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東京高等裁判所 昭和40年(う)2163号 判決

被告人 小林一正

〔抄 録〕

所論は、原判示道路交差点において被害者高橋要次郎の運転する第二種原動機付自転車が通行していた道路の幅員(二・七米)よりも被告人の運転する自動三輪車が通行していた道路の幅員(三・三米)は広かつたのであるから、道路交通法第三六条により被害者の自転車は徐行して被告人の自動車の進行を妨げないようにする義務があり、被告人の自動車には徐行の義務はなく、いわんや同交差点は同法第四三条にいう公安委員会の指定した場所ではないから一旦停止の義務はない。仮りに徐行の義務があるとしても被告人の自動車は時速約二〇粁の緩速度で交差点に進入したのであるから、被告人に徐行運転義務の懈怠はない。仮りに被告人に徐行運転の義務を怠つたとしても、本件事故は被害者の自転車が交通整理の行われておらず、左右の見とおしのきかない同交差点において徐行運転の義務を怠つて漫然進出した過失により惹起されたものであり、これがため右事故の発生は、被告人側における過失の有無に拘らず避け得られなかつたものであるから、被告人の過失と本件事故との間に因果関係はない。以上いずれの点から見ても被告人が過失の責を負ういわれはないのに原判決が被告人は本件交差点手前において徐行または一旦停止をする義務があり、しかもこれを懈怠した過失により本件事故を惹起したものと認めて被害者高橋要次郎に対する業務上過失致死の罪責を問うたのは、事実の誤認、ないし法令適用の誤を犯したものであるというに帰する。

