東京高等裁判所 昭和40年(ネ)1834号・昭40年(ネ)1948号 判決
右認定事実に照らし考えるならば、第一審被告は、昭和三二年一二月一六日頃発せられ、おそくとも同月末日までに到達した手紙をもつて第一審原告に対し本件婚約を解消する旨の意思表示をし、これによつて右婚約は消滅したものと認められる。そして右解消の帰責事由については、前記(二)の各認定事実に徴し次のように考えられる。
乙第二号証の一、二、第三号証の各手紙は上述のような趣旨でしたためられたものと解すべきであるから、その文書だけから、第一審原告が当初より何時帰国するかわからないと考えて渡米したものとも、第一審被告の主張する愛想づかしをしたものとも、断定することはできない。ただ第一審被告の母米谷イシおよび姉東矢妙子は、第一審原、被告が親しい間柄にあつたことはかねてより察知していたものの、両当事者が婚約を取り交わすまでの仲となつていたことについては昭和三二年七月下旬帰省した第一審被告より告げられて始めてこれを確知したものであり、なおその際においても、両者が長年の文通によつてその交情を深めて行つた内実を知悉するまでに至らなかつたのであるから、米谷イシが昭和二八年当時から第一審被告の妻に血統の正しい二二、三歳の女性を迎えたいと望んでいたとしても、それは母親の抱く自然の願であり、昭和三二年七月下旬妙子とともに第一審被告に対し、第一審原告の帰国をまつてあらためて話し合うよう提案したことも常識にかなつた措置であり、また妙子およびイシにおいて乙第二号証の一、二の手紙を読んで甲第一九号証および同第一三号証の各手紙を出し第一審被告との婚約に対する第一審原告の意向を自から確かめようとし、これに対する乙第三号証の返事を見て第一審原告が第一審被告と真面目に婚姻する気持を持つているのであろうかと疑つたとしても、何ら異とするにはあたらない。むしろ甲第一九号証および同第一三号証の各文面は、両当事者の婚姻に反対でないことを明らかにしたうえで乙第二号証の一、二の手紙の文意の不明確さに発問しているのであるから、これを受けた第一審原告としては、イシに対し前述のような負目を感じていても、乙第三号証の手紙で素直に自己の真意をより一層明らかに示すべきであり、同女の誤解を招くような記載を避けるべきであつたのである。
しかし、それにしても、第一審被告自身は母および姉とは異なる立場にあつた。同被告は長期間にわたる第一審原告との交際および文通によりその真意を知りこれを確かめ合つて来たうえ、その最後の昭和三二年八月一八日付手紙においても、母よりの右申出を加えたこと以外は、従前と同様の情愛を語り、同原告がひきつづき勉学のうえ卒業し、翌春帰国することを待ち望む旨を告げているのであるから、母より乙第二号証の一、二および同第三号証の手紙を回送されても、その文言に母とは別異の解釈を下しえたはずであり、仮にその真意に疑念を抱いたとしたならば、直ちに第一審原告に対しその趣旨を問い正すべきであつた。同原告は、すでに二回にわたり帰国を延期したとはいえ、渡米以来四年目を迎え漸く翌春卒業できる見込でその受験に追われていることを報せて来ているのであつて、翌春の帰国は、前二回の場合と異なり、十分に期待しえられたところである。一日も早い第一審原告の帰国を願い、結婚の成立へのはやる心を抑えて帰国延期に同意してきたのも、この間の事情をよく知つていたが故であるのに、その第一審被告として、母や姉から廻付された右各手紙を読んだだけで第一審原告への愛情がにわかに色褪せたものになつたと感じたとするならば、いずれ一度はと母との衝突さえを覚悟して長年にわたつて育ててきた自分の恋愛に対するあまりにも脆い挫折であり、自滅であつたというべく、正に九仭の功を一簣に缺いた憾みなしとせぬ。この期に及んでも、なお翌春まで待つて同原告と直接語り合う余地を残しておくべきであつたのであり、もしその時まで待つことができず婚約を解消しなければならない事由があつたとするならば、右解消が自己および相手方に及ぼすことあるべき苦痛に思いを致し、互にいたわり合いながら、これをできる限り避止ないし軽減しうる方途を選んでその意思表示をするべきであつた。これを法律的にいうならば、婚約がその当事者に及ぼす拘束力は、事実婚の伴う婚姻予約(内縁)の場合におけるほど強いものではないけれども、婚約者は互に誠心誠意交際し、将来夫婦となるよう努める義務を負うものである。本件両当事者の置かれたはるかに海を超えた特殊な環境の故に、第一審原告が乙第二号証の一、二のうえで語つているように、本件当事者の間には外形上、通常の婚約者にみられるような生活上の目あたらしい出来事こそはなかつたが、長期間にわたつて深められ確かめられて来た両人の精神上の交わり、昭和三〇年一二月頃の第一審被告から第一審原告に対するエンゲージリングの贈与、その頃第一審原告よりその友人らになされた婚約の公示、昭和三二年七月頃第一審被告の母、姉によつてなされた婚約の認容等を伴なう本件婚約にあつては、当事者たる本件当事者はたがいに右の義務を負うていたものというべきである。したがつて、前記のような配慮をせず、さきに認定したような時期、方法の下にあえて婚約を破棄した第一審被告は、右義務に背いたものであり、これによつて第一審原告が被つた精神上の損害について、これを賠償すべき責に任じなければならない。
(小川 萩原 川口)