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東京高等裁判所 昭和40年(う)915号 判決 1968年1月26日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

<前略>

一、控訴趣意第一点の四、入浴時間の規制についての事実誤認の主張について

所論の要旨は、日本国有鉄道就業規則の性質、証人串田正平、同遠藤昇らの供述によれば、田町電車区における午後四時以降入浴、午後四時三〇分以降退区の慣行は就業規則に違反した闇慣行に過ぎないので、国鉄当局者において一方的に是正することが可能であるのに、原判決が右慣行は労使間における事実たる慣習であり、上部機関もこれを認めており、右入浴時間規制の問題は管理運営事項ではなく、労働時間の変更であるから、当然団体交渉の対象となり、一方的に変更できない旨認定しているのは、事実の誤認であり、もし右の事実誤認がなければ、原判決の法律的見解を前提としても、日野公安職員の公務執行としての写真撮影行為が刑法上の保護に値しないとして公務執行妨害罪の成立を否定されることがなかつたはずであるという点において、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れないというのである。

よつて、記録を精査し当審における事実の取調べの結果をも加えて判断すれば、次のとおりである。

原判決挙示の関係証拠と当審における事実の取調べの結果を総合して認め得る事実関係に法律的判断を加えて審究すれば、原判決が(本件発生に至るまでの経緯)の項において認定した「一、田町電車区検修従事員の業務内容」、「二、田町電車区における午後四時以降入浴の慣行」の部分並びに(入浴時間規制に関する当裁判所の判断)の項においてした判断は概ねこれを是認することができ、結論においては相当であるというべきである。以下において、論旨の細目についてこれを分説すれば、次のとおりである。

1について

日本国有鉄道就業規則(昭和二四年一〇月二四日職労第九六号依命通達によつて制定されたもの)が日本国有鉄道本社において制定され、同規則第一五条が勤務時間に関し、日勤者は始業八時三〇分、終業一七時と規定していること、本来就業規則の一般的性質が労働基準法により法令又は当該事業場について適用される労働協約に反しない限り、使用者及び労働者を拘束するものであること、就業規則の作成並びに変更の権限は、使用者にあることは、所論のとおりである。そこで、日本国有鉄道就業規則と国鉄の下部機関である、田町電車区で長年行われて来た入浴時間及び退区の慣行との関係を考察すれば、次のとおりである。

<証拠>を総合すれば、田町電車区は国鉄東京鉄道局の下部機関として受持区域内に電車を運転させ、その保守、清掃を業務とする国鉄の現場機関であり、そのうち、電車検査掛は電車の検査に従事し、電車掛は主として電車機械、電気部分の修繕、清掃等の作業に従事し、整備掛はこれを補助する掛とされ、この三者の業務に従事する者を一括して検修従事員と呼称されていたところ、検修従事員は、交番検査、局部検査等所定の電車の検査、修繕、清掃をするため、圧搾空気を利用して電車に付着した塵埃、糞尿等を吹き飛ばすいわゆる気吹作業をしたり、電車の車体の下部にもぐりこんで作業を行わねばならない場合があり、その取り扱う電車が比較的長距離を運行するものが多く、その汚損が著しいため、特に車台とモーターその他の機械部分とを分離して行う局部検査の場合には、気吹作業による塵埃等の飛散が甚しく、また、機械油を取り扱うことが多いので、作業衣のみならず、顔、首、手足等が、塵埃、糞尿、機械油等で著しく汚染し、あるいは臭気を帯び、これら身体の汚染を除去しないで、公衆に触れ、あるいは、乗物等を利用して帰宅することは不可能な状態にあつたこと、国鉄は検修従事員を含む国鉄職員のため古くから身体の清潔等保健上の見地から浴場を設けて来たこと、田町電車区は、昭和二五年頃から湘南電車をはじめとする東海道線の電車の増加に伴い、区員の数が一五〇名位から二五〇名位に急増し、更に昭和二八年頃には約四八〇名位にも増大し、うち検修従事員は二六〇名ないし二七〇名であつたところ、従来設けられてあつた職員浴場が狭隘となり、昭和二八年に改築されたが、その後も人員が増加し、昭和三八年七月当時においては、全員約六八〇名、うち検修従事員約三八〇名であつたこと、昭和二五年以降湘南電車など東海道線の電車の増加に伴い、人員が順次増加するにつれ、当時の住宅事情、通勤事情を反映して、遠距離通勤者が多くなつたため、田町電車区の管理者たる同電車区長は、遠距離通勤者の便宜等を考慮し、当時給水関係の仕事を除いて作業ダイヤの完了する午後四時以降の入浴と午後四時三〇分以降の退区を認めるに至つたこと、右入浴及び退区に関する定めが田町電車区の昭和三〇年四月一日制定の検修関係検査内規に明記されていること、すなわち、これに付属する検修関係服務内規入浴の項に、時間外入浴を禁止し、日勤者の入浴は、退出点呼後、早番、遅番の順によつて入浴するものとされ、同退出の項に、日勤者は一六時三〇分、同点呼の項に退出点呼は一六時とされていること、田町電車区において昭和三二年一月制定された作業内規検修編においては、日勤者の退出を一七時とし、時間外の入浴を禁示するとともに、日勤者の入浴は退出点呼後、早番、遅番の順によつて入浴するものと規定され、同電車区において昭和三七年五月制定された作業内規並基準検修編においては、日勤者の退出を一七時と定めるのみで、入浴に関する規定は削除されるに至つたこと、右のとおり、昭和三二年一月制定の作業内規検修編及び昭和三七年五月制定の作業内規並基準検修編によつて、昭和三〇年四月制定の退出並びに入浴時間が変更され、あるいは入浴に関する規定が削除されたにもかかわらず、従前から行われていた日勤者の午後四時以降入浴、午後四時三〇分退区の慣行は改まらず、歴代の区長もこれを是認し、約一三年の長きにわたり田町電車区における慣行として存続して来たことをそれぞれ認めることができる。

次に前記国鉄の就業規則に関する依命通達が、その冒頭において「国鉄における業務機関は区々であつて、就業上適用される法令及び令達もきわめて多く、又労働基準法第八条の適用事業としても広はんにわたり、各業務機関ごとに関係法令及び令達全般を集録して労働基準法第八九条の規定による就業規則を作成することは、複雑で相当日時を要するため労働省労働基準局の諒解を得て別冊の日本国有鉄道就業規則を左記要領によつて作成したから今後これによることとする。」と述べているように、本来は国鉄の各業務機関ごとに就業規則を作成すべきところを関係当局の諒解を得て国鉄全体に通ずる就業規則を作成した関係上、同規則は大綱を示すに止まらざるを得なかつたばかりでなく、国鉄のような尨大な組織の企業体で、電車区、機関区、工場、駅等の現場機関をはじめ各種の性質を異にする業務機関が多数あるところでは、その遂行する業務は多種多様に異ならざるを得ず、右就業規則の大綱に基づき各業務機関ごとにその業務遂行についての各種各様の実施細目が定められることも、当然予定されるところであつて、同就業規則並びに日本国有鉄道職員勤務及び休暇規定(昭和二二年五月二日達第二四二号)によれば、総裁室各課長、新幹線総局長、本社各局長、本社各部長、本社各室長、副技師長、本社付属機関の長、地方機関の長並びに支給の地方機関の長を所属長とし、所属長に就業規則に基づく運用が委ねられているのであり、さらに所属長からその下部機関である電車区、機関区、工場等の現場機関の長である電車区長、機関区長、工場長等の現場管理者に基準を示すなどの方法により業務遂行の具体的実施が委ねられている実状にあつて、前記国鉄就業規則第一五条が日勤者の勤務時間を始業八時三〇分終業一七時と一律に抽象的に規定しているのを、各現場機関において、その現場の実情に応じ、いかに具体的に実施して行くかの点も、右実施細目を定める一事項であつて、現場機関の長が所属長の指示、委任、諒解の下にこれを定め得るものであり、かかる実施細目が明文化されたものが前記田町電車区における昭和三〇年四月一日制定の検修関係検査内規、昭和三二年一月制定の作業内規検修編、昭和三七年五月制定の作業内規並基準検修編であり、(ただし、昭和三二年一月及び昭和三七年五月の内規の勤務時間、入浴時間についての規定は後記のとおり長年にわたる慣行とは異なる単に形式を整えるための規程たるに過ぎない。)かかる内規等の形式で明文化され、あるいは明文化されてはいないが長年継続実施されているものが当該現場機関の慣行であるというべきである。そして、かかる慣行は当該現場においては、抽象的な就業規則を具体化したものとしての機能を持ち、実質的には当該現場の就業規則であるといえるのである。元来現場機関の長は、所属長の指示、委任、諒解により就業規則の大綱に基づきその実施細目を定めるものであるから、現場機関における実施細目が就業規則の大綱に違反する事態が生ずることは、通常あり得ないところであり、ただ、例外的な場合として、上部機関において現場機関の実情に鑑み、就業規則に定める勤務時間を下廻り労働者に有利であることを知りながら、現場機関の長に対し、指示、委任し、あるいは、諒解を与えることにより、就業規則の勤務時間を下廻る労働者に有利な実施細目が決定され、実施されることがあり得るし、また、現場機関の長が、当該現場機関の実情に鑑み、所属長の指示、委任、諒解なく、就業規則の勤務時間を下廻る労働者に有利な実施細目を定め、これを実施することが考えられるのである。そして右例外の場合における就業規則の勤務時間を下廻る労働者に有利な実施細目の決定、実施の効果について考えてみると、前者の上部機関たる所属長が現場機関の長に指示、委任、諒解を与えた場合は、かかる指示、委任、諒解を与えた所属長の国鉄ないし国鉄総裁に対する責任を別とすれば、(ただし、所属長が国鉄本社から指示、委任、諒解を得ていればなんらの責任もない。)、形式的に就業規則に違反している外形があるとしても、かかる労働者に有利な実施細目の決定、実施は、就業規則違反による無効を来すことはないものと解される。問題は後者の現場機関の長が独断でした場合であるが、この場合もまた、これを独断でした現場機関の長が国鉄本社、所属長からその責任を追及されることはあるにしても、労働者に有利な実施細目の決定、実施を就業規則に違反するとして無効なものと認めることはできない。けだし、後者の場合は、上部機関たる所属長の指示、委任、諒解を欠いてはいるが、現場機関の長は、所属長の指示、委任、諒解を得て就業規則の大綱に基づき現場機関における実施細目の決定、実施をしているのが通常であるし、所属長の指示、委任、諒解は、内部関係たるにとどまり、これを現場機関において所属の労働者との関係において現実に決定、実施する者は、現場機関の長であり、この決定、実施を受ける立場にある労働者の側からみれば所属長と現場機関の長との間の指示、委任、諒解は通常これがあるものと期待し、それがないことを窺知することができないことが通例であるからである。ただ、前記例外の場合において、就業規則の勤務時間を下廻る労働者に有利な実施細目が決定、実施されているときでも、それ労働協約として取り上げられない限りは、就業規則の勤務時間に戻すことは可能である。このように一たん労働者に有利な勤務時間が決定、実施されたのち、これを元に戻す場合には、従前の労働時間の延長となるのであるから、労働者の意見を十分に聴かなければならないものと解すべきである。

