東京高等裁判所 昭和40年(う)155号 判決
被告人 佐竹義昭
〔抄 録〕
本件控訴の趣意は検事布施健名義の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、ここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
本件公訴事実は、被告人は昭和三八年七月八日午後六時三〇分頃東京都大田区萩中町一二一番地糀谷映画館婦人便所内において矢部幸子(当二三年)に対し、何の理由なしに首を絞め大便所内に押し込む等の暴行を加えたものであるというのであり、これに対し原判決は、被告人の「本件当時潰瘍性大腸炎を患い下痢気味であつたが、大便所に入ろうとしてボツクスの扉の前六、七十センチの辺に接近した際、女の子が突然その扉を開いて中から出ようとし、出会頭に同女が「キヤア」と声を立てたので、無意識に同女の口を塞ごうとして、その口の辺りえ手を差し出したところ同女はのめるようにボツクス内に後退し、自分も連れてボツクス内に入つて了い、差し出した手が同女の胸の辺りに当つた。そのとき同女が再び「キヤア」と大声を発したので我に返り大変なことをしてしまつたと気付いて逃げ出した」という趣旨の供述には単なる弁解のための弁解ではなく、却つて真実を述べているのではないかという疑問があるとし、その理由として、被告人が女性にいたずらをする目的で女子用便所に赴いたと認める確証のないこと、当時下痢気味で映画観覧中、急に便意を催し便所に赴いたこと、男子便所内に大便用の設備がないため女子用便所に入ろうとしたことも必しも不自然とはいえないこと、急に便意を催して「殿方用」、「婦人用」の表示に気付かず女子用便所に駈け込んだとしても了解し得ること、本件当時の現場の情況として被告人の供述と異る矢部幸子の証言は恐怖驚愕の状態において知覚したところを供述したものであるから、そのままは措信し難いことの諸点を挙げ、従つて被告人の述べるような行動に出たとしても、それは矢部幸子の悲鳴を聞いて反射的にその挙に出たもので、暴行とは全く異質なものではなかつたかという合理的な疑が残り、これを覆えすに足る証拠のない本件はその証明がないとして無罪の言渡しをしているのである。
よつて原審及び当審において取調べた証拠並びに記録を仔細に検討すると、被告人が本件当時潰瘍性大腸炎を患つていたことはこれを認め得るが、前年一〇月から継続して被告人の診療に当つていた医師宮沢達人は原審証人として、本件当時の被告人の症状は慢性のもので、赤痢等のように急激な下痢を催すものではない旨を証言し、被告人自身検察官に対しても、原審公判廷においても表現に多少の差こそあれ、いずれも急激な便意に迫られて急遽前後の見境いもなく便所へ駈け込んだというような急迫した事情ではなかつたことを自認しているのであつて、原判決の、急に便意を催して「殿方用」、「婦人用」の表示に気付かず女子用便所に駈け込んだとしても了解できないことではないとする判断は前提を欠いた判断であるのみならず、検察官の実況見分調書によれば本件の便所は糀谷映画館内スクリーンに向い右側廊下の突き当りに位置し、「御手洗」と表示された扉を開くとその正面に「殿方用」と表示された扉があり、その前を右に曲つた突当りの正面に「婦人用」と大きな文字で表示された扉を付した入口があつて、女子用、男子用の便所が区分されており、最初の扉を排して先づ目につくのは正面の男子用便所である関係にあり、殊更に右に曲つて突当りにある女子用を男子用と誤ることは通常あり得ないことであり、被告人のいう如く男子用の扉が開放されていたとすれば尚更である。
また被告人は女子用便所を男子用と誤認して入つたと述べ、男子用便所に大便用のボツクスがないため己むなく女子用便所に入つたとは述べていず、そのように認めるべき証拠は他に何もないのみならず、当審において取調べた昭和四〇年一月一二日付検察官の報告書によれば本件当時から右男子用便所内に大便用ボツクスの設備が存したことが明らかであるから、原判決が男子用便所内に大便用の設備がないため女子用便所に入ろうとしたことも必しも不自然とはいえないと判断していることは本件にとつて全く無意味という外ない。仮りに被告人主張のように女子用便所を男子用と間違えたとしても、扉を開けて一見すれば、それが男子用でないことは判然する筈であり、しかも便意を達するために便所に入つたのであれば、位置的に手近かな而も扉が半開きとなつて(実況見分調書、矢部幸子の証言により明らかに認め得る)使用中でないことの明らかな他の三個のボツクスの前を通り過ぎて殊更に最も奥に位置し、扉が閉じ、且つ矢部幸子の証言によれば水洗用の水音がしていたと認められるボツクスに入ろうとし、接近したことは、これを単なる偶然とすることはできない筋合である。
原判決は証人矢部幸子の証言が措信し難い理由の例示として「一方首を右手で絞めようとしたと述べながら、他方片手だけでそんなに力ははいつていなかつたと述べ、被告人が果して真に首を絞めようとしたのか、単に被告人の手が首に当つたのか必ずしも明確でない」といい、また「右手で扉を閉めようとしたと述べながら、内鍵をかけるような動作はなかつたと述べ被告人が果して扉を閉めようとしたのか、証人が単に被告人が扉を閉めようとすると感じただけか明白でない」というのであるが、その供述内容は、特に前後矛盾するわけではなく、同証人は受身の立場に在つて被告人の行動を見たままに表現していると解せられ、むしろ殊更に被告人に不利なことのみ述べようとする作為のない供述であると認められる。当審における同証人の証言も原審における証言と一致して何ら誇張も認められず措信できないとする理由を見出せない。原判示の如く同証言が恐怖驚愕の状態において知覚したところを述べたものであるから措信できないとするなら、被告人は一貫して本件現場における行動は無意識であつたと主張しているのであるから尚更措信できないことになる筈である。
原判決は、被告人の供述は弁解のための弁解でなく真実を述べていると思われるとするが、その供述内容には通常あり得ない不自然不合理さを含んでおり、到底真実を述べているものとは認められない。すなわち被告人主張の如く男子用便所と誤認して本件現場に至つた他意のないものであれば、目前のボツクスから矢部幸子が現れて声を立てたときに、粗忽を陳謝すれば済むことであり、そうすることを妨げるべき事情は全く存しない。他に何らかの意図のない限り同女の口を塞ごうとして無意識にその口のあたりに手を差し出すなどいう行動に出ることはあり得ないことである。
更に右の如く無意識に手を差し出したため同女がボツクス内に後退したに連れ自分もボツクス内に自然に入つて了つたという供述に至つては不合理極まるものである。蓋し本件ボツクスは便所の床面より二段の階段を踏んで上る構造になつており、(実況見分調書添付の写真により争う余地はない)、何らかの意図を以つて入るのでなければ、のめつて自然に入つて了うことなどあり得べきことではないからである。
右の如く検討すると被告人の供述を措信し得るとし、矢部証人の供述を措信できないとする原判決は証拠の価値判断を誤つたというべく、その他矢部幸子に再度声を立てられるや懸命に逃走を図つた情況、映画観覧中の矢部幸子と被告人の各座席の関係から同女が用便に立つたことを意識して、その跡を追つたと疑われる情況等記録に現れた事情を併せ判断すれば被告人は何らかの意図をもつて、女子用便所に入り、矢部幸子に対し公訴事実どおりの暴行を加えたものと認めることができる。これを否定した原判決は事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、検察官の論旨は理由がある。
(三宅 清水 寺内)