東京高等裁判所 昭和38年(ネ)2542号 判決
被控訴人は、本件土地上に旧来存在した各建物(以下「本件地上建物」と称する。)は昭和三五年八月ごろに、然らずとしても遅くも昭和三七年八月ごろには朽廃したと主張するので、右各時期における本件地上建物の状況につき検討する。
まず昭和三五年八月当時の状況を直接明らかにする証拠はないので、その後に行われた証拠調等により推認するほかはないが、いずれも成立に争いない甲第二号証、第八号証の二の一部(前者は昭和三六年六月五日施行された証拠保全による検証並びに鑑定人調書であり後者は右鑑定命令による鑑定人斎藤周太郎の鑑定書であるところ、控訴人は右証拠調には相手方である控訴人を呼び出さなかつた違法があると主張するが、民事訴訟法第三四九条但書により急速を要するものとして呼び出さなかつたものと認められるので、違法の点はない。)、第一一号証第一二号証、乙第一三号証の一ないし一三、当審における証人森本博、同牧野稔、同斎藤周太郎の各証言の一部、原審における検証(昭和三七年八月二〇日施行)の結果、鑑定人森本博の鑑定(昭和三七年七月一一日鑑定命令)の結果の一部、当審における検証(昭和四〇年二月三日施行)の結果を総合すれば、昭和三五年八月当時における本件地上建物の状況はおよそ次のようなものであつたことが認められる。
すなわち、本件地上建物は別紙図面のとおり工場建物四棟と使用人住居及び休憩室各一棟から成つているが、
(1) 同図面第一棟(亜鉛鉄板葺平家建約二一坪)は本件地上建物の中でも建築時期が最も古い上、元来簡易な構造の建物でありまた用材も大体古材を用いてあるため全体に老朽化しており、殊に土台は腐朽が著るしく、南側部分の土台底部は外側道路面より一五センチメートルも低くなつてしまつているため腐蝕して土台の役をなさなくなつたので、一部は石を置いてその上に柱を立てて補修してあるが、不完全なものである。次に壁体は西側と南側にあるのみで他の側面は開放されている上、北側の柱は数が少く間隔が長く、内二本は若干傾いており、右のように壁体や軸組の配置が片寄つている関係から地震、風圧などの水平力に対処するのに不完全と考えられ、また床板とその土台も相当いたんで歩行すると動揺する個所があり、所々補修した部分がある。屋根も古びて所々めくれ接合部に空間ができているが、雨もりの形跡はない。以上のように老朽化しているが、柱、桁の接合部は要所においてカスガイで補強してあり、柱、桁自体は朽ちていないし、また建物全体の傾斜は見られない。なお本建物は工場として使用されている形跡がなく、農機具、電気製品、雑品、廃品等が雑然と格納された倉庫となつている。
(2) 同図面第二、第三、第四棟は、第四棟(亜鉛鉄板葺平家建工場約三五坪)を中心に第二、第三棟がカスガイで接合され、相互に隔壁はなく、一体をなしている。第二、第三棟は建築時期が古く、その各西側は別紙図面の「新築建物」の敷地とするため切断され、その切断部分は石をおいた上に応急的な柱を立て、トタン板を張りつけて壁としている。他の部分の柱に顕著な腐蝕は見当らない。屋根の状況は第一棟とほぼ同様である。第四棟は本件地上建物の中でも比較的新しいもので、小屋組のみが鉄骨製で八列あるが、この小屋組とこれを支える東側に八本、西側に四本の木の柱は建物の大きさに比べ細すぎる感があり、柱の基部に土台がなく、車石を置いて柱を立てている個所もある。また小屋組を受ける桁も細いために曲げが生じている所がある。壁体は北側に板張のものがあるのみで他の三方は開放され、筋違いもない。但し全般に接合部はほぼ完全である。以上の状況であるから建物としての強度は高くないと考えられるが、これは建築当初から原始的に存在していたものと認められ、建物そのものの腐朽はそれほど進んでいるわけではなく、全体として傾斜している模様はない。いずれにせよ第二、第三棟に比べればしつかりしている。なお第二、第三、第四棟を通じ床板はなく、土間に鉄材切断機等の機械類が設置されて農機具修理工場として使用されているほか、雑然と農機具部品、不用品等が積み重ねられている状況である。
