大判例

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東京高等裁判所 昭和41年(う)2888号 判決

被告人 田中文夫

〔抄 録〕

所論は先ず、原判決には判決に理由を附せず又は理由にくいちがいのある違法があるといい、その理由として、原判決は「被告人は本件事故に際し、被告人の車両が一たん停車をした際、自車後方を牽引ロープを跨いで右から左に横断した歩行者数名を認めたから、続いて同様横断する歩行者の出現が予想できる状態であつたのに、同方向を注視し横断者がないことを確認してから、発進を開始すべき注意義務を怠り他に横断者はないものと軽信し、牽引ロープを張るための発進を開始した過失がある」と認定した点において理由不備がある。原判決掲記の証拠中には右認定に沿う証拠はなく、却つて「続いて横断する歩行者はないことが予想される事情及び被告人が発進時においても後方に対し注意を払つていた事情」が認められる。本件では、被告人の車両の後方に入り込む被害者を被告人としては発見し得なかつたのであるが、それは注意義務の懈怠のためではなく、不可能のためであつたのである。当時本件現場には数名の女性と被害者清水以外には、横断歩行者は存在しなかつた。問題は右女性らと五米も離れて横断して来た被害者の出現を当時の状況から考えた場合、被告人が予想し得る状況にあつたか否か、また、被告人の発進に際し後方を確認する義務を怠つたか否かである。被告人は右女性らの横断が完了するのを目撃した後、自車の右側の大型貨物自動車や、前車が動き出したので、自車と被牽引車である畠山の車との間の牽引ロープを張るべく車両を動かそうと考えたが、横断歩道と道路右側の歩道とが交わる附近にいた交通整理中の警察官の指示を確認したところ、右警察官は車道に向き右手を右側方に挙げて横断歩行者に対し停止の信号を出していたので、被告人は右指示を確認すると同時に、右側窓から自車の右後方及び自車の右後方と右警察官との間の横断歩道上を注視したが、全く横断者の姿がないことを確認し、その他、前方注視中も左右のバツクミラーで後方を注視したのであるが、被害者の姿は認め得なかつたのである。而して、これらの状況の下では、右女性歩行者らに五米も離れていた被害者の如き横断者があることを予想することはできないといわなければならないし、発進に際し後方注視を怠つたともいえない。本件事故は、被牽引車の運転者畠山の警告を無視し、自転車と共にロープを跨いだ被害者清水の過失により惹起されたものである。また、原判決掲記の証拠中には、被害者が被告人の車両の後方に進入した時点を示すべき証拠がなく、被告人が横断中の女性数人を認めた際には、被害者は被告人の車両の右側の車両の蔭(死角)にいたのであるから、この際被害者を目撃し得なかつたことは、被告人の過失ではない等の主張をしており、次いで、所論は原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるといい、被告人は前述の如く十分な後方注視義務を尽し、被害者が被告人の車両の後方へ進入して来ることは到底予想できなかつたのであるから、被告人に過失はない筈であるのに、原判決が過失を認定したのは誤りであるというのである。

よつて按ずるに、原判決挙示の証拠を綜合すれば、原判示犯罪事実はこれを認定することを得べく、所論に徴し記録を精査しても、原判決には所論の如き理由不備ないし判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるものとは考えられないというべきである。

