大判例

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東京高等裁判所 昭和39年(う)2646号 判決

被告人 斎藤一雄 外七名

〔抄 録〕

所論は、原判決の事実誤認および法令違背を主張するので、記録を検討し、当審における事実取り調べの結果を綜合して次のとおり判断する。

新島におけるミサイル試射場設置をめぐつて、新島村内においては、新島産業振興研究会を中心とする賛成派と、新島ミサイル基地反対同盟を主体とする反対派とが対立し、また、中央においても、地評、総評、社会党、原水協、共産党東京都委員会などが、新島ミサイル基地反対対策委員会をもつて右反対同盟を支援するのに対し、右翼団体である大日本愛国党、大日本独立青年党防共挺身隊等は賛成派を支持し、昭和三十六年三月当時、新島には反対対策委員会より派遣されたオルグ団の外、全国学生自治連絡会議(全自連)派遣の学生を含め在島オルグ団の数は約百八十名に達し、これに対抗して、賛成派支持のため来島した右翼の数は、大日本独立青年党員、防共挺身隊員併せて約三十名あり、この両派の対立紛争に備えて、警視庁より約二百七十名の機動隊員が警備のため同島に駐留していたが、両派の対立抗争は絶えず、同月十七日には次のような事件が発生した。すなわち、同日午後十一時四十分頃、反対派に属する新島本村内青年層によつて組織されていた拳友会会長沖山清唯、同会員梅田恒男および全自連学生田中隆光の三名が同村四番地山中勇次方前路上を通行中、防共挺身隊の隊長福田進および同隊員大山節夫、高橋某、秦某らと擦れ違つた際、肩をぶつけたということから口論となり、防挺隊員は持つていた天秤棒で田中隆光を殴打し傷害を加えたが、隊員の一人秦の姿を見失つたところから、同人が左翼の者に拉致されたと早合点し、同番地登仙吉方の防挺隊員宿舎に引き返えし、同隊員鄭福亨、伊藤某、松川某、大渡某らと共に棍棒などを携えて、全自連本部である同村二番地横田源左エ門方に殴り込み、学生丸山茂樹らを棍棒などにて殴打し、同人に対し頭部傷害を加えたのである。

そして、右防挺隊員殴り込みの情報は、直ちに反対派オルグ団等に伝えられ、急を聞いて警視庁第三機動隊第一中隊第一小隊々長渡辺襄以下十一名の機動隊員が、全自連本部横田源左エ門方前に到着したときは、既に五、六十名の反対派オルグ団員等が参集し、ヘルメツトを着装し、棍棒、鉈などを携え「暴力には暴力を」と叫び、右翼防挺隊に報復の殴り込みをすべく気勢を挙げていたのである。そしてそこに到着した機動隊員に対し「警察は何をしているんだ」「現行犯じやないか、全員を直ぐ逮捕しろ」「警察は右翼というといい加減にする」「警察が全員を逮捕するのを、この目で見届けるまでは解散しない」「警察なんか当てにならん、俺達がやる」などと口々に叫び、警察が全自連に殴り込んだ右翼防挺隊員を即時逮捕しなければ、左翼反対派の者がそのまま右翼に対し報復の殴り込みをする情勢が看取されたので、小隊長渡辺襄は、機動隊の使命に鑑み、このさし迫つた現場の措置として、何としても左翼と右翼との激突だけは回避しなければならないと判断し、オルグ団を代表する形で交渉に出た社会党代議士大柴滋夫、被告人斎藤一雄らに対し、「右翼に殴られて怪我をした者を警察部隊が連れて、右翼の宿舎に連れてゆき、事件を確認した上措置を採るからここに集まつた集団は即時解散すべきこと」を要求したのである。しかし、その要求は容れられず、そこの集団は解散することなく「やつちやえ、やつちやえ」という喊声を挙げながら右翼防挺隊員の宿舎の存在する方向に移動を開始してしまつたのである。

かくしてこの集団の数も次第に増加したのであるが、途中前田吉三郎方に至る手前の三叉路においてその移動が一旦停止したのである。この前田吉三郎方は、防挺隊員の宿舎に充てられたことはあるが、この当時は誰も宿泊していなかつた。しかし、一応防挺隊員に関係のあるところとして、その所在の有無を探索するために、集団は路上に止まつて、一、二指導者と共に渡辺小隊長らが同家邸内に入つて右翼防挺隊員の所在の有無を確かめたのであるが、同家にはそれらしき者の存在を発見することができなかつたのである。

