東京高等裁判所 昭和41年(う)1745号 判決
被告人 高野学而郎
〔抄 録〕
論旨はいずれも原判示第一の事実に関し、被告人は本件被害者を殺害しようとする意思は全然なかつたのに、殺意を認定し強姦致死のほかに殺人の責任を問うた原判決には事実の誤認があるというものである。
よつて検討するに、一件記録によると、被告人が本件犯行時に原判示のように被害者の抵抗にあつて殺意を抱いたということの直接の証拠としては捜査段階におけるその旨の供述がある。司法警察員に対する供述調書一〇通のうち三通目(昭和四十一年二月二日付)のものに「もうここまでくれば何でもいい。相手が死んでもなんでもかまわない。」なる供述が見られる。しかし、同じ調書の少し前には「あせつていたので夢中で殴り付けた」との供述もあり、同じく一通目(同年一月三一日付)の調書には「女の人が気絶する位叩いておこうと思つた」旨も述べている。検察官に対する供述調書七通の中では二通目(同年二月八日付)に「早く気絶させようと思い、ここまで来ては女がどうなつても構わない。」趣旨の供述があるが、同時に五通目(同年二月一一日付)には「叩いてるときは夢中で深く考えない。」との供述も見られる。このような殺意に関する被告人の微妙な供述について論旨のいわんとするところは要するに、被告人が取調官の種種の質問に対し当時相手(被害者)のことを考えなかつたと答えたのが思わざる方向に発展して遂にあたかも殺意を肯定するかのような供述になつてしまつたと主張する趣旨と解されるのであるが、ひるがえつて犯行時の被告人の行動を仔細に観察してみると、前記のように被告人は有り合わせた棒で被害者の頭部を殴打して失神させ、一〇メートル前後離れた場所迄引きずつていき、それに続いて被害者の携えていた風呂敷包二個、ハンドバツグ、穿いていた草履等を同じく運んで被害者の傍らに、それも整然と置いている。原審公判廷の被告人の説明によれば、最初に被害者を殴打した場所に放置して通行人に発見されることを恐れて運んだことになつているが、本人の控訴趣意によれば、被害者が気付いたとき直ぐに持ち帰れるためという趣旨が加わつており、置場所や置いた状況から、その説明も肯けないでもない。同じく姦淫後被害者の前をはだけたまま立去つていることを、被害者が寒さで早く気付くと考えたからとする被告人の説明は、当時の状況から判断すればむしろ余りに幼稚な感(一月下旬の酷寒期に寒冷地である長野県茅野市地域の田圃に気絶している人の肌を夜間外気に曝すことは、むしろ凍死のおそれがあるのではないかとさえ思われる。)があるとはいえ、被告人の一貫して述べているところである。なお、検察官に対する供述中(前記二通目のもの)には被害者が意識を回復したとき顔を見られたくないので姦淫時にその顔をかくしたとの趣旨のものもみられる。他方、被害者を殴打した棒は全長約二メートル、そのさしわたしは、二股になつた細い方の先端が二乃至二・五センチメートル、中央部で三・五センチメートル、太い方の端は六センチメートルで太い方は腐蝕気味であり、その中、太い方三八センチメートルは折れている。被告人の供述によれば、その細い方を握つて被害者を殴打し、その際、太い方の先端が折れた模様であるが、どの部分が被害者の頭に当つたかは明らかでない。いずれにしても被告人は被害者を後から右手で扼したのにその抵抗が強いのでたまたま手に触れたこの棒で殴打したものであるが、この棒は前記のような状況に照し、その重量、形態のみから殺意の存在を推測させるようなものではない。
以上被告人の捜査段階における微妙な供述を綿密に分析し、犯行当時の行動や用いた棒の形状などを仔細に観察し、更に事犯全体についての被告人の弁解の模様などをこれらと対照しつつ、いろいろな観点から総合検討して考えてみると、被告人が殺意を認めるような前記の自白をするに至つたのは結局において、取調官の種種の角度からする理詰の質問により、年少未熟なしかも情緒の不安定なこの被告人が押しまくられて、しどろもどろの供述をした結果ではないかと窺われるのである。現に当審においてした本人質問に際しての不安定な供述態度等からみてもその感を深くするものがある。従つて前記自白の任意性の問題はさておき、その余の資料が前述のように殆んど殺意の存在を否定するような方向に傾いているものと判断される以上、年少の被告人が当時未必的にせよ真に殺意を抱いたかどうか、すなわち前記のような自白に真実性があるかどうか疑なきを得ないのである。これを要するに、原判決に掲げられた関係証拠によつては原判示第一の殺人の事実を認定するに足りないことに帰し、他に殺意を肯認するに値する証拠もないので、結局被告人に殺人の刑責を負わせた原判決にはこの点で判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるといわねばならない。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
(新関 吉田 大平)