東京高等裁判所 昭和39年(う)1309号 判決
被告人 泉水宗二
〔抄 録〕
所論は、原判決が本件公訴事実中、昭和三七年六月三〇日付起訴状記載に係る「被告人は昭和三七年五月二七日午前一一時四〇分ころ、埼玉県北足郡新座町大字野火止五四三番先左右の見透しのきかない交さ点附近において、普通乗用自動車を運転中、進路前方左右に対する交通の安全を充分確認しないまま同交さ点に進入した過失により、折柄左方道路より同交さ点に進出してきた新井忠頼の運転する普通乗用自動車に衝突してこれを損壊し、もつて他人に危害を及ぼさないような速度と方法で右自動車を運転しなかつたものである」との過失安全運転義務違反の事実につき、被告人は安全運転義務に違反したことを認めるに足りる犯罪の証明が十分でないとして、この事実について無罪の言渡しをしたことは、明らかに事実を誤認したものである、というのである。
所論に鑑み、本件記録及び原裁判所が取り調べた証拠を仔細に検討し、これに当裁判所のした事実取調の結果をも併せ考えて、所論の当否を検討してみる。さて、原判決は、前記公訴事実の認定できない所以について詳細な説明を加えているのであるが、帰するところ、その要旨は、被告人は本件交さ点の一米位手前で一旦停止し、安全を確認しながら徐行し、自車の前面バンバーが南北に通ずる町道に出る程度に進出した時に再び停止したところ、新井忠頼の自動車と衝突したものであつて、右の一旦停止及び徐行をもつて安全運転義務の履行に欠くるところがないものとし、本件事故は専ら相手方たる新井忠頼の徐行義務違反によるものである、としているのである。
さて、本件事故発生の現場及びその附近の模様は、原判決が証拠により詳細に認定しているとおりである。すなわち、被告人が当時進行していた私道から町道に進出しようとする自動車の運転者としては、本件事故発生当時、私道の両側山林地帯で雑木や萱薄が茂り、時に、私道と町道の交さする場所の左側(南側)には木や雑草が繁茂していて私道から町道の見透しが不可能であつた関係上、自動車の運転席が私道と町道との接線附近にまで到達しなければ乗車したままでは町道の左右の見透しは不可能な状態にある。(この点は、当審における検証の際、被告人も又これを争つていないのである。)そして、私道を進行する自動車の運転席が右地点に到達したときは、自動車の車体の先端の約一米位の部分が町道と私道との接線から町道部分に殆ぼ直角に進出しなければならない関係にある(当審における検証調書参照)。そして、その場合、町道の巾員は当時僅か約三米に過ぎなかつたことは原判決の認定しているとおりであるから、この町道を進行する自動車があつた場合、その進路を妨げることのあるのは勿論、これとの接触の危険も充分予測できる状況にあつたことも明らかなところである。
ところで、原判決は、被告人が前記私道から町道に進出するに当り交さ点の一米位手前で一旦停止し、安全を確認しながら徐行し、自車前面バンバーが町道に出る程度に進出した時に再び停止したところ新井忠頼の自動車と衝突したものであるから、被告人には安全運転義務に違背するところはない、としていることは前記のとおりである。然しながら、被告人が前記の如く自車前面バンバーが町道に出る程度に進出した時停車したとの事実はこれを確認するに足りる証拠はないばかりか、記録に徴するも右停車の事実はこれを肯認するに由ないものというべきである。
従つて、本件においては、被告人が交さ点手前で一旦停車し、徐行しながら町道に進出したことだけで安全運転義務を尽したものといえるかどうかが被告人の罪責をきめる要点となるものである。然るに、被告人が述べているように本件交さ点の一米位手前で一旦停車し、同所から徐行して町道に進出したとしても、既に見た如く同所附近では、町道の左右の交通の安全を確認するに由ないところであることは、検察官の指摘するとおりである。そして、交さ点において一時停止あるいは徐行の要求される所以は、専ら交さ点における事故防止と交通の安全を図るため特に左右の交通の状況を注視して安全を確認させるためであるから、ただ一時停車したとか、あるいは徐行したからといつてそれだけで事足りるものではなく、当該具体的状況に即して適切妥当な判断によつて左右の交通の安全を確認しなければ安全運動義務を尽したものといえないことは、当然の筋合である。
