東京高等裁判所 昭和38年(ネ)411号 判決 1964年2月15日
控訴人 被告 杉田みつ 外一名
訴訟代理人 安藤一二夫 外一名
被控訴人 原告 北屋敷ヤイ
訴訟代理人 平木隆吉 外一名
主文
本件各控訴を棄却する。
控訴審での訴訟費用は、控訴人らの連帯負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決中控訴人らの敗訴の部分を取り消す。右部分に関する被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用及び認否は、左記のほかは、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
控訴代理人は、原判決事実摘示中に控訴人愛三郎が本件建物を訴外北屋敷かよに賃料一ケ月二十五円で賃貸していたとあるが、家賃は一ケ月二十円で、残り五円は地代であると述べた。
被控訴代理人は、当審での被控訴人本人尋問の結果を援用しあらたに提出された乙号各証の成立を認めると述べた。
控訴代理人は、新たに乙第二五号証、第二六号証の一、二、第二七号証の一ないし三を提出し、当審証人丸山松ノ、同伊藤治郎吉の各証言、当審での控訴人杉田愛三郎本人尋問の結果を援用した。
理由
控訴人みつが昭和三十一年二月二十六日被控訴人を被告として、本件建物は控訴人みつの所有であると主張して、その明渡を求める訴訟を浦和地方裁判所に提起した(同裁判所昭和三一年(ワ)第八四号)ことは、当事者間に争がなく、右訴訟の訴状がその頃被控訴人に送達されたことは、原審での被控訴本人尋問の結果と本件口頭弁論の全趣旨によつて明らかである。被控訴人が昭和三十三年三月四日控訴人みつを反訴被告として本件建物の所有権確認を求める反訴を提起し(浦和地方裁判所昭和三三年(ワ)第四四号)、昭和三十四年三月五日本訴反訴とも被控訴人勝訴の第一審判決が言い渡され、同年四月二日確定したことは、当事者間に争がない。
いずれも成立に争のない甲第一、第二号証、乙第五号証の一、二、同第六ないし第八号証、同第一四ないし第二一号証及び原審証人平本隆吉の証言、原審と当審での被控訴本人の尋問の結果、原審と当審での控訴人愛三郎、原審での控訴人みつ各本人尋問の結果(ただし、いずれも後記信用しない部分をのぞく。)並びに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、左記の諸事実を認めることができる。
被控訴人は、昭和九年頃から控訴人愛三郎といわゆる妾関係にあり、その間に二子をもうけた間柄であつた。被控訴人は、昭和十六年頃東京都大田区から本件建物に移住したが、その際、控訴人愛三郎に対し、旧居の建物を売却しその代金を資金として新居を新築することを依頼したので、控訴人愛三郎は、右依頼に基づき、被控訴人が所有していた大田区所在の三棟の建物を他に売却し、その代金と控訴人愛三郎が被控訴人に贈与する趣旨で支出した多少の金とを資金として、被控訴人のために、浦和市大字上木崎に本件建物を含む五棟六戸の建物を新築し、被控訴人はそれ以来本件建物に居住していた。控訴人みつは、控訴人愛三郎の妻であつて、控訴人愛三郎と前記のような関係にあつた被控訴人が、控訴人愛三郎の新築した本件建物に居住するにいたつたことは、当時から知つていたか、少くとも知り得べかりし状況にあつた。控訴人愛三郎は、どんな心境からかははつきりしないが、被控訴人に無断で、右新築の際、本件建物の所有名義を控訴人みつであるとして取り扱い、家屋台帳にもそのとおり登録された(家屋台帳上本件建物の所有者が控訴人みつとなつていたことは、当事者間に争がない。)。右記のような関係にあつたので、本件建物の新築後、控訴人愛三郎または控訴人みつにおいては、被控訴人に対し本件建物の賃料の支払を求めたり、その明渡を求めたり、その他本件建物についてその所有者が控訴人みつであることを主張するような処置をとつたことは、一度もなかつた。もつとも、控訴人愛三郎は、妾関係もあつたので、被控訴人のために本件建物の税、その敷地の地代及び火災保険料などを支払つていた。ところが、昭和三十一年頃にいたり、控訴人愛三郎と被控訴人との間の妾関係は破綻を生じ、両名間に生まれた子が控訴人愛三郎を被告として認知の訴を起したので、憤慨の末、控訴人両名は協議の上、控訴人みつが被控訴人を被告として前記建物明渡訴訟を提起し、控訴人愛三郎が右訴訟追行について弁護士と交渉するなどの実際の衝にあたつた。
被控訴人は、右控訴人らの行為により、右訴訟に応訴することを余儀なくされたので、昭和三十一年三月頃東京弁護士会所属弁護士平本隆吉、同平本祐二に訴訟代理人として事件の処理にあたることを委任し、同弁護士会所定の弁護士報酬規程の定める額の範囲内で、着手金四万円、勝訴の場合の報酬金六万円を支払うことを約した。右訴訟においては、同弁護士らの判断により上記のように反訴が提起せられ、本訴反訴を通じ、弁論終結までに二十一回の口頭弁論期日が開かれ、合計十人に及ぶ人証が取り調べられた。被控訴人は右両訴訟を通じて平本両弁護士に、右記約定に基づいて、着手金は昭和三十一年三月頃から上記判決確定後である昭和三十四年五月九日までに、報酬金は右同日から昭和三十五年七月十五日までの間にそれぞれ数回に分割して支払つた。なお、被控訴人は、右訴訟が提起された当時、右訴訟を提起されたため精神的に重大な衝激を受け、その心労のために睡眠不足と食欲不振におちいり、強度の神経衰弱にかかつた。
