東京高等裁判所 昭和38年(行ナ)176号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決の要点が、いずれも原告主張のとおりであることは、当事者間に争いのないところである。
(審決を取り消すべき事由の有無について)
二 本願発明と引用例との間に、本件審決があげた前掲(1)、(2)及び(3)の相違点(これらの相違点に関する審決の判断の正当性は、原告において争わない。)のほか、(4)連結の圧力による変形は、本願発明の場合には、扇形片とは別体である担持部分に生ずるに対し、引用例の場合は、扇形片自体又はこれと一体をなす部分に生ずる、という差異のあることは、当事者間に争いのない事実であるところ、原告は、この構成上の差異により、その主張のような作用効果上顕著な差異を生ずるから、これを看過し、本願発明をもつて引用例の技術内容から容易に考えうるものであるとした本件審決は、その点において判断を誤つた違法がある旨主張するが、本件において挙示援用されたすべての証拠資料によるも、原告の右主張を容認することはできない。以下、その理由を詳説する。
(一) 連結板の製作時において、本願発明の場合は、引用例の場合に比し、摩擦当て板として圧着アスベストを使用する場合においても、また、焼結金属被覆体を使用する場合においても、原告主張のとおりの製造技術上の利点のあることは、被告においても、争わないところであるが、その利点は、とりも直さず、扇形片を担持部分と別体に構成し、のちに両者を固着するようにしたことに伴う効果に他ならないこと明らかなところであるから、クラツチ連結板において摩擦当て板を担持体とは別体の扇形片に取りつけることが本願発明の出願前公知の技術(たとえば、審決引用の昭和十七年実用新案出願公告第八、八二四号公報)である以上、この利点をもつて、本願発明に特有の効果とすることはできない。また、焼結金属当て板を使用する場合における利点なるものも、摩擦当て板及び扇形片の材料が特定された場合において初めて発生するものであることその製作の技術的観点から明らかなところであるから、そのような材料の特定のない本願発明(そのことは、前掲本願発明の要旨に徴し明らかである。)において、右利点をもつて、本願発明に特有の効果であるとすることはできない。原告は、この点に関し、扇形片材料の特定の問題は、本願発明を実施する際生ずる附随的問題であり、本願発明と直接関係のない事項である旨主張するが、扇形片と担持体とが同一材料で構成された場合には、扇形片が高温にさらされて、その弾性特性が失われる結果、担持体に弾性が残存している場合においても、実質上、漸次的連結を達する機能が失われてゆくことは、見やすいところではあるが、両者がその材料を異にする場合には、扇形片と担持体との弾性特性が必ずしも、材料を同一にする場合と同じではないことは、これまた容易に窺いうるところであるから、材料の特定の問題は、その意味において本願発明の実施上の事項にすぎないとしても、材料によつて影響を免かれない前記利点をもつて、本願発明によつて、本質的な特有の効果とすることができないことに変りはない。
(二) 原告は、また、本願発明の連結板は、運転時において、連結の圧力による変形が扇形片とは別体の担持部分に生ずるのに反し、引用例の場合は扇形片自体又はこれと一体をなす担持部分に生ずるので、両者は相違するものであると主張し、右主張事実は被告も認めるところであるが、本願発明における扇形片は、原告の主張により明らかなように、最初は担持体とは別々に製作されるけれども、その後担持体に取り付けて固定させるのであるから、結果においては最初から一体となつているのと構造上大差なく、連結時に弾性変形の生ずる部位について右のような差異があるとしても、もともと弾性変形の生ずる部位には明確な境界があるものではないから、この程度の差異は、それ自体としては別段意味があるものとはいいがたい。
原告は、右構造上の差異による工業上の効果として、本願発明の連結板は、運転時において、引用例に比し、前記構成から、扇形片上の摩擦当て板に発生した熱の担持体への伝導が悪いため、担持体の弾性変形位置は、それほど高温とならず、したがつて、弾性特性も失われることはない旨主張する。しかして、本願発明の連結板において、扇形片と担持体とは、別体として構成されており、したがつて、両者の接合部分に微細微量の空隙及び夾雑物が存在し、したがつて、相互間の熱の伝導率は、これが一体に構成された場合に比し低いことは容易に推認しうるところであるが、本願発明における扇形片と担持体とは別体に構成されてはいるが、同時に固着されているのであるから、両者の接合面の面積は、扇形片ないし担持体の断面積より著しく増大することになり、この増大した面積の全接触面にわたつて行われる熱伝導度が、引用例のように一体に構成された場合の狭小な断面積における熱伝導度より低度であるとは、必ずしも断定できない。したがつて本願発明における連結板の運転時における変形部分が引用例のそれと異なることによつて原告主張の新たな効果を生ずることについては、その証明がないことになる。
