東京高等裁判所 昭和38年(行ナ)82号 判決 1964年2月25日
原告 マイロン・エー・コーラー
被告 特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
原告のため上告の付加期間を三か月と定める。
事実
第一請求の趣旨
「特許庁が昭和三五年審判第二二号事件について昭和三八年三月二日にした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求める。
第二請求の原因
一、名称を「導電性成型用可塑物」とする特許第二五三三六二号発明(以下本件特許発明という。)は、パナマ共和国の法律によつて設立された法人である訴外マーカイト・インターナシヨナル・コーポレーシヨンを特許権者として、昭和三四年八月五日に特許されたものである。そして、本件特許発明の特許請求の範囲の項の記載は、「成型用有機可塑物粒子の表面に該可塑物粒子の平均直径の三分の一以下の厚さの導電材料の薄層を有し、しかも該導電材料の使用量が〇・五五ないし一・〇〇のRA〔ただし、RA=AC/AP(式中、APは可塑物の表面積、ACは導電材料により被覆される可塑物の表面積)〕と〇・〇〇〇三ないし〇・一三のRV〔ただし、RV=VC/(VP+VC(式中、VPは可塑物の容積、VCは導電材料の容積)〕である成型用有機可塑物粒子より成る可塑物」というのである。
ところが、右マーカイト・インターナシヨナル・コーポレーシヨンは、昭和三五年一月一八日、特許庁に対し本件特許発明明細書に関し、(一)第五頁一六行目「RVは約〇・〇〇〇三ないし〇・一三」を「RVは約〇・〇〇〇〇三ないし〇・一三」に、(二)特許請求の範囲の項下から四行目「〇・〇〇〇三ないし〇・一三のRV」を「〇・〇〇〇〇三ないし〇・一三のRV」に、それぞれ訂正するよう訂正審判を請求し、昭和三五年審判第二二号事件として審理されるにいたつた。この審判手続の継続中、原告は、昭和三六年八月一八日付譲渡により右法人から本件特許権の移転を受け、その旨の登録を経た。ついで、昭和三八年三月二日原告に対し右事件について、請求人の申立は成り立たない旨の審決がされ、同審決の謄本は、同月九日原告に送達されたが、この審決に対する訴提起の期間は、特許庁長官の職権により同年七月八日まで延長された。
二、本件審決の理由の要旨は、つぎのとおりである。すなわち、本件審決は、本件審判請求は要するに、本件特許発明明細書の特許請求の範囲の項中「〇・〇〇〇三ないし〇・一三のRV」を「〇・〇〇〇〇三ないし〇・一三のRV」に訂正し、これに関連してその第五頁一六行目をも同様に訂正しようとするものと認められるところ、明細書等の訂正にかかる旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第五四条の規定にいう実質上とは、一般に表現上または形式上などに対しての意味に解すべきであつて、拡張の程度または拡張部分の非拡張部分に対する比率によつて判断すべきものとはとうてい解することができず、本件請求にかかる訂正は、特許請求の範囲を実質上拡張するものであるから、たとえ右訂正が誤記の訂正に該当するものであるとしても、右法条の規定に違背し許されないというのである。
三、本件審決は、つぎの点について判断を誤つた違法があり取り消されるべきである。
1 (本件訂正は旧特許法第五三条第一項第二号の誤記の訂正に当る。)
本件特許発明の特許出願から出願公告決定までの経過を順次右RVの範囲の点に関してみると、RVの値は、出願時の昭和二九年七月六日付明細書から昭和三二年九月四日付具申書提出までの過程においては終始〇・〇〇〇〇三ないし〇・一三とされているところ、同月一六日付訂正指令書および昭和三三年一月三〇日付訂正書の段階において〇・〇〇〇三ないし〇・一三と改められるにいたつている。
そして、出願人としては、まつたくRVの値の範囲を変更すべき事情、たとえば先行技術の存在、特許庁の指令等があつたわけではなかつた。ただ、原告の米国における代理人から日本における代理人に送られて来た一九五八年一月一七日付書信(甲第一七号証)において、特許請求の範囲の項のみの訂正が指示されていたので、原告代理人は、わが国での慣習に従い、特許請求の範囲の訂正に伴つて本文の訂正をしたにとどまる。右RVの下限の変更は、米国における代理人に存したタイプの誤りにもとづくものであることは明らかである。その誤りの原因は、推測するのに、出願時の明細書第五頁一二行目以下に「上式によつて知られるごとくRAは導電材料をもつて被覆された可塑物粒面積の比率を表わし、RVは導電材料をもつて占められた型作物品の容積の比率を表わす。有利には、RAは約〇・五五ないし一・〇〇であり、RVは〇・〇〇〇〇三ないし〇・三であるべきである。なるべく、RAは約〇・九〇ないし一・〇〇、RVは約〇・〇〇〇三ないし〇・一〇なるを可とする。」と記載されていたことにあるであろう。〇・〇〇〇〇三と記すつもりで無意識に〇・〇〇〇三と記すような錯誤による表示上の誤記をおかしたものであろう。もし、出願人がRAの範囲を積極的に縮減する意図を持つていたとすれば、右の記載から判るように、RVの下限を〇・〇〇〇〇三から〇・〇〇〇三に改めただけでなく、上限もまた当然に〇・一三から〇・一〇に改めたであろう。