(3) 使用人住居(木造瓦葺平家建約七坪半)は、建築時期は相当古く、土壁の一部の漆喰がはげ落ちているが、下見板は朽ちていないし、屋根もいたんでおらず雨もりの形跡もない。建物全体の傾斜もなく、住居として当分使用に耐えると考えられる。休憩室は第一棟に付置された形になつているが、第一棟よりは新しいものの如く、腐朽度も進んでいない。
以上のとおり認められる。
次に昭和三七年八月当時の状況としては、原審検証の結果に徴するに、前記昭和三五年八月当時と変つたところは、別紙図面第三棟が取りこわされてその跡に新たに下屋が設置されたこと、及び使用人住居の囲いや床板が撤去されて空間とし、車庫として使用されていること、がその主なもので、ほかはほとんど変化がないことが認められる。
以上認定の事実から昭和三五年八月及び昭和三七年八月における本件地上建物の状況を通覧するに、第一棟が最も要部の腐朽が進んでいるのであるが、他の建物はそれほど顕著な腐朽は見られず、殊に第四棟の如きは構造自体に問題があるけれども長年月を経たために腐朽したと思われる個所は見当らない。
甲第八号証の一、二(第八号証の一は第八号証の二を摘記したものにすぎない。いずれも斎藤鑑定書。)及び原審における森本博の鑑定の結果は、いずれも、本件地上建物中第一棟から第四棟までは腐朽状態及び構造上の欠陥から、継続使用が不能なほど危険な建物であり、これを補修するにしても新築と変らないほど手入れの要があるので、もはや社会的経済的な効用を失つている旨結論しているが、右各意見は主として建築基準上の観点に立つたもの、すなわち建築構造自体の欠陥を問題としさらに天災等をも予想した上で建物としての安全性を論じ、補修の程度についても以上の点を念願において述べられたものと認められる。中心的な建物である第四棟においては特にこの点が著るしい。(なお当審証人牧野稔の証言によれば、本件地上建物の危険性は構造上のものが七、朽廃によるものが三の割合であるというのである。)もつとも建築構造自体の欠陥も建物の腐蝕とあいまつて朽廃の有無を判断する一資料となり得るわけであるが、元来建物の朽廃を借地権消滅の事由としたのは、期間を定めない借地契約において、借地権者の保護と建物保全の目的から期間を相当長期に法定した反面、建物朽廃まで賃貸借を継続させれば右の趣旨は十分生かされたものとして、地主と借地権者との間の利害の調節をはかつたものと考えられるから、朽廃の有無は建築構造自体に存する欠陥如何の点にのみ片寄ることなく、より社会的、経済的に判定されなければならないのである。
以上の観点から考えた上、当審における検証並びに鑑定の結果(もとよりその証拠調の時期が昭和四〇年であることを考慮に入れた上で)を総合してみれば、前記甲第八号証の一、二(斎藤鑑定書)と森本鑑定の結果及びこの趣旨を敷えんする当審証人森本博、牧野稔、斎藤周太郎の各証言の一部は採用しがたく、かえつて本件地上建物はいずれもいまだ社会的経済的な効用を失つておらず、これに通常程度の補修を加えることにより今後数年ないし十数年は使用に耐えるもので朽廃していないと認められるのである(第一棟の腐朽は比較的著るしいが、倉庫としてならば使用できるし、当審検証の結果によれば土台の部分をコンクリートで改修したことが認められ、これはかえつて補修可能なことを示すものといえる。)
(近藤 浅賀 小堀)