東京高等裁判所 昭和40年(ラ)11号 決定 1965年12月08日
抗告人 芝山則男(仮名)
相手方 大川とみ子(仮名)
主文
原審判を取消す。
相手方の申立を却下する
申立費用は原審および当審を通じ相手方の負担とする。
理由
本件抗告理由の要旨は「抗告人および妻さちこは事件本人(芝山勝男)を深い愛情をもつて養育し、事件本人もまたさちこを本当の母親の如く慕い幸福に暮らしている。然るに事件本人を相手方に会わせることになれば、それが月に一度であつてもまた家庭裁判所調査官の立会の上であつても、妻と相手方との葛藤に事件本人を巻き込むことになるのは必定で、かくては事件本人の幼い心を傷つけその成長に大きな弊害を与えることとなる。相手方が事件本人に会いたいというのは利己的な感情からであつて、そのために事件本人を犠牲にすることはできない。相手方を事件本人に会わせることとした原審判は不当であるからこれが取消を求める。」というにある。
思うに、実の母が我が子に面接することは本来ならば何人にも妨げられないはずである。しかし未成年の子が何らかの事情で実母の手を離れ他の者の親権および監護権に服している場合には、親権および監護権の行使との関係で制約を受けることはこれを認めた法制上当然のことといわなければならない。
ところで一件記録を調査すると、抗告人と相手方は昭和三一年一一月八日婚姻し、同三二年一二月二一日事件本人が出生したが、同三八年一一月三〇日調停により離婚し、事件本人の親権者を抗告人と定めたこと、そして同年一二月二二日より事件本人は抗告人の手元で監護養育されていたところ、同三九年三月六日抗告人がさちこと再婚し、同女の長男進(当一八年)および二男悟(当一六年)を養子としたため同人等と共に五人で家庭生活を営むようになつたこと、抗告人は外科医を開業してその生計を維持し、さちこの協力の下に事件本人を進等と何ら差別することなく監護養育し、事件本人もその家庭生活に溶け込み進等とも実の兄弟のように仲良くして幸せな生活をしていること、あらまし以上の事実を認めることができる。
右事実によれば、事件本人は父母の離婚という不幸な境遇の下にありながらも抗告人とその妻さちこの努力により現在の家庭生活によく適応し平和な生活を送つているものというべく、かかる状況にある事件本人に相手方が母として面会することになれば、抗告人において危惧するように、相手方とさちことの葛藤の渦中に事件本人を巻き込み平和な家庭生活に波瀾を起こさせることになることは必定であつて、かくては事件本人の純真な童心を傷つけ、精神面における健全な成長を阻害させることになる危険は十分に存するものというべきである。 我が子に会いたいという相手方の一途な気持も十分理解し得るし同情も禁じ得ないのではあるが、二年前の離婚の際抗告人に事件本人の監護を託した限りは、抗告人の親権および監護権を尊重し、事件本人が成人して自ら条理を弁えるようになるまでそれとの面接を避け、蔭から事件本人の健全な成育を祈つていることが、事件本人を幸せにすることになるものと判断される。事件本人のことが気にかかるときは人を通じてその様子を聞くなり、密かに事件本人の姿を垣間見て、その見聞した生長振りに満足すべきである。自己の感情のままに行動することはそれが母性愛に出ずるものであつてもかえつて子を不幸にすることがある。子のために自己の感情を抑制すべきときはこれを抑制するのが母としての子に対する真の愛というべきである。
以上により当裁判所は、相手方が事件本人に面接することはその方法、回数の如何を問わず現在の段階では事件本人の利益にならないものと考えこれを許可しないのが相当であると判断するものである。
よつて右と結論を異にする原審判は不当であるので家事審判法第七条、非訟事件手続法第二五条、民事訴訟法第四一四条、第三八六条によりこれを取消し、相手方の申立はこれを却下し、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 毛利野富治郎 裁判官 平賀健太 裁判官 安国種彦)