さらに、右のようにRAを訂正したが、明細書中には、右RVの値の下限が〇・〇〇〇〇三であるべきことを支持する記載がある。すなわち、昭和三二年九月四日付訂正明細書(甲第一二号証の二)には、「適用される可塑物の〇・〇一ないし三〇重量パーセントの割合で金属を用いることによりよい結果がえられる。」(第六頁末行以下)、「本発明において使用される導電性化合物(導電材料)としては、鉄、銅、ウラン、鉛およびチタンのごとき金属の酸化物………である。」(第七頁末より二行目以下)、「本発明の可塑物に用いられる粉砕樹脂または可塑物は、フエノール性および尿素ホルムアルデヒド樹脂のごとき熱硬化性材料ならびにポリスチレン、ポリメタアクリル酸メチル、ビニル共重合体、酢酸繊維素等のごとき熱可塑性材料を含む種々の成型用物質から選択される。」(第八頁六行目以下)ことが明らかにされている。そこで、上記導電材料として酸化チタン、可塑物としてビニル樹脂を使用した場合におけるRV値を算出してみると、RV=VC/VP+VCにおいて、可塑物の重量を一部とすると、導電材料の重量は、〇・〇〇〇一ないし〇・三部の範囲であり、右ビニル樹脂の比重は一・二、酸化チタンの比重は三・八四であるから、右下限の〇・〇〇〇一部の場合
RV=
0.0001
≒0.0000313
3.84
1
+
0.0001
1.2
3.84
となる。したがつて、これから、RV値は、〇・〇〇〇三ないし〇・一三ではなくて、〇・〇〇〇〇三ないし〇・一三でなければならないことが明らかである。そして、もし出願人が積極的にRVの下限を変更する意図であつたとすれば、当然明細書中前記記載部分も変更したであろうのに、これまでに改められていない。
特許庁でRVの下限を〇・〇〇〇三としたのは、明らかに錯誤によるものであり、これを本件審判手続において〇・〇〇〇〇三に改めることは、旧特許法第五三条第一項第二号の誤記の訂正に当るというべきである。
2 (本件訂正は特許請求の範囲を実質上拡張するものではない。)
旧特許法第五四条の規定の趣旨は、同法第五三条第一項各号にかかる訂正を行う場合、たとえば誤記の訂正を口実として、発明の実体に変動を及ぼすことを防ごうとするにある。ところが、本件訂正審判請求における訂正では、出願時の明細書等において、明確に記載されていた値に復元しようとするものであり、作為的に発明を変動させる意図はまつたくなく、新しい事項を付加しようとするのでもないばかりでなく、特許発明明細書中には、1の項末段で述べたようにRVの下限が〇・〇〇〇〇三である場合を支持する記載が現に存するのである。そして、RVの下限が〇・〇〇〇〇三でも、〇・〇〇〇三でも、本件特許発明の効果は変らない(甲第六号証の二出願時の明細書第五頁一六行目以下参照)。また、特許権の権利範囲を決定するにあたつては、特許請求の範囲の項の記載ばかりでなく、明細書中の他の記載をも考慮すべきであるから、本件特許発明の特許請求の範囲の項にRVの下限が〇・〇〇〇三と記載されていても、発明の詳細な説明の項にそれが〇・〇〇〇〇三である場合が記載されていれば、その特許請求の範囲は、RVの下限〇・〇〇〇〇三まで及ぶものと考える。とすれば、右訂正は、すこしも特許請求の範囲を実質上拡張することにはならない。
仮に、RVの下限を〇・〇〇〇三から〇・〇〇〇〇三に改めることによつてRVの範囲が拡張されるとした場合、それがどれだけの割合で拡張されることになるかについて考えると、
(0.0003-0.00003)/(0.13-0.0003)= 0.0028
すなわち、わずかに〇・二八パーセント拡張されるに過ぎない。さらに、特許請求の範囲全体を考えると、本件特許発明は、右RVの他に、(一)可塑物の表面に導電材料の薄層を有し、(二)右薄層の厚さは可塑物粒子の平均直径の三分の一以下であり、(三)RAの範囲が〇・五五ないし一・〇〇であることを要件とする。右四要件のウエイトを同じとすれば、特許請求の範囲全体からみると、拡張された全体と元の範囲とでは、
(4+0.0028)/4 = 1.0007
となつて、全体のわずか〇・〇七パーセント拡張されたことにしかならない。この程度の拡張は、実質的な拡張とはいえない。
よつて、請求の趣旨のとおりの判決を求める。
第三被告の答弁
一、主文同旨の判決を求める。
二、原告主張の請求原因第一、二項の事実は認める。同第三項1で原告が主張するとおり出願審査の手続上本件特許発明におけるRVの下限の訂正がされたことおよび本件訂正が特許発明明細書の誤記の訂正でありしたがつて旧特許法第五三条第一項第二号に該当することは争わない。同第三項2の点は争う。
