大判例

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東京高等裁判所 昭和40年(う)189号 判決

被告人 田中利安

〔抄 録〕

本件公訴事実は、被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和三十九年四月十五日頃東京都新宿区歌舞伎町二十一番地附近路上において、吉田太郎こと任松石から麻薬である塩酸オキシコドンを含有するヒコアト注射液一ミリリツトル入りアンプル十本を譲り受けたものであるというのである。

右公訴事実について、被告人は、司法警察員及び検察官に対する各供述調書中並びに原審第一、二回各公判期日において、

(一) 自分は、本件薬剤を睡眠薬と思つて貰つた、任松石は本件薬剤を麻酔薬であると説明した旨、

(二) 自分は、本件薬剤の箱の表側に表示されていた劇及び麻の文字を見たが、何のことだか判らなかつた、箱を開けてみると、説明書には「麻酔薬」と書いてあつた旨、

(三) 自分は、麻薬というのは、いわゆるヘロインの様に白い粉末状のものと思つていた旨

供述し、任松石から本件薬剤を譲り受けた当時それが麻薬であることを知らなかつた趣旨の弁解をしているので案ずるに、一件記録並びに当審における事実取調の結果によれば、本件薬剤は、五郎こと矢沢修及び紀博道の両名が昭和三十九年四月十三日午前一時頃都内杉並区下井草三丁目二十七番地の十七、医師佐藤武男方の薬局内から金庫ぐるみ窃取した麻薬の一部であつて、右両名は一旦金庫を佐藤方附近の藪の中に隠し置き、同日正午頃藪の中から持ち出し、金庫を破壊して在中の他の麻薬と共に本件麻薬を友人今津康博方に預け、翌十四日頃今津方から持ち出して都内杉並区西永福町の八百屋の店員某に預け換え、その翌十五日頃友人吉田太郎こと任松石に売却斡旋方を依頼して同人に交付し、同人は右同日都内新宿区歌舞伎町二十一番地附近路上において被告人に譲り渡したものであることが認められる。

(一) 被告人は、原審第一回公判期日において、任松石は本件薬剤を「ヤクをやろう」と言つて自分に渡した旨、同第二回公判期日において、任松石は本件薬剤を「クスリだ、クスリをやろうか」と言つて自分に呉れた旨各供述し、

任松石は、検察官に対する昭和三十九年十月二十三日附供述調書中及び当審第二回公判期日において、自分は昭和三十九年四月十五日頃の午後十一時頃都内新宿区歌舞伎町の喫茶店「乗合馬車」の角で被告人に会つたので、さきに矢沢から預かつていた本件麻薬のことを思い出し、「麻薬みたいなものを持つているんだが」と申したところ、被告人は「先輩でそういうのが好きな人がいるから呉れないか」と申すので、本件麻薬を被告人に呉れてやつた旨供述しているところ

当審第二回公判期日における証人中沢英一の供述によれば、麻薬の密売者や愚連隊仲間の間では、麻薬のことを普通「ヤク」とか「クスリ」等と呼んでおり、「ヤク」と言えば麻薬のことを指すものと認められ、

一件記録上明らかなごとく、被告人は昭和三十三年五月頃以降同三十六年六月頃まで六回に亘り窃盗、住居侵入、強盗、詐欺、脅迫、恐喝の各非行によつて検挙され、内二回は少年院に送致されたほか、同三十七年十一月以降同三十九年三月まで三回に亘り傷害罪、暴行罪により罰金刑に処せられた犯罪歴を有し、日頃都内新宿地区で暴力団体東声会の連中と親しく交際している者であり(被告人の司法警察員に対する供述調書参照)、また任松石は昭和三十六年頃から右地区で遊びはじめ被告人と親しく交際していた者であるから(任松石の前掲検察官に対する供述調書参照)

斯る環境にある任松石と被告人との間の会話において「ヤク」とか「クスリ」とかいう言葉が出た以上は、更めて「麻薬」と断わらなくても、それが麻薬のことを指すものであることは、同人らの経歴及び日頃の交遊関係自体から当然に察知される筈であるといつても過言ではなく、

