東京高等裁判所 昭和39年(う)1553号 判決 1967年6月29日
控訴人 検察官
被告人 渡辺剛
弁護人 遊田多聞 外四名
検察官 大石宏
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年二月に処する。
本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
原審及び当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人林逸郎、同遊田多聞、同吉江知養、同出射義夫、同倉田雅充及び同三宅秀明が連名で差し出した控訴趣意書並びに検事屋代春雄が差し出した東京地方検察庁検察官検事布施健作成名義の控訴趣意書にそれぞれ記載してあるとおりであり、これらに対する各答弁は、検事鈴木久学が差し出した答弁書並びに弁護人林逸郎、同吉江知養及び同出射義夫が連名で差し出した答弁書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して、当裁判所は次のように判断をする。
検察官の論旨第一点について。
昭和三七年法律第一一二号による改正前の公職選挙法第二二五条第二号は「交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」と規定しているが、ここにいう「選挙の自由」とは、議員候補者又はその選挙運動者等が、当該候補者の当選を得るため、法令の規定の範囲内で選挙運動をすることの自由(選挙運動の自由)及び選挙人が、自己の良心に従つて、その適当と認める候補者に投票することの自由(投票の自由)を指すものと解されるが、「投票の自由」についていえば、自己の良心に従つて、その適当と認める候補者を選定すること(判断の自由)は、投票するための不可欠の前提条件であるから、「投票の自由」を投票することそれ自体の自由(投票する自由)だけに限るものとし、その不可欠の前提条件である「判断の自由」を特に除外しなければならない理由はないものと解するのが相当である。
もつとも、右規定は、「その他偽計詐術等不正の方法」について、「交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害」することをその例示として列挙しているだけであつて、交通の便を妨げることが「投票する自由」を妨害することになると思われる以外は、すべてもつぱら「選挙運動の自由」を妨害する行為であり、「判断の自由」を妨害すると思われる行為は含まれていないようにみえるが、このことだけから、右規定が「投票の自由」から「判断の自由」を除外していると解することはできないばかりでなく、右改正前の公職選拳法第二二五条第三号は、「投票の自由」についていえば、「判断の自由」をも保障しようとするものであつて、「投票する自由」だけを保障しようとするものとは考えられず、又職権濫用による選挙の自由妨害罪を規定している同法第二二六条第二項も、また、「投票する自由」よりはむしろ「判断の自由」を保障しようとしているものと解されることに徴すれば、「投票の自由」を「投票する自由」だけに限定し、「判断の自由」を除外する理由はないものと思われる。
そして、右改正前の公職選挙法第二二五条第二号は単に「不正の方法」と規定しているのではなく、「偽計詐術等不正の方法」と規定しており、又その例示として「交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害」することを列挙しているのであるから、「偽計詐術等不正の方法」とは、「選挙の自由」を妨害する偽計、詐術等の不正の行為で、しかもそれが、質的にみて、少なくとも交通や集会の便を妨げたり、演説を妨害する行為に匹敵し、右各行為にまさるともおとらない程選挙の自由を妨害するていのものであることを要するものであり、なおそれが右各行為に匹敵する程度のものであるかどうかは、個々の場合について具体的に検討すべきものと解すべきものと思われ、これを本件冊子のような誹謗文書についていえば、その内容、頒布の時期、方法及び規模等を具体的に検討し、その内容が議員候補者の信用、声価を著しく低下、減退させるような事実を含んでおり、そのため、読者である選挙人をして、当該候補者を投票の対象として考慮する余地がないと判断させるおそれがあるものを、不特定多数の選挙人に対して大規模に頒布し、社会通念上、いわゆる言論の暴力ともいうべき行動が行なわれたとみられるような事態を発生させたと認められる場合には、これを質的にみれば、交通や集会の便を妨げたり、演説を妨害する行為に匹敵する程度の行為があつたものと解するのが相当と思われるから、これを「偽計詐術等不正の方法」をもつて「選挙の自由」を妨害した場合に当るものと解するのが相当である。
もつとも、右改正前の公職選拳法第二二五条第一号及び第三号並びに同法第二二六条が暴行や威力を加えたり、拐引したこと、威迫したこと、職務の執行を怠り、又は正当の理由がなく追随したり立ち入つたこと、氏名の表示を求めたことを処罰の対象としており、且つ同法第二二五条第二号前段が交通や集会の便を妨げたり演説を妨害したことを処罰の対象としていることは、原判決が説示しているとおりであるが、同条号後段は、その前段をうけて、「その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」と規定しているだけで、その方法については特別の制限を設けていないのであるから、選挙の自由を妨害する偽計、詐術等不正の行為で、しかもそれが、質的にみて、社会通念上、少くとも交通や集会の便を妨げたり、演説を妨害する行為に匹敵すると認められる程度のものを同条号後段の適用から特に除外しなければならない理由があるとは思われないし、又同条号後段の規定が広汎且つあいまいな表現をとつていることは、原判決が説示しているとおりであるが、以上のように解すれば、同条号後段の規定による処罰の対象は自ら限定されることになるのであるから、右解釈が広きに失し、他の一連の選挙罰則との調和を破ることになるものとも思われない。なお特に右改正前の公職選挙法第二三五条第二号との関係について一言すれば、同条項は選挙の自由を妨害したことを要件としていないのであるから、誹謗文書の頒布が同法第二二五条第二号後段に当る場合があるとしても、必らずしも同法第二三五条第二号の規定を無用ならしめるものではなく、且つ互に矛盾するものとも思われない。
そればかりではなく、選挙に関して頒布された誹謗文書に適用されることがありうると思われる各罰則の法定刑について、みれば、右改正前の公職選挙法第二二五条は「四年以下の懲役若しくは禁錮又は七万五千円以下の罰金」と規定しているのに対し、同法第二三五条は「二年以下の禁錮又は二万五千円以下の罰金」、刑法第二三〇条第一項は「三年以下の懲役若しくは禁錮又は千円(罰金等臨時措置法第三条第一項第一号により五万円)以下の罰金」とそれぞれ規定しているが、誹謗文書は、原判決説示のように、常に右改正前の公職選挙法第二三五条第二項に当る余地があるだけで、同法第二二五条第二号後段に当る余地が全くないとすれば、選挙に関して誹謗文書を頒布する行為は、選挙に関するものであるところから、当然刑法の名誉毀損罪に対する罰則の法定刑より重い法定刑をもつて処断すべき筋合いであると思われるにもかかわらず、却つて逆に、それより低い法定刑に従つて処断しなければならない結果になり、明らかに法の意図するところに反することになると思われるので、この意味からいつても、選挙に関して頒布された誹謗文書が右改正前の公職選挙法第二二五条第二号後段に当る余地がないとする原判決の見解には賛成することができない。