集団の先頭が前田吉三郎方に至る手前の三叉路(この三叉路から北に岐れて本件被害者登仙吉方に至るのであるが)附近で一旦停止したのは、当時先頭に走り出てその移動を阻止しようとしていた数名の機動隊員らの阻止に服従して停止したものか、オルグ団指導者が前田吉三郎方の様子、防挺隊員を探索するまで自発的にそこで一時停止したものか、そのいずれであるかは詳かではないが、渡辺小隊長としては、集団の先頭がこの三叉路附近で一旦停止して、オルグ団の少数指導者のみが前田吉三郎方に防挺隊員の所在確認に赴くことに協力すると見えたので、同家においてオルグ団の主張する防挺隊の殴り込み傷害犯人を確認することができたら、適当な措置を講じ、いきり立つ左翼集団と右翼とが再び激突するという最悪の事態を、この段階でもなおくい止めることができると判断したのである。しかし、この前田吉三郎方には右翼の傷害犯人を発見することはできなかつた。そこで渡辺小隊長はこの傷害犯人の捜査には時を藉さなければならないと考え、この上は警察が責任をもつて善処するから、即時集団を解散さすべきことを重ねて指導者に要求し、ここで違法行為があれば、断固厳重に処置すべきことを警告したのである。そして、渡辺小隊長は、前田吉三郎方周辺の警備に残ることとなつたため、その虚に乗じ左翼集団は前記三叉路より北へ、登仙吉方、福田進隊長以下七名の防挺隊員が当夜宿泊していたところに襲撃したのである。左翼オルグ団等が主張する殴り込みの傷害犯人も、この防挺隊員七名の中にいたことは渡辺小隊長ら機動隊員は知らなかつたのである。したがつて前田吉三郎方周辺の警備に駐留したことは無意味であつた訳である。そして、渡辺小隊長らが、その後の集団の動静を憂慮して、集団の進行した方向に後を追つた時には、多数が登仙吉方の邸内に乱入し、投石等の暴行や脅迫がなされ、正に報復殴り込みが終つた後であつたのである。

この警視庁機動隊に前後して、警視庁公安第一課警部木内久男、外私服の警察官秋元亨、海藤文雄…………らも右翼の全自連殴り込みの報を聞いて、横田源左エ門方前に急行したが、左翼集団が報復殴り込みのため防挺隊員の宿舎登仙吉方に襲撃する気配が濃厚であるのを察知して、左翼集団が襲撃を開始するより一歩先に、同家福田進ら防挺隊員らの宿泊していた室内にとび込み、左翼集団の来襲を知つて激昂し、木刀、猟銃等を構えて応戦しようとする防挺隊員を制止し、殊に彼らが敵対のため室内より外部に出ることを極力取り押えたため、両派の激突、乱闘の事態は、これを回避することができたのである。

弁護人らは、被告人らは警察官に対し、防挺隊員を暴行傷害の現行犯として即時逮捕すべきことを要求したのに、警察官は誠実にその義務を履行しないため、あくまでこれを要求し、警察官の右現行犯逮捕を監視するため、犯人の所在する登仙吉方に赴いたものであつて、同邸内に立入つたことは、もとより正当な行為である。と主張し、原判決もまた、「被告人らは右翼の暴力犯人の即時逮捕を警察官に要求し、こんどこそは、被告人ら自ら右翼の暴力犯人の所在をつきとめ、多数の群衆によりこれを包囲し、その逃亡を防いでおいて、被告人らの目の前で警察官をして、右犯人を逮捕させたいと意図し、右宿舎に押しかけて行つたもので、被告人らは登仙吉方を襲撃し、暴行傷害等を加えた前記左翼集団と共同暴行の意を通じたものではない、」と認定しているのである。