(二) まして一件証拠によれば、本件麻薬在中の箱の表側には、一見して直ぐ判るように<麻>の文字が右肩に朱書され、同封の使用説明書には、(麻薬・劇薬)と右肩に明記してあること及び被告人は右<麻>の文字を見、且つ使用説明書を部分的にせよ読んでいることが認められ、被告人は右<麻>の文字と人の話などから麻薬を想像し、前記日時及び場所で任松石から本件麻薬在中の箱を受け取つた際その場で直ちに開封して中を見たというのであるから(被告人の司法警察員に対する供述調書参照)、前記のごとく右<麻>の文字が何のことだか判らなかつたとか、使用説明書に「麻酔薬」と書いてあつたという弁解は全く採るに足らず、被告人は、右使用説明書の右肩の(麻薬・劇薬)の文字を読み、且つそれによつて箱の表側に表示されていた<麻>の文字が麻薬を意味することを理解したものと認めるのを相当とし、

現に、当時前記東声会に属していた遊び人の矢沢修は、当審証人として、箱の外側に赤字で<麻>と書いてあつたので、自分はこれは麻薬であると思つた、箱に赤字で<麻>と書いてあれば、定職がなくふらふら遊んでいる者なら誰でもそれが麻薬であることが直ぐ判る旨供述し、同じ東声会所属の遊び人である任松石も、当審証人として、自分はそれが麻薬かも知れないと思つた旨供述している位であるから、同人らの仲間の被告人一人だけが右<麻>の表示する意味を理解し得なかつたものとは首肯し難く、

(三) 当審証人中沢英一の供述によれば、睡眠薬とは催眠性のある薬剤を総称し、麻酔薬の範疇に属する睡眠薬もあり、また麻酔薬とは麻酔性のある薬剤を総称し、そのなかには麻薬の入つている麻酔薬もあれば、麻薬の入つていない麻酔薬もあると理解されるから、たとえ被告人が本件薬剤を睡眠薬と思つたとしても、或はそれが麻酔薬であるとの説明を受けたとしても、そのことは直ちに以て被告人が本件薬剤を麻薬ではないと認識したということにはなり得ないものというべく、原審証人佐藤武男の供述中麻酔薬及び麻薬の概念に関する部分は聊か正鵠を欠き、証拠として採るを得ず

(四) また当審証人中沢英一の供述によれば、わが国においては昭和三十七年七月頃以降において粉末状の麻薬は殆んど姿を消し、アンプル入りの麻薬が使用されるように成つて来たことが認められるから、斯る麻薬事情の下においては、当該薬剤が粉末状ではなくアンプル入りであつたため、それが麻薬であるとは思わなかつたというがごとき弁解は採るに値せず、

(五) なお被告人が原判決の説示するごとく、本件薬剤をその使用説明書記載の用法及び用量と異なる方法及び分量で施用したことは、直ちに以て被告人が右使用説明書の右肩の(麻薬・劇薬)の文字を読まなかつたことにはなり得ず、

要するに、被告人は縷々弁解するけれども、総べて措信するに足らず、被告人は任松石から本件麻薬(公定名・複方オキシコドン・アトロビン注射液、商品名・パビナール・アトロピン注射液、略名ヒコアト注射液)を譲り受けた当時それが麻薬であることを十分に認識していたものと認定するのが相当であり、麻薬取締法第二十六条第一項に違反する罪の故意があつたというに妨げなく、右認定と異なる見解の下に被告人に対し無罪の言渡をした原判決は事実を誤認し、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免がれない。論旨は理由がある。

そこで刑事訴訟法第三百八十二条、第三百九十七条第一項によつて原判決を破棄し、同法第四百条但書に則り当裁判所において次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和三十九年四月十五日頃東京都新宿区歌舞伎町二十一番地附近路上において、吉田太郎こと任松石から、麻薬である塩酸オキシコドンを含有するヒコアト注射液一ミリリツトル入りアンプル十本を譲り受けたものである。

(坂間 栗田 有路)

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