大判例

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東京高等裁判所 昭和39年(う)2460号 判決

被告人 石井信

〔抄 録〕

論旨は、まず、原判決が被告人の小松久子に対する所為(本件公訴事実の第一)を強盗罪としたのは事実を誤認したものだと主張するので、一件記録を検討してみると、昭和三八年一一月三〇日の午後九時ごろ小松久子(当時三一才)が埼玉県蕨市大字塚越六四番地先の道路を歩いているところへ、被告人が道路わきから不意に飛び出してきて前から両手でその腹部のあたりに抱きついて力をいれて締め、手を押えたり胸をなでまわしたりしたので、同女は声を立ててもがくうち、自動車が近づいてきたため、被告人は同女の着ていたコートの外ポケツトに入つていたさいふを取つて逃げ出したが、まもなく通行人に捕えられた事実を認めることができ、この事実については別段被告人側にも争いがない。そして、この外形的な事実からみると、被告人が最初から財物を奪うつもりでその手段として相手の抵抗を封ずるために右のような暴行を加えたのではないかという疑いは当然生ずるところで、もしそうだとすれば被告人の所為はまさしく強盗罪を構成するといわなければならないが、この点については、なお次のような事情を考えてみる必要がある。

(一) 被告人は右のように小松久子を覆う少し前の同夜八時すぎころにも附近の道路を通行中の丸山富士江(当時二八才)の後ろからその腰に抱きついた事実があるが(本件公訴事実第二)、丸山富士江の司法巡査に対する供述によると、約三〇秒ぐらい抱きついていたのち被告人は手を放して逃げて行つたというのであつて、その間財物を取ろうとした形跡はない。また、被告人はこれよりさき同じ年の六月一五日の午後九時五〇分ごろに東京都港区赤坂青山南町四丁目一番地先の道路で新井くに子(当時一八才)のスカートの上からその陰部附近をつかむなどの行為に出たため「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例」違反として東京簡易裁判所で罰金三、〇〇〇円に処せられた事実があるが、当審における事実の取調の結果によると、この場合もまた財物を奪おうとした事実は認められない。このように他の場合には財物を奪うような行動が認められないことと、以上三回にわたる行為がいずれも女性の下半身に向けられていたこととをあわせて考え、他方被告人がかつて一度結婚をしたことはあるがその後長い間独身生活を続けていること、および被告人は性格面の発達が未熟で知能障害(精神薄弱)が存し、衝動的に行為する可能性があるという鑑定の結果をもこれに総合して考えてみると、被告人には一種の性的な衝動から婦女に対しこの種の抱きつくなどの行動に出る性癖があるのではないかという疑いはかなり強い。

(二) 本件の小松久子に対する行為をみると、被告人は終始無言で、その間金品を要求した事実はなく、さいふを取つたのは逃げる際だと認められるが、それはオーバーのポケツトに入つていたもので、「手が偶然にそのポケツトに入り、さいふにさわつたので取つた」という被告人の弁解も、一概に否定し去ることはできない。

(三) 被告人は司法警察員および検察官に対しては財物奪取の手段として小松久子に暴行を加えたように供述しているが、鑑定人新井尚賢の鑑定の結果から明らかなように、被告人の知能の程度が低く、軽愚に属する精神薄弱の状態にあることを考えると、通常人の場合にくらべてその供述の信憑力はいちじるしく弱いというべきで、直ちにこれを無条件に信用することはできない。

かようにして、以上の諸事情を考慮すると、被告人が小松久子に対し財物奪取の手段として前記の暴行を加えたと認定することには相当の疑いが残るといわざるをえない。そして、被告人がさいふを取つたことに小松久子が気がついたのは、すでに被告人が逃げ始めた時のことで、現に同女はこれを知るや「どろぼう、どろぼう」と言つてこれを追いかけているのであるから、このさいふを取つた行為が瞬間的に反抗を抑圧してなされたものということもできないのである。要するに原判決のこの部分には事実の誤認があるというほかはなく、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由がある。

(新関 中野 伊東)

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