これを要するに、以上説示したところから明らかなように、原告主張の製作時及び運転時における引用例との差異も、結局、本願発明に特有の効果とみることはできない。
なお、原告は、本願発明の実際の適用に当たり、(イ)扇形片と担持体の材料を適宜選択しうること及び(ロ)両者の間に断熱材を介在させて熱伝導を阻止しうることを本願発明の附加的効果として指摘する。本願発明の連結板においては前記のとおり扇形片と担持体とが別体に構成されているから、原告が指摘するような実際的措置の可能性が十分存在しうるであろうことは、疑う余地もないところではあるが、すでに扇形片と担持体とを別体に構成することが公知である以上、使用目的に応じこれらに相異なる材質を選択することは当業者の容易になしうるところであり、また、右(ロ)の点については、扇形片と担持体との間に断熱材を介在させることにより原告主張の新たな効果を生じさせるということは、本願発明の明細書中に示されていないから、これらをもつて、本願発明の効果として、引用例との比較において、考慮することはできない。
(むすび)
三 以上詳述したとおりであるから、本願発明をもつて、引用例から容易に考えうるものとした本件審決は正当であり、原告主張のような違法の点はないものといわざるをえない。
〔編註〕 本件における原告の主張は左のとおりである。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、一九五七年(昭和三十二年)十月二日、独乙国にした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和三十三年八月六日、「特に動力車輛の弾性連結板」につき特許出願(昭和三三年特許願第二二、一五四号)をしたところ、昭和三十六年三月十四日、拒絶査定を受けたので、同年六月十四日、抗告審判を請求した(昭和三十六年抗告審判第一、六六八号事件)が、昭和三十八年七月二十三日、「本件抗告審判の請求は、成り立たない」旨の審決があり、その謄本は、同年八月五日原告に送達された(附加期間三か月)。
二 本願発明の要旨
本質的に平坦な金属扇形片に、それ自体は既知の摩擦当て板が両側に設けられている特に動力車輛に対する弾性の連結板において、一つの担持体に固定されている部分が連結の圧力により担持体を弾性的に変形することを特徴とする弾性連結板。
三 本件審決理由の要点
本件審決は、本願発明の要旨を前項掲記のとおりと認定したうえ、拒絶査定が引用した英国特許第五五七、五三七号明細書抜すい(昭和三十二年二月十六日特許庁資料館受入)(以下、「引用例」という。)には「本質的に平坦な扇形部分に、それ自体既知の摩擦当て板が両側に設けられている弾性の連結板において、中央の坦持部分に連結されている扇形部分が、連結の圧力により、担持部分を弾性的に変形する弾性連結板」が記載されており、これと本願発明とを比較すると、
(1) 本願のものは扇形片が金属製であること、
(2) 本願のものは、特に動力車輛用のものであること、
(3) 本願のものは、扇形片が担持体に固定されるものであるに対し、引用例のものは、扇形部分と担持部分とが一体に構成されていること、
の三点において差異が認められるが、(1)引用例には、扇形部分の材質については何らの記載はないとはいえ、摩擦クラツチにおいて、その芯板を金属製とすることは技術上常識であるから、引用例の扇形部分を含む円板を金属製とすることは容易に実施できることであり、(2)動力車輛に摩擦クラツチを使用することは極めて普通のことで、このような用途に限定した点に格別の意義は認められず、また、(3)装置の部分をその主体と一体に製作するに代え、該部分を分割製作後、これらを固定して一体とすることは一般に機械の設計製作上慣用されている技術であるばかりでなく、摩擦クラツチの連結板においても、担持体と扇形片とを別体とし、両者を固着したものは公知(昭和一七年実用新案出願公告第八、八二四号公報参照)であるから、前記(3)の相違点も、引用例のものから容易に考えうるところと認めるのが妥当であり、本願発明は、結局、全体として引用例の技術内容から容易に考えられるものというべく、旧特許法(大正十年法律第九十六号。以下同じ)第一条の発明と認めることはできない、としている。
