東京高等裁判所 昭和39年(ネ)2113号 判決
更に、前掲採用に係る各証拠に、弁論の全趣旨を合せ考察すると、本件売買契約においては、当初、昭和三六年七月末日限り所有権移転登記と同時に前記残代金三九〇万円を支払うものとされていたが、前認定のように薫は銀行融資を受けてこれを支払う予定であつたので、その後被控訴人は右融資を受ける迄の期間を考慮して、前記期限を同年八月末日迄猶予することとしたこと、その間被控訴人は、薫と共に同年七月二四日頃前記山本幸重に対し本件土地の所有権移転登記の申請並びにその前提となる分筆及び表示変更の各登記の申請に関する手続方を依頼して、右移転登記手続に必要な、被控訴人より薫に本件土地を売渡す旨の売渡証書並びに山本幸重に対し右移転登記の申請手続を委任する旨の被控訴人及び薫の各委任状を作成し、なお、被控訴人の印鑑証明書を準備し、次いで同年八月七日前記分筆及び表示変更の各登記を経て、薫より残代金の提供があり次第何時でも同人に対する所有権移転登記をなし得る態勢を整えていたこと、しかるに薫は右の事実を熟知しながら、同月末になつても残代金支払の誠意ある態度を示さないので、薫に対し屡々口頭によりその支払の催告を続けていたところ、薫は、被控訴人に対し同年九月一六日付(翌日頃到達)の内容証明郵便をもつて「同年六月二八日本件土地を代金五四九、〇〇〇円で買受け即日手附金一〇万円を支払い、残代金は同年八月三一日所有権移転登記と同時に支払う約であつたところ、右期日に残代金四四九、〇〇〇円を準備して待つたが、被控訴人は右の登記手続に応じない。残代金は何時でも支払うよう用意をしているので、同年九月一九日迄に右の登記手続に応ぜられ度い。」旨の催告をするとともに、同人には残代金三九〇万円を支払う資力もなく、また、他にその調達の途があつたわけでもないのに、前記東陽相互銀行との間の相互掛金契約を解約し(もつとも、右銀行では貸付の可否を審議するための資料として薫に対し担保物件目録の提出を求めていたが、同人がこれに応じなかつたため、貸付決定に至らない裡に解約となつたものである)、次いで同月二一日本件売買契約の残代金であるとして四四九、〇〇〇円を供託したこと、かくして被控訴人は同月末頃薫に対し本件売買契約を解除する旨の意思表示をするに至つたことが認められ、右認定を左右し得べき証拠はない。
ところで、薫の本件売買残代金支払の債務と被控訴人の薫に対する所有権移転登記義務が同時履行の関係に在つたことは既に認定のとおりであり、従つて、被控訴人が薫の債務不履行を理由に本件売買契約を解除するためには、本来ならば先ず、約定の履行期限において、また、その後の催告に当り自己の債務につき履行の提供(すなわち、薫に対する所有権移転登記をなし得る準備を整えていたというにとどまらず、更に登記申請のために登記所に出頭すること)をなして薫を遅滞に陥らしめることを要するところ、被控訴人が右のような意味で自己の債務につき履行の提供をしたことについては、これを窺うに足る証拠はないけれども、既に認定した事実に徴すれば、被控訴人が、薫に対する所有権移転登記のためになすべき準備をすべて完了し、同人より残代金の提供があれば、何時にても右の登記をなし得る態勢を整えて、履行期限後も屡々同人に対しその債務の履行を求めていたのに対し、薫は、右の事実を熟知しながら、敢えて相互の契約義務履行に協力する誠意のある態度に出ることなく、却つて、甲第一号証の売買契約書がたまたまその手中に在るのを奇貨として、本件売買代金は五四九、〇〇〇円であり、そのうち一〇万円を手附金として支払済みである旨主張して、本件売買代金が四〇〇万円で、その残代金は三九〇万円であることを否定し、全く右残代金を支払う意思のないことを明確に表明しているのであつて、かかる場合には、被控訴人のなした催告が自己の債務につき履行の提供を伴わないものであつても、薫はその残代金支払債務の履行につき遅滞の責を免れ得ないものというべきである(最高裁判所昭和四一年三月二二日判決参照)。
而して、被控訴人のなした前記認定の各催告に当り相当の期間が示されていたことについては主張、立証がないけれども、既に認定の被控訴人のなした解除の意思表示までには催告後相当な期間を経過しているものと認められるから、その間右催告が撤回されたのでない以上、本件土地売買契約は有効に解除されたものといわざるを得ない。
(奥野 萩原 直船)