原審及び当審での控訴人愛三郎、原審での控訴人みつ各本人の供述中右認定に反する部分は、前掲各証拠と対比して信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定事実によると、控訴人両名は右建物明渡の訴の提起にあたり本件建物が被控訴人の所有であることを知つていたこともちろんであるばかりでなく、上記認定のように被控訴人と控訴人愛三郎との間の子から認知の訴を提起されたことから被控訴人を憎み、たまたま本件家屋が家屋台帳上控訴人みつの所有名義となつていたので、右認知の訴提起に対する報復の処置として、被控訴人に対し上記建物明渡の訴を提起したものと認めるのを相当とする。
もつとも、控訴人両名が昭和三十四年三月五日言い渡された右建物明渡の訴の控訴人みつ敗訴の上記第一審判決を不満に思い、同年三月二十四日東京弁護士会所属弁護士北島初次に控訴人みつの訴訟代理人として控訴手続をとることを依頼し、手数料等を支払つたが、同弁護士の事務員の過失により控訴期間を徒過し、控訴が提起されず、同年四月二日右第一審判決が確定するにいたつたことは、いずれも成立に争のない乙第一ないし第四号証、同第二六号証の一、二、原審での控訴人両名各本人尋問の結果によつて明らかであるが、右事実は、控訴人両名が前段認定のような意図のもとに、右家屋明渡の訴を提起したことと矛盾するものではないから、右事実によつても、前段認定をくつがえすことはできない。
したがつて、控訴人両名は、連帯して、被控訴人に対し、右不当な訴の提起によつて被控訴人のこうむつた損害を賠償しなければならないものといわなければならない。
進んで損害額について判断する。上記認定の右訴訟提起にいたるまでの経緯及び右訴訟の経過に徴すると、被控訴人が平本隆吉弁護士らに支払つた合計金十万円の弁護士報酬は、控訴人らの不当訴訟に対し被控訴人の権利を主張するため必要であつたもので、被控訴人は、右訴訟の提起により右金十万円の財産的損害を受けたものであり、また被控訴人が右訴訟の提起によりこうむつた上記精神的苦痛は、金十万円で慰藉するのが相当であると認められる。
したがつて、被控訴人は、右不当な訴の提起により、財産的損害と精神的損害とをあわせ、合計金二十万円の損害をこうむつたものであり、控訴人両名は、連帯して被控訴人に対し、右金二十万円の損害を賠償する義務を負うにいたつたものである。
控訴人らは、消滅時効の完成により損害賠償請求権は消滅したと主張するので、判断する。
民法第七二四条は、不当行為による損害賠償請求権は、被害者またはその法定代理人が損害および加害者を知つた時から三年間行わないときは、時効により消滅する旨規定するが、右にいわゆる損害を知るとは、単に損害が生じたことを知つただけでは足りず、それが違法行為によつて生じたことをもあわせ知る意味であると解するを相当とする。そして、不当な訴を提起されたことにより損害をこうむつた場合においては、訴訟進行中に損害が発生しかつそのことを知つたとしても、それだけで直ちに右訴の提起が違法な行為であることを知つたとはいえないものと解すべきである。なぜならば、訴訟というものが、当事者間の紛争を裁判所に提訴して解決を求める手段として、国民に権利として認められたものであることを考えれば、当事者は裁判所の判断があるまでは、訴の提起が違法であるかどうかを判断することが困難であり、殊に、訴訟においては、一方の当事者が敗訴したからといつて、その当事者に対し相手方の当事者が訴の提起を不法行為として損害賠償を請求し得るものではない。上記と反対に、不当訴訟を起こされたことを知つたときと解すれば、その損害賠償債権(不当応訴の損害賠償債権についても同じ)は、訴訟が永びけば、その進行中に時効にかかつてしまうという不合理なことになつてしまう。これらのことをも考えれば、上記の解釈の正当さは是認されるものと考える。従つて、本件の場合でも被控訴人が、上記認定の控訴人両名の訴の提起が違法行為であることを確知したのは上記建物明渡訴訟の勝訴判決が確定した昭和三十四年四月二日から起算されるべきであつて、本訴提起の日であること記録上明らかな昭和三十七年三月十三日にはまだ三ケ年の消滅時効が完成していないことが明らかである。もつとも、不当訴訟の場合には、不法行為は継続的になされているが、損害賠償債権の時効の起算日を上記認定のように解すれば、それらは全部について同時に進行するものであることは、上記説明によつて明かである。したがつて、控訴人らの消滅時効の抗弁は、全部採用することができない。
そうであるとすれば、控訴人両名に対し不当な訴を提起されたことによりこうむつた損害の賠償として連帯して金三十万円を支払うべきことを求める被控訴人の本訴請求は、そのうち連帯して金二十万円を支払うべきことを求める部分については認容し、その余の部分については棄却するのが相当である。
よつて、これと同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条第一項を適用してこれを棄却し、控訴審での訴訟費用の負担について同法第九五条、第八九条、第九三条第一項但書を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村松俊夫 裁判官 杉山孝 裁判官 山本一郎)