ところで本件冊子の内容は、訴因罰条追加請求書に摘記してあるように、昭和三四年四月二三日施行の東京都知事選挙に立候補することが確実となつていた有田八郎の妻有田輝井の生い立ちや素行に関し、同人の社会的評価を著しく低下させるとともに、同人の夫有田八郎の声望、信用を著しく低下、減退させるていのものであつて、有田輝井の名誉を毀損すると同時に、読者である選挙人、特に婦人有権者をして、有田八郎を右東京都知事選挙の投票の対象として考慮する余地がないと判断させるおそれがあると認められるていのものであるところ、被告人は、原判示のように、有田八郎の当選を阻止する意図のもとに、右選挙の告示日に近い昭和三四年三月一二日頃から同月一八日頃までの間に東京都内に在住する衆、参議院議員、学者、教育家、銀行、教会、出版社、各種商店、医師、芸能人等に本件冊子約二万部を郵送し、又同月一二日頃から新聞雑誌の即売業者である株式会社東京即売、同滝山会、同啓徳会及び同東都春陽堂に本件冊子約一万一九九〇部の販売方を依頼し、その後警察の売り止めの指示があるまでの間にその内約四八一部を氏名不詳の通行人等に販売させ、なお同月中旬頃、氏名不詳者に本件冊子約六万部を一括売却してこれを頒布したことが明らかであるから、被告人の本件所為は、有田輝井の名誉を毀損すると同時に、「偽計詐術等不正の方法」によつて、選挙人の選挙の自由(判断の自由)を妨害したものと認めるのが相当である。
従つて、被告人の本件所為が右改正前の公職選挙法第二二五条第二号後段に当らないとした原判決には法令適用の誤があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れず、論旨は理由がある。
よつて、本件控訴は理由があるから、検察官の論旨第二点に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条により、原判決を破棄した上、同法第四〇〇条但書の規定に従い、更に、自ら、次のように判決をする。
(罪となるべき事実)
罪となるべき事実は、原判決中「(その詳細は右冊子の記載自体によつて明らかであり、昭和三四年六月一一日付起訴状記載の公訴事実に摘記されているところであるから、ここにこれを引用する)」とある部分の内、「昭和三四年六月一一日付起訴状記載の公訴事実」とある部分を「昭和三四年七月一日付訴因罰条追加請求書」と訂正し、且つ「もつて公然事実を摘示して有田輝井の名誉を毀損」の次に「すると同時に、右不正の方法によつて選挙人の選挙の自由を妨害」を附加した外は、すべて原判決摘示のとおりであるから、これを引用する。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為中名誉毀損の点は刑法第二三〇条第一項、罰金等臨時措置法第三条第一項に、選挙の自由妨害の点は昭和三七年法律第一一二号による改正前の公職選挙法第二二五条第二号後段に各該当するところ、右は一個の所為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段第一〇条に従い、重い後者の罪の刑に従い、所定刑中懲役刑を選択し、その所定の刑期範囲内において、被告人を懲役一年二月に処し、情状により、同法第二五条第一項に従い、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、なお原審及び当審の訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文の規定に従い、全部被告人に負担させることとする。
よつて、主文のように判決をする。
(裁判長判事 河本文夫 判事 清水春三 判事 西村法)
検察官の控訴趣意
第一、原判決は公職選挙法第二二五条第二号の解釈適用に誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。
一、原判決は、公職選挙法違反の訴因は罪とならずとする理由として、
(一) 公職選挙法(以下法という。)第二二五条は選挙に関し左の各号に掲げる行為をした者は、四年以下の懲役若しくは禁錮又は云々と規定し、その範囲においてきわめて広く、罰則も買収犯よりも重くなつている。