以上判断のとおりであるから、下部機関が内規のごときものをもつて勤務時間等労働条件に関し就業規則と相反する定めをしたときは無効であり、就業規則に違反する慣行は違法な慣行で闇慣行であるとの所論は失当であるといわなければならない。なお、田町電車区職員の任命が東京鉄道管理局長の行うところであり、その雇傭関係ないし労働契約関係は、職員もしくは組合との間に成立し、職員と田町電車区長との間に成立しているものではないこと、国鉄の労働関係について田町電車区長と国鉄労働組合田町電車区分会とは独立した団体交渉単位として認められておらず、その間に労働協約などの成立する余地がないことは所論のとおりであるとしても、田町電車区長が所属長の指示、委任、諒解を受けるなどの方法により就業規則の大綱に基づく実施細目を決定、実施し得ることは、前記のとおりであり、同区長と同区分会とが正規の団体交渉でない交渉を行うことは許されないわけではないから、右雇傭関係の成立関係や正規の団体交渉権などがないことから、田町電車区長が決定、実施して来た前記認定の入浴、退区の慣行を無効とすることはできないところである。

2及び3について

田町電車区ににいて午後四時以降入浴、午後四時三〇分以降退区の慣行が発生し、それが約一三年にわたつて実行されて来た経緯は、前記認定のとおりであるところ、所論は、右慣行はもつぱら通勤事情によるものであり、右慣行の必要性が消滅し、昭和三二年一月の内規により、退出を就業規則どおり一七時とし、入浴は退出点呼後とし(これより入浴は三〇分繰り下り一六時三〇分となつた。)、さらに、昭和三七年五月の内規の改正により、入浴時間の規定は作業内規から全く削除されるに至つたが、その削除理由は、国鉄上層部が従来の田町電車区における入浴時間に関する慣行を認めていなかつたためであると主張するので、この点について考察してみると、前記判断のとおり、田町電車区における入浴、退区の慣行は、約一三年の長きにわたつて継続して来たものであつて、それは、内規によつて一たん明文化され、のちに内規の改正、削除という経過をたどつたが、のちの内規改正、削除によつても慣行そのものは実質的に変更されず、右内規の改正、削除は、上部機関に対する関係で体裁を整えるため形式的に行われたに過ぎなかつたものと認められるから、所論はこれを採用することができない(田町電車区長がかかる単に形式を整えるための内規の改正、削除をしたことにより上部機関に対し責任を負うことはあり得るが、これによつて従前の慣行が変更されたものとは認め難い。)もつとも、従前の入浴、退区に関する慣行を改正、削除した外観を有する改正内規が上部機関に送付されたことにより、上部機関としては、従前の慣行が改められたものと考えることは当然のことであること(この点に関し原判決が作業内規が上部機関たる東京鉄道管理局に送付されるから、上部機関においては各職場の内規を知り勤務条件など当然知つている筈であると判示していることは、これを是認することができる。)田町電車区において、上部機関の視察や総点検運動の際には、とくに入浴時間を午後四時三〇分以降に繰り下げていたこと及び本件後組合側も午後四時三〇分以降入浴を認める至つたことは所論のとおりであるが、それらの事実関係があつたからといつて、前記田町電車区において長年にわたつて継続して来た慣行を否定したり、右慣行を直ちに違法無効なものと認めることはできない。

4について

所論は、国鉄内において検修従事員は汚染職とは解されておらず、国鉄が現業機関に浴場施設を設けているのは、大正九年六月四日現業従事員慰安浴場取扱方という通達によるものであり、労働基準法に基づく労働安全衛生規則第二一六条第二項により設置を命ぜられているものではないから(同規則上の汚染職についてすら勤務時間内に入浴させなければならないものではない。)、原判決が検修従事員を汚染職又はこれに準ずべきものとし、その入浴は勤務時間内に行わるべきものであつて、本件入浴時間の慣行は自然の慣行であると認定したのは失当であると主張するので、この点について考察すると、国鉄が現業機関に設置している浴場施設の根拠としては、所論の大正九年六月四日現業従事員慰安浴場取扱方なる通達があるに止まり、国鉄が所論の労働安全衛生規則第二一六条第二項により浴場の設置を命ぜられたことがないこと、国鉄部内において検修従事員が汚染職ではないとする見解があること、右労働安全衛生規則により汚染職と認められる場合でも、その入浴は建ずしも勤務時間内にさせる必要がないとの行政解釈があることは、所論のとおであるが、国鉄の検修従事員が現在労働安全衛生規則第二一六条第二項によつて浴場を設け入浴させなければならないものとして指定されていないからといつて、そのことだけから検修従事員を汚染職又はこれに準ずるものでないとすることはできない。けだし、右規則第二一六条第二項にいう「著しく身体を汚染する」かどうかは労働基準法及び同規則の目的に照らし社会通念によつて決すべきであり、既に判断したとおり、検修従事員は、塵埃、糞尿、機械油等で作業衣のみならず身体も著しく汚染し、入浴して身体を清潔にしないで公衆に触れ、あるいは、乗物等を利用して、帰宅することは不可能な状態にあるのであるから、社会通念に照らし、同規則第二項にいう「著しく身体を汚染する」者にあたるものと解すべきであり、ただ国鉄当局が従前から現場機関に浴場を設け検修従事員を含め国鉄職員を入浴せしめて来たので、監督当局が国鉄に対し、右規則による指定の措置をとらなかつたにすぎないものに解すべきである。ただ、検修従事員が汚染職であつても、理論的には勤務時間内に入浴させなければならないわけではないことは、所論のとおりであつて、この点原判決には判断の誤りがあることにはなるが、実際においては、既に判断したとおり、本件発生まで約一三年の長きにわたり、また、本件発生後も、田町電車区において、勤務時間内入浴が実施されているのであつて、それは同電車区においては検修関係作業ダイヤがほとんど午後四時までに終了する実情によるものであるから、本件においては、勤務時間内に入浴せしむべきか否かを論ずる実益に乏しく、原判決の右の判断の誤りはなんら判決に影響を及ぼすものではない。

5について

所論は、本件入浴時間の規制は、団体交渉の対象としないで、国鉄当局が一方的に行い得るものであるから、原判決がこれを労働時間の変更として団体交渉の対象となり、国鉄当局において一方的に変更できないと認定したのは誤りであると主張するので、この点について検討してみると、本件入浴時間規制の目的は、就業規則に定められている労働時間と田町電車区において長年行われて来た午後四時以降入浴、午後四時三〇分以降退区の慣行との間に相違があるので、これを午後四時三〇分以降入浴、午後五時退区と是正することにあり、従前の慣行は労働協約となつていたわけではないので、国鉄当局が団体交渉によることなくこれをなし得るものと解せられることは所論のとおりであり、従つて、原判決が団体交渉によらなければこれを変更し得ないとした点は、誤りであると認めなければならない。しかし、それだからといつて、単に当局から田町電車区所属の職員に通告することによつて直ちに右慣行を規制する効果が発生するものと解することも早計である。けだし、前記判断のとおり、田町電車区における慣行は、抽象的な就業規則を具体化したものとして実質的には同電車区の就業規則としての効果を持っていたものであるから、これを改正、変更するには、就業規則の改正、変更についてとられるべき手続を経ることを要する。すなわち田町電車区の労働組合の意見を聴くべきである(労働基準法第九〇条参照)。なお、所論は、右入浴規制は、労務管理の問題として、国鉄当局の管理運営事項であり、これを根拠として、国鉄当局が一方的になし得ると主張するが、公共企業体等労働関係法第八条によれば、労働時間は、同条第一号ないし第四号に列挙されているものとともに重要な労働条件であつて、団体交渉の対象となり、労働協約を締結できる事項であつて、国鉄の就業規則は、同条各号の労働条件を含むものであり、同条にいう団体交渉の対象とならない公共企業体等の管理及び運営に関する事項には、労働時間その他同条各号の労働条件に関する事項を含まないと解し得るのであるから、所論のように本件の入浴規制は団体交渉の対象とならない管理、運営事項であるとして国鉄当局がこれを一方的に就業規則の変更となるべき入浴規制をなし得るものと解することはできない。以上のとおり、原判決には、本件入浴規制は団体交渉の対象となるべき事項であつて国鉄当局が一方的には変更できないと判断した誤りがあるが、この誤りだけでは直ちに判決に影響を及ぼすことが明かであるとはいえない。