なるほど、原判決も指摘するとおり、被告人ら左翼オルグ団員等反対派が、島内における右翼の暴力に憤激し、かつこれに対する警察当局の措置、態度に不公平ありとして、これを不満としていたことは記録上明瞭なところである。しかしながら、本件防挺隊員の暴行傷害事件については、それが夜の十一時過ぎの出来事でもあり、その情報を聞いて警察当局が全自連本部前に到着したときは、既に数十名の左翼集団が、あるいはヘルメツトを着装し、あるいは棍棒を、また鉈、鋸の類のものまでも携行し「暴力には暴力を」を口にして右翼宿舎への報復襲撃の構えを見せていたのである。この事態に臨んで、治安警備を使命とする機動部隊としては、何としてでも、この左翼集団が報復に出て、右翼と激突するという最悪の事態だけは防止しなければならない、そのためには、この報復襲撃に気勢を挙げている左翼集団を、即時解散させる以外に方法は存在しない、と考えるのは当然である。そして、左翼集団の主張する右翼の傷害犯人の逮捕については、勿論その被害者について被害の事実を確かめ、その犯行の明らかなときは、犯人の捜査、逮捕を必要とすることのあり得ることは言うまでもない。そしてその被害の事実を確認するためには、被害者自身に警察署に出頭を求めてその事情を聴取する必要もあろう。あるいはまた、被害者についてその被害の事実の明らかなときは、直ちにこの被害者を同行して、犯行被疑者の所在について緊急捜査を行う必要のある場合も存在しよう。しかし、今その右翼の傷害犯人に対し、多数よりなる左翼集団が敵対報復の挙に出ようと気構えているのを目前にして、警察当局、殊に機動部隊として、右翼の傷害犯人の捜査逮捕について、前記いずれの途を選ぶのが最も時宜に適したものと判断するか、極めて困難な問題である。報復に気負う左翼集団の中には、機動隊員に対し、被害の事情を訴えて犯人の捜査を要求するのとは逆に、被害状況を知ろうとして横田源左エ門方邸内に入ろうとする機動隊員に対し「機動隊なんか来るな。」と言つて押し返えす者もあり、邸内に入つた機動隊員を、「機動隊には見せられない」と言つてこれを押し出そうとした者も存在した程であり、警察官より「怪我をさせられた者は誰だ」と尋ねられると、「俺もやられた」「俺もやられた」と肩をそびやかして進み出て、「警察なんか当てにならぬ」という抗議をその態度で示すような有様であつて、尋常の場合における捜査の困難であつたことは諒解し得るのである。前記木内久男警部は「被害者は警察に出頭するよう」に言い、事後捜査をもつて警察が責任を負うことを言明し、渡辺小隊長は原審公判廷の証言では前記の如く「右翼に殴られて怪我をした者を、警察部隊が連れて右翼の宿舎に連れてゆき、事件を確認した上措置をとる」と言明したというのである。尤も同証人は当審公判廷においては、「被害者を連れて右翼の宿舎に行こう」と言つた記憶はないと証言し、その記憶の正確さを喪つているのであるが、渡辺小隊長の腐心したことは、左翼集団の報復襲撃によつて右翼との激突を招くという最悪の事態を回避するために、報復襲撃に気負う左翼集団を即時解散させることが先決であると判断したことは明瞭である。そしてこの即時解散に応ずるならば、被害者を同行して傷害犯人の所在究明に当たることも時宜を得たものと判断したと推測できるのである。したがつて、前田吉三郎方においても、左翼集団が三叉路附近において移動を停止し、前田吉三郎方の邸内にも二、三の指導者を除いて左翼集団がその邸内に乱入することを阻止し得れば、同所において右翼傷害犯人の捜索確認によつて、この段階においても左翼集団の即時解散を期待し得ると判断したものである。このようにして渡辺小隊長としては、「警察は当てにならぬ」という不信抗議にも拘らず、報復襲撃の構え顕著な左翼集団を解散させるため、誠意をもつて最善の努力を尽している事実は明瞭である。その証言に一部不正確、曖昧なところがあるにしても、直ちにこれを非難排除することはできない。

以上詳述の如く、渡辺小隊長の説得努力も空しく、恰もその虚に乗じた如く、左翼集団は、そのまま喊声を挙げてなだれの如く登仙吉方に乱入し、報復襲撃の挙に出たものである。渡辺小隊長は、二度までも左翼集団の即時解散を要求し、左翼集団の要求する右翼全員逮捕の即時実行の不可能なことを言明しているのであつて、これを左翼集団の指導者らに約束した事実のないことは勿論、それを推測し得るような言動をなした事実も存在しないことは明らかである。また、左翼集団の襲撃が開始されるより一足先に、登仙吉方右翼宿舎にかけ込んだ前記木内久男ら私服警察官も、左翼集団の報復来襲と覚つて、激昂応戦のため、木刀、猟銃を構えて敵対しようとする右翼防挺隊員数名を制止して、両者の激突、乱闘を喰い止めることに精一杯であつて、傷害犯人の確認およびその逮捕をなし得る段階でもなければ、これをなし得る状況でもなかつたのである。原判決の判示するように、「左翼集団をして右翼防挺隊員を包囲し、その脱出を防いでおいて、被告人らの目の前で、防挺隊員中の右翼傷害犯人を警察官の手で逮捕させるために登仙吉方に押しかけたものと認定することは、事案の実態に即しないものと言わなければならない。

