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東京高等裁判所 昭和40年(行ケ)11号 判決 1965年8月31日

原告 フアルベンフアブリケン・バイエル・アクチエンゲゼルシヤフト

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

原告のため上告の附加期間を二か月と定める。

事実

第一請求の趣旨

「特許庁が昭和三六年審判第四九二号事件について昭和三九年九月八日にした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求める。

第二請求の原因

一、原告は、特許庁に対し、昭和三六年九月五日、原告の権利に属する名称を「フエノチアジン誘導体の製法」とする特許第二七〇二二四号発明(以下本件特許発明という。)の願書に添附した明細書の訂正の審判を請求し、昭和三六年審判第四九二号として審理された結果、昭和三九年九月八日、右審判の請求は成り立たない旨の審決がされ、同審決の謄本は、同月三〇日原告に送達され、原告のため同審決に対する出訴期間として三か月が附加された。

二、本件特許発明の明細書の特許請求の範囲の項には、「式

<化学式省略>

(式中乙はアシル基、XおよびYはいずれも水素であるかいずれか一方が水素で他が低級アルキル基またはハロゲンのごとき1価の置換分を意味する。)

なるアシフエノチアジン化合物をば、場合により金属附与剤の存在下に、式

HO―A―N

R1

R2

(式中Aは分枝を有するアルキレン基、R1とR2はアルキル基または場合により分枝を有するアルキレン鎖でこれらは自体であるいは鎖Aの炭素原子と共に場合により置換分を有するピペリヂン、ピロリドン、モルフオリンまたはピペラヂンのごとき窒素含有5員環または6員環をなすことがある基を意味する。)

なる塩基性アルコールのハロゲニドと反応せしめることを特徴とする式

<化学式省略>

(式中X、Y、Z、A、R1およびR2は前記と同一の意味を有する。)なるフエノチアジン誘導体の製法。」と記載されている。

原告は、本件訂正審判の請求において、右記載のうち「式中Aは分枝を有するアルキレン基」とある部分は、右明細書中の他の部分の記載に徴し、「式中Aは分枝を有することあるアルキレン基」とされるべき明らかな誤記であり、その旨訂正しても、実質上特許請求の範囲を拡張することにはならないとして、この誤記の訂正を求めた。

ところが、本件審決は、右訂正は、それが誤記の訂正に該当するとしても、実質上特許請求の範囲を拡張するものであるから、特許法第一二六条第二項の規定に違背し許されないとした。

三、けれども、本件審決は、右条項を不当に拡げて解釈し本件訂正審判の請求を排斥した違法のものであるから、その取消を求める。すなわち、

本件特許発明で使用する式

HO―A―N

R1

R2

なる化合物中のAについては、明細書(甲第一号証)の特許請求の範囲の項では、「分枝を有するアルキレン基」と規定されているが、発明の詳細なる説明の項では、(一)「分枝を有することあるアルキレン鎖」(鎖は基と同じ。)と規定されている(明細書第一項左欄七行目)し、(二)実施例1には、右式の該当化合物として、α―ヂメチルアミノプロピルクロライドが使用されており、この場合、Aに相当するものはプロピルであつて、これは分枝を有しない通常のプロピルであることは明らかである。(三)そのほか、実施例2、3、4、6等全実施例五二例中四六例までの多数において同様に分枝を有しないアルキレン基にかかるものが示されている。通常、明細書中に記載する実施例としては、当該発明中最良と思われる実施の態様を記載するものであり、特に、実施例が多数示されている場合には、その最初の方のものがなかでも重要であることは、明細書作成上の常則である。したがつて、本件特許発明においては、Aとしては、主に「分枝を有しないアルキレン基」であることが明細書ことに右実施例の記載に徴し十分うかがえ、結局、特許請求の範囲の項の「Aは分枝を有するアルキレン基」とは、分枝を有しないアルキレン基と分枝を有するアルキレン基との両者を含む趣旨の「Aは分枝を有することあるアルキレン基」の誤記であることが明らかである。

