大判例

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東京高等裁判所 昭和41年(う)2751号 判決

被告人 野寺富二

〔抄 録〕

事実誤認を主張する各論旨について

各所論に徴し、調査するに、原判決は、原判示の如き「被告人の略歴と被害者との関係」および「罪となるべき事実」、すなわち、被告人は、本件被害者磯貝しづい(当三二年)とは同じ簡易旅館に隣り合わせて居住していたところ、昭和四一年五月二二日の午後六時四〇分ごろ、自室前の廊下において、飲酒酩酊の末、被告人の放言に端を発して同女と口論のあげく、同女の反抗的態度にあうや、憤激し、自室茶箪笥の下から大工用のみを持ち出し、同旅館奥の共同便所の方に逃げ出した同女を追尾して同女の後頭部を殴打し、「さらに右便所に逃げこんだ同女が、便所の土間の片隅で左手で子供(当一年)を抱きかかえ、右手で後頭部をかばいながら進退に窮してうづくまつているのに対して、同女が死ぬかもしれないが死んでも構わないとの意気込みで同女の頸部、顔面、頭部等を一〇回以上突き刺し」よつて同日午後一〇時五分ごろ、田島病院において、長さ六・二センチメートル、深さ約八センチメートルの右頸部刺創による右外頸動脈、頸静脈損傷等に基く失血によつて死亡させて殺害した旨事実を認定判示し、さらに「被告人および弁護人の主張に対する判断」として

(1) 本件犯行に用いた大工用のみは、全長二一・五センチメートル、刃体の長さ一二センチメートル、刃渡り九ミリメートルの細身のもので、身体の重要部分を突き刺せば容易に人の生命を奪うことのできる危険な兇器であること

(2) 被告人は、原判示の如く被害者と口論したあげく、わざわざ自室入口附近の茶箪笥の下においてあつた前記のみを持ち出していること

(3) 被害者の身体の重要部分である頭部、頸部、顔面の辺りをめがけ、右のみで一〇回以上にわたつてめつた突きに攻撃を加えて原判示の如き重大な創傷を生ぜしめていること

(4) 被告人は生来極めて短気で、些細なことにも憤激する性格の持主であり、憤激時には全く前後の見境いもなく激しい行動に出る傾向を持つていたこと

(5) 被告人は酒を飲まないときは割合おとなしいが、飲酒時には狂暴的になる傾向があつたことを総合すれば、被告人には被害者を殺害せんとする確定的な明確な意思がなかつたにしても、少なくとも、被害者が死ぬかもしれないが死んでも構わないとの意識が、被害者に対して攻撃を加えている被告人の心中に存在していたものと認めるのが相当である旨の判断を説示していることが明らかである。

各所論は、右犯意の点に関し、いずれも、事実の誤認があるとし、すなわち、弁護人および被告人の所論は殺人の犯意が全くなかつた旨検察官の所論はいわゆる確定的殺意があつた旨、それぞれ、主張するので、按ずるに、原判決が掲げる各証拠によれば、被告人が被害者を原判示共同便所に追いこむ前に殴打したとの事実および被告人の犯意に関する部分を除くその余の原判示各事実、並びに、原判決が前記判断の項において、被告人の犯意を認定するための事実としてとくに摘示している前記(1)ないし(5)の各事実は、いずれも、これを認めるに足り、記録を精査するも、これらの事実について誤認を疑う余地は存しないところ、以上のように証拠によつて明らかにされている本件犯行の契機、発端、わざわざ自室から兇器を持ち出すや直ちに被害者を追い、これを追いつめるや、また、直ちに仮借なき兇行に及んでいる間断なき犯行の推移の状況、兇行の態様とくに兇器の性状並びに被告人の用法、傷害の部位、程度、および、被告人の性格性行等を総合して考察すれば、被告人が原判示共同便所の方に逃げ出した被害者を追尾して、右手に握つたのみで、いきなり同女の後頭部を力一杯殴りつけた事実があつたとしても、原判示のようにそれが未必の故意に止まるものか、あるいは、検察官所論の如く確定的殺意によるものかはともかく、被告人の原判示犯行が、殺人罪としての犯意をもつてなされたものと推認することができる。