6について

所論は、本件入浴規制が当局の再三の指示にもかかわらず一向に実施されないためやむを得ず管理者側が浴場付近に至り、監視、説得して、時間前の入浴を阻止しようとしたのは職場規律維持のためやむを得ざる措置であり、これら管理職員に対し暴行を加え、器物を損壊して浴場に乱入する職員らの行為は違法であることが明らであるのに、原判決はこの点について事実を誤認したことが明らかであると主張するが、前記判断のとおり、本件入浴規制を実施するには、就業規則の変更に準じ、田町電車区に所属する職員をもつて構成されている国鉄労働組合田町電車区分会の意見を聴く手続を経べきものであるところ、原判決挙示の証拠によれば、本件入浴規制は、昭和三八年六月中旬田町電車区を指揮監督する東京鉄道管理局山岸運転部長が同電車区長串田正平に指示したことに基づき、同月二四日同区長が国鉄労働組合田町電車区分会杉本茂、同書記長遠藤昇を区長室に招致して六月二八日から入浴開始時間を午後四時三〇分、退区開始時間を午後五時とする旨通告し、翌二五日これを日勤者全員に通告したのみで、組合側との交渉を拒否し、話合に応ぜず、組合側の意見を聴かないでこれを実施に移そうとし、同月二八日午後三時頃から同電車区長、同電車区助役らが同電車区職員浴場付近に集まり、浴場に施錠するとともに、従前どおり入浴しようとする職員を監視するなどして、実力をもつて入浴を阻止しようとしたが、その目的を達しないで経過するうち、昭和三八年七月二日(本件事件当日)に至り、同日も串田区長の指示により、浴場表入口前、あるいは裏入口前に同区助役らが立ち並び同区長とともに実力をもつて職員が午後四時三〇分以前に入浴するのを阻止しようとしていたとき、入浴しようとする職員との間に押したり引つぱつたりの紛争が始まり、その際表入口において板東助役の背中が入口の戸のガラスに触れその一枚が破損するに至つたことが認められる。以上の事実関係からすれば、前記山岸運転部長の指示に基づき串田電車区長が田町電車区分会の意見を聴かないで一方的に入浴規制を強行しようとした措置及び従前どおり入浴しようとする職員をもつて阻止しようとした行為は、違法であると判断せざるを得ない。かかる違法な措置及び行為に対し、職員らが、従前どおり入浴しようとして、浴場入口付近において、これを阻止しようとする管理者側の者と押したり引つぱつたりする程度の紛争があつたこと及びその際管理者側の者の背中が浴場入口の戸のガラスに触れその一枚が破損したことが、直ちに暴行罪や器物損壊罪を構成するものと解することはできない。けだし、管理者側の違法な実力による阻止に対し入浴しようとする職員がこれを排除しようとして押したり引つぱつたりする程度の行為に出ることは、職員らが従前の慣行によつて認められて来た入浴に関する利益を衛るためやむを得ないところであつて、外形的には有形力の行使として暴行にあたることがあるとしても、違法性を欠き、暴行罪は成立しないものと解し得るし、押したり引つぱつたりの紛争の際にガラス一枚が破損したことについても、職員らに器物損壊の故意があつたものとは認められないので、器物損壊罪の成立があるものと解することができず、また、職員らが入浴のため浴場建物に入つたことをもつて建造物侵入罪の成立があるものと解することもできないからである。

以上判断のとおり、本件入浴規制及び管理者側がとつた実力阻止の行為は違法であり、これに対する職員らの行為については所論の犯罪の成立はないのであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認はないものといわなければならない。

二、控訴趣意第一点の三、違法行為の発生についての事実誤認の主張について

所論の要旨は、<証拠>によれば、日野公安職員が写真撮影をしようとしたのは、職員浴場入口付近において、暴行、器物損壊、建造物侵入等の違法行為が発生したので、その状況の証拠保全と所属長に対する報告などのためであつたことが明かに認定できるのに、原判決は当時未だなんら不法行為も犯罪行為も発生しておらず、従つて、同人は当時浴場入口付近に集まり、当局側に抗議している職員を現認するために写真撮影を開始した旨認定したのは、事実の誤認であり、もし右の事実誤認がなければ、写真撮影行為を違法とし、これを前提に公務執行妨害罪の成立を否定する筈がなかつたという点において、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないというにある。

よつて、記録を精査し当審における事実の取調べの結果をも加えて判断すれば、次のとおりである。原判決挙示の証拠を総合すれば、本件紛争発生に至るまでの経過につき原判決が認定した事実、すなわち、本件当日である昭和三八年七月二日東京鉄道管理局においては、田町電車区から同年六月二八日以降開始された入浴時間の規制状況及び前日の串田区長負傷の報告を受けていたので、同日の田町電車区の規制状況視察ための、運転部長山岸勘六を、また、右規制の際の警備のため、同局鉄道公安機動隊隊長横堀啓六以下一五名の鉄道公安員を制服で、同区営業部公安課長補佐片倉信一、東京鉄道公安室勤務の鉄道公安室勤務の鉄道公安職員日野光一、同一ノ瀬善一郎、同勝又勲を私服で、それぞれ田町電車区へ派遣したこと、その際日野公安職員は田町電車区浴場付近において、不法事態発生のときには証拠保全のため写真撮影をするようにとの指示を受けアサヒペンタックスカメラ一個をオープンシャツの下にかくして携帯していたこと、田町電車区において、同日午後三時四五分頃から、串田区長、小沢、松沢、板東、田中各助役が浴場付近に至り、午後四時頃小沢、板東、田中の三助役が浴場入口に立ち串田区長、松沢、箕輪の両助役が同浴場の裏窓の前に立ち、職員中の日勤者が午後四時三〇分以前に入浴するのを監視、説得しようとして警戒していたこと、他方、午後四時前後頃から、当日の作業を予定どおり終了した田町電車区の検修掛職員が従来どおり入浴するつもりで、各詰所から三々五々浴場表口前通路付近に参集しはじめ、午後四時少し過ぎ頃には、その人数は四、五〇名に達し、そのうちには作業服姿のもの、あるいは、ズボンやシャツを着用したものも混じつていたが、大多数は入浴するために集つた人々であつた関係上、パンツ一枚もしくはパンツすら着用しないで腰に手拭を巻きつけただけという裸体姿であつたこと、串田区長の指示により、浴場入口ガラス戸前にこれと接着して職員の出入を実力をもつて阻止しようとする態勢にあつた小沢、板東、田中の三助役に対し、職員数名が直ちに入浴妨害をとりやめ、ガラス戸前から立ち退くように交渉を繰り返えしたのであるが、助役らは全くこれに応じなかつたところ、間もなく入浴のため入室しようとする職員と右助役らとの間に、押したり引つぱつたりの紛争が始まり、その際板東助役の背中がガラスに触れ、その一枚が破損するに至つたこと、この状況を監視していた私服の鉄道公安職員片倉信一が右事実をもつて不法行為の発生と考え、同一ノ瀬公安職員をして待機していた公安機動隊にその出動の連絡をさせる一方、同日野公安職員に対し軽卒にも証拠保全のため写真撮影を指示したこと、そこで日野公安職員は、ボイラー室の角あたりに立つて、浴場入口の紛争の現場を撮影しようとし、かくし持つていた前記カメラを出して、ガラスの割れた現場と職員が浴場に乱入する状況を撮影しようとしたが、一瞬のできごとであつたため、シャッターチャンスを逃がしてしまつたが、それでもなお、入浴のため裸で集つた職員達の方にカメラを向け、写真撮影をしようとしたことが認められ、既に判断したとおり、串田電車区長が入浴規制を実施しようとしてとつた措置及び従前どおり入浴しようとする職員を助役らとともに実力をもつて阻止しようとした行為は違法であり、職員らが入浴しようとして浴場入口付近において、これを阻止しようとする管理者側の者らと押したり引つぱつたりする程度の紛争及びその際管理者側の者の背中が浴場入口の戸のガラスに触れその一枚が破損したとしてもその実情に照らし直ちに暴行罪、器物損壊罪は成立しないものと解せられ、職員らが浴場に入浴しようとして入つた行為も、建造物侵入罪を構成しないものというべきであるから、原判決が日野公安職員が写真撮影を開始したときには、不法行為の発生の状態は全く見られないとする判断はこれを是認することができる。以下において、論旨の細目について分説すれば、次のとおりである。

1について

所論は、原判決は日野公安職員作成の写真撮影報告書中のNo.3の本件最初の現場写真を見るに、画面には裸の職員たちが立つて話をしているらしい平穏無事の状況であつて、不法行為の発生したとする浴場入口さえ写つておらず、不法行為発生の状態は全く見られないと説示しているが、右写真と司法警察員作成の実況見分調書添付写真No.14とを照合すれば、ともに浴場入口前の敷石の未端にある割れた敷石が写つており、この割れ目の状況からして、ボイラー室付近からほぼ木工場の方向に向けて撮影したものであることが認められ、このことから見て、右のNo.3写真は、日野証言にあるとおり、浴場入口付近の状況と撮影しようとした際、肩口付近に暴行を受けてカメラの向きが変つたが、やはり浴場入口に近接した場所が被写体となつていること、右写真には当時浴場入口において職員の入浴阻止にあたつていた田町電車区の首席助役小沢長一郎が職員と押問答しているような場面が写つていることが認められ、日野が目的とした浴場入口付近の状況こそ写つていないが、平穏無事な状況とはいえないから、原判決の右説示には事実の誤認があると主張する。

よつて案ずるに、日野公安職員作成の写真撮影報告書中のNo.3の本件最初の現場写真、司法警察員作成の実況見分調書添付写真No.14原審証人小沢長一郎の供述を総合すれば、右のNo.3写真は、浴場入口に近接した場所をボイラー室付近からほぼ木工場の方向に向けて撮影したものであること、右写真には、当時職員の入浴阻止に当つていた田町電車区の首席助役小沢長一郎を職員が取り囲んでいる場面が写つていることが認められるが、後記2において判断するとおり、右写真は、撮影者である日野公安職員が右場所を目的として意識的にこれを撮影したものと認められるから、日野公安職員が浴場入口付近の状況を撮影しようとした際肩口付近に暴行を受けカメラの向きが変つた結果、偶然に右写真が撮影されたものと認めることはできず、また、右写真はせいぜい管理者側と職員側との間で押問答がなされていることを推測させるに止まり、これをもつて暴行などの犯罪行為が発生したことを推測するに由ないから、右写真につき原判決が不法行為発生の状況は全く見られないと説示したことは相当である(原判決が平穏無事の状況と説示したのは、措辞妥当を欠くところがあるが、原判決は犯罪行為ないし不法行為の状況が認められないという意味においてかかる用語を使用したものと解せられるから、原判決の右の説示が判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認であるとすることはできない。)

2について

所論は、原判決は、日野証言によれば浴場入口のガラスの割れた現状と職員の乱入状況を撮影しようとしたとき肩をつかれたとするが、もしそうだとすれば当然カメラブレが生ずる筈であるし、また、もしかかる事態の発生した直後とすれば、浴場広場に集まつた職員達は一斉に浴場入口の方を注視している筈であるのに、前述のごとき何事もないような状況と画面の人物が浴場入口とは反対の方向を向いて立つている状況をいかに解すべきかと説示しているが、肩口を突かれたのは一瞬の出来事であり、その瞬間にシャッターを切つたというのならばともかく、肩口を突かれて向きが変つた後シャッターを切つたのであれば、当然にカメラブレが生ずるとはいえないし、小沢助役や一ノ瀬公安職員(さらに写真の左手にも当局側職員がいる可能性がある)に対して抗議するためにはその方向を向くのが当然であり、近くの対象に注意を払うのが人情の自然であつて、すべての者が浴場入口という一点を注視すべきであるとするのは、原判決の独断であると主張する。