四 本件審決を取り消すべき理由
本願発明の要旨、引用例の記載及び本願発明と引用例との相違点がいずれも審決認定のとおりであること並びに右相違点に関する審決の認定は争わないが、本件審決は、本願発明と引用例との本質的差異を示す後記の点及びこれに基づく作用効果上の顕著な差異を誤認し、本願発明は、引用例の技術内容から容易に考えられるものであるとした点において違法であり、取り消されるべきものである。すなわち、本願発明と引用例との間には、本件審決認定の前掲(1)から(3)の相違点のほか、(4)連結の圧力による変形は、本願発明の場合には、扇形片とは別体である担持部分に生ずるに対し、引用例の場合には、扇形片自体又はこれと一体をなす部分に生ずる、という差異がある。しかして、このような構成上からする差異に伴い、両者間には作用効果上も、次の(1)、(2)のとおり顕著な差異を生ずるが、「扇形片とは別体である担持部分が変形するようにすること」は、本願発明の本質的構成要件であるから、この(4)の差異は、両者の対比において無視しうべきものではない。 (1) 連結板の製作時において、引用例では摩擦当て板として焼結金属被覆体又は圧着アスベストを取りつける際、不都合を生ずる。金属被覆体を扇形片に焼結して取りつけるときは、高い焼結温度が生ずるが、この高熱は、扇形片と弾性変形位置とが一体であるため、直ちに弾性変形位置に伝達され、この位置の弾性特性を失わせる。またアスベスト層を圧着して取りつけるときは、このような層を一体に形成されている各扇形片に均一の層厚で取りつけることは困難であり、そのためには、注意深い作業、したがつて、多くの時間を要し、また、これを機械的に行おうとすれば、複雑な装置を必要とし、結局経済的に著しく不利となる。これに反し、本願発明においては、扇形片を担持体より分離し、各別に摩擦当て板を取りつけ、しかるのち扇形片を担持体に固着するようにすることができる。このため、金属被覆体を焼結して取りつける場合は、弾性変形位置のある担持体が高熱にさらされることは全くなく、アスベスト層を圧着して取りつけるときは、これを個々の扇形片に各別に取りつけることができるので、製造技術上、はなはだ有利となる。(なお、本件審決は、「摩擦当て板を担持体とは別体に形成した扇形片に取りつけた摩擦連結板が公知(昭和一七年実用新案出願公告第八、八二四号公報参照)である」としているが、この参照公報に示すものにおいては、なるほど担持体とは別体に形成した扇形片に摩擦当て板が取りつけてあるが、本願発明のものとの本質的差異は、この参照例の場合、弾性変形位置が扇形片自体にあることである。このようなものにおいては、金属当て板を焼結する場合、扇形片が担持体に固着してあると取りはずしてあるとにかかわらず、弾性変形位置は、直ちに高温となり、その弾性特性を失うに至る。)(2)運転時において、引用例の場合、扇形片と弾性変形位置とは一体であるため、これらの間の熱伝導は、はなはだ良好である。これに対し、本願発明では、扇形片と弾性変形をする担持体とは別体であり、単に固着されているに過ぎないので、一体の場合に比し、熱伝導がはなはだ悪い。材料表面は、如何に精密に仕上げても、これを顕微鏡的に観察すると、凹凸のある面であり、これらを接合して固着するとき、接合面には、多くの小さい空隙が生ずる。この空隙内にある空気は熱の不良導体であるから、空隙部における熱伝導は、はなはだ不良である。また、空隙部以外の接合部においても、金属同志は素肌をもつて接合せず、酸化物又はその他の夾雑物をはさんで接合しているが、これの酸化物や夾雑物は当然に熱の不良導体であり、この部位においても熱の伝導はよくない。このため、扇形片の摩擦当て板に多大の熱が発生するとき、引用例においては、この熱は直ちに弾性変形位置に伝達され、この位置は高温となり、その弾性特性が失われる結果となる。本願発明においては、扇形片の摩擦当て板に熱が発生しても、扇形片と弾性変形位置のある担持体とが別体であるため、その間の熱の伝導が悪く、弾性変形位置は、それほど高温とならず、したがつて、弾性特性も失われることはない。以上の本願発明のもつ独特の作用効果は、発熱源である扇形体と連結時における弾性変形位置とを別体とした構成より、当業者の容易に推測しうるものであるのみならず、本願明細書の記載からも明らかである。