大判例

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東京高等裁判所 昭和39年(う)1711号 判決 1967年12月27日

理由

<前略>

五、被告人田中茂美・同林宣夫の弁護人平松勇・同村山輝雄・同箕山保男・同山内繁雄(以下「被告人田中・同林の弁護人ら」と略称する)の控訴趣意第一点の第一の論旨は、

原判決が、(罪となるべき事実)の「第二」及び「第四の七」において被告人田中と同林との間の金一〇〇万円の授受を有罪と認定したのは、事実を誤認したものであり、且つ右認定につき十分な証拠を示していないので理由不備の違法がある、

というのである。

そこで記録について調査すると、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、被告人田中及び同林に関する原判示「第二」及びこれに照応する同「第四の七」の各犯罪事実を認定するに十分であり、当審における証拠調の結果に徴しても右認定を左右するに足りない。なお、右認定に関し、原判決が(弁護人らの主張に対する判断)の部分の「第三」(第一四九頁初行以下)特に(1)(3)において補足していることも、まことに相当であつて、その(証拠の標目)の部分における関係各証拠の掲記と相俟ち、証拠理由の判示としても何ら欠けるところはないというべきである。

ところで、所論は、いろいろな論拠を挙げ、当時被告人林が会計及び事務一般を担当していた江藤智後援会山口支部の性格について、同支部は昭和三四年一一月山口県小月町におけるのを皮切りとして逐次同県内箇町で自然発生的に結成された純粋な各個の江藤智後援会が昭和三五年一一月同県全域を単位とする同県連合会に統合されて、同県選挙管理委員会にも届出がなされ、その後も阿東町外八箇市町で相次いで同後援会が結成されたところ、昭和三六年七月一日全国規模の同後援会が結成されたのを機会にこれに編入され、形式上その山口支部ということになつたものであり、このような沿革にかんがみ、その内容においても、他の全国支部と異なり、江藤智の政治的大成を期し他方地区民相互の親睦融和と地区の振興発展を図るという当初からの純粋な性格を引き続き具有していたものであるとなし、従つて原判決のように右山口支部の活動を選挙運動視することは誤りである旨主張している。