よつて案ずるに、原判決は、日野公安職員が浴場入口のガラスの割れた現状と職員の乱入状況を撮影しようとしたとき肩をつかれたとすれば、当然カメラブレが生ずるはずであり、かかる事態の発生直後とすれば、浴場広場に集つた職員たちは一斉に浴場入口の方を注視しているはずであると判示して日野公安職員の、この点に関する供述を批判しているのであるが、原判決の右批判はこれを是認できないわけではない。すなわち、当審で取り調べた鑑定人土門挙の鑑定書及び当審第七回公判調書中証人土門挙の供述記載によれば、日野公安職員が最初に撮影した前記No.3の写真は、撮影者の身体が静止状態で撮影されたもので、その画面は半裸体の行列の中で蝶ネクタイに白ワイシャツ姿の男性を中心に何やら議論し合つている四、五人の男性を記録しようとして、その方向にカメラを向け、その状況を記録画面の中央におさまるように撮影者が意識的に構図して撮影していて、偶然的なシャッターによる意外性は一個所もないこと及び撮影時においてなんらかの衡撃が撮影者の身体に加えられたとしたらカメラが上下垂直、前後水平に保たれるはずがなく、画面が正しく構図されるはずがないことが認められ、浴場入口のガラスが割れたり職員が乱入しようとする事態が発生した直後であるとすれば、浴場付近にいた人たちが浴場入口方向を注目することが自然であると考えられるからである。所論のように、肩口を突かれて向きが変つたのちシャッターを切ることによりカメラブレを生じない場合もあり得ないわけではないが、その場合にも、前記事態が生じた直後の状態であるときは、職員たちが浴場入口方向を注目している状態が撮影されるものと考えられ、前記No.3に小沢助役や一ノ瀬公安職員に対して抗議している職員たちの状況が撮影されているのは、その撮影の時期が前記事態が生じた直後でないことを示すものと考えられるのである。原判決には所論のような事実の誤認はない。

3について

原判決がシャッターチャンスを逃した日野公安職員が、命ぜられるままに、当時浴場入口付近に集まり、浴場に施錠した上、入浴を実力で阻止しようとする当局側の者に抗議している職員を現認するために、写真撮影を開始したと見るほかはないと判示していることは所論のとおりである。所論は、日野公安職員が写真撮影を開始したのは、浴場入口のガラスが割れる音がしたのちであり、同人の撮影開始の目的は、ガラスが破壊されるなどの事態が発生した現場を撮影するにあつて、決して入浴しようとする職員を抑圧し、あるいは、将来なんらかの形で労使関係を規制するため抗議している職員を現認するためではなかつたとして、原判決の右認定を非難するが、さきに判断したとおり、日野公安職員を含む鉄道公安職員が田町電車区に派遣された目的は、同電車区における職員に対する入浴規制に関して生ずべき事態につき警備することにあり、日野公安職員は、不法事態発生の際の証拠保全のため、写真撮影をするようにとの指示を受けてその任務についていたものであるが、片倉公安職員が入浴のガラスが割れた事実をもつて不法行為の発生と考え、(客観的には、犯罪行為の発生と見るべきでないことは、既に判断したとおりである。)日野公安職員に対し、証拠保全のため写真撮影を指示し(犯罪行為の発生がないので、証拠保全のための写真撮影の要件を充たさないと解せられるので、原判決が「軽卒にも」判示したことはこれを是認できる。)、同人は、ガラスの割れた現状と職員の浴場に乱入する状況を撮影しようとしたが、一瞬のできごとであつたため、シャッターチヤンスを逃してしまつたところ、それでもなお入浴のため裸で集つた職員の方にカメラを向け、前記No.3のように、ガラスの割れた状況と職員の浴場に乱入する状況を撮影しようとする目的があつたのであるあるが、シャッターチヤンスを逃し、右のような事態がなくなつたのちになお浴場付近に裸で集つた職員たちを撮影したことは、当初の目的から離れ、当局側に抗議している職員の状態を明らかにするために、写真撮影を開始したものと見ざるを得ない(原判決が「職員を現認するために」と表現しているのも、この趣旨と解せられ、将来の労使関係の規制に資する目的を明示しているものともいえない。)。原判決の判断には、所論のような事実の誤認はない。

4及び5について

浴場入口のガラスが割れるに至つた経緯が、入浴阻止に当つていた板東助役に対し、入浴しようとする職員らが押したり、引つ張つたりする際に生じたものであることは、所論のとおりであるが、そによつて暴行、器物損壊などの犯罪が成立するものと解し得ないことは、既に判断したとおりである。そして、本件にあらわれた証拠によれば、浴場入口のガラスが割れ、職員らが入浴を始めたのち日野公安職員が前記No.3の写真を撮影するまでの間には、せいぜい浴場入口付近において、管理者側の者に職員らの抗議する程度のことがあつたに止まるものと認められるから、犯罪行為の疑いのある事態あるいは犯罪行為が発生しようとしていた事情があつたものとは認められないから、原判決には、所論のような事実の誤認はないというべきである。

三、控訴趣意第一点の二、被告人らの暴行についての事実誤認の主張について

所論の要旨は、被告人らが公訴事実記載のような暴行行為(日野の胸部を手挙で殴打したり突いたりする等)をしたことは、原審証人<らの各供述>により、明らかに認定できるのに、原判決が被告人らの暴行として認められるのは、日野光一の写真撮影を妨害するため、同人の腕を揺つたり、カメラの紐を引つぱつたり、一団となつて揉み合うような状態となつた程度のものであると認定しているのは、事実の誤認であり、もし右の事実誤認がなければ、原判決の法律的見解を前提としても、違法性が否定されることがなく、少くとも暴行の事実について有罪の言渡がなされたはずであるという点において、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れないというにある。

よつて、記録を精査し当審における事実の取調べの結果をも加えて判断すれば、次のとおりである。原判決挙示の証拠を総合考察すれば、原判決が(本件紛争と被告人らの逮捕)の項において、被告人らが日野公安職員が入浴のため裸で集つた職員たちにカメラを向け、写真撮影をしようとし、職員らに発見されて抗議を受けたがなお写真撮影を続行しようとしたのに対し、被告人らを含む職員らがとつた行動についての認定事実及び(被告人らの暴行)の項において検察官の主張に対して判断しているところは、これを肯認できないわけではない。

以下において、論旨の細目に従いこれを分説すれば、次のとおりである。

1について <証拠判断省略>

2及び3について

所論は、原判決が日野がその証言のような暴行を受けているならば、一人の日野に写真機の確保などできるはずはなく、当然写真機は奪取されたりしたであろうし、その間の写真撮影など夢にも考えられない、押収にかかる日野撮影の写真フィルムのネガが撮影のときの手ぶれ、露出ミスなどの異常を呈していることは、日野が写真撮影の妨害を受けながら写真撮影を強行し、一七枚にわたつて写真撮影を行つていることを示しており、本件暴行行為がいかなる程度に行なわれたかの有力な証拠であるところの日野が暴行を受けながら一七枚の写真撮影を続行した事実につき、同証人がこれを隠蔽せんとし、取消しに次ぐ取消しのしどろもどろの供述をしたと判示した点を非難し、日野撮影のフィルム密着写真No.5ないしNo.19などを援用しているので、この点について考察すると、論旨援用の日野撮影のフィルム密着写真No.5ないしNo.19(記録第七冊二四丁)とこれをできるだけ鮮明に焼付けたと主張する密着写真(同第七冊三〇丁三一丁及び当審において提出されたもの)とを対照すれば所論No.11のの写真に機動隊員の姿が写つていること、同No.17が逮捕状況を同No.19は連行の状況を写したものであること、従つてNo.11以下が機動隊到着後の状況についての写真であることを推認することができるが、No.4ないしNo.10の写真について縷述するところは、これを確認することができず、かえつて、No.4なしいNo.19のうち、No.11、No.17、No.19を除いては、いかなる場面を撮影したのか判明せず、No.20以下の写真が露出、ピントにおいて適確であり、対象物を明確に撮影していることと対比すれば、No.4ないしNo.19の一六枚を撮影するについては、日野公安職員としては、一面においては、写真撮影をしようとする意思があり、写真機のシャッターを切るなど写真機の操作をすることが不可能ではない状態にはあつたが、他面において、正常な写真撮影が妨害される状況たとえば周囲に人が集まり、身体を押されたり引つ張られたり、あるいは他人が写真機に手をかけたり、写真機の真前に立ち塞さがるなどの状況があつたものと推定されるのである。従つて、日野公安職員が強度の暴行を受けたものとは考えられない趣旨の前記原判決の判示はこれを是認できないわけではない。なお、所論は、写真機の紐が両端からちぎれ、写真機のケースの底が破れ、日野公安職員のオープンシャツの肩口が破れていることは、被告人らの暴行の程度が強かつたことを裏付けるものであると主張するが、被告人ら職員が日野公安職員の写真撮影を妨害しようとし、同人の身体又は写真機に触れたり、日野がこれを排除し、写真撮影を続行しようとして身体を動かす際に写真機の紐がちぎれたり、写真機のケースの底が破れたり、オープンシャツの肩口が破れたりすることもあり得るのであるから、写真機の紐、ケース、オープンシャツがちぎれたり、破れたりしたことをもつて被告人らの強度の暴行を裏付けることはできない。なお、所論は多少の矛盾や供述の取消しがあつても、証人日野光一の原審公判廷における供述は措信できる旨を力説するが、原判決が同証人の供述を措信できないとして判示しているところはこれを首肯することができ、原判決には採証法則違反に基づく事実の誤認はない。