かかる観点から本件を考える場合、被告人において左右の安全を確認できる地点まで進出し、そこで一時停車を要求するとすれば、既に前説明のとおり同所では町道を進行する自動車の進路を妨げ、あるいはこれとの接触の危険すら生ずるわけであるから、町道を進行する自動車において徐行義務の要求されることは当然あるとしても、町道に進出しようとする被告人としても交さ点手前で一旦停車し徐行運転するは勿論、町道を進行して該交さ点にさしかかる自動車に対して警笛を吹鳴する等の方法により警告を与えると共に、町道を進行して交さ点にさしかかる自動車の有無については細心の注意を払うべき義務があつたものといわなければならない。
このことは、本件町道が原判決の認定しているように車馬の往来の閑散な場所であつても同じである。(検察官は、左右の安全を注視しなかつたことが被告人において責められるべき行為であつたように論じているが、本件では左右の交通の安全を注視できる地点まで進出することじたい既に左右の交通の安全の支障を招くおそれのある場合であるから、もし検察官のいうが如くであるとすれば、交さ点手前で一旦停車し、自ら下車するか、あるいは同乗者をして下車させ町道左右の安全を注視確認させなければならないわけであるが、本件の如き交通閑散な場所においては、その点迄の注意が要求されるものとは認められない。)そして、原審及び当審における証人新井忠頼の尋問調書、同進藤伸子の尋問調書、同三ツ月末吉の尋問調書によれば、新井忠頼は本件交さ点一五、六米位手前でクラクシヨンを鳴らし私道から町道に進出する自動車に対し警告を与えている事実が認められ、当時右交さ点から六、七〇米離れた私道附近で開墾に従事していた三ツ月末吉も右クラツクシヨンにより町道を南から北に向つて本件交さ点にさしかかる自動車の存在を確認している次第である(本件事故は同人が右クラツクシヨンの鳴るのを聞いてから間もなく生じている)。従つて、被告人において、本件交さ点に進出するに際し、町道左右の交通の安全に意を用いたものであれば、同人としても当然新井の自動車が町道を交さ点に向つて進行してくることを認識し得たわけであるし、従つて、交さ点手前で一旦停車して、新井の自動車の通過するのを待機して、然る後町道に進出することも可能かつ容易であつたものといわなければならない。然るに、被告人は不注意よにり前記新井の吹鳴したクラツクシヨンの音も聞かず、町道上を交さ点に向つて進行してくる自動車はないものと即断し、前記の措置をとつただけで交さ点に進出しているのであるから、(被告人が町道に進出した際警音器を吹鳴したとの事実は確認できない)被告人としては交さ点左右の安全を確認するについて未だ尽さないものがあつた、といわざるを得ない。もつとも、原判決が認定しているように、新井忠頼において本件交さ点に進入するに際し徐行することを怠つたことはこれを認めるに吝かではないが(そして、そのことが本件事故の一因をなしていることも否定できない)同人としては前に見た如く私道上に在る車に対しクラツクシヨンを鳴らし警告を与えているのであつて、本件事故を同人の責任にのみ転稼し、被告人において安全運転義務を尽すについて欠くるところがなかつたものといい切ることは誤つている。
以上の次第であるから、原判決が昭和三七年六月三〇日付公訴事実について犯罪の証明が充分でないとして無罪の言渡をしたことは明らかに事実を誤認したものというべく、右の誤認は原判決に影響を及ぼすことが明らかであり、右事実は原判決の認定した有罪部分と併合罪の関係にあり一個の主文を以つて裁判すべき場合であるから、原判決はこの点において全部破棄を免れない。論旨は理由がある。
(三宅 寺内 谷口)