東京高等裁判所 昭和39年(う)542号 判決
被告人 木村宏
〔抄 録〕
原判決は、
「被告人は、昭和三八年二月二三日午後一一時二〇分頃宇都宮市雀宮町二五三八番地附近道路上において、普通貨物自動車を運転中小口正に傷害を負わせたのに、直ちに運転を停止して、同人を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講ぜず、事故発生の日時、場所など法令の定める事項を直ちにもよりの警察官に報告しなかつたものである」
旨の公訴事実につき、被告人は、本件衝突の際、飲酒酩酊のため人身事故の発生を認識しないまま事故現場を立ち去つたものであり、衝突時から約五分にして事故現場に引き返した後、福田房子からの自車の損傷を指摘されてはじめて右事故が自己の所為に出たものであることを知つたが、事故発生から一〇分内外の間、被告人がもよりの警察署の警察官に報告する措置をとるよりも早く警察官が現場に到着し、また、出動要請を受けた消防自動車が現場に到着して被害者の救護入院の措置をとつたので被告人自身が実効ある救護措置をとりうる余地がなかつたという情況にあつたものであるから、右は道路交通法第一一七条、第七二条第一項前段および同法第一一九条第一項第一〇号、第七二条第一項後段の処罰の対象にはならず、被告人は無罪であると認定し、
これに対し、検察官は、本件事故の際、被告人は人身事故を惹き起したことを認識していたことは証拠上明らかであり、原判決が、被告人は飲酒酩酊のため人身事故発生の認識がないままに現場を立ち去つたものであるとし、道路交通法第七二条第一項所定の救護措置義務および事故報告義務違反罪は成立しないとして無罪の言渡をしたのは、事実の誤認であると主張するのである。
よつて、被告人が本件事故を惹起した際人身事故の認識があつたかどうかという点について考えるに、司法警察員作成の実況見分調書三通、福田房子、上馬富美子(司法巡査に対する昭和三八年二月二四日付)、真板幸男の司法警察員に対する各供述調書、原審証人鈴木正一の原審公判廷における供述、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書、当審証人福田房子、同菅原富美子に対する各尋問調書、当裁判所の検証調書を総合すれば、本件事故車両の前面風防ガラス右前部に縦約二〇糎、横約一五糎にわたる亀裂が生じ、右前部バツクミラーが後方に曲損し、右前部ボンネツトフエンダー部分にそれぞれ約二五糎ないし約八〇糎大の凹損が生じていること、被害者小口正が衝突地点から七、七米前方へはね飛ばされていること、衝突の音響も大きく聞こえたこと等の諸状況が認められ、これ等の状況から推せば、本件事故によつて被告人は相当の衝撃を感じた筈であると認められるのである。そして、前掲各証拠によれば、被告人が衝突音を聞き、物か人でも轢いたのではないかとブレーキをふんだこと、被告人が右衝突地点から約三〇〇メートル南進した後事故現場に引き返した際、福田房子らに対し首尾一貫した弁解をなし、また他人に気づかれないようにバツクミラーの曲損を直したことが認められるのであつて、被告人は右事故を惹起した際、飲酒酩酊により多少意識の弛緩があつたとしても、前記のような相当の衝撃により何等かの事故の発生を認識したと認められるのであつて、酩酊のためその認識を欠いていたとは到底認められない。(なお事故の認識については、それが事故の発生を疑わせるような事態の認識をもつて足り、必ずしも、事故発生の確定的な認識を要するものではないことは道路交通法第七二条第一項の趣旨から当然である。)そして、右各証拠によれば、被告人が右人身事故の発生を認識しながら直ちに停車し、事故を確かめることもなくそのまま運転を継続して約三〇〇メートル南進した後事故現場に引き返したものの、福田房子らから右事故が被告人の所為に基くものであることを指摘難詰されたにもかかわらず、これを否定し、事故現場の道路上に倒れたままになつていた被害者を認めながらこれを救護し、また道路における危険を防止するに必要な措置を講じようとせず、また、警察官に対する報告もしようとしないで、相当時間を経過したこと、他の者の連絡によりその後警察官および救急車が右事故現場に来て、被害者を病院に運び、また、事故の事後措置をとつたが、被告人は、その際にも、被害者の救護等の措置、警察官に対する報告をしなかつたものであつて、被告人の右所為は、道路交通法第七二条第一項前段の救護措置義務および同法第七二条第一項後段の報告義務に違反し、道路交通法第一一七条および同法第一一九条第一項第一〇号の各構成要件に該当するものというべきであり、被告人が本件人身事故の発生を認識しなかつたということを前提として事実を認定し、被告人に無罪の言渡をした原判決は失当であつて、到底破棄を免れず、論旨は理由がある。
よつて本件控訴は理由があるから、論旨第二点の量刑不当についての主張については後述するところの説明に譲り、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条に従い、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書の規定に従い、更に、自ら、次のように判決をする。
(罪となるべき事実)
原判決が認定した冒頭、第一、第二の各事実は、原判決が認めたとおりであるからこれを引用するほか、次の事実を認定する。
被告人は、昭和三八年二月二三日午後一一時二〇分頃、栃木県宇都宮市雀宮町二五三八番地附近道路上において、普通貨物自動車を運転中、小口正に傷害を負わせたのに、直ちに運転を停止して、同人を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講ぜず、また、右事故発生の日時場所など法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。
(加納 河本 清水)