4及び5について

所論は、原判決が原審証人一ノ瀬が日野に対する被告人小泉、同上野の暴行をはじめから現認している旨の供述は措信できないとした点を非難し、浴場前から一ノ瀬が待機している機動隊に連絡した表引上線までの距離は僅か二〇米前後であり、機動隊に対する合図の方法は新聞紙を丸めて振るだけの動作であるから、この間駈足ならば一〇秒前後で優に往復できるので、一ノ瀬が日野の最初の写真撮影後機動隊に出動の合図をして戻つて来たのちにおいても、被告人小泉らの日野に対する暴行を最初から見得るわけであるから、一ノ瀬の供述は十分措信できるものであると主張するので、この点について考察してみると、証人片倉信一の原審公判廷における供述その他本件にあらわれた証拠を総合すれば、職員浴場付近において、入浴規制の状況を監視していた片倉公安職員が浴場入口のガラスが割れ職員らが浴場に入るのを見て、一ノ瀬公安職員に待機していた公安機動隊にその出動を連絡させると同時に、日野公安職員に証拠保全のため写真撮影を命じ、日野が撮影を開始したところ、被告人らを含む職員たちの妨害を受け、日野と職員たちが揉み合いを始めたのちに、機動隊に連絡に行つた一ノ瀬が戻つて来て、片倉と協力して被告人小泉を逮捕したことが認められるので、原判決が原審証人一ノ瀬の被告人らが日野に対し写真撮影を妨害する行為を始めから目撃した旨の供述を措信できないものとした点はこれを肯認できないわけではない。もつとも、当審における昭和四一年四月六日施行の検査調書によれば、一ノ瀬が片倉から命ぜられて待機している機動隊に連絡のため、浴場入口前から同浴場裏の引上線のところまでを往復した距離は約三八米、所要時間は駈足で約一三秒であることが認められるので、被告人らを含む職員らが日野の写真撮影を妨害する行為を開始するまでに、一ノ瀬が機動隊に対する連絡を終えて浴場入口前に戻つて来て、被告人らが日野の写真撮影を妨害するのをはじめから見ていたという可能性がないわけでなく、とくに日野が最初に撮影したとされている前記No.3の写真に一ノ瀬が写つていることをもつて、同人が連絡を終つたのちに浴場入口前に戻つているところを撮影されたことが認められるものとするば、一層その可能性が強いものといわなければならない。しかし、右No.3の写真は、一ノ瀬が連絡に行く前の状態を写したものか連絡から帰つたのちの状態を写したものかについては、原審証人一ノ瀬の供述その他の関係証拠によつてこれを確定することができず、一ノ瀬が日野のNo.3の写真撮影後前記連絡に行つた可能性も十分あると考えられるのである。従つて、原判決が関係証拠を検討した上、一ノ瀬は被告人らの日野に対する写真撮影妨害行為の開始後浴場入口前に戻つたものと判断し、一ノ瀬の供述を措信しなかつたことにつき採証法則違反に基づく事実の誤認はないものと認められる。

6ないし9について<証拠判断省略>

10について<証拠判断省略>

四、控訴趣意第一点の一、日野公安職員の傷害についての事実誤認の主張について

所論の要旨は、証人日野光一及び同高口洋朗の各証言並びに高口洋朗作成の特別診断書の記載によれば、日野光一が被告人らから受けた暴行により公訴事実記載のような傷害(約三週間の加療を要する胸部挫傷等)を受けた事実が明らかに認められるのに、原判決は、右各証拠を措信できないとして、僅かに、日野光一の右示指関節部に腫張と運動制限を認める程度の傷害と認めるほかはないと判示している。右の事実誤認は、それがなければ、少くとも傷害の事実につき有罪の言渡がなされるはずであったという点において、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れないというにある。

よつて、記録を精査し、当審における事実の取調べの結果をも加えて判断すれば、次のとおりである。

原判決挙示の証拠によれば、原判決が(日野公安職員の傷害)の項において認定した事実を認めることができ、同項において示した原判決の判断もこれを肯認することができるばかりでなく、当審における事実の取調べの結果によれば、原判決が認定した日野の右示指の関節部における腫張と運動制限の傷害も、被告人らの日野に対する写真撮影妨害の際における暴行に基づくものではないとの疑いが極めて強いので、結局、日野が傷害を受けたとの事実は証明不十分と認めざるを得ないのである。以下において、論旨の細目についてこれを分説すれば、次のとおりである。

1及び2について

論旨援用の証人日野光一の受傷状況に関する供述中に論旨に指摘するような趣旨の供述があること、医師高口洋朗の特別診断書の記載及び同証人の供述を要約すれば、日野に対する同医師の当初の診断、所見か、胸部挫傷、右第二中手骨骨折の疑い、右示指の中手指関節部に腫張と運動制限、左手背部、左膝関節部に軽い圧痛を認め、約三週間の安静を要するものと診断され、日野は一週間入院し、全治まで四週間を要したものとされていること、原判決が証人日野の供述と同人を診断した高口医師作成の診断書及び同証人の供述との間に重大な相違が認められ、ことに日野の供述のごとくであるならば、当然に所々に外見的異常が発見されるべきであるのに、高口医師の供述ではそれが認められず、また、レントゲン像の疑いも全くの疑いに終り、骨折のないことがその後の経過で判明しているのに、日野は第二肋骨付近骨折の疑い、第二第三指中骨骨折と供述し、治療なき安静治療と称して七日間も中央鉄道病院に入院し、その後も安静治療のため三回も通院しており、結局、日野の供述は、著しい誇張に満ちていてとうてい、全面的には措信し難いと判断していることは、いずれも所論のとおりである。所論は、日野が素人で受傷の部位程度についての用語が医師の場合ほど正確であり得ないし、日野が受傷当日最初に診断を受けたのは東京船員保険病院の医師であり、高口医師は日野が受傷した翌日に診断していること、日野が医師の言を聞き違えたと思われる点などから、日野の供述と高口医師の診断書の記載との間に多少の相違があつても、日野の供述は措信できると主張するが、原判決が極めて詳細に判示しているとおり、日野の供述は、高口医師作成の診断書及び同証人の供述と著しくくいちがつているところがあり、所論のように素人なるが故の医学的知識の不足や医師の言葉の聞き違に過ぎないものとはいえないから、原判決に日野の供述を措信しなかつたことにつき採証法則の違反による誤認があるものとすることはできない。

3について

原判決が高口医師の診断書の記載及び同証人の供述も、日野の供述に副つてなされ、科学的診断の結果や他覚的症状に基づくものではないから無批判的に承認することはできないとし、被告人らの暴行による傷害として認められるのは右示指の関節部に腫張と運動制限を認める程度のものであつて、胸部挫傷も第二中手骨皹裂骨折の疑いも認められないと認定していることは所論のとおりである。そして、所論は、この認定を攻撃し、高口医師作成の診断書及び同証人の供述が措信できる旨を縷述するが、原判決も詳細に説示しているように、一般的にいえば、医師作成の傷害の部位、程度についての診断書及び医師の傷害の部位、程度に関する証言は、信用性があるものとされているが、科学的検査がなく、外観的症状ないし他覚的症状がない場合において、患者の訴えのみを基礎としてこれを診断し、診断書を作成する場合においては、患者の訴えに副う診断書が作成される可能性もあり、患者が虚偽又は誇張した訴えをした場合には、診断書にもそれが反映して、不正確な診断書が作成されることもあり得るところであるから、例外の場合として医師作成の傷害の部位、程度に関する診断書が信用できないこともり得るのである。これを本件についてみると、高口医師作成の日野光一に対する昭和三八年七月一〇日付特別診断書は、東京地方検察庁検察官から作成提出を求められ、同三日以降日野光一につき診断したところに基づき受傷の部位、程度を胸部挫傷、右第二中手骨骨折の疑いとし、約三週間安静を要するものと認め、同月三日から九日まで入院安静加療し、以後通院加療経過観察中のものであるとし、付記として、1、前胸部の左第三肋骨肋軟骨部に圧痛を認めるも介達圧痛は認められず、レ線像にて所見を認めず、2、右示指の中手指関節部に腫張と運動制限を認め、レ線像にて第二中手骨遠位端部に皹裂骨折様の所見を認める、3、左手背部、左膝関節部に軽い圧痛を認めるも、特に治療を要する程の所見は認められずと記載されているから、傷害の部位、程度として明らかなものは、胸部挫傷、右第二中手骨骨折の疑いで、三週間の安静を要するという部分であるところ、同医師の原審公判廷における供述及び前記付記によれば、胸部挫傷に関しては、外見的にも、レントゲン写真にも異常が認められず、右第二中手骨骨折の疑いもその後の経過により骨折がなかつたことが窮われるから、前記のとおり、日野が傷害の部位、程度につき右診断書の内容と著しく異なつた供述をしていることからみて、日野が受傷の状態を誇張して高口医師に訴えた結果、同医師が日野の訴えに副い、結局、傷害の部位、程度につき事実と相違した診断書が作成されるに至つた疑いが相当強いので、右診断書をもつて、日野の傷害の部位、程度を認定することはできない。もっとも、当審第二回及び第八回各公判調書中の証人田林貞俊及び同高口洋朗の供述記載によれば、東京船員保険病院に医師として勤務していた田林貞俊が本件当日である昭和三八年七月二日午後一一時頃日野光一を患者として診察し、左頬に圧痛と軽い腫張、第二肋骨部に介達痛、左小指圧痛、右小指皮下出血、圧痛、発赤、左膝皮下出血、圧痛があると診断し、病名を顔面、胸部、左右小指、左膝部挫傷で三週間通院加療を要する旨の診断書を作成し、注射、湿布の処置をした旨を述べていること、高口医師が投薬、湿布等の処置をした旨述べていることが認められるが、右田林の診断及び同人及び高口医師の注射、湿布、投薬の処置は、日野が受傷の状態につき誇大に訴えた結果によるものと疑うべき余地が十分あり、右田林医師作成の診断書及び同証人の供述によれば、日野には入院加療を必要とするものとは認められなかつたというのであるから、日野の受傷の部位、程度につき高口医師作成の特別診断書をもつて日野が公訴事実記載の傷害を受けたことを確認できないとした原判決の判断を左右するに足りないのである。なお、当審証人池沢康郎の供述及び同人作成の鑑定書によれば、日野が受傷したとされる右示指の中手指関節部の腫張と運動制限については、日野に右示指第二中手骨骨折があつたことが認められるが、右は本件当日である昭和三八年七月二日に受傷したものとは認められず、少くともそれより二週間以上前に受傷したものと認められ、かかる古い骨折でも腫張、圧痛や運動制限があるというのであるから、原判決が認定した右示指の中手指関節の腫張と運動制限は、本件当日に生じたものではないとの疑問が生じ、結局、原判決が認定した右傷害もこれを確認するに足りないこととなるのである。従つて、原判決には、結局、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認はない。