しかし、原判決の認定は、前記(証拠の標目)の部分における関係各証拠の掲記及び補足説明に照らし、右所論の問題についても誤りを犯しているものとは認められない。さらに若干の考察を加えてみると、凡そ政治家の後援会というものは、その名称に拘わらずその実態は一様でなく、例えば芸術家・運動競技者・演芸人等々に対する後援会の場合と同様に、字義どおり、当該本人をして斯道即ち政治活動に専心させその大成を期することを目的として、公私にわたり物心両面から後援すること(勿論選挙時の投票等も含まれてよい)等の役割りを担つているものもあれば、名は後援会であつても、選挙の際会員において投票又は選挙運動をすること以外に何らの後援行為をもなさず、却つて随時の集会で会員が飲食その他の饗応を受け又は当該地区の振興発展のため尽力して貰うなど、後援することではなく寧ろ後援されることを目標としているのではないかと疑われるものもあり、さらに右両極端の中間にも段階的にさまざまな内容を有するものが考えられる。而して、これらのうちある後援会が選挙を目当てとするものであるかどうかを判定するについては、その後援会の一般会員が選挙時における投票又は選挙運動以外に当該政治家に対し何らか実質的な後援行為をするものであるかどうかが、一つの基準となるものというべく、右のような実質的後援行為を伴わず、却つて会員による選挙の際の投票又は選挙運動とその見返りとして当然政治家から受けるべき会員側の諸種の利益とが結びついているにすぎないようなものは、名は後援会であつても実は選挙を目当てとするものと認めるべきであり、その活動は公職選挙法第二二一条第一項第一号等にいわゆる「当選を得しめる目的」を有するものに該当する。いま、本件の江藤智後援会山口支部について観ると、同支部が、所論のように、当初山口県内各所において自然発生的に逐次結成された江藤智後援会からやがて同県連合会として統合され、その後も拡大を続けているうち、昭和三六年七月一日全国規模の江藤智後援会結成を機会にこれに編入され、その支部となるに至つたという沿革の点において、また原判決も指摘するように、その会員が国鉄の現旧職員及び関係業者等に限らずあらゆる職種階層の地域住民から構成され且つ同後援会中国支部から独立し山口一県で支部としての資格を付与されているという組織等の点において、さらには資金面の手当等の点において、他の全国各支部と異なる事情にあることは、証拠上明らかなところであるが、右全国規模の同後援会に編入後も持ち続けていたと認められる山口県内各後援会の従前からの活動状況を検討しても、結局、その主な内容は、概ね江藤智来訪の機会等に集会を催し同人から中央政情の動向を聴くと共に他面地域社会の事情を訴えてその振興開発のため尽力方を依頼し、或いは折にふれ同人から国会報告書の頒布を受け、或いは諸々の陳情に関する斡旋さらに地区によつては就職の世話までをして貰うこと等にあつたのであり、しかも、右集会の費用も、二・三の地区において発会式の際実費程度ないしそれ以下の額を徴収した例があるほか、後援会の役員或いは江藤智の側近の一人である被告人林らの支出(或いは現品寄贈)にかかり、会則の文言に拘らず実際上一般会員が負担することなく(押収にかかる当庁昭和三九年押第六三四号の一八の「三六、一〇、七(西村氏意見)」と題するメモの末段にある「7不足分の五〇、〇〇〇の対策としては、国鉄の動員………金がかからないが不安定、山口県の浸透………確実ではあるが金がかかる」との記載参照)、これを要するに、所論の如く江藤智の政治的大成を期するという目的そのものに偽りはないとしても、右目的のために一般会員が行なう後援行為としては、選挙時における同人への投票及び同人のための選挙運動が期待されること以外に見るべきものはなく、却つて上述したようないろいろの見返り的利益を受けていたのが実状である、と認められるのである。尤も、例えば南陽町におけるが如く、町の発展を図るため町長自身が発起人となり言わば町ぐるみの後援会を結成するような場合、その会員中に町会議員の資格を有する革新党系の人が二・三含まれるようなことがあつたとしても、それは寧ろ右見返り的利益が相当重視されていたことを物語るだけのことにすぎないし、また究局における右山口支部全体の実状を上記の如く把握するうえにおいて何らの妨げとなるものでもない。してみると、右山口支部の活動は選挙の際における江藤智の当選を目的としていたものというほかはなく、この点において原判決がその第五一頁初行以下で詳しく説示している全国規模の江藤智後援会と全く相通ずる性格を有するものであり、さればこそ、同支部が全国規模の組織に編入されるにあたつても被告人林その他地元幹部等から何らの不服ないし抵抗も示されなかつたものと、考えられるわけである。

因みに、所論は、(イ)湯田地区・(ロ)南陽町・(ハ)防府市における各後援会の会則を援用して、全国規模の後援会に編入された後においても山口県内の組織に対しては右全国後援会の趣意書は元来通用しないものであり、被告人林において右全国後援会の趣意書を同県内の会員に配布した事実もない旨主張している。しかし、当裁判所は、前段説示のように寧ろ山口支部の実質的な活動内容に重点を置いて検討しその性格を判定したのであるから、右のような会則ないし趣意書の通用の問題に関する論議はもはや余り意味がないのみならず、暫く右所論に応じてこの問題につき考えてみても、原審証人西村寛・同山形辰一・同大中好春の各供述によれば、右(イ)における後援会は、昭和三六年六・七月頃から同年末にかけてそれらしい活動を行なつてはいるものの、右年末に選挙運動の疑惑を恐れて解散となり、言わば準備委員会或いは世話人会程度の段階で立消えになつたものであつて、その会則(案の域を出ないものと目される)をもつて所論の全国後援会の趣意書及び会則と独立に存続したものと認めるに不十分であり、また、押収にかかる「江藤智後援会会則(案)」(前記押号の一八一)・「江藤智後援会防府支部設立趣意書」(同押号の一八二)等に徴し明らかなとおり、右(ロ)及び(ハ)における各後援会の会則は、それぞれ昭和三五年二月二六日及び昭和三六年二月二六日の施行にかかりいずれも同年七月一日全国規模の後援会が結成される以前のものであるから、右全国後援会に吸収編入された後においては独立の存在を失つたものというべく、それ以後右各後援会もやはり全国後援会の趣意書及び会則の適用を受けるものと解するのが相当である。(内容的にも両者必ずしも矛盾するわけではなく、ただ従前における山口県内各後援会の会則の多くはその「目的」として「地区の振興開発を計る」ということを掲げているのに対し、全国後援会の会則にはそのことがない、という差異があるのみであつて、仮りに実際上右のような差異が残つていたとしても、山口支部の性格に関する当裁判所の前記判断に何ら影響を来すわけではない)。そして、被告人林の検察官に対する昭和三六年八月一二日付供述調書の第一八項・第二〇項によれば、全国後援会本部から二、〇〇〇通位の趣意書(同押号の六六・会則も記載してある)が山口支部に送付され、同被告人はさらにこれを山口県内の各会員に送付した事実を認めることができる。従つて右所論はいずれの点からいつても採用し難い。

