大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和40年(う)193号 判決

被告人 斉藤勇

〔抄 録〕

所論は、原判決は本件公訴事実中第二の道路交通法第七十二条第一項前段所定の救護措置等義務違反の事実について有罪と認定すべき証拠があるのに拘らず、人身事故発生の認識を欠いているとして無罪の言渡をしたのは事実誤認であると主張する。

よつて、被告人が本件事故を惹起した際、人身事故の認識があつたかどうかの点について検討するに、原判決挙示の各証拠殊に司法警察員作成の実況見分調書三通、古賀一徳の検察官に対する供述調書、柏手英二の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、被告人の原審公判廷における供述、被告人の検察官及び司法警察員に対する供述調書各二通を綜合すれば、本件事故車両の右前部フエンダーのライト上方部から運転席寄りに十一糎×十三糎及び十五糎×二十糎の各凹損並びに右フエンダーミラー取付部下方に一・五糎×二糎及び同フエンダーミラー取付部分から運転席寄りに一糎×五糎の各塗料が剥離し、右前パーキングランプ右方のフロントフエンダーに四・八糎の擦過痕を生じていること、被害者青井忠雄が衝突地点から約四・六米前方へはね飛ばされていること、衝突の音響もかなり大きく聞え、事故車の周辺に土煙りがあがつたことが認められる。右の状況から推せば本件事故により被告人は相当の衝撃を感得した筈であると考えらるべきところ、前掲各証拠を綜合すれば、被告人は或程度の衝撃を感じながら衝突と殆ど同時にハンドルを左に切つて制動措置を講じた後(衝突地点から左斜め前方に約七・四米のタイヤ痕がある。)、更にハンドルを右に切つて加速して逃走したことが認められるのであつて、当時被告人が睡気を催し正常な運転ができない精神状態にあつたとしても、前記衝突を感じた現場の状況により何等かの事故(人の死傷又は物の損壊)の発生したことを認識したと認めるのを相当とし、睡気のためその認識を欠いていたとは到底認められない。而して事故の認識については、それが事故(人の死傷又は物の損壊)の発生を疑わせるような事態の認識をもつて足り、必ずしも事故発生の確定的な認識を要するものでないことは道路交通法第七十二条第一項の趣旨から当然であるといわなければならない。以上説示のとおり、被告人は事故(人の死傷又は物の損壊)の発生を認識しながら直ちに自動車の運転を停止して被害者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講ずることなく依然運転を継続して逃走したものであつて、右所為は道路交通法第七十二条第一項前段の救護措置等義務に違反し、同法第百十七条(昭和三十九年六月法律第九十一号道路交通法の一部を改正する法律に基づく改正前の同条)の構成要件に該当するものというべきであり、被告人が本件事故の発生を認識しなかつたということを前提として事実を認定し、被告人に無罪の言渡をした原判決は失当であつて到底破棄を免れず、論旨は理由がある。

(樋口 小川 金末)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!