五、控訴趣意第二点一、憲法第一三条等の解釈適用の誤りの主張について

所論の要旨は、原判決は、犯罪捜査のため人の意思に及しその肖像を写真撮影できるのは、令状なくして強制処分の許される刑事訴訟法第二二〇条の各場合に限らるべきであると判示しているが、右は憲法第一三条等の解釈適用を誤つたものである、すなわち、いわゆる肖像権がプライバシーの権利の一種として実定法上認められるかどうかに問題があるばかりでなく、かりに肖像権が認められても、犯罪捜査の必要上制限を受け、写真撮影は任意捜査の一種として相手方の意思に反してもこれをすることができ、犯罪を犯したと疑うに足る相当な理由があり、犯罪捜査上証拠保全のため必要と認められる場合は、その方法が相当である限り、これを許さるべく、また、現実に発生がなくとも、まさに犯罪が行われようとする場合、又は既に発生した犯罪に引き続きさらに犯罪が発生せんとする情況下にあるような場合に、その情況保全のためにもまたこれを許されるべきである、従つて、原判決の見解は、犯罪捜査の権限を必要以上に制限する誤りを犯しているものであり、この誤りがなければ、日野光一の本件写真撮影行為はプライバシーの権利を侵害した実質的に違法なものであり、刑法上の保障に値する公務の執行とはなし得ないという結論は出なかつたはずであるから、判決に影響を及ぼすことが明らかであつて原判決は破棄を免れないというのである。

よつて案ずるに、原判決が(本件写真撮影の違法と公務執行妨害罪の成否)の項において判示した憲法第一三条の解釈適用及び写真撮影行為の違法についての判断は、結論においてこれを肯認することができる。以上において論旨の各細目について分説すれば、次のとおりである。

1において

わが国において、実定法上肖像権が確立されていないことは、所論のとおりであるが、憲法第一三条が基本的人権たる生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利を公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大限に尊重することを要請していることに鑑みれば、自由及び幸福追求に関する国民の権利の一内容として、公共の福祉に反しない限り、国民はその承諾なくして写真を撮影されたり、これをみだりに公表されたりすることがないことを内容とする利益を持つものであり、これは私生活をみだりに公表されないことを内容とする国民の自由及び幸福追及の権利に内包されるものと解される(これをいわゆるプライバシーの権利と称することはあるが、実定法上確定された権利であるとするにはなお疑問がある。)。しかし、権利ではなくて利益であるとしても、かかる利益が尊重されなければならないことは当然である。従つて、原判決が肖像権を実定法上の権利であると判断したからといつて、これをもつて重大な誤りであるとすることはではない。

次に、前記の承諾なく写真撮影されこれをみだりに公表されない利益といえども、無制限なものではなく、公益上の理由、報道の自由などから来る制約があることも、憲法第一三条の趣旨とするところであり犯罪捜査は、公共の福祉を保持する国権作用の一部であつて、犯罪捜査に関し写真撮影が許容される場合があることは、所論のとおりであり、原判決もこれを認めているところである。

問題は、犯罪捜査のため被疑者の写真撮影がいかなる場合に許されるか、換言すれば、犯罪捜査のため被疑者の写真撮影が許される要件いかんであるが、犯罪捜査のための写真撮影は、刑事訴訟法が令状を必要とする旨規定していないところからみて任意捜査であると解すべきであるが他面写真機及びフィルムの機械的操作により人の意思に反する撮影をたやすくすることができ、撮影した写真は、信用性のある証拠として、公判審理の際に使用される確率が高いものであるから、犯罪捜査に必要があるというだけの理由で無制限に被疑者の写真撮影が許されるとすることは、行き過ぎであるといわなければならない。所論は犯罪搜査のための被疑者の写真撮影につき、原判決が現行犯人逮捕、逮捕状が発せられている被疑者の逮捕、緊急逮捕の要件の備つている被疑者の逮捕の際及びこれらの者を逮捕するについて証拠保全として写真撮影を必要とする場合に限定する旨判示しているのを、その要件が厳格に外すると非難し、右の場合以外にも、犯罪捜査のための写真撮影は許されるものであり、現に罪を犯したと疑うに足りる相当な理由がある場合又はまさに犯罪が行われようとする場合、既に発生した犯罪に引き続き更に犯罪が発生しようとする情況がある場合には、証拠保全の必要が認められ、その方法が一般的に容認される相当なものである限り、相手方の意思に反しても写真撮影ができるのであつて、被疑者の逮捕のため必要であることを要しないと主張するので、この点につき考察すると、なるほど原判決が現行犯人その他被疑者の逮捕の際及びこれらの者を逮捕するについて必要があるときに限定しているのは、その要件が厳格に過ぎるものと解せられるし、犯罪捜査のための被疑者の真写撮影は、原判決が判示する以外の場合においても、現に罪を犯したと疑うに足りる相当な理由がある場合、犯罪がまさに行われようとしている場合及び既に発生した犯罪に引続き更に犯罪が発生しようとする情況がある場合において、証拠保全の必要性及び緊急性が認められその方法が一般的に容認される相当性を備えるときは、相手方の意思に反してもこれをなし得るものと解すべきであるから、原判決が犯罪捜査のため被疑者の写真撮影が許される要件につきとつた見解は狭きに失するものといわなければならない。ただ、犯罪捜査のための被疑者の写真撮影は、刑事訴訟法が定める任意捜査が被疑者の同意を前提としていることを考慮すると、強制捜査的要素もないわけではなく、撮影された写真が将来公判審理において有力な証拠として使用される確率が高いので、前記の写真撮影の許される要件を個々の事案に適用するに際しては、前記の国民の写真撮影に関する利益を不当に侵害しないような配慮が必要である。所論も言及する集団暴行事犯その他の集団犯罪の現行犯は、必要性、緊急性があると判断される事例であろうし、一、二名程度の少人数の犯罪は必要性、緊急性を認むべきでない事例であり、集団全体又はその一部を集団犯罪の状況を明らかにするため撮影するのは相当と認められる事例であろうが、集団との関連が明らかでないような単なる顔写真を撮影することは相当性の認められない事例であろう。

以上判断のとおり、原判決には憲法第一三条の解釈適用及び犯罪捜査のための写真撮影が許される要件について多少の判断の誤りがないわけではないが、右の誤りは、本件においては、判決に影響を及ぼさないことは、後記判断のとおりである。

2について

原判決が本件につき日野公安職員の写真撮影につきその現場はなんら犯罪の行われた場所と認められず、その他写真撮影の許されるいずれの場合にも該当せず、本件写真撮影は許されないと見るべきであると判示している点は、これを肯認することができる。所論は、少なくとも被告人らが妨害しようとした当時における日野公安職員の写真撮影は、入浴を阻止する助役らと入浴せんとする職員が押合いの結果職員浴場入口のガラスが破壊された直後であること及び日野が写真撮影した場所は右浴場の前であつて、右のように浴場入口のガラスが破壊されたことは一応器物損壊又は暴行等の犯罪が発生したと疑うに足りる相当な理由のある場合であるというべきであり、かような場合その現場周辺の状況を写真撮影することは現に犯罪が行われて間がない場合の証拠保全として捜査上必要であり、かつまた許された行為であると主張するが、既に控訴趣意第一点において判断したとおり、本件における事実関係は、所論の浴場入口付近において、入浴を阻止する助役らと入浴しようとする職員らが押合いの結果浴場入口のガラスが破壊されたが、右は器物損壊又は暴行等の犯罪を構成するものとは認められないばかりでなく、日野公安職員は片倉公安職員から右浴場入口における押合いの状況につき写真撮影を指示されたが、一瞬のできごとであつたため、シャッターチャンスを逃してしまつたのち、押合いのあつた浴場入口付近ではあつても、浴場入口とは別方向の入浴のため裸で集つた職員たちがせいぜい管理者側に抗議しているとしか受け取れない場面を撮影し、引き続き撮影を続行しようとしたものであるから、日野公安職員の写真撮影は、前記において判断した犯罪捜査のため被疑者の写真撮影が許される要件を欠くことが明らかである。すなわち、日野公安職員が写真撮影を開始した時点において、撮影の対象となつた人及び場所を考察すると、犯罪の発生がなく犯罪を犯したと疑うに足りる相当な理由がある場合、まさに犯罪が行われようとする場合、既に発生した犯罪に引続きさらに犯罪が発生しようとする情況のある場合のいずれにも該当しないから、必要性、緊急性、相当性の点を問題とするまでもなく、右要件を欠くことが明らかである。原判決には所論のような法令解釈適用の誤りはない。

3について

原判決が日野公安職員が腰に手拭を巻きつけただけという裸体姿の職員を写真撮影したことは違法であるとした判断はこれを是認することができる。所論は、本件の場合には相手方をことさらに強制的に裸体にして写真撮影したものではなく、職員たちは浴場に脱衣場が設けられているにもかかわらず、自ら他人の目に触れるように屋外において擅に半裸体となつていたものであつて、職員自らプライバシーの権利を放棄しているのであるから、本件写真撮影が職員のプライバシーの権利を侵害するものとして違法であるとする原判決の判断は誤りであると主張するが、前記判断のとおり、日野公安職員の写真撮影は、犯罪捜査のための被疑者の写真撮影が許されない場合であるのに、浴場付近において、入浴しようとしてパンツ一枚もしくはパンツすら着用せず腰に手拭を巻きつけただけという裸体姿の職員たちが、管理者に抗議しているところを撮影したものであつて、裸体姿であつた点において通常の写真撮影よりも一層強く意に反して写真撮影されみだりにこれを公表されないという職員たちの利益を侵害したものというべきであるから、日野公安職員の写真撮影行為が違法であることは明らかであるといわなければならず、職員たちを強制的に裸体にして写真撮影したものではないこと、職員らが脱衣場があるにかかわらず屋外において裸体となつていたことによつては、右判断を左右することはできない。原判決には、結局、所論のような法令解釈適用の誤りはない。