原判決は、被告人らが登仙吉方に押しかけた際、右翼の者から反撃を受けることを慮り、それに備えてヘルメツトを着装し、棍棒を携えたものが被告人らの中にもいたが、なお被告人ら自ら暴行脅迫を加える意志もなく、左翼集団とその暴行脅迫について意を通じた証拠もないと判示し、更に、左翼集団中報復暴行を意図する者がいることに被告人ら自らも気付いていたとしても、なお、右共同犯行の意思を認めることができない、と判断しているのである。

勿論左翼集団の中に、この集団がいかなる意趣をもつてどこへ向かつて、いかなる行動をとるものか全く予想もせず、察知することもできず、漫然横田源三郎方より前田吉三郎方附近を経て、登仙吉方まで随行したという者があれば、その人について左翼集団との共同犯行の意思を認定することは不可能であろう。また右翼と左翼との抗争について第三者的中立の立場にあつて、新聞記事取材のためとか、あるいは漠然とした野次馬気分をもつてこれに随行した者があれば、これも同様であろう。しかしながら、本件各被告人は、そのような随行者でないことは明瞭である。午後十一時過ぎという時刻に、数十名ないし百名に近い左翼集団が、どのようにして結集したか。その組織的連繋の存在以外に、指導者による指令などを具体的に証明すべき資料は何一つ存在しない。またヘルメツトを着装し、棍棒を携えた者が、当初より右翼に対する報復の意図をもつて参集したと断定する証拠もない。「右翼の殴り込み」と聞いて、漠然とこれに対する自衛的意図をもつてこれらの「武装」をして参集したと認め得る節も存在する。したがつて、右翼に対する報復襲撃の意図は、結集した左翼集団のその場において盛り上つた意図として醸成されたものと認定することもできる。本件被告人らの如く、この集団における指導的ないし主脳的立場にある者も、それだけの理由で、被告人らが本件報復襲撃を企画し、これを指導したと認定することはできない。しかしながら、前記の如く渡辺小隊長の二度に亘る解散要求にも応ぜず、遂に登仙吉方右翼防挺隊の宿舎に報復襲撃を敢行した左翼集団の中にあつて、本件各被告人が、これと意を通じ行動を共にした事実は否定することができない。右翼の逆襲に備えてヘルメツトを着装し、棍棒を携えたと認定しながら、なおその共同犯行の意思を否定する原判決は是認し得ない。『警察官の傷害犯逮捕を現認するため』として、共同暴行の犯意を否定する原判決は納得し難いのである。

以上詳述したところによつて明らかな如く、被告人らは、防挺隊員数名が全自連本部に殴り込み、学生らに傷害を加えたことに対する報復として、反対派左翼オルグ団員数十名が、福田進隊長以下数名の防挺隊員の宿泊する登仙吉方に襲撃するに際し、この集団と意を通じ、右登仙吉方に押し寄せ、右宿舎を包囲し、故なく同邸内に侵入し、防挺隊員らに対し、口々に「殺してしまえ」「火をつけろ」等と怒号しながら、棍棒丸太などを振りかざし、同宿舎のガラス戸を乱打し、あるいは投石などの暴行をし、多衆の威力を示し共同して暴行脅迫を加え、右投石により窓ガラス等を損壊するとともに、福田進に対し全治約三ケ月を要する左下腿不完全骨折、外傷性骨膜炎兼下腿割創等の傷害を与え、同隊員浅見健太郎外一名に対し治療約六日を要する左脛骨挫創等の傷害を加えた事実を証明することができるのである。

原判決は、被告人ら八名は、登仙吉方邸内に故なく侵入したとして、住居侵入の罪を認定しているのであるが、それは「警察官に対し全自連学生らに暴行、傷害を加えた防挺隊員の即時逮捕を要求し、警察官が右逮捕を実行するのを監視する意図をもつて右邸内侵入をしたもの」と判断しているのであつて、右邸宅侵入の意図、態様について、事案の真相を誤認したものと断ぜざるを得ない。また、右邸宅侵入は右翼防挺隊に対する報復襲撃のため行われたものであることが明らかであるから、被告人らの右行為について期待可能性を否定する弁護人らの主張もこれを採るを得ない。