弁護人および被告人の所論は、原判決が、前記(1)ないし(5)の事実をもつて被告人の犯意を推認する重要な要素となしたことについて論難を加え、被告人は「わざわざ」大工用のみを持ち出したものではないし、人体の枢要部を「ねらつて」刺したものでもない、原判決が説示するような被告人の性格、飲酒時の傾向からして、何も考えず、無茶苦茶にのみを振り廻したに過ぎない等、むしろ、(1)ないし(5)の事実は本件が傷害致死であることを推認させるものである旨主張するが、右は証拠に基かず、または、証拠と事実の評価を誤る独自の見解というほかなく、これらの事実を被告人の犯意を推認する重要な基礎となしたことに原判決の誤りは存しない。すなわち、被告人は、自室前の廊下で被害者と口論をしていたのに、一旦、自室内に入り、茶箪笥の下の方に置いてあつた大工用のみを持つて再び廊下に出ている(この間に、被害者はその自室入口において、室内の長女に対し子供を背負うための帯を出すように話していた。)ことが、証拠上明らかであるから、これを、原判決のように「わざわざ」持ち出したものと認めるのが自然であり、その後、前記のように、直ちに被害者を追つて原判示兇行に及んだ犯行の推移の状況に照せば、被告人において右兇器を持ち出したのは、その兇器本来の危険性に着目してしたものと認めるのが相当であり、また、原判示創傷の部位が、いわゆる防禦創を除いては、総て、頸部より上に集中していることは鑑定書等によつて明らかであり、被害者は無抵抗の状態であつたことも証拠上明らかであるから、これを原判決のように、被告人が被害者の身体の枢要部分を「ねらつて」突き刺したものと認めるのも極めて合理的なことであり、いずれも、被告人の当時の心理を推量する重要な徴表事実として犯意認定の資料となるべきものである。被告人の性格、飲酒時の傾向としても、ただに、「短気」、「激情」、「狂暴的」というに止まらず、些細な動機ないし契機による紛争の解決にも、ともすればあいくち、日本刀、ピストル等の兇器に頼る傾向を有し、そして紛争解決の態様たるや、徹底的に相手方を慴伏せしめないではおかない執拗かつ仮借ないものであることは、検察官所論のような前科その他の非行歴の態様および原審証人野寺富美の供述によつて推認され、そこには、人の生命身体の尊厳に対する被告人の価値観ないし倫理観の低下が窺われるのであるから、それが本件犯行の態様に連るものとして被告人の心理を推量する重要な要素として無視できないことは、けだし当然のことである。そして、かかる被告人の性格、性行、倫理観、価値観をも考慮して本件犯行の推移、態様を観れば、弁護人所論の如く、本件犯行の間に被告人に静思熟慮の余祐はなく、また、犯行後において自己の行動の詳細を記憶していないとしても、犯行時において、所論の如く「何も考えずにのみを振り廻しただけ」で、その根本には、当初考えた脅迫の意思が内在していたに過ぎないものとは、到底考えられない。同所論はまた、被告人には被害者に対するなんらの恨みもなく、殺害の動機がなかつたから殺意はない旨強調するが、本件犯行はいわゆる動機犯と目すべきものではなく、いわゆる激情犯と認むべきものであるから、所論のように、平素から被害者の殺害を企図するに足りるような動機としてみるべきものはないとしても、本件においては、原判示のとおり、兇行に及ぶ契機はこれを認めることができるのであるから、所論の趣旨における動機がなかつたからといつて殺人の犯意がなかつたとはいえない。その他、所論に徴し種々検討するも、被告人に殺人の犯意が全くなかつたと主張する弁護人および被告人の論旨は理由がない。

そこで、検察官の所論について按ずるに、そもそも確定的故意とは、結果の発生を確定的なものとして認識しながらこれを認容する場合であり、これに対し、未必の故意とは、結果の発生を可能なものとして認識しながらこれを認容する場合であると一般に解されるところ、両者同じく結果の発生に対する認識としながらも、その差異は認識の程度の差にあるというよりは、主たる意思方向の差にあるものと解するのが相当であり、すなわち、確定的故意においては、結果の表象は行為の主として指向するところであるのに対し、未必の故意においては、行為が主として指向するところは他に存し、結果の表象はただその行意を抑止する動機とはなりえなかつた場合と解すべきである。いま、これを本件被告人の犯意についてみるに、被告人の原判示所為の指向するところが、主として、被告人の弁解するような脅迫、または単なる暴行ないし傷害の結果に存し、被害者の死の結果は、単に可能な結果の一として認識しながらこれを認容したに過ぎないものとは到底認めることができない。もとより、被告人が原判示ののみを持ち出した当時から被告人に確定的な殺意があつたと認めるにはいささか疑わしい点がないわけではないが、その後直ちに被害者を追い、原判示共同便所に追いつめて直ちに兇行に及んでいる犯行の推移の状況に照せば、被告人は、被害者の逃走をあくまで被告人の意に従わない反抗的態度と解し、前記被告人の性格性行から、これを徹底的に慴伏せんとして、当初の意図はともかく、前記確定的な犯意をもつて攻撃を重ねるに至つたものと推認するのが相当である。してみれば、原判決が、被告人の殺人の犯意を認定しながらも、これを未必の故意と認定したのは、証拠の評価を誤り、ひいて事実を誤認したものといわざるをえない。