六、控訴趣意第二点二、刑法第九五条の解釈適用の誤りの主張について

所論の要旨は、原判決は公務執行行為に多少の瑕疵があつたからといつて直ちにその職務の執行が刑法上保護に値しないとするものではなく、その基準は国家が公権力の強力な執行を要請する度合と国民の人権保障の必要性の程度に応じて具体的に事案の軽重を勘案して判定されなければならない、本件についてみると、入浴時間の慣行を無視してまで一方的にその規制を必要とする緊急性は何一つ認められず、そこに強力な公権力を要請する度合は乏しく、これに反して本件写真撮影行為は、不法行為の撮影と称して隠しカメラを持つて、いきなり人の裸体写真を撮影し、その釈明にも耳を藉さない強引な方法、しかも紛争状況は何一つ撮つておらず、裸の職員の平穏なる話合いの状況写真である点を考察するとき、プライバシーの人権侵害の面より、国民の人権保護の必要性は頗る強度なものといわねばならず、鉄道公安職員が適法な写真撮影行為だと信じたとしても、余りにもその瑕疵が大であつて、とうてい適法な職務の執行であると解することはできないと判示するが、右は刑法第九五条の解釈適用を誤つたものであり、それがなければ、公務執行妨害罪の成立が否定されることがなかつたはずであるから、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであつて原判決は破棄を免れないというにある。

よつて案ずるに、原判決が(本件写真撮影の違法と公務執行妨害罪の成否)の項において、公務執行妨害罪の成否につき判示するところは、結論においてこれを是認することができる。以下において論旨の細目に従つてこれを分説すれば、次のとおりである。

1について

所論は、瑕疵ある公務執行であつても、一応有効な職務の執行と認められるもの、すなわち、公務員の職務権限に基づく行為と認められるものであれば、公務員が善意である限り、刑法上の保護に値するものであり、行為の法律的効力に影響のない形式上の瑕疵はもとより、行為の法律的効力が客観的には無効となるような瑕疵があつても、その有効、無効は後日権威ある機関の判断をまつて確定されるべき性質のものであるから、その際は一応その公務員の判断に従つて正当な公務として取り扱い、刑法上の保護に値しない公務執行とはいえないとするのが従来の判例であり(大審院大正七年五月一日判決刑録二四輯六〇五頁、同明治三六年六月一日刑決刑録九輯九二七頁等)、しかも、公務執行における瑕疵がその公務の刑法上の保護の必要性に及ぼす影響の度合は、公権力を強制的に行使する場合としからざる場合とによつて異なり、前者の場合には比較的軽微な瑕疵があつてもときに保護に値しないとされる場合もあろうが、後者の場合には緩やかに解し、ある程度の瑕疵があつても影響を受けないと解すべきであるから(大阪高等裁判所昭和三二年七月二二日判決高刑集一〇巻六号五二一頁参照)、原判決は従来の判例に反する独自の見解をとるものとして、刑法第九五条の解釈を誤つたものである。そして、本件の場合日野公安職員は鉄道公安職員の職務に関する法律に基づき司法警察職員の職務を行う者として犯罪捜査に従事し、また、鉄道公安職員基本規程により警備活動に従事中、職員浴場入口のガラスが破壊されるなど現に犯罪が行われたと認められる事態が発生し、更に引続き同種の犯罪が発生するおそれのある状況を見たので、証拠保全のため現場及びその周辺を写真撮影しようとしたものであるから、かりに写真撮影した状況が客観的に犯罪を構成する状況でないとしても、鉄道公安職員としての職務権限に基づき、犯罪の発生ありと判断して証拠保全のためその状況を写真撮影したものであるから、刑法上の保護に値する適法な職務の執行といわなければならないと主張する。

よつて案ずるに、論旨採用の大審院明治三六年六月一日の判決は巡査の現行犯逮捕に際し、現行犯と認めたのが錯誤であつても、真に現行犯と信じたときはその引致手続は職務執行たるを妨げないとするものであり、同大正七年五月一日の判決は、公務員がその権限に属する事項に関し法令に定める方式に遵拠しその職務を執行するにあたり、事実につき錯誤を生じたため、方式上の要件を充たさない場合でも、一応その行為が公務員の適法な行為として認められる以上は、これを刑法第九五条第一項にいう公務員の職務行為とするに妨げないとするものであり、また、同大阪高等裁判所昭和三二年七月二二日の判決は、刑法第九五条第一項にいわゆる「公務員ノ職務ノ執行」は、逮捕のような強制力を行使する場合には、公務員の行為が、その一般的または抽象的権限に属すること及びその行為をなし得る法定の具体的条件を具備し、かつ法律上重要な手続の形式を履践していることを要し、以上の条件を欠くときは公務執行妨害罪は成立しないとするとともに、公務員に認定権または裁量処分権を認められている場合には、事後の判断において、公務員の認定に錯誤があつたと認められる場合においても、職務執行の当時における状況を基準とし、公務員として用うべき注意義務の下に合理的に判断したと認められるときは、同条の保護する職務の執行というを妨げないとするものであるから、これらの判例の見解を総合すれば、所論のような刑法第九五条の解釈を導き出し得ないわけではない。しかしながら、刑法第九五条の解釈適用に関する判例は他にも多数あつて、大審院当時の判例がそのまま踏襲されているものとは解されず、理論的な表現において同一であつても、具体的事案にこれを適用するに際し、変化が生じているものもあるし、前記大審院判例と異なる見解のものも見受けられる(論旨採用の大阪高等裁判所の判決は、逮捕のような強制力を行使する場合につき大審院判例と異なる見解をとつたものと解される。)。従つて、現時において、刑法第九五条を解釈適用するにあたつては、憲法が基本的人権を規定し、これを国政上最大限に尊重していることに鑑み、刑法第九五条第一項により公務員の職務の執行として保護されるためには、その職務行為が当該公務員の抽象的職務権限に属し、当該行為をなし得る具体的条件を具備し、当該行為につき法令上の方式があるときはこれを遵守していることを必要とするが、ただこれらの適法要件のうち具体的条件又は法令上の方式に関する要件を欠いた場合、すなわち、職務執行の原因たるべき具体的事実を誤認し又は当該事実に対し適用すべき法令の解釈適用を誤つた場合、あるいは法令上の方式を遵守しなかつた場合においても、それが著しく事実を誤認しもしくは著しく法令の解釈適用を誤つた場合でなく、又は重要な法令上の方式を遵守しなかつた場合でなく、当該公務員が適法な職務の執行であると信じたときは、一応適法な職務執行行為として刑法上保護されるものと解するのを相当とする(最高裁判所昭和三〇年二月一日判決刑集九巻二号一一九頁、福岡高等裁判所昭和二七年一〇月二日判決高等裁判所刑事判決特報一九号一一九頁、論旨に採用する大阪高等裁判所昭和三二年七月二二日判決参照)。原判決の説示するところは、右の見解と異なる趣旨のものとは解せられないのであるが、かりに、所論のように、国家が公権力の強力な執行を要請する度合と国民の人権保護の必要性の程度とを基準にとり入れている点において判例と反する解釈であるとしても、後記判断のとおり、この法令解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼさないことが明らかである。即ち本件についてみると、日野公安職員が鉄道公安職員の職務に関する法律に基づき司法警察職員の職務を行う者として犯罪捜査の権限を有していたこと、また、鉄道公安職員基本規程(昭和二四年一一月八日国鉄総裁達四六六号)により警備に関する権限を有し、警備活動に従事していたこと、浴場入口のガラスが破壊されるなどの事態が生じ、片倉公安職員の指示に基づき犯罪の発生があつたと誤信して証拠保全のための写真撮影をしようとしたこと、右ガラスが破壊されるなどの事態が一瞬のうちに終つたのちも、右誤信の下に管理者側の者に抗議している腰に手拭を巻いた裸体姿の者を含む職員たちを撮影し、その際証拠保全のため写真撮影が許されるものと信じていたものと考えられることは、所論のとおりであるが、前記判断のとおり、本件においては、日野公安職員の写真撮影行為は、犯罪の発生がなく、罪を犯したと疑うに足りる相当な理由がある場合、まさに犯罪が行われようとする場合、既に発生した犯罪に引続きさらに犯罪が発生しようとする情況のある場合のいずれにも該当せず、違法な行為であるから、同人が犯罪捜査のため被疑者の写真撮影が許される要件に関し著しく事実を誤認した結果に基づくものと解せられ、前記刑法第九五条の解釈により刑法上の保護を受けることができない場合にあたるものというべきである。また、日野公安職員の警備活動として、犯罪捜査のための被疑者の写真撮影が許される要件よりも緩和された要件の下に写真撮影が許されるものと解することができないので、警備活動を理由として刑法第九五条の保護を受けることもできない。原判決は、刑法第九五条の適用において、右判断と異なるところがあるが、結論においては同一に帰するから、原判決の右法令解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼさないことが明らかである。なお、本件の写真撮影行為がなんら強制力を用いたものでないことは明らかであるが、この事由によつて、日野公安職員の本件写真撮影行為が刑法上の保護に値するものと解することもできない。

次に、所論は、本件の写真撮影に関し日野公安職員が相手方の釈明を受けてこれに応じなかつたとしても、釈明に応ずる義務があるとするには疑問があり、これをもつて刑法上の保護に値しない程の重大な瑕疵とは認められず、かりに釈明に応ずる義務があるとしても、釈明を求める者が真に写真撮影の目的が判らず、真摯に釈明を求め、かつ釈明が可能であることを前提とすべきである、本件においては、日野公安職員の写真撮影の目的については、被告人らは釈明を求めるまでもなく知悉しており、そのため最初からこれを妨害しようとしていたものであるから、日野公安職員には釈明の義務はないと主張するので、この点について案ずるに、所論の犯罪捜査のための被疑者の写真撮影に関する釈明要求及びこれに応ずる義務は、実定法上権利、義務として具体化されたものでないこと及び被疑者が一見明白に写真撮影者の身分、撮影の目的を知り得る場合(たとえば制服の警察官が集団示威行進中の犯罪行為の状況を撮影する場合)には、釈明を要求する必要及び釈明に応ずる義務がないことは、所論のとおりであるが、一見して写真撮影者の身分、撮影の目的が明らかでない場合において、被撮影者の要求があるときは、撮影者は身分、目的など必要な事項を釈明するのが妥当であり、釈明を拒否することは、写真撮影行為の相当性の判断に影響を生ずることがあり得るものと解すべきである。本件においては、日野公安職員の本件写真撮影は、私服で行われ、一見同人の身分や撮影の目的が明らかな場合とはいえないので、同人が被告人らの釈明に応じなかつことは妥当な態度とはいえないのであるが、前記判断のとおり、この点を考慮するまでもなく、同人の写真撮影行為は違法であつて刑法第九五条の保護に値しないので、これ以上の判断を加える必要がないこととなるのである。