(二) そして、各号を通覧するに、一号は、選挙運動者又は選挙人に対し暴行若しくは威力を加え又はこれを拐引したとき、三号は、特殊の利害関係を利用して選挙運動者又は選挙人等を威迫したとき、二号は、交通若しくは集会の便を妨げ又は演説を防害しその他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したときと各規定し、さらに法第二二六条は、職権濫用による選挙の自由妨害罪として、同条列挙の者が、故意にその職務の執行を怠り又は正当な理由がなくして公職の候補者若しくは選挙運動者に追随し、その居宅若しくは選挙事務所に立ち入る等その職権を濫用して選挙の自由を妨害したときと規定する等、いずれも暴行、威力、拐引、威迫、交通もしくは集会妨害、演説妨害、職務懈怠、不法追随、不法立ち入り等直接的、事実的な侵害行為によつて選挙の自由を妨害することをその構成要件としている。
(三) それゆえ、法第二二五条第二号後段に「その他偽計、詐術等不正の方法をもつて云々」とある規定を解釈するにあたつても、右各条項並びに他の選挙罰則、ことに本件が誹謗文書による選挙妨害である点に着目して法第二三五条第二号とも関連させて、これらと調和しうる範囲内にその処罰の限界を劃すべきものである。換言すれば、法第二二五条第二号後段は「その他偽計、詐術等不正の方法」と規定し、広汎且つ曖昧な表現をとつているけれども、そこには自ら前掲各規定と調和しうる限度にその構成要件が劃されているというべきである。と判示し、検察官の「不正の行為」とは「公の秩序善良の風俗に反する行為を指す」旨の主張に対し、原判決は、
(四) 公の秩序善良の風俗に反する方法の総てを含む趣旨に解するのは広きに失する。すなわち、右規定は、虚偽の伝達、他人に害悪を加えるごとき奸計術策、たとえば、
(1) 詐術を用いて立候補を取り止めさせたり、
(2) 何某は立候補を取り止めたといつて選挙人を欺して別の候補者に投票させたり、
(3) 選挙期日が延期されたとか、すでに投票時間を経過したなどと詐称して、選挙人が投票所に行くのをやめさせたり、
など直接、事実的方法で選挙の自由を妨害する場合を指称する、と判示し、結論として、
(五) 本件のように、文書により公職の候補者となろうとする者又はその家族に対し悪宣伝をすることによつて、選挙人の判断を誤らせようとするような場合をまで包含させるべきものではない。それゆえ本件被告人のごとくたとえ選挙妨害の意図をもつてしたと認められる場合であつても、同号にいう不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したときには該当しない。なお、法第二三五条第二号の虚偽事項公表罪の規定は、本件行為時には現行法と異なり「公職の候補者となろうとする者」が含まれていなかつたので同条号にも該当しない
旨判示した。
二 しかしながら、法第二二五条第二号は「選挙に関し、交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」と規定する。
ところで原判決は、前述のとおり、右条号後段の構成要件を解釈するに当つては、他法条との対比においてこれを解釈しなければならないとし、本条第一号が「暴行もしくは威力」、第二号前段が「妨害」、第三号が「威迫」、その他法第二二六条が「追随、不法立ち入り」等直接的、事実的侵害行為によつて選挙の自由を妨害することをその構成要件としているため、法第二二五条第二号後段に「その他偽計、詐術等不正の方法云々」とある「不正の方法」は右の暴行、威力等直接的事実的侵害行為に調和する限度にその限界を劃すべきであるとし、検察官の同号にいう「不正の方法」は「公序良俗違反行為を指す」旨の主張は広きに過ぎるとして排斥した。
原判決が、本号後段を解釈するに当り、右各法条(法第二三五条第二号を含む。)との対比において、その構成要件を劃すべきであるとする点については異論をさしはさむわけではないが、その構成要件の捉え方に重大な誤りを犯していることを指摘しなければならない。