すなわち、本願明細書第五頁五行から十一行には、従来の技術の欠点として、「更に金属当て板の高い熱伝導性及びそれ自体の大なる対温度抗力を考慮に入れるときは、当て板の下の弾性扇形片は、有機質の当て板を使用した場合よりも著しく高い温度に達するから、弾性の円板環の弾性特性は、熱作用により運転に入れば直ちに失われてゆくことになる」と述べているが、本願発明は、この従来の技術の欠点を除去するためのものであるから、右の記載の反対解釈として、本願発明に前記の作用効果のあることは、容易に理解しうるところである。さらに、本願明細書第六頁二行から五行には、「即ち連結圧力を受けてこれ等の物体の弾性的変形が生ずるようになされるもので、この圧力は、摩擦区域外に分布し、連結の滑りに依る熱作用に影響を受けることは既知の装置に於けるよりは遥かに少ないのである」と記載されている。これは、前記本願発明の作用効果の直接的表現である。ただ、この記載は、若干の誤訳のため意味が不明瞭となつていることは原告も認めるものであるが、正しくは「即ち、連結圧力を受けて担持体の弾性的変形が生ずるようになされるもので、この担持体は摩擦区域外に位置し、連結の滑りに依る熱作用の影響を受けることは既知の装置に於けるよりは遥かに少ないのである」と記載されるべきものである(優先権証明書には、この正しい意味が記載されている。)。
なお、被告は、アスベストを使用する場合の原告主張の効果は、公知技術(引用例及び審決掲記の参照例)に基づく効果であると主張するが、この効果はこれらの公知例を結合した構成により初めて生ずるものであり、しかも、この結合は、当業者により容易に実施しうるものとは限らないから、アスベストを使用する場合の本願発明の前記作用効果は、単なる公知技術による効果ということはできない。さらに、これらの公知例を単に結合しただけでは、摩擦当て板として圧着アスベストを使用したクラツチの場合、運転時において、弾性変形部位の変形は、その近傍におけるアスベスト被覆に悪影響を及ぼし、その剥離や破損のおそれを生ぜしめる不都合を生ずる。また、原告の実地の経験によれば、本願発明による構成においては、弾性変形部位の弾性保持度が高い。これは、弾性変形部位への熱伝達が著しく少いか、あるいは、被告主張のとおり扇形片と担持体とが一体のものに比し熱伝達量の差異が少いとしても、繰り返し加わる高温が材料の弾性特性喪失に対し限界値近傍にある場合は、その小さい温度差が大きな影響を及ぼすことによるものと考えられる。摩擦当て板として圧着アスベストを用いるクラツチと、摩擦当て板として焼結金属を用いるクラツチとの両型式のクラツチにおいては、解決すべき共通の課題とそれぞれに特有の課題とが存する。運転時に弾性変形部位への熱伝導を低下させることは前者の課題であり、製作時に摩擦当て板の取付を好都合ならしめること及び取りつけたアスベスト被覆に運転時悪影響が及ばないようにすることは後者の課題である。本願発明は、両型式のクラツチにおける共通の課題とともに、各クラツチ特有の課題をも解決するものであり、その点において、すぐれた技術的進歩性を有するものであるが、さらに、その実際の適用に際して、<1>扇形片と弾性変形部位を具備する担持体とが別体であるため、それらの材料を適宜選択して、たとえば、高出力の機関でクラツチ接合面における熱発生の大きいものには扇形片の材料を耐熱材料とし、担持部分は弾性ある材料とする等、クラツチをその都度の要求に適合させることができ、<2>扇形片と担持体との接合面に断熱材を介在させて弾性変形部位への熱伝導を阻止しうるという附加的効果をも併せ有するものである。被告が主張する扇形片材料の特定の問題は、本来、本願発明と直接の関係のない事項であり、本願発明を実施するに際し生ずる附随的問題の一つにすぎない。この問題は、扇形片に耐熱材料を用いて解決されるが、このことは、通常の技術的知識を有する当業者の容易に想到しうるところである。また、本願発明における扇形片は、クラツチの作動中一種の剛体として作用するものであるから、クラツチの連結時にも変形する必要がないし、また実際上変形せず、担持体の方が弾性変形して漸次的連結をするものである。本願発明の場合、扇形片と担持体との接合面積が大きいのは見掛上のみのことであり、実際は、その間に無数の空隙が存在するので、現実の接合面積は、見掛上のものより著しく小さい。したがつて、見掛の接合面積が大きくても、熱の伝導量は、扇形片と担持体とが一体の場合に比し小さいものとなる。このことは、原告が実物について経験したところである。