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東京高等裁判所 昭和39年(う)1623号 判決 1966年3月31日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

<前略> まづ、本件事故発生の直接の原因は、硫酸製造装置の濃硫酸用鋳鉄配管系統の気密試験を行うに際して、乾燥塔用循環酸タンクに通ずる二箇所の配管部分を遮断するのに、その一箇所には耐酸アスベストパッキング厚さ一〇六粍のもの二枚を、また、他の一箇所には同厚さ三〇二粍のもの一枚を使用して一立方糎につき二瓩を所定の圧力とし気密試験を行つたため、一〇六粍二枚のアスベストパッキングが封入された空気の圧力に耐えかねて破れ、この遮断部分に接続する前記循環タンク内に圧搾空気が一挙に流入したため、同タンタ内の濃硫酸が多量に噴出飛散して附近に作業中の多数工員に傷害を加えたのである。そして右のような危険を防止するためには、前記二箇所の遮断閉塞に、所定の厚さの鉄板の盲板を使用すべきであり、また、それが本件のような気密試験を行う場合当然用いなければならない方法であるのに、アスベストパッキングのみをもつて遮断閉塞したことが、業務上の過失責任として問題となるのである。

そこで本件公訴訴因は、右気密試験の最高責任者は被告人であり、被告人に右業務上過失の責任がある、とするのに対し、原判決は、被告人が現場監督として作業員を指揮監督していたと認むべき証拠がないとして、右業務上過失責任を言い渡したものであることは原判決の判示するとおりである。

記録によれば、新三菱重工業株式会社神戸造船所が、日本鋼管株式会社より、本件硫酸製造装置の建設工事を請負い、さらにこれを外註方式によつて、その据付に伴う土木関係の工事を清水建設株式会社に、また、右装置の鉛関係の工事を大同鉛化工株式会社に、煉瓦関係の工事を岩尾磁器株式会社に、その配管据付工事を三菱商事株式会社を通じて本件鶴見工業株式会社にそれぞれ下請させ、鶴見工業の下請した右配管作業が完了したので、その乾燥、吸収両塔の濃硫酸用鋳鉄配管系統の前記気密試験が行われたのである。そこで、右気密試験は元請の三菱重工が主宰して行い、被告人がその現場監督の立場から右試験について最高の責任を負うものであるか、或は右気密試験は配管据付を請負つた鶴見工業がその責任において主宰施行したものであつて、被告人はその監督指導の請任を負わないか、が原審以来検察官と被告人、弁護人との間の争点であり原判決は概ね被告人弁護人の主張を容れたものである。

右の如く本件気密試験の主宰責任が新三菱にあるか、鶴見にあるか、これを解明する必要のあることは言うをまたないが、本件事故の原因と直接結びつく次のような事実関係を明らかにする必要がある。すなわち、本件気密試験の行われる当日の朝、被告人が鶴見工業の配管工棒心小椋政重に対し「エアーテストにパッキングを入れるよう」指示したという事実である。被告人は盲板には鉄板を使用することを当然の前提として、その鉄板の外にさらに通常用いるパッキングを使用するように、という趣旨で「エアーテストにパッキングを入れるように」と指示したというのであるが、この指示を受けた小椋は、被告人から盲板には鉄板を使用する必要はない、パッキングだけで盲をすればよい、という趣旨の指示を受け、その指示通り鉄板を使用しないで、前記パッキングだけで盲をしたために本件を招いたというのである。

盲板に鉄板を使用することは作業上常識となつていたことであり、鉄板を使用しないで、パッキングをこれに代用することは通常あり得ないことである。本件気密試験が行かれた当時、現場には、既に地上テストに使用した盲板用の鉄板が存在し、そのまま容易にこれを、本件気密試験の盲板にも使用することのできる状況にあつたことは記録上明らかである。被告人が漫然「パッキングを入れろ」と指示したというなら格別、小椋が言うように、特に鉄板を使用する必要はない。パッキングだけ使用して盲をするよう指示したというならば、被告人が通常の方法を排斥して鉄板を使用しないで、パッキングだけで盲をすることについて、気密試験施行上何らかの必要性、すなわち、そうしなければならない理由があつたのであろうか。証人篠崎清次郎の証言によれば、その三十年間の経験において本件の如き気密試験にパッキングだけで盲をする、ということは自ら経験したことは勿論、そのようなことを見聞したことがない。したがつて、パッキングだけで盲をすると仮定して、二気圧に堪え得るパッキングはどれだけのものを要するか、についてこれに解答し得る学理的ないし実験上のデータも存在しないというのである。一口に言つて鉄板にパッキングを併合することが鉄則である。当時現場にそのまま使用し得る鉄板が存在するのに、これを使用しないで、特にパッキングだけで盲をすることになれば、改めてこれに必要なものを調達しなければならないし、それが仮に三〇二粍の厚さのものとすれば、鋏をもつて裁断することもできず、「たがね」をもつて打ち抜く方法によらなければ盲板代用のものを作ることができないのである。そのために余計な手数と時間を要することは言うまでもない。それ程高価ではないにしても新にパッキングを調達することになれば、有り合わせの鉄板を使用するより経費のかかることも明らかである。被告人が作業上の鉄則を無視し、手数と時間と経費とを余分に使つて、パッキングだけで盲をするよう指示する理由、必要性が、果してあつたかどうか。