すなわち、法第二二五条第二号前段は、同条第一号および第三号と同様「選挙に関し、交通若しくは集会の便を妨げあるいは演説を妨害すれば」直ちに本号違反が成立するのに反し、同号後段は「選挙に関し、偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」に本号違反が成立するのであつて、このことは、同法条の文理上明らかなところである。換言すれば「選挙の自由を妨害する程度の不正の方法を用いた行為」があつた場合に本号後段違反になるのであるから、原判決が、この中から「不正の方法」のみを抽出し、これと第一号の「暴行もしくは威力」第三号の「威迫」等とを対比させ、これによつて「不正の方法」の内容を規制しようとしたことは明らかな誤りであり、第一号の「暴力もしくは威力」第三号の「威迫」等と対比さすべき第二号後段の行為は「選挙の自由を妨害する程度の不正の行為」でなければならない。
また、同法条には「偽計詐術等不正の方法」と規定し、偽計および詐術を例示として掲げるのみで他に何らの制限を付していないのであるから、「不正の方法」とは「偽計詐術等不正の方法」であつて、「虚偽事項の伝達あるいは他人に害悪を加える奸計術策に類する不正の方法」をいうものと解せられ(皆川迪夫外一名著「公職選挙法逐条解説」一〇二七頁参照)、かゝる不正の方法によつて選挙の自由を妨害したときに本号違反になるものと解するのが相当である。そうである以上「不正の方法」を原判決のように制限的に解釈しなければならない根拠は全く存在せず、むしろ、制限することは誤りであるといわざるを得ない。従つて不正の方法は限定すべきではなく、検察官主張のとおり、公序良俗に違反する方法と解すべきであつてただそれが、選挙の自由を妨害する程度に達する不正の行為でなければ本号の構成要件に該当しないとみるべきである。
ところで、本件冊子の頒布が右にいうところの不正の方法にあたることは原判決がこの頒布を名誉毀損罪に問擬したこと自体で明らかであつて多言を要しないところであるが、なお、本件冊子の頒布の目的、その内容、頒布の方法について検討を加えるならば、まず、本件冊子の頒布目的は、原判決も認めるとおり、「有田八郎の当選を阻止する意図のもとに」なされたものであり、次に、その内容は、これ又原判決も認定するとおり、東京都知事選挙に立候補しようとしていた有田八郎の妻」「有田輝井の生立ちや素行に関し、同女の社会的評価を著るしく低下させるばかりでなく、引いては同女の夫有田八郎の声価にも悪影響を及ぼすていのもの」なのであり、更に、その頒布の方法は、架空の発行所、著者名を使用した本件冊子を、通常の販売方法によつたのは約一万部にすぎず、その大半の約二万部は選挙人と考えられる東京都内在住の衆参両院議員、学者、医師、教育家、芸能人等特定人に対し、通常の方法によらずに無料で直接郵送頒布しているのであり、その頒布の時期も又、右選挙を目前にした昭和三四年三月一二日頃から同月下旬までのことなのである。
従つて、本件冊子の頒布行為が、右条号にいわゆる「偽計詐術等不正の方法により選挙の自由を妨害した」ものに該当することは明らかであると断ぜざるを得ない。
三、よつて進んで本件冊子の頒布が選挙の自由を妨害したか否かを検討しなければならないが、この場合、まず「選挙の自由」の解釈を明らかにする必要がある。「選挙の自由」とはこれを選挙人についていえば、「投票の自由」をいうものとされている(前掲皆川著書一〇二三頁)が、これを分析すれば選挙人が、他の不法な勢力に影響されることなく自己の良心に従い、自由な判断に基づいてその候補者を決定し、その候補者に対して投票する自由、すなわち、何人に投票するかの「判断の自由」と、その判断に基づいて「投票すを自由」とを含むものと解せられる。
ところで、原判決が、法第二二五条第一号の「暴行」もしくは「威力」等の行為を引用して「直接的侵害行為」に限るとし、さらに、「事実的行為」に限るといい、また、「選挙人の判断を誤らしめる行為は含まない」と判示している点からみれば、原裁判所は、選挙の自由を、右後者の「投票する自由」のみを指称するものと考え、前者の「判断の自由」は含まないと解しているもののようである。