しかも、この誤記を訂正することは、訂正が実質上特許請求の範囲を拡張しまたは変更するものであつてはならないとする特許法第一二六条第二項の規定にも反しない。この規定は、第三者保護の見地から、発明内容の置換、いいかえれば、明細書の発明の詳細なる説明の項に全然記載されていない事項を特許請求の範囲に持ちこむことになるような特許請求の範囲の減縮、誤記の訂正または明瞭でない記載の釈明にかかる訂正をしてはならない旨を定めたものと解すべきである。したがつて、訂正が実質上特許請求の範囲を拡張しまたは変更するものであるかどうかは、明細書全体の記載を参酌して、明細書に記載された事項、さらには発明の基本的思想の同一性にもとづいて、これを定めるべきであり、特許請求の範囲の項に記載された文字から形式的にきめてはならない。ところで、本件特許発明の明細書中発明の詳細なる説明の項によれば、式中Aの実質が、「分枝を有しないアルキレン基」にあつて、「分枝を有するアルキレン基」はむしろ副次的なものであることは、上述のとおりである。かえつて、これを「分枝を有するアルキレン基」に限ることは、これを特許権行使のうえからみれば、実質的には空権に等しいものにするとさえいえる。原告が現に実施中のものも、分枝を有しないアルキレン基を含む生成物である。また、分枝を有するアルキレン基を含む生成物は、分枝を有しないアルキレン基を含む生成物に比し、原料の入手が困難であり、生成物の効果においても劣るので、市販品とするには、余り価値のないものである。したがつて、本件特許発明の権利範囲が現在のままであるとすれば、原告にもたらす利益はきわめて少なく、将来被るであろう損失は大きい。

本件申請にかかる訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張しまたは変更するものではなく、訂正審判の意義、精神および従来の特許庁の処理例に徴しても、許されるべきである。

よつて、請求の趣旨のとおりの判決を求める。

第三被告の答弁

一、主文第一項同旨の判決を求める。

二、請求原因第一、二項の事実および本件特許発明の明細書中特許請求の範囲の項に「Aは分枝を有するアルキレン基」とあるのは「Aは分枝を有することあるアルキレン基」の誤記であることはいずれも認めるが、同第三項のその余の点は争う。

第四証拠<省略>

理由

一、特許庁における本件訂正審判手続の経緯、本件特許発明の請求の範囲の項の記載および原告が右審判手続において特許請求の範囲の項中「Aは分枝を有するアルキレン基」との記載部分は「Aは分枝を有することあるアルキレン基」とすべき誤記であり、かつ、この誤記を訂正しても実質上特許請求の範囲を拡張することにはならないとし、その旨訂正するよう求め、これに対し、本件審決が右訂正は特許法第一二六条第二項の規定する実質上特許請求の範囲を拡張するものであるとして、請求を排斥すべき旨の審決をしたことについての請求原因第一、二項の事実のすべてならびに右訂正を求める部分が原告主張のとおりの誤記にかかるものであることは、当事者間に争がない。

二、本件における争点は、本件特許発明の特許請求の範囲の項中「Aは分枝を有するアルキレン基」との記載部分を「Aは分枝を有することあるアルキレン基」と訂正することが、特許法第一二六条第二項の「実質上特許請求の範囲を拡張………するもの」に該当するかどうかの一点である。

同法条第一、二項の規定の趣旨を考えるのに、特許権者による明細書または図面の訂正は、不完全な明細書または図面をそのままにしておくことは、出願当時完成した特許にかかる新規な工業的発明を正確に開示すべきこれらの書面の本来の使命にもとるばかりでなく、これを特許権者の立場からいえば、そのかしを理由に特許が無効とされるおそれがあるので、これをふせぐために、このかしを訂正除去したり、誤記や不明瞭な記載に由来する不都合または第三者に乗ぜられることを防止する等のため右誤記を訂正ないし釈明したりしておくことを目的とするものと考えられる。一方、訂正のうち、実質上特許請求の範囲を拡張しまたは変更することになる訂正は、訂正が訂正後における明細書または図面により特許出願、出願公告、特許すべき旨の査定または審決および特許権設定の登録がされたものとみなされる効果を有する結果、ただちに第三者の利害に関するところから、特許権者と第三者との利害の調整の見地に立つて、これを許さないこととしているものと解される。右のとおり解すべき以上、同条にいう実質上特許請求の範囲を拡張しまたは変更する訂正であつてはならないとは、特許請求の範囲に記載された当該発明の構成に欠くことができない事項について、その内容ことに範囲、性質等を拡張または変更することすなわち、訂正前と訂正後とで特許権の効力の及ぶ限界に差異を生ずることはいずれにしても許さない意と解すべきことが、おのずから明らかである。このことは、同法第四一条が出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前の補正について、第三者に生ずる利害関係等を考慮して、特に、願書に最初に添附した明細書または図面に記載した事項の範囲内のものに限り、特許請求の範囲を増減変更する補正を明細書の要旨の変更にならないものとみなしており、また、同法第六四条が出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達後の補正についてはその条件を著しく厳格にしていることと対比しても、これを解することができよう。