そこで、再び本論に立ち戻ると、前説示のとおり右山口支部の活動は選挙の際における江藤智の当選を目的としていたものと認められるから、本件の選挙に関し同支部の運営資金等として金一〇〇万円を授受した原判示「第二」及び「第四の七」の各所為は、それぞれ公職選挙法第二二一条第一項第一号及び第四号第一号の各犯罪に該当するものというべく、原判決の前記認定はまことに相当である。尤も、右授受が本件選挙(昭和三七年七月一日施行)より九カ月余り前のことに属することは、ほぼ所論のとおりであるが、証拠上明らかなように、右授受が行なわれた昭和三六年九月一八日当時においても右江藤智は参議院議員としての任期満了に伴い右選挙に全国区から立候補する決意を有し且つこれに対応し同選挙を目指して全国規模の江藤智後援会もすでに発足していたのであるから、いずれも同人の側近であり同後援会にも関係していた被告人田中や同林も当然右決意を知つていたものと認められ、従つて、上述のとおり右授受の日時が選挙より九カ月位前であつたとしても、これを公職選挙法の前記規定に該当する犯罪と認定するうえにおいて、何ら妨げとなるものではない。なお、所論は、右授受にかかる金一〇〇万円はその後すべて後援会関係の経費に充当されているのであるから、本件は公職選挙法違反にならない旨主張するが、原判決がこの点に関しその第一七〇頁末行ないし第一七五頁第一三行目において説示するところは十分に首肯できるのみならず、仮りに所論のような関係に支出されたとしても、その大部分が前記山口支部関係の後援会発会式や世話人会等の諸会合における飲食費等に充当されていることが証拠上明らかであり、同支部の前述のような性格とも照らし合わせ、右金一〇〇万円授受の趣旨が選挙の際における江藤智の当選を目的としていた事実を否定することはできないので、所論の右主張も採用し難い。その余の所論について検討しても、原判決の前記認定を左右するに足るものはない(例えば、原判決の指摘する、昭和三六年五月一八日山口市内の料亭菜香亭において行なわれた江藤智後援会山口県連合会の決議文の送付についても、全然証拠がない旨主張しているが、原審証人滝口純の供述によれば「事務局の方で右決議文を会員に送つたと聞いている」というのであり、現に押収にかかる前記押号の五八「決議書」に「去る五月十八日江藤智後援会山口県連合会を山口市において開催いたし左記決議の通り全国区出馬の確認をいたしましたので、後援会の皆様に御諒承を賜りたく今後共先生の政治活動に一層の御支援を御願い申し上げます。追つて当日欠席の方もありましたので一応書面を以つて御知らせいたします」との文言が記載されていることに徴しても、右主張は誤つている)。

しかも、原判決の前記認定はその掲記する各証拠及び補足説明により十分根拠づけられていること、冒頭で述べたとおりである。

従つて、原判決には、所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認も、また理由の不備もないものというべく、右第一点の第一の論旨はすべて理由がない。<後略>(新関勝芳 伊東正七郎 吉田信孝)

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