すなわち、右証拠によると、本件現場には横断歩道があり、被害者清水は右横断歩道により右方から左方に横断中であり、道路の左側部分を横断しているときに事故に遭つたわけで、当時交通渋滞のため被告人の車両は道路左側に一時停車をしていたのであるが、被告人の車輛は問題の横断歩道の前半を占拠しており、四・五米のロープにより故障車を後方に牽引し、右ロープは殆んど地上にはつた状態で両車を連結していた。而して、被害者は横断歩道の一部は被告人の車両によりふさがれ、一部にはロープが張られていたが、この横断歩道により横断を企て、自転車を押して歩行していたのであつて、既に横断を完了する直前において事故に遭つたわけであるが、通常の場合このような場所においての横断歩行者の通行は妨げられてはならない筈であり、被告人としては自分の車両だけを運転しているのではなく、故障車を牽引しているだけに、自分の車両の後方については特に慎重、周到な注意をしなければならなかつたことは自明であるといわなければならない。本件においては、被害者清水に先立つて女性数名が道路右方から左方へと本件横断歩道を横断したが、被害者もこれにつづいて停止している被告人の車両と牽引されている車両の中間に近接したのであるが、その時はまだ被告人の車両は停止していたのである。被告人は女性数名の横断者は認めたが、被害者は認めなかつたというのであるが、そこは横断歩道上であるから、女性数名の横断と被害者の横断とが相接して行われようと、また、多少離れてなされようと、横断歩行者の有無並びにその動向については十分な注意を払い危険を防止するように努めなくてはならない筈であり、前者の横断は可、後者の横断は不可などと簡単にきめるべきものではない。所論が被害者は女性横断者より五米位離れて横断して来たということだけで、被告人が被害者の出現を予想し得ない状況にあつたとするのは当らず、被告人としては矢張り女性数名の一団の横断者以外にも横断者があるのではないかと注意しなければならないというべきで、たとえ、被告人がこの女性横断者を注視した時には、被害者は他の車両の蔭にあつて同時に注視の対象とはならなかつたとしても、その後も注視を怠らなかつたから、必らずや瞬時後には被害者は被告人の注視の対象となつた筈であると認むべきで、それが被告人の注視の対象とならなかつたということは、被告人がなすべき注視を怠つたが為であるといわざるを得ず、本件においては不可抗力によつて被害者の注視を妨げられたと認むべき根拠は存在しないというべきであり、かかる場合において、被告人が前方等を注視していた為に、その間後方の確認ができず、ために被害者の発見ができなかつたからといつて直ちに不可抗力であると弁解することは許されないのはもちろんである。なお、原審における畠山鉄弥の証言によると、被告人が車両発進の動作をし、ロープを張る以前に被害者はロープに二米位のところまで迫つていたことが認められるから、被告人としてはバツクミラーだけでもそれを注視し得る状態にあつたのであり、発進に先立つて被害者の発見が不可能であつたなどとはいい得ないと認むべきである。所論は、被告人は交通整理に当つていた警察官の横断歩行者に対する停止信号を意味する手信号を確認し、同時に自車の右後方及び横断歩道上を確認し、横断歩行者の姿がないことを確認した上車両の発進をしたものであるというが、警察官がそのような手信号をしていたことは、被告人がそういう丈で、畠山は警察官が歩行者を指導していたとはいつているが、車両に対し指示をしていたかどうか気がつかないといつており、事故発生時における信号については、述べていないのであつて、被告人供述の如き信号がなされた後、更に被告人が後方ならびに横断歩行者のないことの確認を尽した上で、はじめて車両の発進をしたということは認め難いというべく、いわんや、被害者がこの警察官の交通整理に違反して横断歩道の通行を敢てしたものと認むべき証左もないのである。以上これを要するに、本件においては、被告人は被害者の横断歩道上の歩行を予想すべきであり、且つ、なすべき後方注視を怠らなかつたら被害者の歩行を発見し得べかりしところを、慢然横断歩行者はないと軽信し発進を開始し牽引ロープを張つたため、被害者にロープを接触せしめたという過失があることは否定し難いというべきであり、一方、本件被害者にも牽引ロープに白布が附してあつたことを看過したこと、故障自動車(被牽引車)の運転者畠山の制止に気がつかずロープを跨いだ等の点で幾分軽卒な点が認められないではないが、何分にも事故は横断歩道上で発生しており、歩行者の安全が先ず第一に護られなければならない場合であるから、本件事故は主として被告人の過失により発生したものと認めざるを得ないのである。原判決には所論の違法は存在せず、論旨は理由がない。

(井波 宮後 四ツ谷)

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