原審証人上野松寿の証言の一部、原審および当審における証人塚本つぎの各証言、被控訴本人尋問の各結果はいずれも措信しがたく、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上認定の事実からすれば、上野において右定期預金の預金者が自己である旨の意思表示をしてその預入をなし、控訴銀行においてこれを承諾したものというべきである。

しかも、原審証人西谷誠一の証言により真正に成立したものと認められる乙第一六号証の一、二、同第二二号証の三、原審証人秋山照雄の証言により真正に成立したものと認められる乙第一七号証の一ないし六、および原審証人西谷誠一、同末森省三、同上野松寿、同秋山照雄、当審証人坂晋、同奥谷太郎の各証言ならびに原審および当審における被控訴本人尋問の結果の各一部によれば、被控訴人は訴外奥谷太郎の紹介により昭和三一年一一月下旬、中小金融の設立者である訴外西谷誠一と知合い、その後、一〇、〇〇〇、〇〇〇円一口の前記定期預金がなされるまでの間、殆んど連日面談し、同人から右中小金融の事業内容、運営方法等につき詳細な説明をうけていたこと、被控訴人は右西谷から中小金融に対する一〇、〇〇〇、〇〇〇円の融資方の依頼をうけると、自己の経験から、一〇〇円につき一日一〇銭以上の高利でないと融資出来ない趣旨の意向を示したので、西谷はその後も被控訴人と相談を続けた末、結局、西谷から被控訴人に対し、被控訴人において銀行に一〇、〇〇〇、〇〇〇円の定期預金をなし、その見返りとして中小金融か銀行から手形割引を受ければ、被控訴人としては右銀行利息と、中小金融からの利息とが受けられるため、実質上被控訴人の希望に副うことになる旨の提案がなされたこと、そこで、被控訴人は、昭和三一年一二月一〇日早朝、西谷とともに板橋支店長末森省三宅を訪れ、被控訴人が板橋支店に一〇、〇〇〇、〇〇〇円の定期預金をすれば、これを見合いに中小金融においてそれ以上の金額の手形割引が可能か否かにつき相談したところ、末森は被控訴人に対し、被控訴人が定期預金をしたのでは、中小金融の手形を割引くことができないが、中小金融は上野の名前で板橋支店と取引があるから、上野の定期預金として預入れるのであれば割引ができる旨説明をしたこと、

また、被控訴人は一〇、〇〇〇、〇〇〇円一口の前記定期預金の預入について、塚本つぎを前記認定のように上野の事務所に勤務する事務員として板橋支店に赴かせることにつき承諾していること、更に、右定期預金がなされてからは、中小金融は被控訴人に対し、毎月利息の支払を続けていたものであるが、特に、中小金融が昭和三一年一二月一四日頃、同年一二月分の利息として同月一三日から月末までの間の一〇〇円につき一日七銭の割合により計算された一三三、〇〇〇円を被控訴人に支払つたところ、被控訴人はその翌日右金額および日歩計算による旨の但書が記載されている中小金融相談所宛の領収証に署名捺印して上野に交付したものであること、更に、被控訴人は昭和三二年一月頃、自ら京橋にある中小金融の事務所に赴き、中小金融の帳簿および伝票を閲覧し、右帳簿に一〇、〇〇〇、〇〇〇円一口の前記定期預金が右中小金融の借入金として会計上処理され、その利息が被控訴人に支払われている事実がいずれも記載されていることを見ていながら何等異議を述べていないこと、のみならず、被控訴人は、自己の氏名がこのように中小金融の帳簿上、明白に記帳されていることから課税の対象になることを心配し、その税金対策について上野に対しその研究を要請し、上野は更に西谷および当時中小金融の仕事を共にしていた訴外秋山照雄等にその検討を依頼していること、他方被控訴人は、一〇、〇〇〇、〇〇〇円一口の前記定期預金とは別に、西谷の依頼により中小金融の裏書のある手形を割引き、これを自ら三菱銀行野方支店に中小金融名義の普通預金口座を開設して振り込んでいた事実もあることがいずれも認められ、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は措信しがたい。

以上認定の事実からすれば、一〇、〇〇〇、〇〇〇円一口の前記定期預金が、被控訴人主張のように中小金融の事業と全く無関係になされたものではなく、むしろ叙上認定の経過からみて、被控訴人において少くとも中小金融の金融の便宜のため上野の預金としてこれを預け入れることにつき承諾していたことを窺知しうる。

(福島 武藤 長西)

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