2について

右1において判断したとおり、原判決のいう国家が公権力の強力な執行を要請する度合という基準は採用すべきではないこと、原判決が入浴規制のため公権力の行使をしたかのごとき誤解を生ずる表現をしていることは所論のとおりであるが、原判決が本件写真撮影行為は刑法第九五条の保護に値しないとした結論はこれを是認すべきものであるから、原判決の右法令解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼさないことが明らかである。

七、控訴趣意第二点三、刑法第三五条の解釈適用の誤りの主張について

所論の要旨は、原判決はプライバシーの権利侵害としての写真撮影が行われ又は行われようとしているとき、その被害者には、盗犯の現場におけると同様に自救手段が許されるべきであり、ある限度においての自救行為は、違法性を阻却する、被告人らのとつた行動はプライバシーの権利に対してなされた被害を回復する手段を発見し、併せて将来予想される同様の侵害を防止するため已むを得ずなされたものであり、本件行為以外にその目的を果す必要な方法がなかつた、従つて、被告人らの本件撮影妨害行為にやや妥当を欠く点があつたとしても、侵害されるべき法益との均衡を失わない限度において、更にまた、社会通念上許される相当な手段方法によりなされたものであるならば、なんらかの犯罪構成要件に該当したとしても、これを法秩序全体の見地から、刑法第三五条の正当行為とみなし、実質的にはなんらの違法性を持たないものと解するのが相当であると判示しているが、右は刑法第三五条の解釈適用を誤つたものであり、それがなければ、被告人らの暴行、傷害が罪とならないとされなかつたはずであるという点において、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れないというにある。

よつて案ずるに、原判決が(被告人らの行為の正当性)の項において判断したところは、これを容認することができる。以下において論旨の細目につき分説すれば、次のとおりである。

1について

原判決がある限度においての自救行為は違法性を阻却すると判示していること、自救行為を広く認めることは現在の法秩序とあい容れないので、これを認めるとしても厳格な要件の下にこれを認むべきことは、所論のとおりであるが、原判決が安易に広く自救行為の成立を認める趣旨であるとする非難は失当である。原判決の説示するところは、盗犯の現場における場合を引例して、プライバシーの権利(前記判断のとおり利益と解するのが相当である。以下同じ。)侵害としての写真撮影が行われた場合ある限度においての自救行為ができそれは違法性を阻却する、自救行為として違法性が阻却されるためには、のちの判示によつて原判決が正当行為と認めるための要件と同一の要件を必要とする趣旨であると解し得ないわけではない。自救行為とは一定の権利(本件における承諾なくして写真撮影されずみだりにこれを公表されない利益も含まれる)を有する者が、これを保全するため官憲の手を待つに遑なく自ら直ちに必要な限度において適当な行為をすることをいい(最高裁判所昭和二四年五月一八日判決判例体系三〇巻七九九頁参照)、他の方法によることができず、緊急性、方法の相当性、法益の均衡がある場合のみ許されるべきものと解すべきもので、原判決の説示するところは多少明確を欠く嫌いがあるが、自救行為をこれより広く認める趣旨ではないと考えられる。原判決には所論のような法令解釈の誤りはない。

2について

原判決が被告人らの本件行為はやむを得ずしてなされた相当の行為であり、違法な写真撮影行為により職員の権利が著しく害されつつある場合においては、侵害されるべき法益との均衡を失わない限度において、また、社会通念上許される相当な手段方法によるときは、なんらかの犯罪構成要件に該当したとしても、これを法秩序全体の見地から、刑法第三五条の正当行為とみなし、実質的にはなんらの違法性を持たないものと解するのが相当であると判示しているところから判断すれば、原判決は、刑法第三五条の法令又は正当の業務による行為、同第三六条の正当防衛、同第三七条の緊急避難のほかにも、刑法第三五条の規定の精神により違法性が阻却される社会的正当行為があることを認めた趣旨と解せられる。かかる社会的正当行為を超法規的違法阻却事由と解するか、刑法第三五条の一場合又はこれに準ずる場合と解するかについては問題があるところであるが、これを広く認めることが現在の法秩序とあい容れないことは所論のとおりであるから、これを認めるべき要件は、厳格であるべきであるが、刑法第三五条が明示する法令又は正当の業務による行為のほかに社会的正当行為として違法性が阻却される場合があることは、これを認めるのが相当である。

3について

前記のとおり、違法性阻却事由として自救行為及び社会的正当行為を認める場合において、その要件は、刑法第三六条の正当防衛第三七条の緊急避難の要件以上に厳格であるべきことは、所論のとおりである。そして、その要件としては、論旨採用の東京高等裁判所昭和三五年一二月二七日判決(判例時報二九九号九頁及びこれを支持した最高裁判所昭和三九年一二月三日決定刑事判例集一八巻一〇号六九八頁参照)が判示するように、健全な社会通念に照らし、動機、目的が正当であること、手段方法が相当であること、その行為により保護しようとする法益と行為の結果侵害されるべき法益とを対比して均衡を失わないこと、その行為に出ることがその際における情況に照らし緊急を要するやむを得ないものであり、他にこれに代る手段方法を見出すことが不可能もしくは著しく困難であることを必要とするものと解すべく、これを所論に副い、(1)目的の正当性、(2)手段方法の相当性、(3)法益の権衡性、(4)情況上の相当性(緊急性、急迫性を含む)(5)補充性の原則(唯一の方法であり他の方によることができなかつたこと)と要約することもできよう。

所論は、原判決が被告人らの行為が右要件を充足していないのに右要件を充足するものと判断した誤りを犯している旨主張するが、原判決が判示しているところを通読すれば、原判決は、被告人らは日野公安職員の違法な写真撮影行為を発見し、写真撮影行為についての釈明とその中止を目的として、同人の周囲に集つたところ、同人が釈明に耳を藉さず、強引に写真撮影を続行しようとしたので、その撮影行為を妨害しようとして、同人の腕や写真機の紐を引つ張つたりしたが、七、八名ないし一〇名位の被告人らを含む職員らが一人の日野公安職員の周囲に集まつたので、押したり、引っ張つたり、体や足がぶつかつたりしたことはあるが、被告人らにカメラを奪う目的や必要もなく、暴行の程度も、その間に同人がシャッターを切り、フィルムを巻くことができる程度の軽いものであつたとの事実関係を認定し、プライバシーの権利侵害としての写真撮影が行われ又は行われようとしているときは、被害回復の手段としての自救行為及び侵害防止のための正当行為が許されるとし、被告人のとつた行為は、プライバシーの権利に対してなされた被害を回復する手段を発見し併せて将来予想される同種の侵害を防止するためやむを得ずなされたもので、本件においてとつた行為以外にその目的を果す方法がなく、被告人らの暴行は強度の暴行ではなく、本件行為に至るまでの諸般の事情を考慮すると、相当の行為で、違法な写真撮影により職員の権利が著しく害されつつあることと被告人らの行為により侵害されるべき法益との間に均衡があり、社会通念上許される相当な手段方法であつたとし、法秩序全体の見地から刑法第三五条の正当行為とみなし、実質的に違法性がないと判断しているのであつて、結局、自救行為及び社会的正当行為の成立に必要とされる前記要件全部を備えているものと判示した趣旨を理解することができ、右判断はこれを是認することができる。

所論はプライバシーの権利侵害を防止するのが正当な目的であるとしても、日野公安職員の写真撮影を妨害し、写真機の紐が切れる程引つ張り、そのためたとえ軽微とはいえ右示指の中手指関節部に腫脹と運動制限の傷害を与えるような行為、一団となつて揉み合うような行動をとることは、右目的を達するための手段方法として相当性があるか否か、唯一の方法であるか否か、日野公安職員の写真撮影という公務執行との対比において法益の権衡性が認められるか否か、緊急性、相当性を含めて情況上の相当性が認められるか否かに疑問があると反論するが、日野公安職員の写真撮影が違法なものであつて刑法第九五条の保護を受け得ないものであることは前記判断のとおりであるから、これが正当な公務に基づく職務執行であることを前提として法益の権衡性がないと主張する所論は失当であり、日野公安職員が被告人らの暴行によつて右示指の中手指関節部に腫脹と運動制限を伴う傷害を認めることができないことは、これまた、前記判断のとおりであるから、同人の右受傷を前提として、手段方法の不相当性を主張する所論は失当であり、承諾なくして写真撮影されみだりにこれを公表されない利益を保持し、その被害に対しこれを回復し、切迫した侵害の危険に対しこれを防止するためには、違法な写真撮影の現場において、撮影者に対し釈明、中止、話合いを求め、話合いにより被害が回復されあるいは侵害を防止し得た場合は格別、撮影者が釈明、中止、話合いの要請を拒否し、強引に写真撮影を続行しようとするときは、現場において、これを妨害し撮影者をして撮影を中止させるため必要な手段をとり、あるいは、撮影済のフィルムを回収するために必要な手段をとり得るものと解すべく、撮影者の態度に応じて、撮影を妨害、中止させるため被撮影者がその周囲に集まり、撮影者の腕を押え、写真機やその紐を引つぱることがやむを得ない必要な手段として是認されることもあるのであり、また、写真撮影行為の特殊性から考えて、かかる現場における被害回復ないし侵害防止の手段が緊急性や急迫性があつてやむを得ない唯一の手段であると解せられるので、写真機の紐が切れたこと、一団となつて揉み合うような状態になるような行動をとつたことがあつたからといつて、手段方法が正当であること、それが右目的を達する唯一の方法であることを認めるに妨げなく、また、緊急性、急迫性を含めて所論情況上の相当性があると認定するに差支えないから、所論は失当である。原判決には所論のような法令解釈適用の誤りはない。

以上判断のとおり、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認及び法令解釈適用の誤りはないから、事実の誤認又は法令解釈適用の誤りを主張する各論旨はいずれも理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により被告人ら三名に対する本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。(松本勝夫 真野英一 深谷真也)

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