旧特許法第五四条にいう「特許請求範囲ヲ実質上拡張シ又ハ実質上変更スルコトヲ得ス」の「実質上」とは、形式上または表現上などに対して、その実質いいかえればその内容を意味するものと解する。原告は、本件の訂正が実質上特許請求の範囲を拡張するものでないとする理由として、効果上大差がないことおよび拡張の程度が〇・二八パーセントに過ぎないことを挙げているが、右訂正が現実に特許請求の範囲を拡張するものである限り、たとえ、その拡張の度合がいかに僅少でも、その訂正は、右法条の規定に違背し許されない。
原告の本訴請求は、理由がないから失当として棄却されるべきである。
第四証拠<省略>
理由
一 特許庁における本件審判手続の経緯、本件特許発明の特許請求の範囲の項の記載、その権利の帰属、本件審決の理由の要旨についての請求原因第一、二項の事実ならびに同第三項の1で原告が主張するとおりの事情のもとに、出願審査手続上本件特許発明におけるRVの下限が〇・〇〇〇〇三から〇・〇〇〇三に訂正されたことおよび同訂正が出願人の米国における代理人の錯誤に由来するものであることについては当事者間に争がない。
二 ところで、本件にかかる特許発明の明細書または図面の訂正許可についての審判においては、旧特許法第五三条第一項第一ないし第三号の事項を目的とする訂正であつて、同条第三項の要件を満たし、かつ、それが同法第五四条の規定するとおり特許請求の範囲を実質上拡張または変更しないときに、訂正の許可がされるべきことは、右両法条の規定に徴して明らかである。そして、右特許権設定後における特許権者による明細書または図面の訂正は、不完全に作製された特許発明の明細書または図面をそのまま放置しておくことは、出願当時完成した、特許にかかる新規な工業的発明を正確に開示すべきこれら書面の本来の使命にもとるとともに、これを権利者の立場からいえば、そのかしを理由に特許が無効とされるおそれがあるので、これをふさぐために、このかしを訂正、除去したり、誤記や不明瞭に由来する不都合や第三者に乗ぜられること等を防止するため右誤記等を訂正ないし釈明しておくことを目的とするものと考えられるから、その訂正もおのずからその趣旨の限度で認められるものと解するのが相当であり、一方、実質上特許請求の範囲を拡張または変更することになる訂正は、ただちに第三者の利益にも関するから、特許権者と第三者との利害の調整の見地に立つて(訂正による効果は、旧特許法のもとにおいても、出願のときにさかのぼるものとされていた。)、これを許さないものとしている趣旨にかかるものと解される。両法条について右のとおり解すべき以上、同法第五四条にいわゆる特許請求の範囲を実質上拡張または変更することをえないとは、当該発明の構成に缺くべからざる事項についてその内容ことに範囲、性質等を拡張または変更することはいずれにしても許されない意と解すべきことが、おのずから明らかである。
本件特許発明において、「〇・〇〇〇三ないし〇・一三のRV」すなわちこのRVの値が、発明の構成に缺くべからざる事項の一つに属することは、成立について争のない甲第六、一〇、一二号証の各一、二、同第一五号証、ことに当事者間に争のない本件特許発明の特許請求の範囲の項の記載に徴して明らかであるところ、右RVの値「〇・〇〇〇三ないし〇・一三」に比し、原告の本件訂正審判請求にかかるRVの値「〇・〇〇〇〇三ないし〇・一三」の方が範囲において広くなることはいうまでもない。
原告は、発明の詳細なる説明の項においてRVの値について〇・〇〇〇〇三ないし〇・一三である趣旨が示されているから、特許請求の範囲の項においてこれが〇・〇〇〇三ないし〇・一三であると記載されていても、RVの下限は〇・〇〇〇〇三まで及ぶものでありしたがつて本件訂正審判請求におけるように訂正しても、特許請求の範囲を拡張したことにはならない旨主張するけれども、旧特許法の適用のある本件においても、特許発明の技術的範囲は明細書の特許請求の範囲の記載にもとづいて定めるべきものであるから、とうてい右主張のように解することはできない。また、原告は、右が拡張となるとしても、拡張の程度が僅少で実質的に拡張というに値しないと主張するけれども、上述の説示および右が拡張であることは明らかでありその拡張部分についても所望の効果があることは前掲証拠に徴して明らかであるしその拡張の程度が原告の主張するような計数的表示によつて正確にあらわされるとは考えられないことにかんがみ、この主張も採用できないこというまでもない。
三 右のとおりである以上、本件訂正審判請求にかかる訂正は、その余の点にわたつて判断するまでもなく、本件特許発明の特許請求の範囲を拡張するものとして許されないことが明らかであるから、右訂正を許すべきものでないとした本件審決は、相当であり、その取消を求める原告の本訴請求は、理由がないので、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を、上告期間の付加について同法第一五八条を、それぞれ適用し、よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 原増司 福島逸雄 荒木秀一)