本件特許発明において、特許請求の範囲の項に示された式

HO―A―N

R1

R2

中の「Aは分枝を有するアルキレン基」との部分が、すなわち、Aの限定が発明の構成に欠くことのできない事項の一つに属することは、成立について争のない甲第一号証(本件特許発明の明細書)および弁論の全趣旨ことに本件特許発明の特許請求の範囲の項の記載に徴して明らかである。そして、「分枝を有することあるアルキレン基」とは、「分枝を有するアルキレン基」のほかに「分枝を有しないアルキレン基」をも含む概念であることは当然であるから、「Aは分枝を有するアルキレン基」なる記載を「Aは分枝を有することあるアルキレン基」と訂正することは、前者に「分枝を有しないアルキレン基」を附加し、それだけ拡張することになることはいうまでもない。つまり、右訂正を許すときは、それだけ本件特許発明の構成に欠くことのできない事項の一つ、ひいては、特許請求の範囲を拡張することになる。

しかも、本件特許発明において、その特許請求の範囲の項中の「Aは分枝を有するアルキレン基」なる記載が、当業者であれば、そのままで「Aは分枝を有することあるアルキレン基」と解されるという事実も、認められない(原告は特許庁における審決例を引用してその主張を根拠ずけておるが、審決例の当否が直ちに本件における裁判所の判断を左右すべきでないことはいうまでもないばかりでなく、その成立について争いのない甲第六、七、八号証において、特許請求の範囲の項の「アンモノリシス」なる記載を「アンモノリシスまたはアミノリシス」と訂正することを許可する旨示されているのは、アンモノリシスとアミノリシスとは正確には区別されるべきであるが、これをそれほど正確に区別しないで使用することもないわけではないことを前提としてされたものであることが、同証によりうかがえるから、本件とは異なる。)。かえつて、「Aは分枝を有するアルキレン基」としても、発明所期の目的効果を奏しえないものでないことは、原告も自認するところであり、ただ、「Aは分枝を有しないアルキレン基」としたときによりよい効果を収めうるとしているだけであることに徴しても、「Aは分枝を有するアルキレン基」を「Aは分枝を有することあるアルキレン基」と解する以外になく、本件特許発明の特許請求の範囲をもつて右訂正が許された場合と差異がないとの原告の主張を採ることができないことは明らかである。そのうえ、「Aは分枝を有しないアルキレン基」とした方がよりよい効果を奏するものとすれば、訂正によりそれを本件特許発明の権利範囲に持ちこむことは、それだけ、後にいたつて第三者の利益についてたやすく保護を薄くし、一方、誤記等の端緒ないし原因を作り責を負うべき特許権者を保護することになり、前示のとおり両者間の利害の権衡をはかろうとする右法条の趣旨にもそわない結果を生ずるので訂正を許すべきであるとする原告の主張は、採りえないところである。

右のとおりである以上、本件訂正審判の請求を実質上特許請求の範囲を拡張するものであるので許すべきものでないとした本件審決には、これを取消すべき違法の点はないから、その取消を求める原告の本訴請求は、これを失当として棄却すべく、訴訟費用の負担および上告のための附加期間について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第一五八条第二項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 原増司 影山勇 荒木秀一)

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