この点について、検察官は、本件耐酸鋳鉄管は非常にもろいため、角尖でフランヂを開けて盲板を挿入する際、余程注意しないと、鋳鉄管にひびを入れたり、これを破損する虞れがあるので、鉄板にパッキングを併用するよりパッキングだけで盲する方が、フランヂの開け方が狭くて済み、鋳鉄管破損の虞れが少ないから、パッキングだけを使用する必要があつた、と主張するのであるが、鉄板にパッキングを併用することは作業上の常識であり、その操作に慎重を要することは当然であるが、鉄板にパッキングを併用する通常の方法によつて、鋳鉄管にひびを入れこれを破損したというような事例は被告人としても未だ嘗て一度も経験していないのであつて、被告人が鋳鉄管の破損を虞れたということは単なる憶測にすぎない。被告人が「パッキングだけで盲をすることを最善な方法ではない」と自覚しながら、敢えて鉄板を使用しないで、パッキングだけで盲するよう指示したと認定すべき、その合理的根拠を見出すことはできないのである。

被告人が漫然「パッキングを入れろ」と指示したものを、小椋政重が、「パッキングだけで盲をせよ」という指示に誤り受け取つたということならば首肯し得るものである。しかしながら、小椋政重は証人として、被告人は「鉄板を使用する必要はない」と、特にパッキングだけで盲をするよう指示したと主張するのであつて、この点のその証言は措信することができないのである。

以上は、被告人は通常の方法どおり、鉄板にパッキングを併用せよと言う趣旨で「パッキングを入れろ」と指示したものを小椋政重は「パッキングだけで盲をせよ」と言う指示に、これを誤解したものと判断し得るのである。ただ、鉄板にパッキングを併用する、ということも常識であり、鉄則であれば、「パッキングを入れろ」と言う指示は「念のため」の指示と言えないこともないにしても、全く無用無意味な指示であつて、原判決が言うように単に「さしでがましい」余計な指示として看過得るか。そのような余計な指示は却つて「パッキングだけでよい、鉄板は不要だ」と言う指示に、その趣旨を誤解され易いものではないか。この点において、検察官も主張するとおり、被告人は右のような発言、指示について全くその責任がないとは言えないのである。

しかしながら、小椋政重は配管の棒心として長い経験を持つ人である。盲板とパッキングを併用することが作業上の常識、鉄則であり、パッキングだけで盲をすることの危険であることは十分に承知していたのである。自らその危険を顧慮して二気圧に堪えるには、三〇二粍の厚さのパッキングが必要であると判断し、自らの裁量で上司高瀬淳二に対し、本社よりその取り寄せを要請しているのである。しかるに小椋は、この三〇二粍のパッキングの現品の間に合わないまま、有り合わせの一〇六粍のパッキング二枚を代用し、それが直接本件事故発生の原因をなしているのである。小椋は配管の棒心と言う経験に立つて自ら危険であると判断しながら敢えて、一〇六粍のパッキングを使用しそれが事故の原因となつているのである。

本件気密試験は、元請の立場にある新三菱が主宰し、被告人がその指導を担当したと見るのが相当であろう。所定の二気圧として、適正な気密試験を施行し、その結果の当否を裁定する最高の責任はこの被告人にあるのであつて、被告人はこの責任を果すために必要な指示命令を小椋政重をはじめ、その下請関係の従業員に下し得ることは言うまでもない。しかしながら、盲板に何粍の厚さの鉄板を用い、これに何粍の厚さのパッキングを併用すればよいか、というような指示は、本来配管専門の棒心小椋政重の所管である。フランヂを角尖で開けて盲板を挿入するという作業自体配管に属する作業であつて、殊に本件耐酸鋳鉄管の如く、その操作に慎重を必要とするものにおいては、配管の棒心の指揮下において技能的に行われなければならないことは言うを俟たない。この日の朝神戸より派遣されてきた、三菱所属の作業員岩本弘も特にこれを棒心小椋政重の指揮下に入れて、当日の気密試験に必要な配管関係の準備作業は、その指揮下において完了するよう指令されたのである。被告人が気密試験主宰の指導担当者として事の大小を問わず下請配管作業関係者に必要な指示、命令をなし得るにしても、盲板をどうせよという指示は、余りにもさしでがましい、余計な指示、発言であることは否定し得ない。「さしでがましい」余計な指示が、それでは済まなくて、却つて棒心小椋政重らの自尊心を傷つけ、その職人気質を異様に刺戟し、反撥的な行動を採らせる危険を招くことは、本件において多くの証人が指摘するところによつて容易に諒解し得るのである。小椋政重は、自分は古い人間で学問のことは判らない。今の科学でこれでよい(パッキングだけでよい意味)と言われれば、それ以上追及することはできない、と証言するのであるが、被告人が学理的な数字を上げて、どれだけの厚さのパッキングならパッキングだけで大丈夫だと言つたものでないことは明らかである。小椋政重は正に被告人の指示発言を誤解し、自らの経験上危険な措置であることを顧慮しながら、敢えてその危険な方法を採用しているのであつて、その学問のないことを口実にして、その責任を回避するような言動は、多分に被告人の指示、発言に反撥した証左とも為し得るのである。検察官も、この小椋政重の責任を相当重視するのであるが、被告人がこのような小椋政重に対し、不用意にも「さしでがましい」指示、発言をしたことは明らかにその失策である。これによつて小椋政重の職人気質を異様に刺戟し、その反撥を買つたとすれば、その非難はこれを甘受しなければならないのであろう。しかしながら、これをもつて業務上の過失として刑事上の責任を追及することは聊か酷に失すると考える。よつて、本件公訴訴因については、被告人を無罪とするのが相当であつて、同趣旨に出た原判決は正当であり、検察官の本件控訴はその理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却すべきものとして主文のとおり判決した。(兼平慶之助 関谷六郎 小林宣雄)

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