東京高等裁判所 昭和39年(う)2027号 判決 1965年2月19日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人助川正夫が差し出した控訴趣意書に記載されたとおりで、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
控訴趣意第一について、
論旨は原判決が原判示写真(昭和三七年一一月九日に行なわれた高崎達之助・廖承志の覚え書調印式のもの)の所有者を中華人民共和国のように認定してはいないのであつて、右の写真を中国国際貿易促進委員会所有のものだと認定判示しているのである。そして、原判決が証拠として掲げている隅井正典の検察官に対する昭和三九年五月一一日付供述調書によると、右の写真の所有者が中国国際貿易促進委員会であることは十分これを認めることができ、一件記録をよく検討してみてもこの認定に誤りがあるとは考えられない。また、そのように認定できる以上、あえて当該写真自体を証拠として取り調べる必要のないことも当然である。したがつてこの点の論旨は理由がない。
同第二について。
論旨は、原判示器物毀棄教唆罪について中国経済貿易展覧会協力会理事長宿谷栄一が被害者の代理人としてした本件告訴は、被害者の告訴の意思が明白でなく、他方告訴の代理はいわゆる表示の代理に限ると解すべきであるから、結局無効だというのである。
そこで、まず、刑事訴訟法第二四〇条に規定されている代理人による告訴は告訴権者がみずから決定した告訴の意思を代理人が単に表示するいわゆる表示代理の場合だけに限られるのか、それとも告訴をするかどうかの意思決定までも告訴権者が代理人に一任するいわゆる意思代理の場合をも包含するかについて考えてみなければならない。そもそも告訴とは捜査機関に対して一定の犯罪事実を申告し犯人の訴追を求める意思表示をいうのであるが、このような意思はその性質上被害者本人だけが決定すべきものであると考えれば、右にいう意思代理を許す余地はなく、同条にいう告訴の代理はつねに被害本人の決定した告訴の意思を単に伝達し表示するいわゆる表示代理に限られることになろう。しかしながら、よく考えてみると、告訴をするかどうかは決して単なる犯人に対する憎しみなどの感情だけから決定さるべきものではなく、犯人の訴追または処罰によつて生ずる種々の影響ないしは副作用をも考慮し判断したうえで決定されるものである。その最もよい例は強姦罪および名誉毀損罪の告訴の場合で、これらの罪においては告訴によつて訴追がなされた場合これによつて被害者の名誉が一層傷つけられる慮れのあることがこれを親告罪としてその訴追を被害者の意思に係らせた理由なのであつて、このことは、その告訴をするかどうかの決定が、単に犯人の処罰を希望するかどうかということだけではなく、訴追によつて生ずる影響などをも理性的に判断しかれこれ勘案したうえでなされるものであることを示しているのである。そして、この理は、他の種類の親告罪、たとえば本件の器物毀棄罪などにおいても多かれ少なかれ同一だといわなければならない。そこで、告訴の性質を右のように考えるならば、これをするかとうかの判断は、必ずしも被害者本人しかできないというものではなく、むしろ場合によつては他人の判断に一任したほうがより適切であることも十分考えられるのであるから、告訴の性質上意思代理を許さないとする理由ないというべきである。しかも、他方、本人の決定した意思を単に伝達し表示するだけのいわゆる表示代理ならば、あえて明文の規定をまたなくとも訴訟行為一般に通じて許されると解されるばかりでなく、代理という文言の法律における用例が一般にいわゆる意思代理を指していることからみても、刑事訴訟法第二四〇条にいう代理には意思代理を含むものと解しなくてはならない。昭和三五年八月一九日の最高裁判所第二小法廷判決(刑集一四巻一〇号一、四〇七頁)も、その理由として説示するところからみると、この解釈を前提として原判決を破棄したものと解されるのである。
ところで、本件では、記録によると、被害物件の所有者である中国国際貿易促進委員会の代表者とみるべき中国経済貿易展覧団(右委員会の日本における中国経済貿易展覧会実施のための機構)団長張化東(同委員会副主席)が捜査機関に対し原判示器物毀棄罪について直接告訴をした事実は認められないし、また告訴をする意思をみずから決定したという事実も明白には認められない。告訴は、中国経済貿易展覧会協力会の理事長である宿谷栄一が代理人としてしているのである。しかし、右中国経済貿易展覧会協力会は前記展覧会の開催について主催者である中国国際貿易促進委員会からその管理、運営等をすべて委され、これを代行していたもので、本件の器物毀棄の犯罪事件が発生した際も張化東団長は告訴の問題を含めてこの問題の処理を右協力会と日本の警察当局に一任する旨を言明しているのであつて、その際同団長が犯人の訴追ないしは処罰を望まない意思を有していたものでないことは明らかであるから、これによつて右協力会の理事長である宿谷栄一に対し告訴についての代理権が与えられたことは明白である。そして、前に説明したとおりの告訴についての代理人が自己の判断によつて告訴をなすべきかどうかを決定することは許されるところであるから、宿谷栄一がその判断に従つてした本件告訴はまさに有効だといわなければならない。それゆえ、この点の論旨もまた理由がない。
(その余の判決理由は省略する)(新関勝芳 中野次雄 伊藤正七郎)