ところで、未必の故意にせよ、確定的故意にせよ、責任条件としてはひとしく犯意あるものとして同一であり、また、一概に未必の故意というも種々の段層を内包し、それ故に確定的故意との限界は認定上も極めて微妙なものがあるところから、この点に関する事実の誤認が、果して、一般に、判決に影響あるものとすべきかは種々論議の存するところではあろうが、前記の如く、両者は認識の分量の差に非ずしてむしろ行為の質的な差であるところから、行為ないしその責任の評価に影響するところが大きく、量刑上重要な要素の一となるのが一般であり、とくに本件の如く、これを無期懲役に処すべきか、有期懲役に処すべきか、隔絶した刑量の量刑問題を具体的に論旨として内包する事案においては、これを判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認と解するのが相当であり、検察官の論旨は理由がある。

よつて、被告人の本件控訴はその前提を欠いて理由がないが、検察官の本件控訴はその理由があるから、刑事訴訟法第三九七条第一項第三八二条により原判決を破棄し、当裁判所において直ちに判決する。

当裁判所が認定する事実は、原判示事実の中、「罪となるべき事実」中、「同女が死ぬかもしれないが死んでも構わないとの意気込みで」とある部分(原判決書三枚目一二ないし一三行目参照)を「同女を殺害すべく」と訂正するほか原判示事実と同一であり、その証拠は、原判決が「証拠の標目」として記載している証拠と同一であるから、いずれも、ここに引用する。

被告人の右所為は、刑法第一九九条に該当するので、量刑につき、本件各控訴趣意中量刑不当を主張する論旨として援用する諸事情をも参酌して考察するに、被告人は、本件被害者に対し、これを殺害するに至る動機となるような敵意を懐いていたわけではなく、飲酒をしないときには、被害者の子供をも可愛いがり、夫の服役中は家庭の面倒をみてやる等、むしろ親切な一面すら窺われ、本件は飲酒のうえの激情にかられた犯行であることは弁護人および被告人の所論のとおりであり、本件犯行によつて逮捕された直後には、犯行当時被害者に抱れていた幼児の安否を気づかう(もつとも、この事実は、被告人において否定している。)等原判決が被告人の利益の情状として掲げている諸般の事情は当裁判所もまたこれを認めて被告人の利益にしん酌すべきものと考えるが、いかに飲酒時の犯行とはいえ、そもそも自己の飲酒時においては兇器を手にし、狂暴ともいえる行動に出る性癖のあることは被告人自らこれを熟知しながら、その生活態度においてこれを回避するための主体的な努力の形跡はいささかもこれを見出しがたく、さらに、いかに飲酒時の激情にかられたとはいえ、原判示のように、被告人に共同便所に追いつめられて進退に窮し、片手に満一才の幼児を抱えてこれをかばい、僅かに片手を頭にあげてわが身を護るに過ぎない女性に対し、仮借なく兇器を振つてこれを突き刺した被告人の犯行の態様は残忍極まるものというほかなく、右犯行が、被害者の長女等、多くの同宿者の現認しうる場所においてなされたこと、および、犯行後は平然として衣服を替え、悠然として逃走を図つていることをも考慮すれば、まことに冷酷にして無慈悲、かつ、大胆な犯行というべきであり、かかる犯行の態様は、原判決もいうように「天人ともに許さない」犯行としてそこには一片の酌量の余地も存しない。弁護人および被告人の所論には、被告人のかかる犯行をみるに至るについては、被害者の言動にも責むべき点があるよう主張する点も存するが、原判決も説示するとおり、原判示被害者との口論は、結局は被告人の日頃の悪口雑言に起因するものであり、本件犯行の責任の一半を被害者に転嫁して自らの刑責を軽くすることはできない。むしろ、かかる些細な契機から直ちに本件犯行のような残忍非道な兇行に走る爆発、即行的な性格の危険性こそ、強く責められねばならない。以上のような、犯行の契機、態様からも窺われる被告人の反社会性は極めて根深く、最も尊厳な人の生命に対する価値観ないし倫理観の著しい低下をみるに至つていることは、すでに被告人の犯意について判断するにさいし言及したところであり、当裁判所の最も遺憾とするところである。

以上の諸点のほか、本件記録にあらわれている一切の事情、および当審における事実取調の結果をも参酌して考慮するにおいては、いかに被告人利益の情状をしん酌するとしても、その贖罪の道は原判決のように有期懲役刑をもつてしては足りないものというほかはない。

(河本 藤野 金)

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