次に、原判決は、被告人らが、登仙吉方邸宅に侵入した後、約百名に達する群集の中にその一員として参加滞留することにより、屋内にある防挺隊員らを脅迫したとして、これを暴力行為等処罰に関する法律違反の罪に問擬しているのであるが、右暴力行為等処罰に関する法待違反罪の態様につき事実を誤認し、また、共同暴行による前記傷害につき犯罪の証明なしとしたことも、明らかな事実誤認といわなければならない。

ただ、原判決が、登仙吉方の邸内が、刑法第一三〇条の規定する住居に該当すると判断したことは正当であり、弁護人らのこれに反する主張、および、登仙吉方の居住者は、傷害現行犯の一味として犯人を蔵匿していたものであるから、住居侵入罪によつて保護さるべき法益を有しない、という主張は、これを肯認することができない。

また、原判決が、被告人ら八名が登仙吉方邸内に侵入した後、数分間同所に滞留することによつて防挺隊員らを脅迫したと認定したことは、事案の実質的判断を誤つたものであること先に述べたとおりであるから、これに対し縷々その事実誤認ないし法令適用の誤りを主張する弁護人らの各論旨については、改めて論評を加える必要を認めないので、この点についての控訴趣意に対する判断はすべてこれを省略する。

次に、登仙吉方邸宅に侵入し、多衆の威力を示し、共同して暴行、脅迫を加え、器物を損壊し、福田進らに対し傷害を与えた点について、被告人らはすべて登邸を報復襲撃した数十名の集団と共謀し協同した事実が明瞭であるから、各被告人について個々的にその言動、行動について逐一これを検討する必要も存在しないのであるが、記録によつてその二、三の点についての判断を示せば次のとおりである。

まず、邸宅侵入の点については、被告人八名が全員登仙吉方邸内に侵入した事実は明瞭である。また、被告人斎藤が、左翼集団の主脳的立場においてこれに参与した事実は明瞭である。次に被告人千葉が、左翼集団の最先端に立つて登邸宅に立入り、集団の行動に卒先した事実は明瞭である。

次に、新島におけるミサイル基地設置に反対闘争を続けてきた本件被告人達が、核戦争が世界滅亡をもたらす人類最大の悲劇であり、平和憲法を守り、働く人民の最低の生きる権利を擁護するためには、核戦争につながるミサイル基地設置に飽くまでも反対しなければならないと確信しており、その信念の純粋なものであることは、十分にこれを肯認することはできる。しかしながら、この憲法のもとにある法治国家において、真に平和と民主主義を守るためには、法秩序を維持して、法的正義の実現をはからなければならないのである。いかに崇高な理念に基くものであつても、法治国における社会の法秩序を蹂躪し破壊するものは、法的制裁を受けなければならない。被告人らは右翼の暴力支配を非難するけれども、被告人らの本件所為もまた正に暴力そのものであつて、理性を否定した時代錯誤の暴挙に外ならない。本件公訴を提起した検察官および第一審裁判所が、働く人民に対し偏見を有し、労働者階級に対し正しい認識を持たないといい、新島事件の加害者は、右翼暴力団と被告人達を不当に弾圧した警察国家権力であり、被告人達はその被害者であつて無罪である、と主張する論旨は、すべて採用することができない。

以上被告人らの無罪を主張する本件各控訴は、その理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却し、同法第三九二条第二項による職権調査の結果原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるので、同法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により自判する。

(新島ミサイル試射場設置をめぐる紛争)

昭和三十二年防衛庁が、新島をミサイル試射場設置の候補地にあげてから、この問題をめぐつて、新島村内においては、新島産業振興研究会を中心とする賛成派と、新島ミサイル基地反対同盟を主体とする反対派とが対立し、また、中央においても、地評、総評、社会党、原水協、共産党東京都委員会などが、新島ミサイル基地反対対策委員会をもつて、右反対同盟を支援するのに対し、右翼団体である大日本愛国党、大日本独立青年党、防共挺身隊等は、賛成派を支持し、昭和三十六年三月当時新島には、反対対策委員会より派遣されたオルグ団の外、全国学生自治連絡会議(いわゆる全自連)派遣の学生を含め、在島のオルグ団の数は約百八十名に達し、これに対抗して賛成派支持のため来島していた右翼の数は、大日本独立青年党員、防共挺身隊員併せて約三十名あり、この両派の対立紛争に備えて、警視庁より約二百七十名の機動隊員が警備のため同島に駐留していた。