しかし、原判決が、選挙人の選挙の自由を妨害し、法第二二五条第二号後段に該当する事例として掲げる前記一の(四)の(2) および(3) の行為を検討してみると、なるほど、(3) の選挙期日が延期されたとか、すでに投票時間を経過したなどと詐称して選挙人が投票所に行くのをやめさせることは、明らかに「投票する自由」を侵害する行為であるが、しかし、(2) の何某は立候補を取りやめたといつて選挙人を欺して例の候補者に投票させる行為は、「投票する自由」の侵害というよりは、選挙人が何人に投票するかの「判断の自由」を侵害する行為とみざるを得ないのであつて、この点、原判決が「判断を誤らしめる行為は含まない。」として「判断の自由」侵害行為を本条号より排除しようとした態度と矛盾するものがあると指摘せねばならない。
そして、本件のように、選挙人に対し、何人に投票するかの判断を「誤らせる」行為と、右事例(2) のように、誰に投票するかの判断の自由を「侵害する」行為との差異を強いて求めるならば、前者が選挙人の判断の自由を、「誤らせる」ことにより侵害するのに対し、後者は立候補を取りやめたと欺すことにより選挙人をして当該候補者に投票する余地がないようにする、すなわち、判断の自由を「奪う」ことにより侵害するという点にあるにすぎない。
なるほど、ある候補者が立候補をとりやめたといつて選挙人を欺せば、選挙人は、当該候補者に投票する判断の自由を「奪われる」のであるから、右候補者の人格識見等について悪宣伝をすることにより同候補者に対する選挙人の判断を「誤らせる」場合よりも選挙人の判断の自由を侵害する程度が大きいことは否めないところであろう。しかしながら、選挙が選挙人の自由に表明した意思によつて公明かつ適正に行なわれなければならないとする法本来の精神に照せば、右両者のこの程度の差異を重視して、一は、法定刑の重い選挙の自由妨害となり、他は、罰せられないか、又は、たかだか法定刑の低い法第二三五条第二号に該当するにすぎないとの結論を承服することはできないであろう。
原判決が選挙人の「選挙の自由」から「判断の自由」を排除する論拠の一とした法第二二五条第三号にいう「威迫」という概念の解釈に関する昭和三六年一〇月三一日、最高裁判所第三小法廷が言渡した判決(最高裁判所判例集一五巻九号一六二九頁)の趣旨からしても、以上の見解は支持されるものと信ずる。すなわち、同判決は、選挙の自由妨害の一態容である右条号にいう「威迫」の解釈に関して、選挙人数十名に対しビラ数十枚を頒布して威迫したという事案につき、「威迫することにより選挙人らに不安困惑の念を生ぜしめその結果選挙の自由を妨害した」ものとして、これを有罪とした高裁判決を支持しているのであるが、その趣旨とするところを推論すれば、右判決は、「選挙人らに不安困惑を生ぜしめる」ことが、「選挙の自由の妨害」となるとしたものであり、「選挙人らに不安困惑を生ぜしめる」とは、換言すれば、何人に投票するかという「判断の自由」を侵害することを指すことは明らかであり、その「判断の自由の侵害」とは威迫により判断の自由を「奪う」程度のものではなく、判断を「誤らせる」ことを指すものであると解されるのである。従つて右判例の趣旨よりすれば、「判断の自由」を侵害する行為はもとより、判断を「誤らせる」行為も又、選挙人の選挙の自由を妨害する行為であり、この理は、ひとしく同法条に規定する第二号にいわゆる「選挙の自由」の解釈についても妥当すべき筋合のものであるから、同号にいわゆる「選挙の自由」には、「判断を誤らせられない自由」をも含むものと解釈すべきものと信ずる。
四、一方、原判決は、何人に投票するかという判断の自由を侵害する行為、ことに本件のように、判断を誤らせる方法により選挙の自由を妨害する行為については法第二三五条第二号の規定があるとするもののようである。