よつて考察するにおよそ車両の運転に従事する者はいかなる場合にも他との衝突等の事故の発生を未然に防止するため、そのなし得べき万全の措置を講ずべき注意義務があり(大判昭和九年七月一二日刑集一三巻一〇二五頁以下参照)、道路交通法及び関係法令は道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的として(道路交通法第一条)車両運転者の遵守すべき事項を定めているが、これらは車両運転者に必要な最少限度の注意義務を規定したに止まり、道路交通の安全を確保するため車両運転者のなすべき注意義務はこれに尽きるものではないから、車両運転者において万全の注意に欠けこれがため衝突等の事故を惹起したときは、たとえその措置が道路交通関係法規の明文に違反するところはなかつたとしてもなお刑法上、過失の責を免かれないものといわねばならない。而して道路交通法第三六条第一項は、『車両等は交通整理の行われていない交差点に入ろうとする場合において、その通行している道路の幅員よりもこれと交差する道路の幅員が明らかに広いものであるときは、徐行しなければならない』とし、同第二項において『前項の場合において幅員が広い道路から当該交差点に入ろうとする車両等があるときは、車両等は幅員が広い道路にある当該車両等の進行を妨げてはならない』と規定しているので、明らかに広い道路にある車両等は、法令に別段の定のない限り、狭い道路にある車両等の進出に備えて徐行しなければならぬ一般的義務はないものと解すべきことは所論のとおりであるが右にいわゆる広狭の差が「明らか」であるとは、車両運転者が何時でも運転中の車上から一見目測して容易にその広狭の差を識別し得ることをいい、目測によつては一見直ちに広狭いずれとも見分け難い場合には同条の適用はなく、特に交通整理の行われていない交差点で左右の見とおしのきかないものにおいては、同法第四二条(車両等は、交通整理の行われていない交差点で左右の見とおしのきかないもの(中略)においては徐行しなければならない)に従い広狭いずれの道路にある車両もともに徐行すべきはもとより、道路又は交通の状況により安全を確保するため必要があるときは、同法第四三条が一時停止の義務を課している公安委員会指定の場所であると否とを問わず、交差点の手前において一時停止して、交差する道路の左右から進入して来る車両等の有無を確認し、出合いがしらの衝突等の事故の発生を未然に防止すべき注意義務があることは当然の条理であるといわなければならない。これを本件について見ると、原判決挙示の証拠によれば、被告人は日常自動車の運転を反覆していたものであるところ、原判示日時頃、自家用三輪貨物自動車(群六せ六〇六六号、ダイハツ、一九六一年式、車長四・九六米、車幅一・七二米、乗車定員三名、最大積載量二トン)に赤土約二トンを積載し時速約二〇粁で運転して原判示場所の道路交差点にさしかかつたこと、同交差点では、被告人の自動車の進行する幅員三・三米の道路とほぼ直角に十字型をなして幅員二・七米の道路が交差し、被告人の自動車から見て交差点の手前左角には密生した竹藪があつて、これと交差する道路の左方路上の見とおしを妨げており、しかも交通整理は行われていなかつたが、被告人は交差点手前において一時停止し又は減速して、交差する道路の左右から進入して来る車両等の有無を確認することを行わず、かかる車両等との衝突等の危険はないものと考えて同一速度のまま同交差点に進入したところ、交差する道路の左方路上(斜左前方)五・五米の地点に、高橋要次郎(被害者)が第二種原動機付自転車を運転して同交差点に進入して来るのを認め、急停車の措置をとるいとまなく、把手を僅かに右に切つてこれとの衝突を避けようとしたが及ばず自車の左側前照灯部分を同人の運転する自転車の前輪に衝突させ、同人を自転車もろとも道路上に転倒させた上その胸腹部を自車の左側後輪で轢過し、よつて同人をその頃同所において内臓破裂により死亡するに至らせた事実が認められる。よつて被告人に過失の責ありや否やについて審究するに、同交差点は前示のとおり交通整理の行われていないものであり、交差する道路の幅員の差は僅少(〇・六米)で、到底前段説示の趣旨において被告人の自動車の進行する道路の幅員がこれと交差する道路の幅員よりも明らかに広いものということはできないばかりでなく、左右の見とおしのきかないものであるから、前説示のとおり被告人は手合いがしらの衝突等に備え交差点の手前において一時停止するか又は少くとも徐行して交差する道路の左右から進入して来る車両等の有無を確認すべき(業務上の)注意義務があるものといわなければならないところ、所論は、被告人は時速約二〇粁の緩速度で同交差点に入つたのであるから、徐行義務の懈怠はなかつたと主張するが、徐行とは、車両等が直ちに停止することができるような速度で進行すること、(道路交通法第二条第二十号)換言すれば、交通危険の状況に応じ危険発生を未然に防止するに十分な程度に速度を減じ、敏速に停車の措置をとり得るような速度で進行することをいい、その程度は車両等の種類、型状、積載量、道路の広狭、路面の状態、見とおしの難易、交通の繁閑など諸般の状況に応じ具体的に定まる(東京高等裁判所昭和三三年四月二二日判決、特五巻一八〇頁参照)が、停止の措置をとつた場合、停止するまでの惰力前進距離を進行してもなおかつ事故の発生を避け得られる速度をいう(大判昭和一三年一二月九日集一七巻九一三頁以下の趣旨参照)ものと解するのが相当であり、前示被告人の自動車の種類、型状、事故当時の積載量、本件交差点における道路の幅員、見とおしの状況に照らし、時速約二〇粁で同交差点に進入するが如きは到底これを目して叙上の趣旨に副う徐行をしたものということはできないから、交差する道路の左右から進入して来る車両等の有無を確認しないで同速度のまま進行した被告人には、叙上、徐行乃至一時停止の義務を懈怠した過失があるものというほかはない。そして、本件交差点の地形状況にかんがみ、原判示自転車を運転して同交差点に入ろうとした被害者高橋要次郎にも、その手前において一旦停止乃至徐行して交通の安全を確認すべき注意義務があることは被告人の場合と同様であるところ、同証拠によれば、同人もまたこれを怠り漫然時速二〇粁よりも早い速度で同交差点に進入したため、本件事故を惹起するに至つたものであることが窺われ、本件事故の発生については同人にも過失の責があり、これがなかつたとすれば右事故の発生を防止し得たものと認められることは所論のとおりであるが、他方、これありとするも被告人において叙上、徐行乃至一時停止の注意義務を怠らなかつたとすれば、右事故の発生を未然に防止し得たものであることも、これを否定するに由のないところであるから、被告人の過失と右事故の発生との間には因果関係があり、よつて被害者を死に致した被告人は業務上過失致死の罪責あるを免かれず、被害者側の過失の介在(競合)を理由としてこれを否定することはできないものといわなければならない。されば被告人に対しこれと同趣旨において業務上過失致死の事実を認定し、これを刑法第二一一条前段の罪に問擬した原判決は正当であつて、所論のような事実の誤認乃至法令適用の誤はないから、論旨は理由がない。

(小林健 遠藤 吉川)

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