(本件の発端となつた事件)

昭和三十六年三月十七日午後十一時四十分頃、反対派に属する新島本村内青年層によつて組織されていた拳友会々長沖山清唯、同会員梅田恒男および全自連学生田中隆光の三名が、同村四番地山中勇次方前路上を通行中、防共挺身隊の隊長福田進および同隊員大山節夫、高橋某、秦某らと擦れ違つた際、肩をぶつけたということから口論となり、防挺隊員は持つていた天秤棒で田中隆光を殴打して傷害を加えたが、防挺隊員の一人秦の姿を見失つたところから、同人が左翼の者に拉致されたと早合点し、同番地登仙吉方の防挺隊員宿舎に引き返えし、同隊員鄭福亨、同伊藤某、松川某、大渡某らと共に棍棒などを携えて全自連本部である同村二番地横田源左エ門方に殴り込み、学生丸山茂樹らを棍棒などにて殴打し、その頭部に傷害を加えた。

(罪となる事実)

被告人斎藤は、昭和二十五年三月東京都世田ケ谷区役所に就職し、同年末同都主税局世田谷税務事務所に転じ、昭和二十七年東京都職員労働組合本部役員に選出され、昭和三十三年頃より地評常任幹事に就任し、昭和三十六年三月十六日第五次オルグ団の団長として新島に渡つた者、被告人藤井は、新島に生れ育つた一家の主婦で、昭和三十五年試射場設置反対派の婦人層によつて結成されたオンバアラ会の副会長をしていた者、被告人千葉は、昭和三十五年七月社会党東京都本部より派遣されて、試射場設置状況の調査団の一員として新島に渡り、その後常駐オルグとして駐在していた者、被告人鶴見は、被告人千葉と同じ頃から常駐オルグとして新島に渡り駐在していた者、被告人西田は、原水協事務局員で昭和三十六年十月試射場設置状況の調査のため派遣されて新島に渡り駐在していた者、被告人竹内、同渡辺、同鎌田は、いずれもオルグとして新島に駐在していた者であるが、前記の如く防挺隊員数名が全自連本部に殴り込み、学生らに傷害を加えたことに対する報復として、反対派左翼オルグ団員約数十名が、福田進隊長以下数名の防挺隊員の宿泊する前記登仙吉に襲撃するに際し、これと共謀の上、昭和三十六年三月十八日午前零時頃右登仙吉方に押し寄せ、右宿舎を包囲し故なく同邸内に侵入し、屋内の防挺隊員らに対し、口々に「殺してしまえ」「火をつけろ」等と怒号しながら、棍棒、丸太などを振りかざし、同宿舎のガラス戸を乱打し、また、投石などの暴行を加え、多衆の威力を示して出同して暴行、脅迫を加え、右投石により窓ガラス等を損壊すると共に、福田進に対し、全治約三ケ月を要する左下腿割創等の傷害を、同隊員浅見健太郎に対し、治療約六日を要する左脛骨挫創を、同隊員大山節夫に対し、治療約六日を要する右第一趾爪下出血等の傷害をそれぞれ与えたものである。

(証拠の標目)省略

(法令の適用)

被告人らの所為中住居侵入の点は刑法第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項、第六〇条に、多衆の威力を示し共同して暴行、脅迫を加え器物を損壊した点は、昭和三九年法律第一一四号による改正前の暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項(刑法第二〇八条、第二二二条、第二六一条)、罰金等臨時措置法第三条第一項、第六〇条、傷害の点は刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第三条第一項、第六〇条にそれぞれ該当するところ、右住居侵入と暴力行為等処罰に関する法律違反および傷害との間にはそれぞれ手段結果の関係があるから、刑法第五四条第一項後段、第一〇条により最も重い福田進に対する傷害罪の刑に従つて処断することとなるから、その所定刑中懲役刑を選択して、主文第二項記載の如くそれぞれ量刑処断し、刑の執行猶予につき刑法第二五条第一項、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して主文のとおり判決した。

(関谷 内田 小林宣)

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