なるほど、法第二三五条第二号と前記法第二二五条第二号とは、いずれも選挙の公正を担保するために設けられた規定で、双方とも選挙の自由を保護法益としていると解されているが、しかし、両者はその構成要件を異にし、法定刑も異なつている。特に構成要件上「選挙の自由を妨害した」との結果の発生を必要とするか否かの点において顕著な差異がみられるところであつて、前者はいわば抽象的危険犯であるのに対し、後者は具体的危険犯といえるであろう。すなわち、前者は、虚偽事項を公表すれば、一般に、そのこと自体によつて選挙人が候補者に関し誤つた判断を抱くであろうとの抽象的な危険性に着目して処罰しようとするのに対し、後者は、更に進んで、現実に選挙人の選挙の自由を妨害するという具体的な危険の発生を重視して重く罰しようとしているものである。従つて、前者に該当する行為は極めて広範囲なものであり、その中には、後者に該当する選挙の自由妨害行為をも含み、又、刑法上、名誉毀損に該当する行為をも内包するものであつて、法第二三五条第二号に該当する行為については、法第二二五条第二号の適用ないし名誉毀損の罪の成立を排除するという関係に立つものと解すべき何ら合理的な理由はない。法第二三五条第二号に該当する行為のうち、法第二二五条第二号に該当する程度の強度のものについては、同条号を適用して何ら支障はないのである。
従つて、原判決が、判断の自由ないし判断を誤らせる行為は、すべて法第二三五条第二号で規律すべきであるとの見解に立つたものとすれば、それは、両者の構成要件の差異を看過し、法の精神を誤解したものと断ぜざるを得ない。
五、なお、原判決は、法第二二五条の法定刑が相当に重い点をも根拠として、本条号の「不正の方法」の解釈を厳にする要がある、とし、その結果、本件の如く名誉毀損に該当する行為は、「不正の方法」に該当しないとの結論に達しているものの如くである。
もとより、本条の法定刑が重いことを理由として、その解釈を厳格にしなければならないという態度は、諒承し得るところである。しかし、このような見解から出発した原判決は、結論において、本条の精神に背く結果となつている点をも指摘しなければならない。すなわち、同条は、他の法令において、すでに罰則のある行為のみならず、罰則のない行為についても、それが、「選挙に関し」て敢行され、選挙の自由を妨害するという点を重視し、前者については刑をより重く規定し、後者については新たに重く処罰することとしているのである。例えば、「暴行」については、刑法上法定刑が、「二年以下ノ懲役若クハ五百円以下ノ罰金又ハ拘留若クハ科料」であるのに、本条はこれを「四年以下の懲役若しくは禁錮又は七万五千円以下の罰金」と加重して規定しており、又、「業務妨害(虚偽の風説流布、威力、偽計)」については、刑法上その法定刑が「三年以下ノ懲役又ハ千円以下ノ罰金」とされているのに、ほぼこの行為に相当する行為について本条は、前記のような加重した刑をもつてのぞんでいるのである。この理は、本件のような名誉毀損罪についても妥当するものであり、同罪が「選挙に関し」て行なわれ、「選挙の自由を妨害する」ものである以上、これを刑法上の法定刑「三年以下ノ懲役若クハ禁錮又ハ千円以下ノ罰金」をもつて律するばかりでなく、より重い本条の刑をもつて処断することこそ、本条の趣旨とするところであろう。
本条の法定刑が重いことを理由として、本件のような名誉毀損を本条の適用外とした原判決は、その結論において、本法の精神を無視したものとの非難を免れない。
六 以上のとおり、被告人の本件犯行が、法第二二五条第二号にいう「偽計詐術等不正の方法により選挙の自由を妨害した」行為に該当することは明らかである。さればこそ、現に、下級審の判決例の中に本件犯行と同様誹謗文書を選挙人に対し多数頒布した事案につき、右条号を適用し有罪としている例もあるのである。
すなわち、
(一) まず、昭和三四年三月三〇日、釧路地方裁判所網走支部の判決は「被告人はいわゆるローカル紙を発行しているものであるが、昭和三三年五月二二日施行の衆議院議員選挙に際し、すでに汚職の嫌疑で公判中であり所属政党の公認も受けられなかつた某がある選挙区から立候補したことから、右某の当選を阻止しようと企て、あたかも実在する公明選挙推進団体の発行した文書と誤認されるおそれのある公明選挙推進委員会という架空発行名義を用い『来る二二日の投票日に際し、有権者は候補者の選定には政党および人物本位にし、汚職代議士を抹殺すべきである』旨を掲載し、暗に汚職の嫌疑があつて所属政党から公認されていない某には投票すべきではない趣旨の声明書と題する文書を一般新聞紙に折り込み、選挙期日の直前である同月一八日から二一日までの間右選挙区の選挙人約四〇〇名に配達頒布した」という事案につき、
(二) 次に、昭和三六年五月三〇日、岡山地方裁判所の判決は、「被告人は、昭和三四年四月三〇日施行の市長選挙に際し立候補した甲の選挙運動者であるが、対立候補者乙を誹謗して同人の人気を失墜させ甲候補に当選を得させようと企て、巷間乙につきさまざまに噂されているところを、いずれも真実と信じさせる手段として、架空の市政新聞号外という新聞題号を用い、架空の発行所および発行責任者名を掲げて新聞らしい体裁をととのえ、『乙は某の手先だ。右某と結んで土地の買占めをしているのは、在官中右某のやみ取引をみのがしてやつたお礼の意味からだ。この選挙の事前運動で八〇〇万円を使つたがその資金も右某が中心になつて集めたものだ。乙が市長になればこの金を支払うために何をするか想像がつく。こんな男が市長になれば明るい市政は望めない。嫁いだ長女も男をつくり夫を捨て姿をくらましているという。市議会議長たる乙は部下の某課長の姉女をメカケにしている。乙は市民の父たるべき市長の資格はない』旨の事実を歪曲し、かつ、悪意を含んだ論評を記載したうえ、同月二八日午前三時頃夜陰に乗じ自動車四台を使用して右文書約五万枚を市内各所に頒布し多数の選挙人に閲読させた」との事案につき、
(三) 更に、昭和三七年五月二六日福島地方裁判所の判決は、「被告人は、昭和三七年一月二六日施行の福島県二本松市長選挙に際し、二本松地区遺族会連合会推せん候補者甲の当選を得させない目的をもつて選挙の自由を妨害しようと企て、右選挙の運動期間中である同月二〇日頃、甲候補者について『政治家といえば聞えはよいが、その実体はユスリ、タカリの政治ゴロである。この前の福島県会議員選挙の際は遺族会の慰霊塔建設資金を誤魔化して自己の選挙運動費用に使つたこともある男だ。こんな人は応援して何の得があるか。甲の応援はさつさとやめて成長株(候補者乙を指す)を買つた方が利口だ。この手紙は遺族会の全会員に発送してあるから甲には一票も入らない勘定になる』旨の虚偽の事実を記載した文書約一〇〇部を印刷したうえ、翌二一日頃右遺族会役員で右選挙の選挙人約九〇名に郵送頒布した」という事案につき、
それぞれ、法第二二五条第二号を適用処断しているのである。もつとも、これらの例のうち(一)の例は、「候補者の選挙運動の自由を妨害した」というのであり、他の(二)および(三)の例は、「選挙の自由を妨害した」と判示するのみであつて、その「選挙の自由」が、「選挙運動の自由」を指すものか、「選挙人の投票の自由」をも含めているのかの点は、必ずしも明らかでないが、しかし、判示事実中に特に「選挙人に頒布閲読せしめた」と記載している点に鑑みれば、両者を含むものであることはむしろ当然と解せられるのである。
一方、本件起訴にかかる訴因は、「選挙人の選挙の自由を妨害した」点のみを記載しているのではあるが、しかしながら、被告人の本件犯行が、有田候補の立候補届出前に敢行されたものであるとはいえ、その結果、右候補者の立候補届出後の選挙運動に対し甚大な打撃を加え、その選挙運動の自由を著しく妨害したものであることも看過し得ないところである。従つて、前記判決例の趣旨は、本件事案についても妥当するものであると信ずる次第である。
以上の理由により、原判決が本件公職選挙法違反の訴因につき、無罪とした点は、明らかに同法第二二五条第二号の解釈適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点においてすでに破棄を免れないと信ずる。
(その余の控訴趣意は省略する。)